Blog About Nothing

小心者の旅行遍歴
ここの記事へのコメントはここにでも「続」にでも どちらでも

九日目(1)【シカゴ】

2021-08-30 19:28:54 | '97 米国滞在時の旅行

旅行メモはセントルイスで終わっている。あとは記憶と写真でつなごう。

セントルイスからの夜行バスでシカゴへ。この間の距離は夜行バスにするにはギリギリかな。早朝にシカゴに着いた。あまり早く着かれても困るんだが。イスタンブール行きの便と同じことだ(早く乗りたい)。

到着時、暗くはないが人の往来は少ない。シカゴを出たときから増えた荷物を持ってどうする?

まずホテルを確保しよう。シカゴには節約旅行者のためのトーキョーホテルがある。バス・メトロも走っていた時間帯だとは思うが、どれに乗ればいいのかもわからないので歩いて歩いて。

到着して予約だけでも取っとこうと思ったら、チェックインさせてくれた。まだ朝食の時間帯なのにありがたい。シャワーも浴びて。カンザスシティに続いて、一泊なのに一泊半のような感じ。

そのあと軽く仮眠でもしたのかな。何したのかまったく覚えていない。

午後は一週間前と同様にリグレーフィールドへ。大抵は一週間おきにホームとロードを繰り返すと思うんだが、カブスは二週連続ホームだったか。多分シカゴのもう一つ、ホワイトソックスは連続ロードだったのかもしれない。

グレッグ・ボーン?


ハリー・ケリー


アナウンサーだけど球団プログラムの表紙を飾るほどの有名人。

翌年のシーズン前に亡くなったのだった。

リッキー・ヘンダーソン


これは誰だったか?自信がない。


ケン・カミニティ


近づいてきて子供たちにサインしているので、ついでにしてもらった。

あとで誰か忘れないようにメモしておいたんだが、スペル間違ってる
正しくはCAMINITI
この人もこの数年後に亡くなった。まだ若いのに。このころはあまりルールが確立されていなかった筋肉増強剤の影響とも言われた。

バッターはカブスの至宝、ライン・サンドバーグ。この日か前日にこの年限りでの引退を発表したんじゃなかったか。






これがトーキョーホテル

ここに泊まるときはいつも15階くらいだった。手動エレベータで、手慣れたじいさんが操作してくれる。外には非常階段があって、ちょっと出てみたけど怖かったなぁ。

ここに一泊して翌日DCに戻った。シカゴ起点旅行はこれにて終わり。
次は国境越え旅行でございます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八日目(2)【セントルイス】(ここはオークランドか?)

2021-07-01 18:10:31 | '97 米国滞在時の旅行

それではこの日のメインのゲーム観戦のためスタジアムへ。

相手はフィラデルフィア。真ん中でこっち向いてるはハドラー(元ヤクルト)かな。この日は一番センターで出場。


マグワイア。この10日くらい前、トレード期限ギリギリでオークランドから移籍。ちょうど体が大きくなる(婉曲表現)途中といったところか。翌年、シーズンの最多ホームランを記録。

マグワイアはやっぱりオークランド時代の方が印象深い。BSでの大リーグ中継が始まったころ活躍していたし。カンセコとのバッシュブラザースが有名。ホームランを打った後、それまでは手を合わせていたのを肘をぶつけ合う方式へ(その写真はコチラ)。コロナで握手の代わりに肘タッチをし始めたとき、真っ先に彼らを思い出した。時代を30年も先取りしていたのか!

試合開始。


初回にマグワイアのホームランが出た。移籍後初ホームラン。レフトポールに当たるホームランだった記憶がある。


これはガイエティかなぁ?


試合も終盤になって席が空いてきて移動したみたい。マギーが代打に出る準備・・・だけど、その前にチェンジになってしまって打席には立てなかった。


試合終了。ダンカン、ランスフォード。


ガイエティ(でしょう、写真撮るくらいだから)を一人はさんで

マグワイア


ラルーサ監督


エカーズリー(出番なし)

・・・ってほとんどオークランドじゃないか!
ラルーサ一家だね。

チケット


試合の結果

プログラム

表紙を飾るのはマット・モリス

内容はやはりニグロリーグを含んでいる


この後バスターミナルへ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八日目(1)【セントルイス】(バドワイザー)

