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Blog About Nothing

小心者の旅行遍歴
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'99 四日目(2) 【ボストン】

2011-06-12 17:24:23 | '99米国旅行
席は一塁ベースの少し後ろの結構前の方の席。ここは、一塁に
走ってきた選手が近くに見え、迫力があった。これ以来、席が
空いていればこの辺の席を取るようになった。
メモによるとここで$35だったようだ。今を考えると非常に安い。

打席はガルシアパーラ。


その瞬間のオーロラビジョン。フィールド・オブ・ドリームズでは
Moonlight Grahamとなっていたが。。。


ガルシアパーラ四球。守備では三遊間のゴロを取って三塁側に
ジャンプしながら一塁送球でアウトというカッコいいプレーも
あった。そのほか、ファーストのオファーマンがファールフライを
追ってきたのも迫力あった。



試合終了。ボストンの勝利。


フェンウェイと言えば、レフト後方のCITGO。フィールド・オブ・
ドリームズで見たときは何の看板か分からなかったが、アメリカに
行ってガソリンスタンドだと分かった時はなんか嬉しかった。


'99 四日目(1) 【ボストン】

2011-06-09 21:20:08 | '99米国旅行
朝、ニューヨークからグレイハウンドのバスでボストンに
向かった。ニューヨークのバスターミナルは42&8の地下。96~97年の
滞在時には何度もここを利用した。

ニューヨークを発つときはいつも「ティファニーで朝食を
の1シーンを思い出す。
"Please Doc, Please understand..."

バスでニューヨークからボストンへ行くのは二回目。ほぼ同じルート
なのだろう。途中で休憩したところもなんとなく覚えがある感じだった。

約4時間でボストンへ。この当時は到着したらまずホテル探しだった。
CopleySquare近くのホテルに決めた。立地条件がよかったし、フロントも
いろいろ親切に受け答えしてくれたのがポイントだった。

昼間は市内をうろうろしていたのだろう。写真が一枚もない。

夕方からはフェンウェイパークへ。今はなかなかチケットが手に入らない
ようだが、この日は当日券でいい席が取れた。前回のボストンでは
ゲームがない日に来ることになって、昼間のガイドツアーには参加
したもののゲームは見られてなかったゲームを見るのは
初めてで徐々に興奮してきた

この年ボストンでオールスターゲームがあった。会社を休んで中継を
見ていたのだが、伝説のテッド・ウィリアムスが電動
車いすでグランドに現れた時は感動したな万一近くで
見ていたら鼻血の一滴くらいでてたかもしれん。

そんなわけで、レフトの外側の壁にはオールスター開催を記念した
絵があった。一番右はやはりリプケンなんだろうが。。。



球場前は賑やか。



この球場、「フィールド・オブ・ドリームズ」でも使われた。
レイテレンスがこのスロープを下っているシーンがあった。


What do you want?
Dog and beer.
Two.


ロジャー・クレメンスの2回の20Kをたたえるボード。
2回目は96年でDC滞在時にで見た。


当時のボストンの若きスターガルシアパーラ。3連発。
怪我に強ければまだ現役だったろうに。




'99 三日目(4) 【NY】

2011-06-05 17:25:35 | '99米国旅行
夜はヤンキースタジアムへ。95年にここで2試合見ている。
そのときはGWのときだったので少し寒かった。
この日は快適。

相手はアスレティックス。マネーボールが注目を浴びる
少し前だった。

試合前、前年までヤンキースにいてこのときはアスレティックスの
ティム・レインズをヤ軍選手が囲んでなにやらやっていた。
8月末ではあったが前年の優勝リングの授与でもあったのかもしれない。




試合は、ヤ軍の先発は伊良部。相当な大金をはたいて獲得した
割には活躍できなかったころ。エクスポスに移籍したのは翌年
だったか。


ナブラック・ジーターの一二番。まだナブラックはセカンドだった。


立ち上がりはよかったが中盤に打ち込まれて伊良部降板。ブーイングが
起こった(この絵は90度回転させてみてください)


