長男の中学受験が終わった。2月1日からの1週間は長かった。そして疲れた。今回の受験で実感したことは、「人を信じる」こと、「果報は寝て待て」ということである。
2月1日に本命校を受験した長男。しかし、翌日の合格発表の際、掲示板に彼の番号はなかった。2日は”安全校”を受けて合格。3日には第二志望校を受験したが、当日結果が出て不合格だった。3日夕方の時点で、4校受けて2勝2敗(1月に埼玉の学校を合格している)と成績は五分だが、2勝はいずれも”安全校”。実際に行きたい”MARCH”の附属校は、2校とも合格できなかった。
3日以降は、同レベルの受験者に加え、成績が上で試験がダメだった者がレベルを下げて受験する”敗者復活組”と、本命校を確保してさらに上を目指す”上ゲ上ゲ・チャレンジャー組”が参戦するため、ただでさえ定員の少ない二次・三次募集枠を争う戦いは、ますます激化する。4日以降、長男が出願しているのは、翌日にある本命校の第2回試験のみ。これは、1回目以上にクリアするのが難しい。そんな中、カミさんが1通の願書を取り出した。これは、長男に知らせていなかったものである。
話は遡り昨年の12月、塾での面談で受験する学校を伝えた。その際、カミさんは「”安全校”にはあまり行かせたくない」というようなことを話したらしい。そこで先生は次のようなアドバイスをくれた。「3日までに”安全校”以外すべてダメだった場合を考えて、この学校の願書を用意しておいたほうがよいでしょう。”万が一”ということもありますからね」その学校というのは、5日に試験がある”MARCH”の附属校であった。
その話をカミさんから聞いた時、私はその学校の受験について少し疑問に思った。というのは、2月5日のその試験は、”MARCH”の附属校の最後の試験であり、附属校行きたい子どもたちのラストチャンス、”ハイパー級の敗者復活戦”的な試験だからである。レベルも四谷大塚、日能研偏差値一覧を見ると、今まで受けた本命校とほぼ同じ、あるいは少し上のレベル。その学校の受験対策を全くしていない長男が、落ち続けた状況の中でその学校に合格する可能性があるのか?ということだった。
「まあ、”万が一”のことがあった時のために」と一応願書だけは取り寄せておいたのだが、そんな”万が一”のことが起こってしまったのだ。
長男には、第二志望校がダメだった時に受験するかどうか相談しよう…ということだったので、カミさんは願書を取り出したのである。
5日間連続で試験を受けることになるので、「もう試験を受けるのは嫌だ!」というのかと思ったら、長男の答えは「受験する」であった。本人も「このままでは終われない」と思ったらしい。
4日。長男は本命の2回目の入試を受験。その間、カミさんは5日受験校の願書を出しにいった。
翌5日。長男とカミさんは最後の受験のため、朝早く家を出た。その日私は会社を休み、本命校2回目の合格発表を見ることにしていた。1回目の時は学校まで見に行ったのだが、今回は同時刻に発表されるHPで確認をした。
2回目も番号がなかった。前後の受験番号はあるのに…。学校まで見に行かなくてよかった。あの”ない番号”を見に行くというのは、本当に言葉に表せないほど辛いものだ。
昼過ぎに長男とカミさんが帰宅。受験が終了したことを労い、本命校がダメであったことを伝えた。その日受けた試験の結果は、夜22時にHPで発表されるとのこと。もう終わったことなので、その日の試験の出来については特に聞かなかった。よくがんばったよ…その時点で私は半分あきらめていた。
「お父さん、試験の結果発表見ようよ。」うっかり21時過ぎから次男と一緒に寝てしまった私は、長男に起こされた。22時10分。結果は出ている筈である。パソコンを立ち上げ、学校のHPを開く。そして、合格発表のページを開けてみると…長男が「番号がある!」
えっ、ホントかよ?HPを確認してみると、間違いなく長男の受験番号があった。正に「果報は寝て待て」である。これで本当に長男の中学受験は終了した。
あると思って見に行った合格発表で番号がなかった時のショック、合格を喜ぶ親たちの横で平然としなければならない惨めさ、だめだろう…と思って見た合格発表の中に番号があった時の感動…本当に良い経験をさせてもらった。
長男もがんばり疲れただろうが、それと同じくらいカミさんも気を揉んだり、願書提出に走り回ったりして疲れたと思う。
ご苦労さまでした。
「クソおやじチェック」が一冊の本になりました。タイトルは、「クソおやじ ド チェック」。
