阿部ブログ

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B-29のエンジンが東京首都大学・世田谷キャンパスに展示されている

2014年05月25日 | 雑感

東京首都大学の世田谷キャンパスには、B-29のエンジンが展示されている。2号館1階のトイレに行く途中、ふと右奥をみるとエンジンが鎮座している。

                

説明板には、こう書いてある。

『太平洋戦争末期の1945年春から初夏にかけて、立川市と横浜市の空襲の際、撃墜されたB-29爆撃機のエンジン2台が、東京都大岡山の東京工業大学 機械工学科 内燃機関(エンジン)研究室(原正健助教授)にリヤーカー等で運び込まれた。

その1台は分解され、当時学内動員学生であった古浜庄一らによって細部にわたる調査、測定が行われた。他1台は、野外に放置された。ここに残るのがそれである。このエンジンは運びこまれた時期(1945年5月)から見て、横浜空襲で墜とされたものであると推定される。

このエンジンは、その後東京工大において一色尚次教授らが学生に見学させる教材などにつかわれたが、1994年夏、東京工大の実験室解体整地に伴い、同実験室出身の当武蔵工業大学学長 古浜庄一教授の計らいと両大学関係者および一色教授(当時日本大学教授)の努力によってここに移転、保管されることになった。

このエンジンは、日本本土爆撃で有名なボーイングB-29超空の要塞(スーパーフォートレス)の4基のエンジンの一つである。このエンジンはライトサイクロン-18-GR-3350型、複列星型18気筒、2200馬力、ターボチャージャー160.2nm、1シリンダ約3000cc、全部で54リットルの行程容積をもつ大型航空エンジンであって、ジェーン航空年鑑(1945年)によれば、クライスラー社のドッジーシカゴ工場で制作されたという。

ここに残るエンジンのシリンダヘッドのアルミフィンは、丈夫は精密鋳造、下部はアルミ板の焼バメ方式となっていて、当時のアメリカのエンジン工作技術の粋が見られる。また、バルブは中空ナトリウム冷却弁であり、マグネシウム合金の過給器は失われている。このエンジンに使用された多くの技術は、戦後の各種エンジンに広く展開されている。

我が国には、撃墜されたB-29のエンジンは二三あるが多くは破損がひどい。しかし、ここにあるものは、補機は失われているが本体の主要部の70%を残し、制作当時のおもかげを知ることのできる唯一のものである。これらの点から、このエンジンは内燃機関技術史上の極めて重要な記念物である。

1995年3月 武蔵工業大学 学長 古浜庄一
      東京工業大学 名誉教授 一色尚次

東京都市大学』

さて、このB-29は、何処で撃墜された機体なのだろうか?

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