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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

接触場面研究の4つの特徴

2008-12-16 23:24:50 | today's seminar
今日は今年最後の大学院授業。今学期はダイグロシアから始まってコードスイッチング、ディスコース・ストラテジー、そして社会文化管理からfootingへと進んできたが、ついに接触場面に突入。つまり、言語接触のパラダイムから接触場面のパラダイムへの転換をながめながら、多言語社会の考察を行おうとする作業をしているところ。

Neustupny (1974)が外国人話者場面と呼んでいたものはNeustupny (1985)では接触場面となり、その概念が前提とするパラダイムは「接触場面」「訂正」(のちに言語管理)、「ディスコース」、「非文法的コミュニケーション」の4つにまとめて提示されている。

言語接触論では、2つの言語の接触の結果、どのような言語変化が生じたか、話し手の母語はどうなったか、その話し手は英語をどれほど習得したか、そしてその話し手に向けられた英語はどのようなものであったか、といった点を明らかにしてきたとネウストプニーは言っている。一方で、接触場面のパラダイムは、具体的なインターアクションが生じている接触場面そのものに注目し、そこで起きているすべての、見える行動も見えない行動も含めた現象を対象にし、言語だけでなく非文法的な特徴(なぜなら接触場面の言語は相互作用の中に埋め込まれている)に関心をもち、何よりも接触のプロセスそのものを吟味しようとする。

だから、場面とそこでのディスコースに生じるさまざまな現象とプロセスに関心を持たないと、接触場面という言葉を使っていても、それは言語接触論のパラダイムから一歩も出ていないということになる。学術検索サイトで見つかる接触場面研究のほとんどは具体的な「場面」と関連させていない。どうやら接触場面は、会話の表層に観察されるミクロな現象のプロダクト研究、簡単に言うと異文化間会話の研究といった受容のされ方をしているのかもしれない。

しかし、接触場面研究は、じつは研究者にパラダイム変換を要求しているのだ。


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...なんてことを話した後、釜山でお世話になった金剛大のKさんが研究室に顔を出してくれた。総長といっしょに日本を歩いていたとのこと。インドカレーを食べながら韓国の大学の四方山話に花を咲かせる。
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非言語・謝罪・言語サービス

2008-11-14 23:21:19 | today's seminar
今日の学部のゼミでは2,3年生を中心とした共同研究のテーマについて発表してもらいました。それが上の3つ。

「非言語」というのは、通じ合える言語がないか、とても不十分なときに、どのように非言語を使って伝えようとするのか、というもの。実験じゃなくてできればありそうな実際の場面にでかけられるといいよと話したのですが、観光地や土産物店など少しアイデアが出ました。

「謝罪」というのはまさに真面目な謝罪のこと。そこから最近は企業の謝罪が目立つというような話に発展して、企業の謝罪マニュアルがきっとあるよねと言うと、ある学生がアルバイト先には信頼回復のステップというマニュアルがあると言っていました。さすが企業、謝罪にとどまらずお客がまた来てくれるところまでを視野に入れているわけですね。

「言語サービス」とは、定住者のためのものと一時滞在・観光客向けと2種類の場合のどちらかについて、実際に外国人の人と歩いて多言語情報などがうまく機能しているかどうか調べようとするもの。どちらがいいかという話で、定住者向けは深いし時代によって変化があるのではないかと学生が言っていましたが、確かにそういう面はあります。先行研究の川原・野山などの言語サービスの項目には、知的・文化的生活のためのサービスは入っていません(図書館の書籍の多言語化、ラジオ・テレビ・新聞など)。これなどもまだまだ定住外国人が最小限の生活レベルでしか認知されていないことの証拠なのででしょう。

同僚のMさんが出した韓国の例は一時滞在・観光客向けもかなり早く変化する例。M先生によると、W杯のときにタクシー運転手と外国人客を無線の通訳でつなぐシステムが作られて、いまは結構それが普及しているとのこと。これはかなり面白いですし、実効性がありますね。

深い研究にはなかなかならないかもしれないとも思いますが、今年の共同研究では関心が多方面に広がっているのが楽しいところです。
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誤解はdiscourse strategiesから来るのか?

