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お気楽ビジネス・モード

ビジネスライフを楽しくする知恵や方法を紹介する

秋山をね『社会責任投資とは何か』生産性出版

2010-10-11 20:40:14 | 経済・金融
著者はE・F・ハットンやリーマンブラザーズなどでトレーダーを務めた。その後、ウォールストリートの短期利益のみを追求する投資のあり方を疑問に思って、日本でCSR格付けに基づく社会責任投資(SRI)のための調査会社・インテグレックスを立ち上げる。

この志の高さにまず敬服する。

この本は2003年に出版されているので、大和証券がインテグレックスの調査をもとにファンドを立ち上げるのはこの後である。

インテグレックスはCSRをアンケート調査で数量化しているが、これは欧米のやり方とほぼ同じようだ。それで社会的価値を測れるのか疑問の部分もあるが、年々改良されているようだ。

もともと酒、たばこ、ギャンブルに関係する企業に投資しないというキリスト教会の価値観がもとでネガティブリストとして始まったSRI。今では労働条件、環境対策から動物実験まで多岐にわたる評価項目がある。

インテグレックスの主張するように誠実な会社こそが長期的な価値がある会社だとすると、この投資基準は投資家にとって利益があるものかもしれない。

インテグレックスは大和証券のファンドの後も取引ファンドを増やしているようだが、まだまだヨーロッパのように投資家に浸透はしていないようだ。イギリスでは1997年に英国大学退職年金基金の運用に対して大学教員がキャンペーンを展開して広がったらしい。

日本の年金基金でそんな志の高いところがあれば広がるかもしれない。

巌+日経CSRプロジェクト編『CSR 企業価値をどう高めるか』日本経済新聞社

2010-10-11 20:21:34 | マネジメント・ガバナンス
2004年に出版された本なので情報は少し古いが、日本のCSRに関わる主要なテーマや人物が登場している。

最も面白かったのは、第4章CSRを担う人々だ。

資生堂の田中万里子さんは、小室淑恵さんが取り組んでいた育児休業者の職場復帰を支援するインターネットプログラムを利用したことからCSR部の男女共同参画グループに関わるようになる。大和証券の高岡亮治氏は秋山をねさんが始めたインテグレックスのCSR調査をもとにしたSRIファンドを立ち上げる。

そのほか東京海上火災の自動車版フライトレコーダで事故を減らす活動、富士ゼロックスの環境に配慮したエコ・ソフト、三井物産の排出権プロジェクトなど。CSRというとメセナやフィランソロピーなどの活動を思い起こしがちだが、企業活動全般に関わっているようだ。

伊藤邦雄教授はCSR活動はステークホルダーにとってコーポレートブランドの魅力を高めることになること、社員のリスク意識・感度を高め、ブランドリスクを低減する効果があると述べている。統計調査でも環境経営を行っている企業のβは低くなることを示している。

企業価値というとフリーキャッシュフローの総和と加重平均資本コストの割り算で計算しがちだが、CSR活動が企業価値に影響するというのは面白い。エンロンやワールドコム、雪印乳業や吉兆の事件を考えると、フリーキャッシュフローとWACCの計算にブランドリスクを入れ込むべきだと思う。

斎藤広達『図解MBA的発想人 課長力養成講座』パンローリング

2010-10-11 20:19:23 | 仕事術
アマゾンの古本で1円だったが、わざわざ買うほどの本ではない。

MBAと課長がなぜむすびつくのか? という本書の冒頭の問いに、あとがきでMBAは管理職が身につけることを前提にプログラムが設計されているから、というばかばかしい答えがあった。MBAでは考えるトレーニングがされているのはその通りだと思う。だが、10分くらいで読めてしまうこの本をMBA取得者が書いていると言うこと自体がMBAの効用が疑われるだろう。


