阿部ブログ

日々思うこと

ドイツと日本の原爆開発

2011年01月03日 | 日記
ライナー・カールーシュの『ヒトラーの爆弾(Hitler's Bombe)』によれば、ドイツが原爆開発計画を持ち、連合国ならずドイツの原爆開発計画の責任者であったウェルナー・ハイゼンベルクからも「真の原爆開発」を隠していたと記述している。
これらドイツの原爆開発計画のコアメンバーである「ウラン・クラブ」の面々は、連合軍に捕らわれ、イギリス・ケンブリッジ近郊の「ファーム・ホール」に監禁された。
ここでは、当然の事ながら会話は盗聴されていたが、真の原爆開発計画の推進者であったクルト・ディープナーとウォルター・ゲルラッハはイギリスの尋問官と他のウランクラブのメンバーからも真実を隠し通したと言う。
この本の面白い所は、1945年春にドイツ・チューリンゲンの森林で1発、乃至2発の原子核爆発させたと記載されている点。
勿論、マンハッタン計画に関係したアメリカの科学者らはこぞって、それに反論しているが。

これと似た話が日本にもある。
西日本新聞が1999年8月6日に「旧日本軍が終戦直前、原爆実験?」朝鮮半島東岸沖合 GHQに極秘情報」と報じた。

同紙によれば日本軍が第二次世界大戦の終戦直前の北朝鮮・興南沖合で原爆実験を実施したという。
米軍はこの情報をつかみ防諜機関が調査した文書が国立公文書館に存在し、この文書約300ページを時事通信入手し報道。
これらの文書には「原爆に似た爆発があった」と報告とあり、特に在朝鮮米軍司令部防諜部隊(CIC)が1947年1月16日付で作成した報告書には、「日本軍は朝鮮北部東海岸沖に浮かべた小さな船で爆破を伴う実験を行い、原爆に似た爆発が起きた。」
ちなみに実験の行われた興南は1945年8月、ソ連軍に占領されている。ソ連はこの地の重要性を確実に認識していたのだろう。

この情報の元は米軍犯罪調査部隊のデービッド・スネルが、日本軍が1945年8月12日未明、興南沖30数キロの海上で原爆実験を行い、巨大な「きのこ雲」が上がったとの情報を在京城(現在のソウル)駐屯の日本軍情報将校から入手したものと言う。

上記の報道以前にも1996年8月16日の毎日新聞のベタ記事に米軍の機密資料によればとして、朝鮮の興南で日本軍が原爆の開発を行っていたとの報道もある。

朝鮮の興南には、日窒コンツェルンの大型化学プラントが存在し、水素化合物によるジェット燃料実験や、海軍と共同で重水を生産していたとも言われる。重水と言えば、ノルウェーのヴェモルク重水プラントが唯一の生産施設と当時言われていた。イギリスの特殊作戦執行部(SOE)がドイツに重水を渡さない為に、破壊工作を行った事は有名。
では何故、興南で重水の生産が可能と言われるのだろうか? それは日窒コンツェルンの全額出資により蓋馬高原を流れる鴨緑江を堰き止めるダムを造り豊富な電力を確保できた為だ。このダムは1929年には送電を開始している。
重水を生産していたのであれば、目的は明らかだ。

ドイツと日本両国の原爆開発が真実とすれば、面白い事が考えられる。
(1)戦時中、ドイツと日本はそれぞれUボートと伊号潜水艦により相互の軍事技術を交換していた。
(2)この技術交換で日本は与えられるばかりだったろう。ドイツ空軍による世界初となる実戦用ジェット戦闘機Me262やロケット技術により日本はジェット戦闘機「橘花」やロケット戦闘機「秋水」を作った。
(3)ドイツは日本から何を得たのか?それは興南で生産された重水であり、朝鮮から産出するウランやモナザイトからとれるトリウムなど放射性鉱物であったのではないか? 朝鮮にはタングステンなど希少資源もある。
(4)ヴェモルク重水プラントが破壊されても、コンゴのウラン鉱山をアメリカに押さえられても、重水にしろウランにしろ日本の統治下にある朝鮮にあり、大型潜水艦で秘匿して輸送可能。
(5)つまりドイツと日本両国は原爆開発を共に開発を進めた可能性があるし、戦争に負けた後は両国の原爆開発の情報と関連資材・資源は大なり小なり、ソビエトに流れた。
(6)ソビエトの核開発は単純な原爆スパイの活躍によるものではなく、ドイツ、日本(朝鮮)なども密に関係していた~

まあ、面白い読み物が書けそうなテーマだ。

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