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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

授業コーパスの文字化システム最終版...か?

2007-01-27 23:17:41 | research
土曜日の今日は午後から世田谷の国士舘大学の一室をお借りして、科研の研究会をしていました。授業コーパスの文字化システムのうち、基本システムを決定しようというわけです。ここ2、3週間、CHILDESやそのシステムを応用してNYで発表した横須賀ー村岡のシステムを参考にしながら、あーでもないこーでもない、と苦しんでいましたが、今日、先生方にご意見をうかがってかなりはっきりとしてきました。

ただ、まだ心にわだかまっているのは、1行に入れる発話の単位を決めるか決めないかと言う点です。もし単位を決めておくと、数量的な研究には役に立つわけで、無視できないポイントかなと思ったりします。グループの半分以上の人は文脈や非言語情報を重視したいわば「コンテキスト派」なので、今回のシステムでよいとの反応でしたが、残りの先生方はどーかなー、という感じが少しあるんですね...

国士舘までは有楽町線、半蔵門線と乗って三軒茶屋からは東急世田谷線で行きました。「東急」も「世田谷」も東京を知らない私にはとても都会的な響きがして、きっと素敵な電車なんだろうと思っていたのですが、じつは逆の意味で面白い電車ですね。二両の、まるで路面電車のように狭い家と家の間をゆっくりと走っていくのです。考えてみたら世田谷はカーナビ発明者のメッカで、迷路のような道が多いところなわけで、千葉のスカスカの空間に住んでいる人間にはかなりの異文化ではありました。
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授業の文字化システム

2007-01-23 11:58:26 | research
科研メモです。

今週末に授業コーパス科研の研究会の準備で、授業文字化システムの最終版を作ろうとしていますが、なかなかうまくいきません。先週はCHILDESを参考にしながら発話の特徴と、教師と学習者を横並びに記述する方法について考えていましたが、じつはそれ以上に重要なことがあったのです。

会話などと違って、授業は複数の参加者がおり、教師の発話や行動が多いわけです。しかし、それだけでなく、学習者も教師の発話に個別に非言語で反応したりもしています。教師はこうした学習者のうなづきや笑いなどを見ながら発話を管理し、次にどのような行動を選択するかを決めている部分も少なくないわけですね。

このように考えると、CHILDESが採用している多重レイアウトの可能性を考えないわけにはいかないことになるでしょう。つまり、

(1)メインのレイアウトに記述する発話とその特徴
   e.g. 発話、長音、ポーズ
(2)メインのレイアウトに付け加えるメタ情報(CHILDESではスコープ)
   e.g. ストレス、音量、非言語的な応答、重なり
(3)サブ・レイアウトに付け加えるメタ情報(CHILDESではインディペンデント・ティア)
   e.g. 非言語行動、話者の行為の説明

2種類のレイアウト、およびスコープと呼ばれる注記、この3つのタイプの情報にどのような情報を割り振るか、これがもっとも大切な部分なのだろうと思います。
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データ共有におけるデータ収集者とデータ受給者の関係

2006-12-28 12:35:49 | research
26日は科研研究会を行い、久しぶりに科研メンバーと意見交換をすることが出来ました。8月のニューヨークの後、それぞれの活動に戻っていましたが、ようやく時間が取れたので懸案の事項をいくつか話し合いました。

もっとも時間を取ったのは、データを共有するときの原則の問題です。データを共有する事は、研究を発展させるためにもっとも有効な方法だと思います。とくに教室研究など、データ収集が容易には出来ない分野については、データを共有して比較が可能になるようにすることがとても大切です。科研で授業コーパスを構想するというのはこうしたデータ共有を実現するための第1歩というわけです。

(蛇足ですが、いじめ問題などでも実際の教室、学校に入ってデータを収集することが進められるなら、本当は何が問題なのか、多くの知見が得られるはずです。しかし、そうしたデータ収集を許可されることは残念ながらまれであって、あいかわらず「専門家」や「オピニオン・リーダー」と言われる人が深い洞察や臆見やヘンケンで争鳴しているのが実情です)

さて、データ共有では、調査協力者(被調査者)、データ収集者、データ受給者の3者の尊厳が守られることが重要になります。調査協力者については以前にデータアクセスの制限レベルについて紹介したことがあるので、今回は、データ収集者とデータ受給者の関係を中心に相談の結果を書いておきます。この議論にはもちろんCHILDESの原則やそのCHILDESが参考にしている医学系のデータ共有組織の原則が元になっています。