2008-11-12 00:47:59 | today's seminar
秋が深まる。

大学院はRajendra Singh, Jayant K. Lele and Gita Martohardjono (1996) Communication in a multilingual society: Some missed opportunitiesの紹介。この論文は最初、Language in Societyに出たものだが、論文集としても批判の対象となっているGumperzの論文の後ろに掲載されたり、Singhが自分で編集した"Towards a Critical Sociolinguistics"にも掲載している重要論文。モントリオール大学の教授でインド英語の形態論や言語接触を専門にするが、批判的言語学の一翼を担ってもいるようだ。

この論文で、Singh等はGumperzに代表される異民族間相互作用の社会言語学を、支配の側からの解釈に甘んじていることと、分析の道具的な合理主義に関して、厳しい批判をしている。Gumperzの有名なdiscourse strategiesについて、異民族間のコミュニケーションの誤解は、discourse strategiesが民族間で異なることに直接に由来するのか、と問う。もしそうならdiscourse strategiesを取り替えるようにすれば問題は解決するかもしれない。日本語教育の論文がしばしば似たような主張を前提にしているように。

しかし、Singh等はそのような道具主義に警告を発する。確かにGumperz等はdisoucrse上の相違の場所を見つけたが、だからといってそれが誤解の原因であるとは限らない。誤解は権力、偏見などが生まれる社会的文脈にもあるかもしれないという。discourseだけを見ることが必ずしも正しくないというわけだ。(言語管理から見れば、留意した逸脱を人はどのような規範から評価するのか?という問題になるだろう。)

うまく説明できていないのだけど、とにかく、この批判はとてもぼくのところにまで響いてくる。似たようなことをしているかもしれないのだ。しかし、ここ10年ほど進めてきた研究で、ぼくは少なくとも非母語話者だったり多言語使用者だったりする、主流派ではない側の声を理解しようとしてきたと思う。だから彼らがこの単一言語社会でどのように自分なりの相互作用と生活を作り上げているかを、そしてそこにはそれなりの合理的な理由があることを語ろうとしてきたつもりだ。

しかし、それでもやはり似たり寄ったりだったかもしれない。彼らが、異文化に対して柔軟さを持っていると考える人々の博愛主義には自文化中心主義がこびりついていると批判しているのを読むと、そろそろちゃんと内省しろと言われている気がする。
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Clyne (1997) Multilingualism

2008-10-24 12:07:41 | today's seminar
今週の大学院では、論集(Coulmas (ed.) The Handbook of Sociolinguistics. Blacwell)からモナシュ大学名誉教授マイケル・クラインの「Multilingualism」を紹介。クラインは、言語接触の研究者であるとともに、オーストラリアの多文化主義を進める学者グループの一人であった人で、この論文でも、多言語社会の言語接触と多言語政策について書かれている。

多言語主義は、個人の言語使用・言語能力を指す場合と、社会全体の状況を指す場合とに分けているが、内容はやはり言語接触論の人なので、個人よりも社会全体の言語接触と多言語政策の考察に当てられている。例えば、カナダでは公的には英語とフランス語の二言語主義だが、事実上(de fact)の多言語主義であるといって、2言語以外の移民言語や先住民の言語が言語政策の上で十分に反映されていないことや、ヨーロッパの少数言語に対する権利宣言などでも同じように移民言語は対象にされていないこと、などの指摘がされている。このへんは、クラインの面目躍如の部分。

しかし、個人の言語使用に関しては言及が非常に少ない。(ただし、クラインはメルボルンの職場領域(とくに自動車工場)での言語接触についても本を出していて、そこではコードスイッチングや話題転換、スピーチアクトの連鎖などについて論じている)

社会のダイグロシア(Fergusson)から、ダイグロシアとバイリンガルの関係(Fishman)へと広がった言語接触研究だが、研究が社会から個人へと対象を移すにしたがって、なにかテーマ設定のちぐはぐな印象が増えていく。なぜなら個人を対象にしながら、そこには社会の視点あるいはマクロの視点だけが色濃く反映されているからだ。個人の視点と個人が参加する場面という2つのパースペクティブが個人の言語使用・言語能力に関する多言語主義の研究の方法論ではないかと思うが、どうだろうか?
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Fishman(1967)

2008-10-15 00:29:48 | today's seminar
 昨日の大学院は先週少しだけ触れた以下の論文を紹介:

 J. Fishman (1967) "Bilingualism with and without diglossia: Diglossia with and without bilingualism."

 この40年前の論文でフィシュマンは、Fergusson(1959)のDiglossiaの概念を拡大して、2種類のレジスターあるいは変種が社会の中で機能と役割を分けて使用されている場合までを考察の範囲に加えます。それだけでなく、論文タイトルからもわかるようにバイリンガルとダイグロシアの4つの類型を立て、領域や場面での人間関係と言語の役割が区別されているか、役割に対するアクセスが可能性か、という基準から、この2つがある場合にバイリンガルとダイグロシアがともに生じる社会が存立しうるとします。

ポイントは、役割についての規範が人々に明瞭にあることで、それによってふさわしくない話題や言語が生じかねならいときには参加者間で再定義(交渉)が必要であると言います。つまり、規範が明瞭なときには言語管理も頻繁に生じるということになるでしょうか。逆に、規範が曖昧でどの言語を使うかが言えないような状況では、結局1つの言い方しか選ばれず、言語管理もほとんど行われないということも言えそうです。

