フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

まず言葉を発せよ

2006-05-29 00:38:34 | old stories
久しぶりのアメリカ留学話、第8回です。

11月末から冬が訪れたマサチューセッツのアマーストですが、ぼくにはなかなかに解決出来ない主観的な問題がありました。それは哲学的に言うと、判断や行動はどのような根拠に基づいて行われるか、つまり、どのような正当な理由のもとに「これは良い」と評価したり、「これこれの行動を起こす」ことが出来るのか、という、なにやら青春の悩みのような話でした。この問題は結構長くぼくを悩ませたもので、大学2年の時には小説さえ書いたものでした。

アマーストに来てから、さまざまな出来事に出会って、お定まりのミスを犯したりしていました。たとえば、パーティーの誘いを日本風に軽く捉えて「時間があったら行くよ」と答えてしまい、誤解させてしまった、等々です。留学生3ヶ月も経つと、英語の不自由さとは別に、大事なのは言葉だとうすうす感じ始めていたのだと思います。

大学は12月のクリスマス休みに入りました。ぼくは友人の誘いを断って農家でクリスマス休みを過ごしたのでしたが、数日、一人でカナダ旅行に出かけました。冬にカナダに行くとはと呆れられもしたのですが、ぼくは一人で問題の解決をはかりたいと思っていたのです。グレイハウンドのバスでマサチューセッツからコネチカット川沿いを北上してバーモント州を越え、カナダとの国境に辿り着きます。1月2日だったでしょうか。国境の検問では「あなたは今年初めてのアメリカ人以外の外国人だよ」と言われたものです。だんだんと空はかげり始め、セントローレンス川を越えた頃にはもう日はすっかりと暮れていました。ケベックの街に着いたのはすでに10時を過ぎていたと記憶しています。

ケベックはぼくがこれまで経験した最も寒い街でした。気温はたぶん零下30度で、外を歩くのは10分が限界でした。セントローレンス川は凍って、そこここに流氷が浮いています。川の水からは蒸気が立ち上ります。ケベックの中心にある古い町並みだけを歩いた後、ぼくはホテルの一室で筆を執りました。僕の筆からはその一瞬まで考えていなかったことが浮かんでは紙に記されていきました。しかし、文を1つ書くと、それが踏切台のようになって、さらにそこから先の文が生まれてきました。きっとそんなときだったのでしょう。ぼくは卒然として分かったような気がしたのです。まずは言葉を発せよ、そこから行動も判断も始まるのだと。正当な根拠など恐らくないのだろう、と。

ともすれば内省的だったぼくが、行動を重んじ始めたのは、こんな幼い経験があったためだと思います。そしてぼくは今でも言語については、言語とは何かにではなく、言語を使って人は何をしているかに関心があるのです。
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