山岸俊男『社会的ジレンマ』ちくま新書

2010-10-11 13:56:33 | 組織・組織行動
社会心理学者による囚人のジレンマの様々な実験結果から、社会的ジレンマをどう解決できるのかを問う意欲的なテーマの本。

著者は社会的ジレンマを次のように定義している。

①一人ひとりの人間が協力行動か非協力行動のどちらかを取る。
②そして、一人ひとりの人間にとっては、協力行動よりも非協力行動を取る方が、望ましい結果を得ることが出来る。
③しかし、全員が自分にとって個人的に有利な非協力行動を取ると、全員が協力行動を取った場合よりも、誰にとっても望ましくない結果が生まれてしまう。逆に言えば、全員が自分個人にとっては不利な協力行動を取れば、全員が非協力行動を取っている場合よりも、誰にとっても望ましい結果が生まれる。

囚人のジレンマ実験を何回か繰り返すときに、最も得をする行動は「応報戦略」というもの。相手に協力的な行動または非協力的な行動をとり続けるより、相手が行動したことを後追いでまねをしてほうが、結局得をする。

しかし、かしこい合理主義ばかりが得をするわけではない。

たとえば、囚人のジレンマの応用実験をゲーム理論を理解している研究者と感情で動く学生を被験者にしてみると、結果として学生のほうが得をするという結果が出たらしい。最初の被験者の行動結果を次の被験者に知らせてから、どう行動するかを判断させたのだ。そのことから、損得勘定で合理主義的に動く者より、「みんなが協力するなら自分も協力する」というような一見非合理主義に見える行動が実は得をするという結果になった。

山岸氏はこれを「みんなが」状況と呼んでいる。

いじめについての研究で、みんなの半分以上がいじめに抵抗するなら、自分も抵抗するという実験結果もあるそうだ。「みんなが」状況というのは、「寄らば大樹の陰」的に思えるが、実は世の中をよくするかしこい適応なのだそうだ。

また、感情は非合理主義的な行動と捉えられているが、感情的な行動が得をする場合があることも示している。詳しくは、著者が訳したロバート・フランク『オデッセウスの鎖 適応プログラムとしての感情』を読めとのこと。

清水真木『これが教養だ』新潮新書

2010-10-11 13:38:08 | 高等教育
この本は今話題になっている教養教育の議論に対して、かなり挑発的で過激な内容だ。

しかし、あまり過激に感じないのは、文体が「ございます」調で書かれ、上品とも、人を小馬鹿にしているとも受け取れる印象を与えているせいだろう。「教養」といううさんくさいテーマを論じるのは難しい。とくに日本において学生の教養教育が複雑な変遷をたどっている事情もあり、下手な意見をいうといろんなところから袋だたきにされる可能性もある。

この本の著者は現在の議論に一石を投じているようにも思う。

そもそも学生が人格を形成する上で教養は大切で、教養は古典を読むことによって身に付けるのが一般的だと考えられている。日本の大学では戦後、アメリカ型の教育システムが導入された。教育システムとして、幅広い学問分野を学んで、そこから専門を選び深く学ぶという意味で、教養教育から専門教育への積み上げ型がになっていた。しかし、それが有効には機能せず、学生からは意味のわからない抽象的な科目は面白くもないし、役にも立たないので「パンキョー」と侮蔑された呼称がつけられていた。大学の中でも専門教育に携わる教員と、パンキョーに関わる教員とでは、教授会等で微妙な優劣関係ができた。

これには専門教育の教員が演習や卒業研究を担当し、学生と親密な関係が出来ることに比べて、一般教育担当の教員は大教室で学生とは距離感があったことも遠因だろう。1992年には文部科学省が一般教育の教育効果に疑問を持ったことが背景となり、専門と教養の壁を取り払う法改正が行われ、一般教育科目の設置の有無は原則的には各大学にゆだねられた。これが実際には教養科目を減少させたり、外国語をなくしたりする教養教育の崩壊につながり、学生の狭い視野、時事問題への無関心、働く意欲の喪失、海外留学などの減少につながったとの危機意識が生まれた。文部科学省は、学術会議にこの課題を丸投げして、現在教養教育の再構築構想が検討させている。