結論から言うと、以下のようなことが一応の案として決定しました。

(1)データ提供者は主要な研究成果を発表するまで占有的にデータを使用する。 ただし、占有的に使用出来るのは科研終了後4年(2011年)を目安とする。

(2)データ1次受給者(科研グループ)は、データ提供者の許可を得て、データ使用が出来る。データ1次受給者に対するデータ使用許可は、研究テーマが重ならないこと、1次受給者の使用するデータの母集団の中でそのデータ提供者のデータの割合が3分の1以下であることを基準とする。

(3)データ一般受給者(コーパス利用者)は科研終了4年後(2012年)にデータ使用が可能となる。その際、使用可能なデータは、文字化資料と音声資料に限られる。

以上のように、データ収集者の労力というものを尊重して、占有できる期間を設けること、科研グループには、データ使用は出来るがデータ収集者との信頼関係を損なわない条件をつけておくこと(科研グループは映像データも使用可)、一般受給者は期間的な制限と、調査協力者の保護を目的にデータの種類の制限をもうけておくということを考えました。

このへんが妥当なところかと科研グループでは相談したのですが、皆さんのご意見も伺いたいところです。
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多言語使用者と多言語話者

2006-12-18 00:16:12 | research
昨日の続きです。

多言語話者という言葉を否定するつもりはないのですが、しかしそこにはなにか流ちょうなバイリンガルという不適切なアイデアと同じような不適切さがあるように感じます。

そうしたいくつもの言語をパーフェクトに話す多言語話者もいるわけですが、それよりもずっと身近なのは多言語使用者であろうと思います。自分の目指す行動やアクティビティを達成するために、パーフェクトとは言えない多言語の能力をエコロジカルに用いようとするのが多言語使用者であれば、多くの人がその範疇に入ることになります。私もあなたも多言語使用者の一人と言ってもよいように思います。

例えば、研究会で話をしてくれたリーさんも、自分は書き言葉は読めるので、日本語教育の同僚からは日本語で電子メールが来て、自分は英語で応答すると言っていました。それこそエコロジカルな言語の管理と言えるように思います。

多言語使用者が参加するのは接触場面になりますから、そこでは基底言語は何にするか、どの程度、他の言語を交ぜても良いか、といったことが、参加者間の相互作用の中で決まっていくことになります。

以上が多言語使用者のイメージですが、別の社会の場面ではまた異なった管理が行われることになります。使用可能な言語ごとに異なるネットワークとアクティビティが結びついているでしょう。実は、こうした様々な社会と結びついている姿を想像したものが「多言語話者」のイメージなのかもしれないとも思います。
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多言語使用者に聴く

2006-12-16 23:49:16 | research
今日は神田外語大で言語管理研究会の第10回になる定例研究会を行いました。

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テーマ:多言語話者の言語管理(その2):日本における多言語使用者と彼らの言語意識

話題提供者:
ラビンダー・マリク(IES全米大学連盟東京留学センター代表、浦安在住外国人会長)
アリス・リー(神田外語大学、元Director of Programs for Trans-Pacific Exchange at Stanford University)
中川康弘(神田外語大学留学生別科)

コメンテーター:サウクエン・ファン(神田外語大)
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多言語社会という言い方が、複数の言語が使用されている社会という意味に使われることが多いわけですが、それよりも一人の人間が複数の言語を使用するときの言語の管理について考えることに関心を持っています。

マリク氏はインド出身でパンジャブ語が母語、ウルドゥ語が教育言語、そしてヒンディ語が学問語、大学では英語と、もともと多言語話者だったわけですが、日本では30年の生活のうち、20年教鞭をとった国連大学を退職してから日本語も習得していったそうです。彼にとっては英語も日本語も今の生活の中で必要なものであると言っていました。これはリー氏も同様な意見でした。台湾の北京語家族に生まれながら9歳で家族とともに米国に移住したリー氏は北京語の書き言葉に親しむと同時に英語を自分の母語としていきます。それでも一般的なアメリカ人とは異なる自分を持っているわけです。今の生活、職業をする上で十分な日本語をもっていると言います。

