週の前半は素晴らしい陽気でした。
今週の大学院ではウォードハフの4章「コード選択」の前半、二言語使用社会と多言語使用社会の話でした。古典的なH変種、L変種の話から、ウォードハフは異なる言語を話す女性と結婚しなければならない民族の話や、変種の選択が必ずしも固定していない例を出しながら、現代の言語使用へと近づいていきます。
そこで、受講している留学生たちに自分の出身地では二言語使用ということがあるか、H変種とL変種があるかを聞いてみました。
最大はスリランカで、お寺ではサンスクリットとパーリ、学校ではシンハラ語と英語、タミール系の友達とはタミール語というわけです。そして英語にはわずかに接触性があるけれど、その他の言語の選択はごく自然に行われているそうです。
一方で中国朝鮮族では中国語と朝鮮語ともにH変種だけれど、最近は韓国語がH変種、朝鮮語がL変種になりつつあるかもしれないとのこと。中国語に接触性や外来性はないけれど、中国漢民族の習慣や文化には外来性を感じるというところが興味深いですね。もう1つ、朝鮮族同士で話すと、朝鮮語に中国語が自然に混ざってしまうようです。二言語使用社会、多言語使用社会というとき、その「言語」の中身には気をつけないといけないんですね。
ただし、考えるべきはここからで、では多言語使用社会と接触場面とはどのように関わっているかということなのです。明らかに多言語使用社会では言語選択は規範であって外来性の要因にはなりえないのです。しかし、朝鮮族の学生がいっていたように、言語以外の要素が「接触性」を留意させることはありそうです。
また、こうした多言語使用社会の多言語使用者と単一言語使用者との場面にはおそらく外来性ないし接触性の偏りがあるのかもしれません。多言語使用者には言語による外来性は強く留意されず、その他の要素が意識されている可能性があります。一方で、単一言語使用者からも多言語使用者のちょっとしたことばの使い方に逸脱を留意しているかもしれません。
このへん、まだだれも問題にしていないところなんだと思います。
今週の大学院ではウォードハフの4章「コード選択」の前半、二言語使用社会と多言語使用社会の話でした。古典的なH変種、L変種の話から、ウォードハフは異なる言語を話す女性と結婚しなければならない民族の話や、変種の選択が必ずしも固定していない例を出しながら、現代の言語使用へと近づいていきます。
そこで、受講している留学生たちに自分の出身地では二言語使用ということがあるか、H変種とL変種があるかを聞いてみました。
最大はスリランカで、お寺ではサンスクリットとパーリ、学校ではシンハラ語と英語、タミール系の友達とはタミール語というわけです。そして英語にはわずかに接触性があるけれど、その他の言語の選択はごく自然に行われているそうです。
一方で中国朝鮮族では中国語と朝鮮語ともにH変種だけれど、最近は韓国語がH変種、朝鮮語がL変種になりつつあるかもしれないとのこと。中国語に接触性や外来性はないけれど、中国漢民族の習慣や文化には外来性を感じるというところが興味深いですね。もう1つ、朝鮮族同士で話すと、朝鮮語に中国語が自然に混ざってしまうようです。二言語使用社会、多言語使用社会というとき、その「言語」の中身には気をつけないといけないんですね。
ただし、考えるべきはここからで、では多言語使用社会と接触場面とはどのように関わっているかということなのです。明らかに多言語使用社会では言語選択は規範であって外来性の要因にはなりえないのです。しかし、朝鮮族の学生がいっていたように、言語以外の要素が「接触性」を留意させることはありそうです。
また、こうした多言語使用社会の多言語使用者と単一言語使用者との場面にはおそらく外来性ないし接触性の偏りがあるのかもしれません。多言語使用者には言語による外来性は強く留意されず、その他の要素が意識されている可能性があります。一方で、単一言語使用者からも多言語使用者のちょっとしたことばの使い方に逸脱を留意しているかもしれません。
このへん、まだだれも問題にしていないところなんだと思います。