この本では、教養について、彼女や奥さんから「仕事を取るのか私を取るのかはっきりして!」と言われたときにどのように対応できるのかで教養が問われるのだと言っている。つまり、教養の定義を、ハバーマス言う生活圏の区分「公共圏」「私有圏」「親密圏」のなかでそれぞれの行動を統合して整理できる能力としている。

公共圏=市民社会の中でみんなで解決すべき範囲
私有圏=私生活の中の労働に関する範囲
親密圏=    〃 家庭に関する範囲
教養=公共圏と私生活圏を統合する生活の能力

3つの区分での「自分らしさ」を追求することが現実の問題に対処する教養を身につけることだという。
こういう視点だから加藤周一が教養ある人間の代表のように捉えられることにも疑問を呈するし、教養=古典を読むという考え方も根本から問い直す。

古典という考え方は、紀元前1世紀のローマで言文不一致が起きたときに、書き言葉を純化させる手本として生まれたもので、昔は読む行為より文体の手本とされていたらしい。それが中世のルネサンス期を経て、ナポレオン時代のヨーロッパでは教養は実学を重視するための教育としたのに対して、フンボルトのドイツでは人間形成=古典を読むという流れになったらしい。19世紀以降の大学では、アメリカのリベラル・アーツから専門教育への方向とヨーロッパの大学での人間形成のための教養という方向に変遷していったようだ。

では、ハバーマスの区分した公共圏、私有圏、親密圏の境目が曖昧になりつつある現代の市民社会の中で、教養はどうなるのだろうか。著者の考えから推測すると、「教養ある人間」という考え方は消滅するが、3つの区分が曖昧になりつつも、なおかつ残るこの区分間で起きる問題を解決できる人間こそ「教養ある人間」に変わる理想的な人間ということらしい。公共圏、私有圏、親密圏での「自分らしさ」。教養という概念をそのように定義し直すと大学での教養教育もまた違った編成になるかもしれない。

堀義人『創造と変革の志士たちへ』PHP研究所

2010-09-26 18:40:04 | マネジメント・ガバナンス
著者の堀義人氏はグロービス経営大学院大学の学長である。
アパートの一室でビジネスパーソンにマーケティングを細々と教えることから始めたグロービスだが、現在では文部科学省認可の日本で一番大きなビジネススクールになっている。

堀氏は「創造と変革の志士」を輩出することにより社会のダイナミズムを生み出すことを使命とし、グロービス経営大学院をアジアでナンバーワンのビジネススクールにするという志を持っている。この本は、そのことが熱く伝わる本である。そういう意味では、この本はグロービスに関係するすべての者にとって「バイブル」であるのかもしれない。

これからグロービスはアジアでナンバーワンのビジネススクールを目指す。これは量的にも質的にもという意味だろう。量的にはハーバード・ビジネススクール並みの1学年900人規模にすることが目標らしい。そのため福岡校を開設し、英語プログラムのフルタイム・キャンパスをつくる。質的には学生満足度ですでに日本ではNo.1なので、修了生の社会的評価もNo.1にすることが目標なのだろう。壮大すぎるビジョンだが、グロービスなら不可能を可能にするパワーを秘めていると思う。

専門職大学院として発足した日本のビジネススクールの多くが現在では定員割れになっている。株式会社で大学院を設立したグロービスの躍進は奇跡とも思える。しかし、これは許認可行政のもとでゆるんだ体質の業界に対して、顧客志向の精神で着実に挑戦した結果だろう。総務省に対するソフトバンクやイーアクセス、国土交通省に対するヤマト運輸など顧客に新しい価値を提供してきたベンチャー企業と共通している。能力開発のプログラムや人的ネットワークの機会提供だけでなく、志までも鍛えるグロービスの教育は文部科学省のものさしではおそらく善し悪しの判断ができないのではないかと思う。