おそらく多言語使用者とはこの日本という環境で、本人がのぞむ生活、知的活動を複数の言語を駆使することで実現している人のことだと思います。ある活動にはある言語が使われ、ある活動には複数の言語が使われるというように、必要に応じたエコロジー的な管理が行われているのだと思われます。

もう1つ、興味深かったのは、言語だけでなくコミュニケーション、また文化については、むかしは同じようにすることに気をつかっていたが、今はもう気にしないということです。ある程度までは相手に合わせるし、採り入れるにしても、自分なりの採り入れ方にとどめて、自分自身を失わないということでした。

多言語使用者にも自分のベースとなる文化があるのですが、それは無条件に従っている文化ではなく、すでに自分の中で濾過された「母文化」なのでしょう。居住する社会の文化についてもある程度までは採り入れられています。そのようにして複雑に複合した文化規範が多言語使用者の自己を作っているのだと思います。だから、モノリンガルからはどこに属していないような不思議な感覚を与えてしまうことにもなるのかもしれないのです。
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CHILDESに読む被調査者の権利保護

2006-11-28 00:23:31 | research
授業コーパス科研のメモです。

CHILDESは子供の第1言語習得研究から始まったコーパス・システムです。そこでは多くの研究者がメンバーになって自分の収集したデータを提供したり、他の研究者の公開したデータを利用したりといった合理的な研究が行われています。

しかし、データが公開されたり、共有されたり、ということには必然的に多くの問題が予期されます。そのへんのことを今、調べているところですが、以下は、調査者が被調査者に収集したデータをどの程度まで使用してもよいのかを問う(あるレベルまでの使用許可をお願いする)、そのレベルを記述したものです。CHILDESのほとんどのデータは(2)までで実施されているそうですが、データの種類によっては厳しい使用制限も仕方がないのですね。

被調査者に許可を得るデータ・アクセスの制限分類(http://talkbank.org/share/levels.html)

(1)無制限:匿名化の処理をすることなしにウェブを通して文字化資料とメディアにアクセスすることを許可する。
(2)文字化資料における名字と住所の匿名化を要求出来るレベル:これにより、最少の作業で相互作用のほとんどを保持することが可能。
(3)文字化資料における十全の匿名化:名字、住所(地域)に加えて、名前も匿名化することを要求出来るレベル。プライバシーを守る上ではそれほど重要ではないが、ある場合には必要になるだろう。(訳者注:英語の場合)
(4)音声の匿名化audio bleeping:匿名部分を部分的または全体的に信号音に置き換えることを要求することが出来るレベル。
(5)映像の不明瞭化video blurring:ある場合には映像を不明瞭化する処理を施すことを要求出来るレベル。これは技術的に実行が困難であり、実際的とは言えない。むしろ、パスワードを設定するなどの別の方法が望ましい。
(6)パスワードの設定:実行が容易だが、アクセスを制限することになる。
(7)非公開宣誓書:極端に保護を要求する場合には、パスワードの設置に加えて、非公開の宣誓書に署名を要求出来るレベル。非公開宣誓書では、個人を特定するいかなる言及についても出版を禁止し、データのコピーは禁止される。
(8)管理された視聴:直接のオンラインでの監視下の管理された条件でのみ視聴が可能であることを要求出来るレベル。このレベルは非常に個人的あるいは自己開示的な性質を持ったデータの場合(e.g.精神治療インタビュー)に用いられる。
?(9)アーカイブ(保管)のみ:データは視聴可能ではなく、もともとの調査者だけが使用する一般的なシステムのフォーマットで保管される。調査者は、分析システムの道具を用いることを許されるが、データには実質的には貢献しない。(訳者注:ここの意味はよくわからないです。どなたかご教示を!)
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第9回言語管理研究会終わる

2006-11-19 12:59:43 | research
昨日は千葉大で言語管理研究会、第9回定例研究会を開催しました。ご参加頂いた方々に御礼申し上げます。

9月からの今年度は多言語話者の言語管理を考えていきながら、接触場面・母語話者ー非母語話者といった基本概念の再検討の可能性を見ていきたいと思っています。そのとっかかりとして日本語母語話者の管理の諸問題を話し合いました。母語話者に期待されているはずのことを日本語母語話者は果たしていない、言い換えると、非母語話者が期待されていることと、日本語母語話者が期待されていると考えていることとは、合っていない。たとえば、会話維持に対する期待、初級の非母語話者の勧誘に対する不理解や意図しない応答などに日本語母語話者は応えられないのです。軽々には結論を出さずに1年間、考えていきたいものだと思います。

