礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

佐伯好郎の『支那の景教に就いて』(1931)を読む

2024-10-01 01:18:49 | コラムと名言
◎佐伯好郎の『支那の景教に就いて』(1931)を読む

 最近、オリオン・クラウタウ著『隠された聖徳太子』(ちくま新書、2024年5月)を購入し、一読した。実に刺戟的な本で、特に第一章「一神教に染まる聖徳太子」に注目した。そこに、佐伯好郎の名前が出てきたからである。今日、日本の学者・研究者で、佐伯好郎という言語学者・東洋学者に関心を持っておられる方は、皆無に近いのではないだろうか。そうした中で、ブラジル生れの宗教史学者であるオリオン・クラウタウさんが、その著書で、佐伯好郎という学者に言及されているのは興味深いことである。
 その佐伯好郎に、『支那の景教に就いて』(外務省文化事業部、1931)という著書がある。これは、佐伯好郎(当時、明治大学教授)が、1931年(昭和5)11月7日、外務省文化事業部でおこなった講演を記録したものである。その後、この本の内容は、バッヂ博士著・佐伯好郎訳補『元主忽必烈が欧州に派遣したる景教僧の旅行誌』(待漏書院、1937:春秋社松柏館、1943)に、附録として収録された。そのタイトルは、「支那の景教に就て――外務省文化事業部に於ける講演」である。
 本日以降、その佐伯講演の内容を紹介してみたい。なお、便宜上、『元主忽必烈が欧州に派遣したる景教僧の旅行誌』の春秋社松柏館版に載っているものを典拠とした。

     支 那 の 景 教 に 就 て
      ――外務省文化事業部に於ける講演――   佐 伯 好 郎

 私が只今御紹介を戴きました佐伯と申すものであります。茲で愚見を開陳して御清聴を煩はしますことを実に光栄に存じます。併し私の研究もまだ全く纏まつては居りませぬ。がたゞその概略を申上げたいと思ひます。先づ第一に景教とは何かと云ふこと即ち景教全般に付て申上げましよう。而して殊に支那に於ての景教のことをその次に申上げ更に又一体過去に於て景教徒が全世界に於て幾何位あつたか、又現今はどの位居るか、最後にこの景教がどういふ訳で今日は殆んど跡方を留めなくなるまでに亡んでしまつたかと云ふ問題に言及したいと思ひます。而して結局東洋固有の精神文明とかの西洋の精神文明であるところのキリスト教とが過去に於て如何なる関係であつたか、現在に於てはどうなつて居るか又た将来どうなつて行くものであらうかと云ふことまで考へて見たいと思ふて居ります。是には勿論色々の研究方法があることです。併し西洋の精神文明の土台になつて居るところの西洋の基督〈キリスト〉教そのものを支那に伝来した景教の立場から観察するのが最も有益ではないでしようか。言葉を換へて申しますと、御承知の如くキリスト教はローマ領の猶太〈ユダヤ〉に起りローマ帝国内に伝播〈デンパ〉した。そしてギリシヤ文明といふものは最初はキリスト教の強敵であつたのですが、後にはそのギリシヤ文明がキリスト教に入つて今日のキリスト教の教理や神学となつたのです。畢竟ローマ帝国の法律学と希臘〈ギリシャ〉の哲学とがこのキリスト教といふものを非常に強大にしたのであります。是がキリスト教とギリシヤ哲学との関係の一面であります。併し同じキリスト教でありますところの景教が支那に伝来しまして、そして支那の儒教、それから老荘の教〈オシエ〉、又は仏教と対立関係になつて居つたのであるが、その結果は一体どうなつたかと云ふ様な問題は大に研究の価値あるものと存じます。丁度ギリシヤ哲学やローマ法学がキリスト教に入つたやうに、キリスト教である景教の中に支那の思想が入りはしなかつたのか、それともその反対に景教即ちキリスト教が支那の思想の中に吸収されてしまつて丁度西洋に於ける基督教と正反対の結果になつたのではないか、若し果してかくの如き正反対の結果になつたと致しますれば更にどういふ訳でさうなつたかといふやうな六ケ敷〈ムツカシイ〉問題を中心として支那の景教を考へて見たいのであります。〈附録17~18ページ〉【以下、次回】

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