「徳が高い人がリーダーとして国民を率いるべき」であり、キング牧師のような正義感をもち、強い精神力を持つ人々こそが「創造と変革の志士」である(p.205~206)。

これまで能力の高い人がリーダーであるべきと思っていたが、徳が高い人こそリーダーになるべきだと思った。堀氏の考え方は陽明学や仏教の影響を強く受けていると思う。アジアでナンバーワンのビジネススクールにふさわしい哲学かもしれない。

ガー・レイノルズ『プレゼンテーションzen』ピアソン・エデュケーション

2010-09-20 16:35:34 | 思考法・表現法
読んでいると面白い本だが、いざこれを実行するととても時間がかかる。何に時間がかかるかというと、写真を選ぶのに時間がかかる。

著者はアップルに勤めていたせいか、スティーブ・ジョブズのプレゼンを高く評価する。ビル・ゲイツのプレゼントと比べて、使用するスライドのビジュアルがスピーチにとって「不可欠な要素」となっている点だという。ジョブズは、プレゼンの際に背後にあるスクリーンがストーリーを語る手段になっている。それに対して、ゲイツのスライドの多くは「お飾り」や「添え物」だという。ゲイツのプレゼンは、スツールに腰掛けてしゃべり、質問に答えるスタイルで悪くないが、スライドの使い方は平均点なのだそうだ。

プレゼンテーションにおけるzenとは、「簡素」「自然」「渋み」「わび・さび的な簡潔性」が大事だということ。
たしかにやたらと飾り立てたり、凝ったスライドを多く目にするようになったが、言いたいことをストレートにシンプルに、それいで洗練されたデザインというスライドにはお目にかからない。
この本では、表現を抑制するためにどうやってグラフからノイズを除いたらよいのか、会社のロゴもノイズになることを教えてくれる。画像優位性効果では写真と文字の効果的な使い方が示されている。

しかし、この画像優位効果のための写真選びは、スライドにアニメーション効果などを詰め込む以上に時間がかかると思う。

林田明大『真説「陽明学」入門』三五館

2010-09-20 16:14:20 | 哲学・宗教
王陽明の中心的な思想、<致良知><心即理><知行合一>は性善説の前提で考えるとよくわかる。

【致良知】人がもともともっている是非のこころ=「良知」は放っておくと「欲」が覆う。良知がそれに気づけば覆いはなくなり、本来の姿を回復する。主客関係を正しくして、良知を本来の姿にもどすことを「致す」といい、良知を極めることが致良知。

【心即理】我々の行動規範は外の理にあるのではなく、自らの心にあり、理は心から生み出される。

【知行合一】知と行は別々のものではなく、少しでも思念が生じれば、それが行いであり、思いと行動は一体のものである。『伝習録』によると、訴訟の仕事が忙しくて学問しようにもできないと言った弟子に対して、王陽明は「役人としての仕事を遂行する中で学問をしなさい。それでこそ主客関係を正しくするということなのです。裁判であなた自身がいささかでも感情の平衡を失って他人の是非を抑圧しないことが、主客関係を正して良知を発揮することです」と言ったそうだ。修行のために寺に籠もったり、知識と行動を区別するのではなく、実践の場という現実のなかで学問することを重視した。

王陽明は、自身の人生では左遷や内乱鎮圧の功労が評価されないという不運な目にあいながらも、性善説を思想の前提とした。これは人の可能性を信じて、ただひたすらよい政治を実現したいと思ったからなのだろう。また、世のために聖人をめざすこと、思いと行動は切り離せないものと説いた思想が、混乱の世を生きた幕末の志士や現代の多くの人々に影響を与えているのだと思う。そういう意味で国家主義にも革命思想にもいろいろな方向にパワーを秘めている思想だと感じた。

