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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

授業コーパス科研の研究会

2007-03-16 21:42:35 | research
今日は科研の研究会を朝から、お茶の水の東京医科歯科大学留学生センターの教室をお借りして開催しました。このところ、研究やら仕事やら重なって準備が不十分なまま参加することになってしまって反省しきりです。研究グループそれぞれの研究の報告や5月のパネルセッションの発表内容など話し合いました。

私はあるベテラン教師の授業について、これまで分析の糸口さえ見つからない、しかし素晴らしい授業のデータがあって、その中から、教師の役割から逸脱していると思われる談話の例を出して、役割から逸脱する発話行動を教師が取っていくことによって、学習者にはこの読解授業がいわゆる「読解の練習」をしているのではなく、まさに「読解」そのものをしていることを確認するようになるといったことを(これも上手なまとめではないのです)話しました。面白かったのは、次に話した田中さん(彼女とはいっしょにこの先生のデータを取ったのですが)が相談もしなかったのに、まったく同じ談話箇所を取り上げて同じようなところに焦点をあてようとしていることがわかったことでした。

あれは偶然の一致だったのか、それとも論理的な帰結だったのでしょうか?
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言語管理研究会 第1回年次研究発表会

2007-03-10 23:40:06 | research
今日は言語管理研究会の第1回年次研究発表会を午後いっぱい使って神田外語大のきれいなプレゼンテーション・ルームをお借りして開催しました。研究発表会は発表応募を募って審査をした3人の研究発表と、ワークショップをやってみました。

ワークショップではお茶の水女子大の博士課程の楊虹さんに話題提供をしてもらって、その後3つのグループで、4人の提案の会話で目に見えないところとしてどこに注目したらよいかを話し合いました。研究発表の時とはちがって、みな積極的に話をしてくれてとてもたのしかったです。写真はワークショップの話題提供者楊さんです。

私は最後にまとめるように言われたのですが、プロセス研究とは場面の当事者に接近する方法で、当事者の視点から相互作用を理解しようとする試みでしょうと話しました。とっさに話したのでうまくは言えなかったのですが、そんな内容でした。

それにしても小さな研究発表会でしたが、それなりに研究発表の募集からワークショップの計画、ポスター作り、などなどけっこう手間がかかります。それだけに中身の濃い時間が過ごせたかなと評価しています。

いっしょに研究発表会をつくってきた先生方、学生さんたち、また、遠く千葉まで来てくれた方々にも感謝したいと思います。
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多言語使用者調査3

2007-03-09 23:12:57 | research
今日は浦安の国際交流センターに出向いて、少しインタビューをしました。
新浦安駅のすぐ横に立つ市の建物ですが、そこにセンターがあって、そこの二人の職員の方に暖かく迎えていただきました。お二人とも国際交流に実績のある方々なので、対応が全然違うのです。

そこで前もってお願いしていた日本語教室におじゃまして、多言語を使っている方の協力を募りました。私はフィリピン出身の女性に少しだけ時間をとってもらって話を伺いました。フィリピンの大学を出ている人で、英語とタガログ語のバイリンガルであり、そこに第3言語として日本語の使用があります。フィリピンなら英語でどんな仕事も出来るけれど、日本ではそれが出来ないのですね。今は子どもの学校からの配布物や先生の話を理解するために漢字の勉強を始めたと言っていました。家庭では子ども達と英語と日本語で話し、タガログ語でも話しかけるそうです。子どもはだいたい日本語か英語で返してくるとのこと。フィリピンの友人とは英語とタガログ語をまぜて話している。それはフィリピンの言語使用そのままだそうです。日本人とは職場で日本語を使っている。ただし、休憩などのときは日本人から英語で話しかけてきたりするので相手をしてあげる。しかし仕事では日本語だけになるとのこと。

この人もまた多言語使用の1つのかたちなわけです。むしろこういう人が多いのかもしれません。やはり10人いれば10人とも異なる多言語使用があるというべきでしょうか。
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あいづちの対照研究

2007-03-08 23:12:21 | research
Clancy et.al (1996)は英語、日本語、中国語の会話における聞き手の発話の頻度と位置について対照研究した重要な文献です。何が重要かというと、話順交替の位置をComplex Transition Relevance PlaceとしたFord and Thompson (1996)の枠組を使って、それぞれの言語使用者が、聞き手になったときにどのような場所でどのような発話をしているかを明らかにしようとしているためです。

話順交替の位置として、次の4つを想定します。
(a)上の統語的な完成位置、イントネーション的な完成位置の2つが重なった位置をCTRPの位置
(b)統語的完成の位置
(c)イントネーション的完成の位置
(d)どのような完成もない位置

そして、聞き手としての発話を、backchannel(非常に短い非語彙的音声、うん、えー、など)、反応的な表現(短い語彙的な発話)、そのほか3つの分類をしてこれらすべてをReactive Tokensと呼んでいます。このbackchannelと反応的な表現という分け方は日本語の実態をよく理解したすぐれた分類です。

