フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

Pasqualatihaus

2009-09-15 23:30:16 | Weblog
世界が違うと嘆いていても仕方がないので、観光に出かける。ピアノ好きの娘のためにとりあえずウィーン1区にあるべートーベンの住居を訪ねた。

Pasqualatihausと言われているところで、名前はこの家の持ち主というか、ベートーベンのパトロンの一人の名前らしい。写真を見ると、煉瓦の塀が見える。これは、バスタイと言って、ウィーンが城壁で囲まれていた時代の稜堡、つまり砲台を設置するための高台のようになったところだ。ベートーベンはこの時期、バスタイの見晴らしの良い住居を希望していたらしい。小さな小さな売店が見えるが、その入り口かららせんの階段を5階分上った一番てっぺんの4階の角部屋が住居だったところ。ごくふつうの住居なので、人がふつうに住んでいる中の一室が博物館として開放されているわけだ。だから観光地らしく飾り立てるものもない静かな場所。登り切ったところで息を切らしていると、中から出てきた観光客にごくろうさまと言われたので、奥さんがベートーベンは足が丈夫だったみたいですねと答えていた。

交響曲5・6・7番、オペラ「フィデリオ」、「エリーゼのために」などを作曲したとある。5本ペダルのNannette Streicherのグランドピアノがあるが、Wikiによると、この女性はピアノ作りだけでなくピアノサロンでも有名だったらしい。ベートーベンはサロンのお得意様だったとのこと。ベートーベンのデスマスクもなかなか面白い。目が少し離れていて、鼻はとくに高い方でもなく、下あごがわずかに突き出ていて、何となく不満げな表情を浮かべている。よくあるロマン主義的でかっこのよいベートーベンとはずいぶんちがう顔立ちだ。もちろん誤解だろうが、とても身近な顔だ。

室内はすべて白い壁だが、ごく一部がモザイク上にさまざまな色のタイルのような地肌が見えていたので、そこの人に尋ねると、いやこれはその後のビーダーマイヤー時代に塗った壁の跡だと答えてくれた。ベートーベンの時代はやはり壁は白かったらしい。

写真の向こうに見えるのはウィーン大学の本館。だからつい目と鼻の先にベートーベンハウスはあって、ぼくはぼんやりと知っていたのだが、一度も行ってみようとしなかったわけだ。まあ、いつもの癖だ(このあと、4区にあるシューベルトの最後の家も訪ねたが、そこもまた初めてだった)。ただし、ベートーベンが住んでいた頃はウィーン大学の本館はここには建っていなかったから、この風景は彼には関係がない。きっとバスタイの上からは、100メートルほどの緩衝地帯の緑と、その先につづく郊外の田舎家がウィーンの山を背景に見えていたことだろう。
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