陽明学は、王陽明の一言一句を実践する学問ではないと思う。大事なのは、性善説に立って聖人をめざすこと。宗教や思想は教団のような組織をもつと、教義を広める目的が社会の救済ではなく、その組織の維持のためになったりする。そういう意味で、陽明学の左派だとか右派だとか、総理の指南役になった人の人脈とかの話題は聖人をめざすこととは関係なく、王陽明は喜ばないのではないだろうか。

ステファヌ・マルシャン『高級ブランド戦争』駿台曜曜社

2010-08-21 23:06:58 | マーケティング
2000年前後のLVHMとグッチの株式保有を巡る攻防やプラダやカルティエなどの高級ブランドのビジネスについてのルポルタージュである。
ブランドの解説書でも経営学書でもない。誰が買って読んでいるのか。おそらく業界人なのだろう。

高級ブランドがそれぞれ自社生産して、直営店で販売している時代からルイ・ヴィトンが鞄やプレタポルテだけでなく、香水、時計、宝石から酒まで企業を吸収合併し、マルチブランドの企業としてビジネスを展開し始めてから様相は一変した。
定番ばかりが売れていたので在庫という考え方がなかった時代から、シーズンごとに商品をデザインし、流通させ、販売する時代に変わった。
ブランドは売れるポジショニングでリメイクされ、希少価値と品質でブランドを演出するためフランチャイズ店を買い取り、専門店の販売中心にする。ブランドイメージをつくるために広告費支出の比率が急激に高まる。
デザイナーの引き抜き合戦から企業のM&Aなどが活発に行われる。

この本はその動きが最もさかんになったグッチをめぐるLVHMとPPRの攻防を軸に描かれている。
デビッド・アーカーのブランド戦略の本とはまた違う側面からブランドについて考えさせられる本である。
分厚い本だが、内容は薄っぺらいのが残念。

デジタルコンテンツ協議会『eラーニング』米田出版

2010-08-21 22:46:37 | 教育
2年前の本である。
池上通信機、フォトロン、ユーザーズという企業と一橋学院、畿央大学の関係した事例が紹介されている。
この事例がeラーニングのスタンダードといえるかどうかは疑問ではある。
本書でも述べられているが、日本のフルオンライン大学は八洲学園大学とサイバー大学だけだ。アメリカや韓国のように広がらないのは文部行政の規制が強いという事情もある。

この本ではeラーニングの通学制大学院での利用など参考になるところもある。
営業担当者が学校との成功の秘訣を書いているのもおもしろい。
eラーニング業者の営業が相手を調べてから交渉に臨むべしなどというのは、他の営業と変わらないのだろう。ただ、交渉相手が大学の先生の場合、eラーニングに関する論文を書いていて、その共同研究者が競合他社だったりすることがあるらしい。こちらよりはるかに高度な知識をもっている相手に対してどう営業するのか。これなどは医師を相手にするMRの仕事と質的には変わらないのかもしれない。

eラーニング業者の類型と選び方も参考になる。
eラーニングビジネスの事業者は4種類に分類できる。
○システム事業者
○コンテンツ事業者
○サービス事業者
○コンサルティング事業者
この融合業者もいるのでどの部分をどういう業者が担当するかも大学側が検討することになる。

最後に座談会でeラーニングで成功する秘訣について語っている。
何の計画もなしに出来るだけ安く導入したいというやり方は成功しないらしい。無料のLMSで立ち上げても、面倒を見る教員がひとりだけになって、その仕事も負担になってやがて消滅する。
成功するためには長期のビジョンがあって、予算がない場合も今回はこの部分だけを実施するというのが同じ無料LMSを使っても成功するケースらしい。そのため、全学部で実施というのではなく、学部や学科で目的をもって導入するケースが長続きするし、教育効果にも反映するらしい。
最後にセカンドライフの可能性について語られているが、2年経った今、思ったほど普及しなかった。
技術の見極めも大切だ。