礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ワイマール憲法を崩壊させた第48条

2015-08-05 03:41:24 | コラムと名言

◎ワイマール憲法を崩壊させた第48条

 まず、昨日の正誤問題の解答から。

1( ○ ) イギリスには、いわゆる「憲法典」と呼ばれるものが存在しない。
2( ○ ) ワイマール憲法には、日曜・祝日を「安息日」と位置づける条項があった。
3( ○ ) ワイマール憲法には、「生存権」を定めた条項があった。
4( ○ ) ワイマール憲法には、所有権の行使は「公共の福祉」に役立つことが求められる旨を定めた条項があった。
5( ○ ) ワイマール憲法には、大統領は、緊急時、憲法の定める基本権を停止できる旨を定めた条項があった。
6( × ) ワイマール憲法は、いわゆる「授権法」の公布・施行と同時に廃止された。
7( △ ) ナチス政権は、「生存権」という考え方そのものを否定した。
8( ○ ) ナチス政権は、「公益は私益に先だつ」ということを憲法原理のひとつとした。
9( ○ ) ナチス政権は、キリスト教を「全道徳の基礎」として位置づけていた。
10( × ) いわゆる「ナチス憲法」というのは、ナチス政権が、ワイマール憲法に替えて制定した新しい憲法典の通称である。

 6( × )について。ワイマール憲法は、いわゆる「授権法」の公布・施行によって、最高法規としての地位を奪われることになったが、ワイマール憲法それ自体は廃止されなかった。
 7( △ )について。ナチス政権は、ワイマール憲法における「生存権」という考え方を引き継いでいる可能性がある。×でもよいのだが、なお、研究の余地があるので、△としておく。なお、本日、以下に紹介する史料にも、「生存権」という言葉が出てくるが、この場合の生存権は、「ドイツ民族」の生存権という意味である。
 10( × )について。ナチス政権は、ワイマール憲法を「凌駕」したと称したが、これを廃止したわけでもなく、これに替えて新しい憲法典を制定したわけでもない。「ナチス憲法」という言葉は、戦前・戦中の日本において、ナチス政権のもとにおける憲法状況を指して使われていたことが確認できるが、「通称」として定着していたとは思えず、もちろん、明確な定義を持った学術用語ではない。
 さて本日は、一昨日に続いて、ストゥカルト(=ウィルヘルム・シュトゥッカート)の論文「民族社会主義と国法」の第三節を紹介したい。引用は、一九三~一九六ページから。文中、【 】内は、訳者による脚注、あるいはルビ、〔 〕内は、引用者(礫川)による補注、〈 〉内は、引用者による「読み」。