しかし、最後はリベラが締めてヤンキースの勝利。


試合終了は11時近く。メトロ(NYだからサブウェイか)でホテルへ。

'99 三日目(3) 【NY】

2011-06-02 21:30:02 | '99米国旅行
エリス島の社会科見学も終わってマンハッタンに戻った。
夜はヤンキースタジアムでナイトゲーム。その前に歩きなれた(つもりの)
マンハッタンの探索。

サブウェイの乗り場のところにあったNBCの朝のニュース「TODAY」
の看板。97年のDC滞在ではよく見ていた。左が平日のメンバーだから
右が土曜日かな。

左の写真は
 お天気おじさん 第二の女性キャスター(名前忘れた)
 katie Cauric  Matt Lauer (スペル自信ない)
だな。お天気おじさんはSeinfeldに一度だけ登場した。
"He's not? Interesting!"



やっぱりマンハッタンと言えばTiffany's


Tiffany'sと言えばオードリー・ヘップバーン。マディソン・スクエアの
ところの駅の看板に登場。


エンパイアステイトビルにも登った。3回目かな。しかし、この順で回るとは
どういうルートだったのか?





'99 三日目(2) 【NY】

2011-05-29 08:29:58 | '99米国旅行
リバティ島からエリス島へ移動。今回のフェリーはこっちの方が
メインだ。エリス島には移民博物館があり、これを見たかったのだ。以前、エリス島に移民管理局があり、移民する人はここで手続きをしなければ
ならなかったのだ。

これはアフリカから多数の奴隷がアメリカに連れてこられたのを示す
図だろう。


年代ごとに移民した男女の割合かな。先遣隊は男ばかり、のちに女が
後を追ってきたということか。


移民の人たちの荷物。


ここに列を作っていたのだろう。


移民した人たちと思われる相当数の人の名前が記録されている石が
あった。ワシントンDCにはベトナム戦争の犠牲者の名前が記録されて
いる壁もあるし、こういうところはアメリカは徹底している。
9.11の犠牲者の名前の記録もどこかにこのような形で公開されている
のではないか。

カール・ヤストレムスキーのお父さん(あるいはその先祖)の名前が
ここにあるはず!?


ここはディマジオのお父さんが入っているかもしれない。



'99 三日目(1) 【NY】

2011-05-25 19:59:03 | '99米国旅行
三日目。前日と同様に近くのベーカリーでトーストとコーヒーの
朝食。

自由の女神を見るため、バッテリーパークまでメトロを利用。
初めてニューヨークに行ったとき、ワールドトレードセンターの
高さに意外と近いのではないかと、40あたりから歩いてしまった
バスやメトロの乗り方に自信がなかったということもあるが

エンパイアステイトビル。映りかたが全然違う
 

バッテリーパークでフェリーを待つ間、パフォーマーが楽しませて
くれた



フェリーでリバティ島へ。
 WTC





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'99 二日目(2) 【NY】

2011-05-22 09:44:16 | '99米国旅行
Seinfeldのレストランがある112からブロードウェイを下って行った。

110のあたりをうろついた。当時の記憶で、ニューヨークジャイアンツが
使っていたポログラウンズがこのあたりにあるものと思い、記念碑でも
あるのではないかと探したのだった。しかし、その後の調査でマンハッタンの
かなり北の方にあるということが分かり、2006年に念願を果たした。
ポログラウンズのかなり前に使われていた球場がこのあたりにあるのを
誤認していたようだ。

 このあたりにあると思ったが


ポログラウンズと言えばボビー・トムソンの「世界中が聞いたホームラン」。
そのトムソンも亡くなったし、キルブリューも先週亡くなった。2003年にクーパーズタウンで見た偉人が相次いで亡くなるのは悲しいものだ。



 「恋におちて」のグラセン

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'99 二日目 【NY】

2011-05-15 17:49:26 | '99米国旅行
最初の朝。泊ったのはココ
朝食をどこでとろうかとフロントにいい店を聞いてみると、「ここで食べれば」
とホテルの食堂を教えてもらった。しかし、パンとトースターしかないよう
だったので、外へ出た。近くのベーカリーに入ってみて、ベーコン&エッグを
焼いてもらった。それとコーヒー。このトーストがやたらとおいしかった。しかしコーヒーはディフォルトで砂糖が大さじ二杯なので甘かった

まずはメトロポリタン美術館。初めて入った。




そのあとメトロで北上。Seinfeldでおなじみのレストラン。昼食はやはり
トーストのサンドウィッチ。

店内


レストランの近くにあるコロンビア大学。



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'99 初日 【東京-NY】

2011-05-11 21:35:40 | '99米国旅行
99年の8月の終わり、一週間の夏休みと一週間の有休を合わせ、
14泊16日という真面目に働くサラリーマンとしては比較的長期な
旅行に出た。当時、夏休みは7~8月に5日間取れることになって
いたが、多忙で取れない場合はその限りではなかった。私は
「多忙」ということにして、9月にずれ込みの許可をいただいたの
だった。

飛行機はユナイテッドでNY往復。出発の朝、便の2時間前に
成田に着けばいいものと思っていたが、よく見てみると集合時間が
3時間前になっている。チケットを頼んだH○Sの担当に電話
してみたがおらず、別の人に聞いてみると要は長い列ができている
可能性があるから早く行った方が無難だということのようだった。
このときの担当は適当で結構頭に来た記憶がある。

さて、8月後半といえど機内は満員。しかし、幸運なことに、私が
座った3人席のまん中だけ開いていた。このフライトで、初めて
「機内にお医者様はいらっしゃいますか?」的なアナウンスがあった。
ドラマやコントでは見たことがあったが、その場に居合わせたのは
初めてだった。

ケネディ空港からマンハッタンへはバスで。ポートオーソリティあたりで
降ろしてもらったと思うが、その後はその日の宿の「マンハッタン・
イン」へ。30とBroadwayの角という絶好のロケーションで$100を切る
ホテルだった。

チェックイン後、ポートオーソリティのコンビニに行ってこの旅行を
記すためのメモ帳を買った(はず)。そのメモ帳が今見つからない。
DC滞在当時、NYを第二の起点としてバスであちこち行っただけに
感慨深い。

その後、夕暮れのNYをふらふらし、ホテルに戻った。








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日程

2011-05-08 08:40:11 | '99米国旅行
今回からは1999年の米国旅行。今からは一回り前だ。

1996~97年にワシントンDCに滞在して98年はどこにもいかず、
2年ぶりの渡米となった。行先はニューヨーク・ボストン・
ワシントンDCで東海岸版三都物語となった。

期間は14泊16日。会社の夏休みは5日間に有休5日間、土日を
3つ足してまるまる旅行に費やしたのだった。

三都市とも行ったことはあり、「冒険心」のない旅行であったが
「第二の故郷」を訪ねるような感傷があった。

このときの旅行もを取ったはずだが、それが見当たらない。
記憶と写真をベースに書いていくことにする。

日程は
1(土)成田-NY
2(日)NY
3(月)NY
4(火)NY-ボストン
5(水)ボストン
6(木)ボストン
7(金)ボストン-
8(土)-DC
9(日)DC
10(月)DC
11(火)DC
12(水)DC
13(木)DC
14(金)DC-NY
15(土)NY-成田
16(日)成田

出発前に予約したのは航空券と最初のNYの2泊、あとのホテルは
向こうに行ってから。当時はインターネットでホテルを予約というのは
あまりなかった。予約しておいた最初の2泊はNYで日本人で
予約代行のようなことをしている人にメールでお願いした。