なんでこんなに緊張するのかねぇ?
何度も行ってるのに、パスポートと荷物の重さがあれば大抵は大丈夫だと思ってるのに。
緊張して体が疲れて気持ち悪くなってきた。情けないほどの小心者ですわ。
チェックインで荷物預けてようやく解放される。
もし自分が世界レベルのスポーツ選手だったとしたら、世界記録は出せてもオリンピックでは勝てないタイプだろうな。
出発前最後の週末ということで、旅行準備中。
今回初参加となるのがこのバッグ↓↓↓
街歩き中のバッグとしては2年前に新しくして(下の写真、@デルフト)、それほどモノをとっかえひっかえしない身にしてはサイクルが早い。というのもこれを昨年の6月に中を牛乳漬けにしてしまったのだ。気に入ってたのに。
通販で同じタイプの黒いのを買った。昨年9月の旅行ではそれを持って行ったので、ザダルの雨にも一緒に打たれてくれた。
しかし、今年に入って週三日くらいは会社の帰りに二駅分くらい歩くようにするようになって、
・ウォーキングシューズに合わせたカジュアルな服
・革靴に合わせたワイシャツ・スラックス・ジャケットスタイル
でカバンを変えようとすると、中のものの入れ替えが厄介だし忘れる(前者のときは前述の黒いのを使ってた)。
ということで、間を取った大きさのを買った(A4ノートがギリギリ入る)。
似合っているかどうかは置いとこう。チッチャイコテャキニスルナ ワカチコワカチコ
---
それにしても・・・booking.comによると自分の日程ではクラクフのホテルが97%埋まっているというピンからキリまで埋まっていて、残っているのは超ピンと超キリだけか?何かイベントがあるのか?何があるのか調べてみたいと思うが、現地で楽しみにもしておきたかったりする。
その当日にはワルシャワから電車でクラクフに移動するので、電車の予約はしといた方がいいかもしれん。本来ならワルシャワのお気に入り具合で移動時刻を決めたいところだが。
今度の旅行は、初めてユーロ圏内には全く行かないルート。
ポーランドは行ったことないので一銭も(ポーランド的には何というのか?)ない。成田かワルシャワの空港で両替できるがレートが悪いらしい。空港から市外の地下鉄はカードも使えるという情報を得たので、市内で両替する方針に決まった。
次のチェコ。前回プラハでは最後にお金を使い切った記憶があって、残っていたとしてもちょろちょろとした額しかないと思っていたが、その後チェスキークルムロフに行ったのを思い出して探して出てきたのがこれ↓↓↓
1Kc≒4.45円らしいので、300Kcちょっとで約1400円。夜にそれほど大きくない都市へチェコ入りなのでちょっと心配。成田はやっぱりレートが悪いかなぁ???
ユーロは不要だと思っていたが、ドバイの空港で使いますね。ちょっと持ってこ。
旅行前の予習の読書。新刊は探す限りないので、amazonで中古品を探した。
「良」ということだったが、水にぬれた跡があったぜ。
東京・メキシコ五輪で体操の個人総合で二連覇を果たしたチェコスロヴァキア(当時)の英雄。
「チェコスロヴァキア」で知っているといえばこのチャスラフスカとザトペックくらいだ。
ザトペックはもちろん、チャスラフスカもさすがに現役時代は知らない。
チャスラフスカは子供の頃の百科事典で初めて名前を知った記憶がある。
子供の頃は高校野球で県や都市の名前、オリンピックで国の名前を覚えたものだった。
タイトルはチャスラフスカだが、彼女にはインタビューできたなかったらしい。
精神的な病にかかっていたり、その他いろいろ困難なことがあったようだ。
同時代に活躍した旧東側諸国に残っている、米国に渡ったソ連の元選手、日本の元選手を
追ってその元選手たち自身のことやチャスラフスカの印象や記憶などが当時の東欧事情と
絡めて詳しく書かれている。読み応えがある。
本に出てきた人たちの中では、コマネチはもちろん、
ネリー・キムとかオルガ・コルブトあたりの名前は記憶がある。
読後にyoutubeで探してしまった。
チャスラフスカを語るには1968年のメキシコ五輪前のプラハの春とか二千語宣言
とかは欠かせない。亡くなったのは二年前くらいだったか。そのもうちょっと前に、テレビで見た。
がんに侵されていることとか自伝を書いていることなど話したインタビューで話していた。
自伝は完成したのかな。そうだとしたら日本語訳を待ちたいものだ。
チェコ語が分かれば買って来るんだがなあ。
そういえば、男子バレーも1968年のソ連軍のプラハ侵攻のときに合宿だかでチェコスロヴァキアにいて、
必死の思いで脱出したんじゃなかったか。松平康隆が話したのを聞いたか、何かに書いたのを読んだ記憶がある。
ターミナルまで14分だって。遠いなあ。
ターミナルまでの長い道のり。ここから窓越しに陸上バスが来るのが見えた。バスならターミナル横付けなんだろう。
イスタンブール行きは21番
サンマルコ広場で食べ収めと思ったが、空港内にもアイス屋さんがあるではないか。一日に二つは珍しい。さっきは「最後はピスタチオで」と思って、今度もやっぱり「最後はピスタチオで」一日で2回のピスタチオは史上初だろう。
食べてる人がおいしそうに食べてるんだもの。買ってしまうよ。
離陸前かな?
ヴェネツィア~イスタンブールの食事
イスタンブール到着はずいぶんまどろっこしいようで
イスタンブールでの待ち時間。もうどこになにがあるか分かってきてる。
ちょっとコーヒーを飲みたくなる体ではなかったが、『いきつけ』のお店に行ってみたら閉まるところだった。閉めるときもあるのか。他のお店は営業中。
もう今となってはこのあたりのことは全然覚えてないけど・・・
イスタンブール~東京の食事1
イスタンブール~東京の食事2
着陸前
バスターミナルに着くまでは生きるか死ぬかの思いだったが、今になってみればザダルの雨も懐かしく思える。
とにかく雨に降られた時間はこれまでで一番長かった旅行でした。
カフェフローリアンのコーヒーが6~7ユーロで高いな~と思うような感覚では、
同じく音楽隊を持つこちらのカフェ何かボーナスが出ても入れない。10ユーロ越え。
鐘楼を見納めて
演奏を聴き収めて
くどいけどサンマルコ広場から徒歩数分のところにあるホテルへ。二晩お世話になりました。
フロント脇に預けておいた荷物を探したら、すぐに見つからず盗まれたかと思ってちょっと焦った。
預けたときより奥のほうにずらされていたのだった。
さようなら~
石畳の上をどうにかコロコロさせてリアルト橋へ。またヴェネツィアに来れるかな~
リアルト橋へ。ここから船で空港へ。
船で空港って初めて、というか他に船で行ける所あるのかな?
ダメ元で48時間チケットが使えるか聞いてみたけどやっぱりだめ。
乗り場も20~30m離れたところらしい。
そちらにはスーツケース持った人がいっぱいいるからここでいいんだろう。
船が来た。大運河を行きかう船より小さめだった。
30分に一本でこの輸送量。船で空港行く人は少数派なのかな。ちょっと高いし。
リアルト橋をくぐったところかな?
普通の船は進行方向に向かって座る配置になっているが、この船は内側に向かうような座席になっている。
みなさんいい大人なんだからそんな座り方なんて・・・
と思うが、自分もそう座っていて振り返ったところだったのだ。
自分だけじゃなくてこっち側に座ってる人みんな同じ。
総お子ちゃますわりの状態で最後のヴェネツィア運河を見る、撮る。
最後の最後でホントにいいお天気
輝いている
海原へ、速度も上がりしぶきも大きくなる
杭が道路、いや水路の幅を示しているんだろう。
窓を開けていたので、猛スピードのボートが通ると水しぶきが飛んでくる。
少しなら気持ちいいけど、大量だと衛生的にもちょっと心配かな。
閉めようとしたけどなかなか完全に閉まらず、窓が降りるタイミングでしぶきが飛んでくる。
あれが空港の入口か?
そのようだ。バスターミナルみたいになってる。船で空港なんて最後に楽しい体験だった。