このRTが現れたら話者交替が起きたと判断します。もちろん、それ以外に、何も発話をしない、フルの話順を取って話してとなる、という選択もあるわけです。

さて、3つの言語ではどのような違いが出てくるでしょうか?
(1)RTは日本語と英語で多く、中国語で少ない。
(2)日本語はどのような完成の位置もない、つまり、話し手が話をしている途中で、backchannelが非常に多い。
(3)英語では統語的完成、CTRPの位置で、つまりひとまとまりの話が終わったところで、反応的な表現を使って反応することが多い。
(4)中国語では、RTそのものが少ないが、現れるときはCTRPの位置であり、しかも語彙的に意味のある発話をするか、フルの話順を取って話し手になる。

これがClancyたちの分析です。この対照研究はとても説得的なものだと思います。ただし、ぼくの研究はここから始まります。つまり、こうした規範を持っている日本語と中国語の話者が接触場面に入ったとき、上の規範とは異なる現象が現れてくるということ、それを何とかして表現したいのですね。
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多言語使用者調査2

2007-03-06 22:45:46 | research
今日の多言語使用者調査のメモです。

日本に来たときに、日本人と同じように話せるようになるまで国に帰らないと自分に約束した。しかし、3年経った頃、そんなことは20年経っても出来ないことだと悟った。しかもどんなに上手になっても自分は外国人としてしか見られない。それでもしばらく落ち込んでも、何度もはい上がってやってきた。しかし6年経って、今は少し疲れたし、日本語ネイティブに近づく努力をするよりもっと自分を大切にしようと思うようになった。でもその自分は誰だろうという疑問がある。

日本人のよい友達が何人もいて、自分のまわりにグループのようになっている。ぼくは彼らにわざとへんな日本語を使ってみたり、新しい言い方や、大好きなアイロニーや、日本人的な考えにわざと理解できないと言ってみたりするんだ。彼らはぼくがわかっているから、今度はぼくにむかって、君はわかんないんだろ?って意地悪を言ったり、今度は変な英語を使ってみたり、アイロニーをまねてみたりする。双方向なんだ。ぼくはとても楽しくてリラックスしている。そんな友達がたくさん出来たのがとてもうれしい。

**

上の2つの話は今回のぼくの調査のハイライトだった気がします。
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多言語使用は言語管理の一般ストラテジーである

2007-03-05 23:50:27 | research
今日は社文研プロジェクト報告書の校正を終え、印刷会社に手渡すことが出来ました。今週中に仕上がるとのことです。たぶん、言語管理研究会の研究発表会に持って行けると思います。乞うご期待。

それ以外はずっとここ数日考えてきた5月の多言語使用者についての発表のポイントをまとめる仕事をしていました。多言語社会についての研究会や文献を探してみたり、ネウストプニーの諸論文を読み直したりしましたが、なかなかぴんと来ません。ところが、5時を過ぎて帰ろうとしたときに、break throughがありました。重要なのは、多言語使用であって、多言語使用者ではないということ。そして多言語使用を選択するということ自体は言語管理の一般ストラテジーであるということが見えたのです。何のことかわからないと思いますが、いったんbreak throughが起こると、それまで考えてきた断片的な理解がすっと関連性をもって見えてくるものです。これはかなり快感です。

要するに、多言語使用が起こっている人というのは、その状態を選択したわけです。同じ言語環境にいても、多言語ではなく、相手言語のみに向かう人もいれば、母語使用に引っ込んでしまう人もいるわけです。ですから、多言語使用は少なくとも現代の日本社会においては自然な現象ではなく、意識的に選択したこと、つまり言語管理なのだと思います。

自分のおかれた言語環境とインターアクションの目的の設定の仕方によって、どのような言語使用の様態を選ぶか、このレベルの選択をここでは一般的ストラテジーと呼びたいと思います。
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多言語使用者は1つではない

2007-02-22 23:02:56 | research
今日はパネルセッションに向けて多言語使用者のインタビュー調査をしました。

昨年12月の研究会で話を伺った方々とは違い、今回の人は日本語研究の専門家であり、日本語で不自由をする場面はまずないという人でした。そしてどんな言語も母語話者のように使えることを目標にする人なのです。文法、語彙、だけではなく、社会言語学的な能力も、社会文化能力も、すべて含めて母語話者のように理解し、使用出来ることを目標にしているのです。ですから、習得の途中で自分から習得に障害を作ることもないわけです。

このように外国語を深いレベルで捉えようとする一方で、多言語を知っていることからか、彼女は決して日本語母語話者に同化しているわけではまったくないのです。しかも、出身国でふつうに暮らす同国人とも距離を感じているようでした。自分は彼らよりも少し恵まれていて、いろいろな見方や理解の仕方を身につけている、と言います。