三 ワイマール体制の廃棄と民族社会主義的権力的地位の確保

 民族社会主義運動の指導者〔ヒトラー〕による権力と責任の掌握は、かかる情勢に直面して運命の歴史的転回点を意味したが、その全意義は後代〈コウダイ〉が始めて充分に認識するであらう。指導者は逡巡することなく再建を始めた。始めの半ケ年の清掃工作はまだ終了しなかつたが、そして、近年に於けるドイツ国民の災禍である失業に対する大攻撃が効果的に開始されたが、指導者は同時にドイツ国新建設の基礎を置き始めた。
 ヒトラー内閣の包括的な綱領の実現は、新しい真の民族意思に適合したドイツ国会の援助を以てのみ可能であつた。国会はそれ故、一九三三年二月一日に解散された。そして、一九三三年三月五日に新選挙の期日が定められた。
 一九三三年二月一日の「ドイツ国政府のドイツ民族への檄【Aufruf der Reichsregierung an das deutsche Volk】」に含まれた綱領は、次の目標を与へた。
 民族の精神的・意志的及び政治的統一の回復。
 全道徳の基礎としてのキリスト教の保護。
 民族の胚細胞としての家族の保護。
 民族的訓練。
 民族の食糧的・生活的基礎の維持のため、ドイツ農民の救済による、且つ失業に対する強力な包括的な 攻撃によるドイツ労働者の救済による経済の新組織。
 労動奉仕義務と移民政策。
 病弱者及び老廃者に対する社会的義務の実現。
 行政の緊縮。
 生存権の対外政治的保持、それと同時にドイツ民族の自由の回復。
 階級的錯覧と階級闘争及び共産主義的破壊の克服。
 指導者はわづか数週間だけなほワイマール憲法第四十八条の緊急立法を利用した。まづ、あらゆる色彩をもつマルクス主義的な及び若干の分立主義的【パルテイクラリステイシユ】な団体の叛逆的・大逆的陰謀に対し、ドイツ国で獲得した地位を守ることが必要であつた。このために、一九三三年二月の「ドイツ民族の保護のための命令【Verordnung zum Schutze des deutschen Volkes】」と「民族及び国家の保護のための命令【Verordnung zum Schutz von Volk und Staat】」が役立つた。それにより、故意のマルクス主義的暴力行動が無力にされたと同じく、多数の基本権(信書の秘密・出版の自由等々)が無効となつた。一九三三年三月五日の選挙によつて、ドイツ国会に於いても政府の多数党が確保されたとき――それは共産主義者の排除によつて更に増大した――合法的なヨリ以上の発展の途〈ミチ〉が可能となつた。
 一九三三年三月二十四日の「民族及び国家の困難の除去のための法律【Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich】は、このヨリ以上の発展の基礎である。それは、過渡的に最初の新しい国家根本法である。そのいはゆる「授権法【Ermächtigungsgezetz】」は事実上、残存し且つ無用となつた議会制度の形式に結末をつけた。それは既にドイツ国に於いて事実上、無責任的議会主義を廃棄し、そして、その代りに宰相及びかれに指導されたドイツ国政府の責任的指導者主義を確立した。それは本質上執行と立法を一緒に結合することにより、国家権力を執行、立法及び司法に分割するモンテスキューの権力分立を取除いた。それはドイツ国政府及び宰相に対し、当初はまだ四ケ年に制限されてゐた【第五条】《訳註一》が、ワイマール憲法第四十八条を遙かに凌駕する一般的委任によつて、ドイツ国会及びその党派に対する最大の独立性を賦与した。たしかに、形式上はまだワイマール憲法の陳腐な煩はしい立法手続は存続してゐる。しかしそれと並んで、この時以来殆んど専ら行使されてゐるドイツ国政府の立法権がある【第一条】。国政府は憲法に抵触する国法律をも決議し、裁可しうる【第二条】。ドイツ国宰相がそれを編成し、且つ公布する。他に規定のない場合、それは翌日効力を生ずるのである【第三条】。かくして、また一九三〇年以来通常となつたワイマール憲法第四十八条にもとづく独裁的立法手続の代りに、普通の立法手続が現はれた。《訳註二》
《訳註一》本法は、第五条に一九三七年四月一日を以て効力を失ふものとされたが、一九三七年一月三十日の「民族及び国家の困難の除去のための法律」(Gesetz zur Verlängerung des Gesetzes zur Behebung der Not von Volk und Reich)によつて一九四一年四月一日まで延期された。
《訳註二》この立法手続による法律は、通常「政府法律」(Regierungsgesetze)或ひは「簡易法律」(vereinfachtes Gesetz od. einfaches Gesetz)と呼ばれている。
【以下略】

 上記に引用した記述に関して、まず確認しておきたいのは、「民族及び国家の困難の除去のための法律」、いわゆる全権委任法(授権法)に先立って、指導者(ヒトラー)が、数週間、「ワイマール憲法第四十八条の緊急立法を利用した」と述べていることである。
 すなわち、全権委任法は、何の前触れもなく、突然、登場してきたわけでは「なかった」のである。かつまた、この事例は、ワイマール憲法の中に、憲法自体を崩壊させかねない条項(この事例においては、第四八条)が含まれていたことを示している。
 今回は引用しなかったが、ストゥカルトは、同論文の第二節において、一九三二年においてドイツ国会が成立させた法律は、わずが五件にすぎなかったこと、これに対し、大統領が第四八条に基づいて発した命令が、六〇件を超えたと指摘している。すなわち、一九三二年の段階で、すでにドイツ国会の機能は低下し、これにともなって、憲法を自壊させかねない第四八条の濫用が生じていたということになるだろう。
  *    *    *
 ここで、今月二日のコラムで、国家鮟鱇さんにお答えする形で述べたことを、再度、そのまま述べる。

 さて、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった」という麻生氏の認識が、史実に即しているかどうかですが、大筋で史実に即しており、リアリティのある認識だと私は思っています。そう思う理由については、引き続き、次回以降のブログでも述べますが、手短に言えば、ワイマール共和国自体が、さまざまな内部矛盾をかかえた脆弱な国家であり、ワイマール憲法を高々と掲げる民主国家という理想とは、ほど遠い現実があったということです(林健太郎『ワイマル共和国』中公新書、一九六三)。また、ワイマール憲法のなかに、憲法体制そのものを崩壊させかねない条文(たとえば、大統領の緊急権を定めた第四八条)が含まれていた、などの事実もあります。

 すでに、国家鮟鱇さんからは、「こちらから質問しておいてなんですが、これでは失礼ながら今後の回答も期待できそうにありません。」と言われてしまった(2015・8・2)。ご期待に添えなくて申し訳ないが、礫川のほうとしては、国家鮟鱇さんのご質問を励みにとし、ご指摘をヒントにしながら、このあとも、精進を続けたい。麻生太郎氏の発言の「真意」についても、いずれ、礫川「新説」を提示してみたいと思っているので、よろしくお願いします。

*このブログの人気記事 2015・8・5(10位にかなり珍しいものがはいっています)

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