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2月1日に本命校を受験した長男。しかし、翌日の合格発表の際、掲示板に彼の番号はなかった。2日は”安全校”を受けて合格。3日には第二志望校を受験したが、当日結果が出て不合格だった。3日夕方の時点で、4校受けて2勝2敗(1月に埼玉の学校を合格している)と成績は五分だが、2勝はいずれも”安全校”。実際に行きたい”MARCH”の附属校は、2校とも合格できなかった。
3日以降は、同レベルの受験者に加え、成績が上で試験がダメだった者がレベルを下げて受験する”敗者復活組”と、本命校を確保してさらに上を目指す”上ゲ上ゲ・チャレンジャー組”が参戦するため、ただでさえ定員の少ない二次・三次募集枠を争う戦いは、ますます激化する。4日以降、長男が出願しているのは、翌日にある本命校の第2回試験のみ。これは、1回目以上にクリアするのが難しい。そんな中、カミさんが1通の願書を取り出した。これは、長男に知らせていなかったものである。
話は遡り昨年の12月、塾での面談で受験する学校を伝えた。その際、カミさんは「”安全校”にはあまり行かせたくない」というようなことを話したらしい。そこで先生は次のようなアドバイスをくれた。「3日までに”安全校”以外すべてダメだった場合を考えて、この学校の願書を用意しておいたほうがよいでしょう。”万が一”ということもありますからね」その学校というのは、5日に試験がある”MARCH”の附属校であった。
その話をカミさんから聞いた時、私はその学校の受験について少し疑問に思った。というのは、2月5日のその試験は、”MARCH”の附属校の最後の試験であり、附属校行きたい子どもたちのラストチャンス、”ハイパー級の敗者復活戦”的な試験だからである。レベルも四谷大塚、日能研偏差値一覧を見ると、今まで受けた本命校とほぼ同じ、あるいは少し上のレベル。その学校の受験対策を全くしていない長男が、落ち続けた状況の中でその学校に合格する可能性があるのか?ということだった。
「まあ、”万が一”のことがあった時のために」と一応願書だけは取り寄せておいたのだが、そんな”万が一”のことが起こってしまったのだ。
長男には、第二志望校がダメだった時に受験するかどうか相談しよう…ということだったので、カミさんは願書を取り出したのである。
5日間連続で試験を受けることになるので、「もう試験を受けるのは嫌だ!」というのかと思ったら、長男の答えは「受験する」であった。本人も「このままでは終われない」と思ったらしい。
4日。長男は本命の2回目の入試を受験。その間、カミさんは5日受験校の願書を出しにいった。
翌5日。長男とカミさんは最後の受験のため、朝早く家を出た。その日私は会社を休み、本命校2回目の合格発表を見ることにしていた。1回目の時は学校まで見に行ったのだが、今回は同時刻に発表されるHPで確認をした。
2回目も番号がなかった。前後の受験番号はあるのに…。学校まで見に行かなくてよかった。あの”ない番号”を見に行くというのは、本当に言葉に表せないほど辛いものだ。
昼過ぎに長男とカミさんが帰宅。受験が終了したことを労い、本命校がダメであったことを伝えた。その日受けた試験の結果は、夜22時にHPで発表されるとのこと。もう終わったことなので、その日の試験の出来については特に聞かなかった。よくがんばったよ…その時点で私は半分あきらめていた。
「お父さん、試験の結果発表見ようよ。」うっかり21時過ぎから次男と一緒に寝てしまった私は、長男に起こされた。22時10分。結果は出ている筈である。パソコンを立ち上げ、学校のHPを開く。そして、合格発表のページを開けてみると…長男が「番号がある!」
えっ、ホントかよ?HPを確認してみると、間違いなく長男の受験番号があった。正に「果報は寝て待て」である。これで本当に長男の中学受験は終了した。
あると思って見に行った合格発表で番号がなかった時のショック、合格を喜ぶ親たちの横で平然としなければならない惨めさ、だめだろう…と思って見た合格発表の中に番号があった時の感動…本当に良い経験をさせてもらった。
長男もがんばり疲れただろうが、それと同じくらいカミさんも気を揉んだり、願書提出に走り回ったりして疲れたと思う。
ご苦労さまでした。
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よかったね。
クソおやじさんもお疲れ様でした。