2021-06-15 19:33:46 | '97 米国滞在時の旅行

前夜は18:30に寝て、夜中に二度目が覚めたものの6:30まで寝ていたと満足そうに書いてあった。

さて、この日は昼間は適当にぶらぶら、ナイトゲームを見て夜行バスでシカゴへ行く予定。二晩ホテルに泊まったから深夜バスもなんのそのだろう。

昨日はお昼過ぎから自由時間、今日も夕方まで自由時間。当時はそれほど観光にガツガツしてなかったかなぁ。それと情報の少なさ。どこ行きたいってのも少なかった気がする。

なもんで、朝もテレビなんぞ見てゆっくりしてチェックアウト。見たのはESPN のSportsCenter。これは何年か前までスカパーで放送してくれていたのだが、なくなってしまった。最後の「Did you know」のコーナーが好きだった。

SportsCenterでよく覚えているのは、2005年、50日かけてアメリカ50州の特集をやったのだが、最後がニューオリンズ。それに合わせるかのようにハリケーン カトリーナが来てしまって放送できなかったこと(ちょっと記憶違いがあるかも)。

ホテルを出てバスターミナルへ。ロッカーに荷物を預けよう。

リュック一つで出た旅行だったが、いろいろ持ち物が増えてきた。幸い、二番目の地ミルウォーキーでのゲームでプロモーションがあって、バッグをいただいていた。今日使わないものをこいつに入れてロッカーへ。

結構、プロモーションやっていて、Tシャツやらタオルやら帽子やらいただきましたね。

当時の英語のメモ(行動履歴)を見ても要領を得ない。あっち行ったりこっち行ったり。

ちゃんと目的地まで行ったのがバドワイザー。


ツアーで工場見学


最後はビールの試飲。

普段はビールなんて飲まないんだが、せっかく来たからには一杯いただいて帰ろう。だったらその一杯を写真に撮っておけと当時の自分に言いたい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日目(2)【セントルイス】

2021-05-31 19:41:43 | '97 米国滞在時の旅行

無事、適度なグレードのホテルを見つけて確保した部屋で一休みしたあと観光へ。この日はゲーム観戦の予定はなし。ぶらぶらと。

まずはユニオンステーションに行ってみた(らしい)。お店いっぱい。

ここにもニグロリーグショップが出ていた。

ニグロリーグ伝説のクール・パパ・ベルのお墓がセントルイスにあると知っていたんだったか?お店の人にお墓のロケーションを聞いた記録が残っている。

行こうと思っても当時の情報量でこれだけではいけなかったんだろう。おばさん、聞いといてごめんなさい。

そのあとメトロでゲートウェイアーチへ。その陰か(↓)?


亡くなったパンチョ伊東さん、若かりし日にセントルイスで少年にアイスをおごって川を見ながら一緒にそれを食べたって話をここで思い出した。

この渡米、3月にANAで成田からDCに飛んだのだが、出国の列で二人前がなんとそのパンチョさんだった。無礼ながら後ろからのぞき込んでしまった。チケットはNY行きだったと思う。

これも伝説のスタン・ミュージアル、ザ・マン。

失礼ながら子供の粘土細工みたいなんだが、見る人が見れば芸術的なんだろうか?

西部への入り口。1960年まではセントルイスが一番西にある球団だったというからな。

上がってみたかったが列が長くてあきらめたんだったか。





ゲームもないし、ホテルも確保できたしでこの日は18:30に寝たらしい。早すぎ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日目(1)【カンザスシティ~セントルイス】

2021-05-21 19:18:13 | '97 米国滞在時の旅行

七日目はカンザスシティからセントルイスへの移動。
当時の記録によると、5:30にアラームで起こされて、路線バスでバスターミナルまで行ったとある。起床時刻はともかく、バスで行ったことは全く覚えていない。ホテルに来たときは歩いたはずだが。

カンザスシティとセントルイスはミズーリ州の西端と東端。70号線で結ばれている。1985年のワールドシリーズはこの両者で、70号シリーズみたいな呼ばれ方だったんじゃなかったか?

セントルイスまでは確か4時間ほど。当時、新しい地に着いてまずするのはホテル探し(適度な価格の)。
「地球の歩き方 アメリカ編」から破いて持ってきたセントルイスのページでバスターミナルの位置周辺と照らし合わせるが、どうも合致しない。ターミナルが移動したみたいだな。

自分がどこにいるか分からないまま歩いていたら、Day's Inn発見。ここはそれほど高くないはず・・・と見込んでレセプションで聞いてみると、49ドルで空き部屋ありで決まり!

二日続けてホテルなんて当時としては贅沢というか奮発したというか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六日目(3)【カンザスシティ】

2021-04-29 17:02:00 | '97 米国滞在時の旅行

ニグロリーグ博物館からまた歩いて市街地へ。

もう一つ、できれば行きたいと思っていたのが、サチェル・ペイジ球場
前述の本「史上最高の投手は誰か」によると、伝説の投手サチェル・ペイジを称えようとして名付けたようだが、実際には公園に毛の生えたようなところで、著者も探すのに苦労したという。

事前に調べて「このバスに乗るんじゃないか」と思ってそのバスに乗るとき、運転手に聞いたらこれではないという。運転手さん、とても親切に教えてくれた記憶は残っている。でも、行ってしまうとナイトゲームまでの時間がなくなるかもしえないと思って断念。この運転手さんもそうだが、このカンザスシティ、親切にしてくれる人が多かった。


スタジアムへはシャトルバスで。

到着。このあたりでバスを降りたのかな?


