礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

いよいよ降服ときまったので記事書いてくれ

2024-07-25 02:14:04 | コラムと名言

◎いよいよ降服ときまったので記事書いてくれ

 大佛次郎『終戦日記』(文春文庫、2007)を紹介している。本日は、八月十三日と十四日の日記を紹介する。このあと、二十日までの日記を紹介する予定である。表記は、文春文庫版のとおり。

 八月十三日 晴
 早天六時から艦上機の大举侵入があり関東から新潟長野と広範囲に夕方まで連続的に行動。門田君も電車が動いていないことで駅から迴って来る。数回高射砲が鳴りとどろき爆音が聞えた。敵もここを最後と暴れまわっている。夕方硯雲山房へ祝辞を述べに行き焼酎〈ショウチュウ〉馳走になり広安宅へ寄りここでビール二本、帰りて村田(兄)と日本酒のみ、置きざりにして寝室に上り寝て了う。

 八月十四日
 蒸暑い日が続く。敵襲も依然としてやまず。夕刻、岡山東(三社聯盟)来たる。いよいよ降服ときまったので記事書いてくれという。書けぬと答えたが遂に承知。木原門田来たる。九時のニュウス明日正午に重大発表があると報道す。村田宅に呼ばれ行き酒を馳走になる。何となく仕事に手がつかず飲まずにいられぬような状態。吉野君は娘さんを置きに高崎へトラックで行ったそうである。

 十三日の日記に「硯雲山房」とあるが、書家・小野鐘山の住まいを指す。「研雲山房」と表記されることもあったようだ。
 十四日の日記に「岡山東」とあるのは人名であろう。三社聯盟(北海道新聞、中日新聞、西日本新聞)の岡山東から記事を頼まれたのであろう。今月22日の当ブログで、大佛次郎の「大詔を拝し奉りて」という文章を紹介した。8月17日の三社聯盟紙に掲載されたものだが、十四日の日記によって、この文章は、同日に執筆依頼されたものだったことがわかる。

*このブログの人気記事 2024・7・25(8位の山本有三、10位の福沢諭吉は、ともに久しぶり)

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