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香港中文大学シンポジウム

2006-11-07 00:07:00 | research
10月29日~30日は香港中文大学で開かれた国際シンポジウムに行っていました。ただし、29日は私は参加できず、30日だけの参加でした。それでも朝の基調講演では現龍谷大学教授(東大名誉教授)の濱下武志氏による「グローバリゼーションの中の日本のアジア・アイデンティティ」という興味深い話が聞けたのは収穫でした。

アジアと日本というと、とかく政治的軋轢や戦後処理の問題だけがクローズアップされがちですが、濱下氏は海の歴史から都市と都市の関係としてアジアや日本を捉える視点を提出しており、ある種の知的な力業を見せていたと思います。東洋史が専門ということがあるからか、脂ぎったところもなく、その点も親近感を覚えました。

さて、写真は数日後に再訪した中文大学の中国文化研究所の博物館。そこで見つけた甲骨文字の実物です。実際の骨に刻まれた漢字を見たのは初めてでこれもまた感動ものです。感動のあまり、ややぶれてしまいましたね。
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香港でのシンポジウム

2006-10-29 00:21:05 | research
明日、29日、30日は香港で第7回国際日本研究・日本語教育シンポジウムが開催され、言語管理についてのパネルが行われます。私も参加する予定だったのですが、事情で29日のパネルの時間はどうしても千葉にいざるをえないことになってしまいました。

そこでビデオ出演することになり、今週は自分の研究室でビデオ撮りをやっておりました。お題は「日本における言語管理研究」ということで、言語管理研究会の沿革や研究の新しい方向などについての紹介にしました。それにしても一人で話すのは難しく、最初は原稿なしで挫折、2回目は原稿を作って時間オーバー、3回目にようやく原稿を短くして、しかも即興も付け加えたビデオを完成させることが出来ました。やれやれです。

言語管理研究会の発表や報告書を見ていると、3つの新しい研究の方向が見えてきたのは面白かったです。(1)適用範囲の拡大(e.g.脳の言語処理、テレビ会議、encounter group、手話言語など)、(2)言語政策的動機(e.g.外国人居住者の書き言葉、夜間中学の外国人の学習、イディオムと深層管理)、(3)理論的追求(e.g.接触規範、基底規範、規範の動態性、受け身の生成、接触場面における問題の類型)

見ただけで、ものすごく関心領域が拡がっていることがわかりますが、理論的追求については規範への関心が高いことで一致しています。おそらくは、日本にもポストモダン社会が到来しており、規範の多様性を接触場面とどのように関連づけるべきかが問題になっているのでしょう。

さて、というわけで、明日の夜から11月4日まで日本の不在にします。
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終わり、始まり、準備など

2006-07-30 12:14:46 | research
大学人にとって7月末は過渡期です。ようやく金曜日に授業がすべて終わりました。

最後の大学院講義は残念ながら出来なかったのですが、学生たちはいざ知らず、私にとっては接触場面の規範のあり方について考えることが出来た前期でした。大学院の授業は前期で2コマやってしまったので、後期はゼミだけとなります。

学部の授業もすべて終わり、最後は4年の卒論中間発表でした。まだ中間にも至っていないようでしたが、卒論などをするとその人の調査の弱いところ、強いところがよくわかります。後期に期待しておきましょう。

土曜日からは第2言語習得論の集中講義が始まりました。早稲田の宮崎先生です。終わり頃には中国の吉林大学の仕事を終えて帰国した春口君がきていたので、いっしょに晩ご飯を食べて別れました。吉林では日本語教育の仕事の経験は積んだようですが、中国を深く知るところまでいったかどうか、それは不明(笑)。

来週3日にはニューヨークの日本語教育国際研究大会に行くため、その準備に追われます。授業コーパスで研究グループの皆さんとパネルを組みます。ちなみにこれまで収集した録画データをまとめてみると、72授業、97.5時間のデータが集まっていることがわかりました。昨年1年の成果ですが、今年の残り半年でもう少し増やせるでしょうか?
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