どこの球場にも過去のスターを称える展示がある。




試合前のキャッチボール。右はジェイ・ベル。NHKのBS大リーグ中継が始まった直後はピッツバーグが強かった。その2番ショートで活躍していた。ピッツバーグの試合の中継も多かった。
その時期、球場では「SAVED BY THE BELL」の横断幕がよく映った。単に守備の上手いベルのことを言っているのだと思ったが、アメリカに住んでこの名の番組があるのを知った。


チケットはこの席。音がよく聞こえた。ボールを受ける音、ゴロのボールが芝生をたたく音、選手が走るときの地面を蹴る音・・・野球は耳でも楽しめる。

人工芝を自然芝にしたのはこの年だったかなぁ・・・?

20年以上前となっては、どんなゲームだったか覚えていない。




試合終了時は一塁ベンチ上へ。


ネット裏の席が13ドル!





帰りは「先にシャトル・バスが行っちゃってたりしたらどうしよう・・・」とか不安になったが、無事乗れてホテルへ帰還。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六日目(2)【カンザスシティ】(ニグロリーグ博物館)

2021-04-13 17:31:38 | '97 米国滞在時の旅行

ホテルで一休みして出発。

夜はナイトゲームを見るつもりで、それまでは何をするか?カンザスシティではゲームより楽しみにしていたものがある。

ニグロリーグ博物館だ。

シカゴでも触れたが、この年は「黒人初の大リーガー」のジャッキー・ロビンソンがデビューして50年の節目の年。日曜日などは両チームがニグロリーグ時代のユニフォームを着用してのゲームもあった。

ジャッキー・ロビンソン以前は、「ニグロリーグ」という、いわゆる黒人だけのリーグでしかプレーできなかった。

「ニグロ」は本来は使ってはいかん言葉だが、固有名詞だからここは勘弁である。

このリーグを知ったのは、

この本の表紙の投手、サチェル・ペイジが死んだときだったか。新聞の社会面にも出ていた記憶がある。この著者、佐山和夫さんもこの新聞記事を読んで興味を持ち始め、現地に取材に行き本を出した。この本を見たとき、その数年前の死亡記事を思い出して買って、それをきっかけにニグロリーグに興味を持ったってわけですわ。

著者の佐山和夫さんも当時ニグロリーグなどは知らず、取材していくうちにこの(↓)本を紹介されて読むことになったらしい。

つられて買った。がんばって読んだ。

アメリカの歴史に少し興味を持ったのが、1991年、ワールドシリーズにアトランタが出場したときだと思う。アトランタと言えば「風と共に去りぬ」で、背景に南北戦争がある。大リーグ中継でおなじみのパンチョ伊東さんがそういう話をされて徐々に本などを読むようになったんじゃなかったか。

前置きが長くなってしまったが、当時の話へ。

目的の博物館、日本語のガイドブックもなくインターネットも普及していないなか、本屋で調べたのがこれ(↓)。

博物館へ向かう道と交差する通りのリストだろう。本屋に行ってアメリカ人向けのガイドブックを見て、少しづつ記憶しながら書いたのか?あるいは図書館で借りてまとめて書いたか?結構遠いじゃないか。

メモによると、バス停でおばあさんに時刻を聞かれ、答えたついでに博物館のアドレスを見せて行き方を聞いたがおばあさんは分からず、バスが来ておばあさんがその運転手に聞いてくれたとある。おばあさん、運転手さんありがとう。

こんな通りを歩いていって


これが博物館


別の角度から

写真は禁止で、もはや何が展示されていたのかなんて覚えていないんだが、じっくり鑑賞したのは覚えている。

当時から旅行中は自分の写真は撮らなかったが、ここでは撮りたいと思って土産物屋ならいいかとお願いして撮った写真

何か買ってますね。何買ったのかも覚えていない。。。
(髪の色は若気の至り・・・)

ここは仮の博物館だったようで、後に新しいのが近くに建てられた。そこにも行っている

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六日目(1)【カンザスシティ】

2021-03-28 15:17:38 | '97 米国滞在時の旅行

二日連続の夜行バスでミネアポリスからカンザスシティへ。ミネアポリスではホテルに泊まる予定だったが、適当なホテルがなく夜にもバスがあったので早めに移動することにしたのだった。