その他にも、バイリンガルはいるがダイグロシアはない状態とは、近代化に伴う社会変動で、1つの言語共同体からもう1つの言語共同体への過渡期に生じるのであり、新しい規範はまだ確立されず、古い規範は捨てられている状態の中にバイリンガルはいるのだと言います。授業では日本の60年代からの工業化の流れと言語規範の話をしましたが、Fishmanなかなか侮れず、といったところだと思いました。

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diglossiaから接触場面まで

2008-10-07 23:05:27 | today's seminar
今学期の大学院授業は、現代日本における接触場面を考えていくことにする。

それはここ数年、研究会のテーマになっている多言語使用者の管理を考える一環である。多言語使用者が自分の持っている言語レパートリー(社会文化的なレパートリー、コミュニケーションに参加する役割のレパートリーなども含めて)を選択しながら日本で社会参加をしているというとき、多言語使用者はだれにどのようなレパートリーを使うことができるのか、彼らのおかれた言語ネットワークはどのように理解されているのか、等を問題にする必要があるだろう。つまり、多言語使用と日本の言語共同体とはどのように関わるのかという問題だ。

そこで、ちょうどアメリカの大学で使われる昔の古典論文集があったので、そこからFergusson(1959)のDiglossia、そしてFishman(1967)のDiglossia とBilingualismの論文から始めることにした。Fergussonのものは、二言語併用社会を指すdiglossiaという概念を提唱した最初の論文で、Fishmanのものは、個人としてのbilingualismが社会(言語共同体)のタイプによってどのような位置におかれるかを考察している。どちらも社会と言語の関係に強い関心を寄せており、その強さは現在の研究にはほとんど見られないほど。

Fergussonがまずは考察の俎上にあげた古典的なdiglossiaの社会では、みんなが二言語を区別して使うことから、当然、みんながバイリンガルな状況にあることがわかるということをFishmanは言っている。二言語併用が存在しない社会なのにバイリンガルがいるとすれば、それは個人的なバイリンガルであることになるだろう。バイリンガルが存在しないdiglossiaとは、お互いに関わりを持つことのない2つの階層がべつべつの言語生活を送っている社会となる(ただし、そうした2つの階層があるとしても、移民の子供たちはすぐにバイリンガルになっていく)。

接触場面もこうした言語共同体のあり方の中で現れる。そして現代日本は、1つの言語共同体ではありえない。だからぼくらは接触場面ごとにそれがどのような共同体を背景としているかを考察する必要があることになる。
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神田外語大ゼミに参加

2008-09-21 13:15:06 | today's seminar
金曜日の夕方から1泊で、神田外語大のゼミに参加。場所はあのマザー牧場。台風が接近していて心配だったけれど、雨は夜の間だけで、土曜日はしだいに晴れ上がって午後はのんびり遊べたと思う。

コッテージに泊まって、卒論中間発表と外国人との共生プロジェクト案の話し合いをする。昨年は、千葉大との合同合宿で、総勢30人を越えていたわけだが、今回は準備が足りず、神田外語だけのゼミ。とりあえず私のところの大学院生3人にも声をかけて参加してもらった。

夕方はコテージまで運んでもらったコンロを使って、14名での室内BBQ。BBQをしたことのある子が少なくて、具材の焼き方から指南しなければならなかったのは意外。そのへんは、大学院生はてきぱきと仕事ができる。なんというか、ハタチ前後の今どきの学生さんたちを実感した次第。

土曜日の午前は、グループごとにプロジェクトについて話し合う。これはゼミを指導しているファン先生の発案で、3年生にプロジェクトを計画実施させて、そこで外国人との交流をし、そこから研究のヒントを得るようにして、4年生はその交流から一部、研究データを得る、ということなのだそうだ。研究のための研究ではないあたり、千葉でも少し参考になるかもしれない。

お昼で解散。上まで行って、少し散歩。ぼくはまたやってしまった肉離れで歩けないので、無料の車いすを初めて使わせてもらった。開放的なマザー牧場には同じく車いすのお年寄りや、身障者など意外に多くて、レストランに座っていると、ぼくの周りがだんだんそういった人々の集まりになったのは、なんだか不思議で、やはり感じるものがあった。都会の特徴について狭い場所に人が集まるといったのはサルトルだったと記憶しているけど、逆に山野のような開けた場所では、だれも気にせず、どんな人もいられる、ということになるのかな。
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院ゼミ最終日

2008-07-25 23:49:32 | today's seminar
暑さに閉じこめられたような猛暑が続いていますが、今日は院ゼミも学部ゼミも今学期の最終日を迎えました。暑くて口も開けたくない気持ちですが、久々にゼミの打ち上げとなりました。

中国から2年の仕事を終えて帰国した薄井さんと庄山さんが元気いっぱいで参加してくれましたし、2月から長春に教えに行っていた前澤さんも一時帰国で仲間に加わり、総勢15名の一団でした。海外で教えて帰ってきた人がよい経験をしてもどってくれるのが一番うれしいですね。なぜといって、それぞれの場所や人とのふれあいを自分の生きる糧にしてきてくれたわけで、それが日本語教師の仕事として最もベースになるのではないかと思います。

そうそう、林さんの博論も無事合格したので、そのお祝いも兼ねていました。後輩たちからプレゼントがあったので何だろうと思ったら、どうも話によるとかなり先輩としてアドバイスをしてくれていたようです。

それにしても暑い。頭が熔けそうです。
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コミュニケーションの基盤となる規則と基底規範

2008-06-19 23:17:03 | today's seminar
この2つは似て非なることは注意しておいてよいと思います。

基盤となる規則とは、たとえば日本人とオーストラリア人がコミュニケーションに入るときにどちらかの母語の規則を基盤とする場合に言います。ただし、これらの規則はその場面の規範にはなっていないので、コミュニケーションの基本材料というほどの意味になります。

一方で、基底規範は、基盤となった規則の中から、その場面に適切なものを選択したり、修正したり、新たな規則を創造したりして形成されるものであり、相互行為のためにも、またその評価のためにも使われるものと言えます。だから、日本人とオーストラリア人が、英語を基盤の規則として採用しても、英語母語話者の規範そのままでコミュニケーションをするわけではなく、二人の間の交渉によってどの程度の規範が許容されるのかが決まっていくのです。

そんなことを月曜日の博士課程の学生さんたちと考えていたのですが、そのときに、2年前のニューヨークのバスターミナルでの話をしました。チケット売り場の窓口の人たちは、じつにさまざまな客の話に対して、言葉遣いなどはまったく気にしないで、じっと聞きながら、要求が何であり、その要求は可能か否かという点だけに集中しているように見えました。私はその様子を見ながら、この場面は何だろう?接触場面?と思って説明が付かなかったわけですね。なぜならそこにはコミュニケーションの規範のことなどまったく重視されていないように思われたから。

授業が終わって、帰り際、あそうなんだと思ったことがありました。

たとえば日本の社会では基底規範がじつにはっきりしていて、日本人は言葉遣いが規範に沿っているか否かを聞いているのでしょう。しかし、ニューヨークの窓口係は、基底規範などを前提に出来ない場所に座っているために、基盤としての英語の規則から意味を読み取ろうとしていたのではなかっただろうか。別な言い方をするなら、彼らは基盤としての言語規則から規範を交渉し、作り上げようとしていたのです。逆に、日本では、規範は交渉されるものではなくすでにそこに在るものなのだと思います。

もしこの理解が正しいとするなら、現在の相互作用に関する研究のいたるところで主張され前提とされている「相互作用の中で意味が作られていく」という観察は、ニューヨークでは正しいが、日本では受け売りの誤解にすぎない、ということにもなりそうです...
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ポストモダンと言語規範

2008-06-10 23:07:36 | today's seminar
授業のメモです。

今週の授業では、Neustupný, J.V. (1985) Language norms in Australian-Japanese contact situations. In Clyne, M. (ed.) Australia, meeting place of languages. pp.161-170. Pacific Linguistics.を読み始めました。先週まで言語政策の分野での論文を読んでいましたが、この論文は言語接触論の分野で新たなフレームワークを提示したものです。2,3年前にも読みましたが、大学院の授業では2回目の講読になります。

<人はコミュニケーションにおいてさまざまな規則を適用する。しかし、特定の場面に参加したときに、その場面にふさわしいと判断された諸規則からなる規範が生成される。>

規範はここで言われているように、つねに特定の具体的な場面ごとに構築されるものとしてあるわけです。

<日本人とオーストラリア人の接触場面のような場合、最初のストラテジーは、どちらかの母語の規則をコミュニケーションの基盤とするというもの。この基盤を使いながら、その特定の場面の基底規範が構築される。(意訳)>

つまり、どちらかの母語の規則を素材とすることに、まずは同意する。しかしそれはまだ規範にはなっていないのです。そこから当事者が交渉し、規則を簡略化したり、修正したりして基底規範が生まれると考えられる。当然、どちらかの母語の規則がそのまま採用されて基底規範になるわけではない。基底規範に成立したところで、それにふさわしい規則が選ばれ、使用されることになるのだと思います。

構築主義的なコミュニケーション観も同じように、意味やアイデンティティは相互作用によって作られていくと主張しますが、言語規範が、特定の場面で、ある言語の規則を基盤としながらも、場面参加者間の相互作用によって作られていくという主張も、極めてポストモダンな洞察だったことがわかると思います。

このへん、3人の学生さんたちも、うーんと唸ってこの考えと闘っていたようでした。
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