多言語使用者が3人いれば、おそらく3人とも違うのだろうと思い始めています。しかし、その違いは何かの方向性で同一性を示すのかもしれない。それはおそらく確実ですが、でもいったいどのような方向性なのか、それが問題です。
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2つのパネルセッション決定

2007-02-13 23:28:28 | research
今日は日本語教育学会から、大会に応募していたパネルの採用通知が来ました。「多言語話者と日本語教育ー多言語社会から多言語使用者の社会へ」というタイトルで4人でパネルを組みます。朝10時からですがどうぞ関心のある方は聞きに来て下さい。

日本語教育学会春季大会は5月26-27日にありますが、じつは2週前の5月12日にはJALT PanSIG 2007という英語教育系の大会が仙台であり、こちらは授業コーパス科研グループでパネルを組むことになっています。こちらは、「Discourse and its contexts in Japanese Language Classrooms」(日本語授業における教室談話とその文脈)というタイトルです。

私の生産性の低さから言うと、同じ月に2つのパネルで発表するのは、かなり危ないという気がしていますが、これから3ヶ月、何とかしなきゃなりません。

仕事というのは、売れない研究者ながら、まあまああって、3月末までに英文の論文を書き直すとか(これは意地みたいなもの)、大学院のプロジェクト報告書を2月末までに完成させるとか(こちらは大学院生に編集してもらってはいますが)、3月10日の言語管理研究会年次研究発表会の予定を考えるとか、まあ、そんなふうにして2月の受験月間は過ぎていくのです。
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文字化アルバイト

2007-02-09 23:18:57 | research
今週は卒論を読む他にも来週の仕事のために論文を読むことが多く、出来るだけ人にも会わず、大学にも行かず、と過ごしています。

科研メモです。

金曜日は科研授業コーパスの文字化記号最終版に合わせて文字化をしてもらうアルバイトの学生さんと打ち合わせをしました。昨年も同じ時期にお願いした中の2人で、一人は医学部生、一人は薬学部生という優秀な学生さんたちです。謝金の書類作成と文字化システムの説明で1時間半もかかりましたが、ここは大切なポイントなのでいい加減にはできません。昨年作成した文字化資料をもとに最終版システムに合わせて修正してもらう作業なので、昨年経験のある人にはたぶん少しは楽ではないかなと思ったりします。




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授業コーパス文字化最終版バージョン0.0

2007-02-04 15:20:16 | research
科研の授業コーパス文字化規則は最終版としてバージョン0.0を作成し、メンバーに送りました。授業の文字化は、Jeffersonなどをモデルとした二人会話の文字化規則とちがい、最低限、以下の点を表現する必要があります。

(1)5名から20名ほどの多人数の話者の発話の相互作用を記述できること。
 何人の発話者が居ても二人会話のように文字化をしていく方法もありますが、参加者の発話権の偏りがある場合には、中核的な会話、周辺的な会話、集団的な発話など発話権をクロスしていく相互作用を記述することで授業の実態に近づくと思われます。

(2)参加者の非言語的な反応が記述できること。
 教授者も学習者も、授業の中で、つねに発話を求められるわけではなく、非言語的な応答や反応によってメッセージを伝えたり、相手の感情や理解をモニターしたりします。もちろん、日本語教育のように言語による伝達に制約が大きい場合には、非言語的な手段による伝達も重要なことは言うまでもありません。

(3)感情を伴った相互作用を記述できること。
 対面かつ多人数が参加する授業において、個人の内面的な心理は別にしても、学習の多くでは、驚き、喜び、羞恥、戸惑いなどさまざまな感情とともにメッセージの伝達が起きていると思われます。感情の相互作用の中で、メッセージやインプットはより伝わりやすくなるわけです。

(4)授業は多面的であり、多様な視点での理解が可能である。
 研究者によって必要な情報は異なるわけで、固定した文字化システムではなく、研究者が必要なものを追加できるようなオープンなシステムが必要になる。

以上の授業の主な相互作用の特徴を記述するために、CHILDESを参考に、授業コーパス文字化の枠組を次のように決定する。
(1)参加者を横列に並べて、参加者の発話を各列に記述する。
(2)発話の行には、発話とともに発話情報(イントネーション、スピード、強勢など)を書けるようにする。
(3)発話の行のすぐ下に付加情報の独立した行を設けて、発話相手(address)、非言語行動、説明などが記述できるようにする。
(4)上記の発話情報と付加情報の行には研究者によって新たな記号を追加することが出来るものとする。

なお、最後まで決まっていなかった発話の行の単位としては、宇佐美(2005)の「発話文」を採用する。ただし、発話文は、Ford and Thompson (1996)のComplex Transition Relevant Placeの定義を用いて、統語論的完成、イントネーション的完成、語用論的完成のいずれかによって周囲と区別される意味のまとまりとする。

以上のようなものになりました。皆さんのご意見をお待ちしています。
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