席はかなり埋まっていたがよく寝られたと記録されている。

バスは30分遅れて5:30に到着したらしい。なんだったらもう30分遅れても文句言わん時間帯だ。

ホテル探しは電話帳から。そういう時代だったんかな。

名前の通っているHoward JohnsonとHoliday Innを見つけ、HJの方に電話かけたら50ドル+tax。休職中の身にはありがたい価格で即決。

カフェで朝食。
夜は当然カウフマンスタジアム(今はなんていうのかな?)でゲームを見るので店員さんにどうやって行ったらいいのか聞いたら、シャトルバスが出ているということとバスの電話番号を教えてくれた。ご親切にありがとうございます。

この旅行、「地球の歩き方 アメリカ編」から行く都市のページを破いて持ってきたのだが、このカンザスシティは掲載されていなかったので、手持ちはなし。地図もなし。

電話帳でメモした住所と人の声だけが頼り。迷い迷ってホテルへ。朝食の時間帯なのに部屋が空いていてチェックインさせてもらいました。ありがたい。シャワールームへ。一泊半できる感じだったなぁ。

それまでに撮った写真は二枚。



撮った位置は10mくらいしか違わんのじゃないか。それならホテルの外観かバスターミナルでも撮ればいいのに。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五日目(2)【ミネアポリス】

2021-03-21 10:58:13 | '97 米国滞在時の旅行

6:00にミネアポリスに着いたのはいいが、ゲームは午後から。
朝食を食べたあと、ビルとビルを結ぶ「スカイウォーク」を歩き回ったというか、迷っていたというか。

ミシシッピ。下流に行くと対岸が見えないほど川幅が広くなると聞くが、このあたりはまだ普通の川。
大河ミシシッピに一か所だけ滝というか段差があってそれがミネアポリスにあるという情報があった。それがここか?(うろ覚えなので違ってるかもしれない)




カービー・パケット広場。


メトロドームへ。東京ドームのモデルとなったところで、さすがに似ている。


今では珍しい人工芝。人工芝ブームが終わって徐々に自然芝に戻していく時代だったが、ドームなのでそれもできなかったんだろう。


三塁ランナーはポール・モリター。


ワールドチャンピオンの記念のボード。

1987年と1991年の二回優勝している。デーゲームでフライが上がるとボールが見づらく、また歓声も大きいのでホーム有利といわれる球場、二回ともホームで全勝、ビジターで全敗と極端すぎる。

1991年の優勝メンバー、当時若手のセカンドのナブラックくらいしか残っていなかったかな。

投手はこのアギレラがいたか。

(調べたら一度ボストンに出ていた)

しかし出番なく試合終了。




このゲームの時に買ったプログラム


もう一冊買ってたみたいだ。前年に引退を表明したカービー・パケット。


その裏表紙、3と4が抜けている。パケットの背番号は34。
You may be out of the line-up, but we'll always remember you 34.


連日の夜間移動することになり、バスターミナルへ。次はカンザスシティ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五日目(1)【ミネアポリス】

2021-03-07 17:45:41 | '97 米国滞在時の旅行

ミルウォーキーで何もすることなく時間をつぶして夜行バスでミネアポリスへ。

初の夜行バス。しかもグレイハウンドのパス初使用。何かあってはいけないので、窓口で使い方を聞いて早めに列へ。どうやらパスを見せればそのまま乗れるようなことを言っていた。ガイドブックには初回利用時には手続きが必要みたいなことが書いてあったけど、情報が古かったんだろう。

バスの運転手が来て前から一人づつチケットをチェックして乗り込んでいく。自分の番に来てパスを見せて乗り込もうとしたら・・・、何か言ってくる。何か必要なのか?

「窓口で『見せればいい』って言われたんだけど」

というが納得しない。別の運転手のところに一緒に連れていかれて、その運転手が何やら説明してくれて納得したみたい。システムが変わって乗るバスの運転手はそれを知らなかったと推測するが、本当のところはわからない。

無事乗車できて出発

途中休憩があった。午前2時とかそのくらいだろう。こんなところで置いて行かれてはかなわない。バスの運転手、その他乗客をマークして。。。コーヒーくらい飲んだんだったかな?

午前6時にミネアポリス到着。6時じゃまだ街は活動していない。また時間つぶしだ。

---
DCで飛行機に乗る際、数日前に友人を見送りに行ったことを書いたが、その友人はミネアポリス経由でサンフランシスコへ飛ぶのだった。

係の人、数回
 Many apples?
と聞いてくる。二人して「何?」と顔を見合わせるが、数回して
 Minneapolisだ!
と合点した。二人とも英語勉強しにアメリカ来たのにね。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする