礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ラジオが正午重大発表があるという(高見順日記)

2024-07-02 01:25:09 | コラムと名言

◎ラジオが正午重大発表があるという(高見順日記)

 本日も、井上ひさし他著『八月十五日、その時私は……』(青銅社、1983)からの紹介。
 本日は、高見順(たかみ・じゅん)の「高見順日記(抄)」を紹介する。これは、『高見順日記』のうち、「八月十五日」とあるところである。

  高見順日記(抄)    高 見 順

 八月十五日
 警報。
 情報を聞こうとすると、ラジオが、正午重大発表があるという。天皇陛下御自ら御放送をなさるという。
かかることは初めてだ。かつてなかったことだ。
「何事だろう」
 明日、戦争終結について発表があるといったが、天皇陛下がそのことで親しく国民にお言葉を 賜わるのだろうか。
 それとも、――或はその逆か。敵機来襲が変だった。休戦ならもう来ないだろうに……。 「ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね」
 と妻がいった。私もその気持だった。
 ドタン場になってお言葉を賜わる位なら、どうしてもっと前にお言葉を下さらなかったのだろう。そうも思った。
 佐藤正彰氏が来た。リアカーに本を積んで来た。鎌倉文庫へ出す本である。
 上って貰って話をした。点呼のあとで佐藤君は頭髮が延びかけだ。――敵が上陸してきたら、坊主刈は危い、そんな笑い話があったのが思い出される。点呼の話になって、
「海軍燃料廠から来た者はみんな殴られた。見ていて実にいやだった」
 と佐藤君がいう。海軍と陸軍の感情的対立だ。
「誰が一体殴るのかね」
「点呼に来ている下士官だ」
 私はその場にいなかったのだが、想像しただけで、胸に憤りがこみあげた。なんという野蛮! 
「外国でも、軍隊というのは、こう理不尽に殴るものなのかね」
「いや、殴るのは外国では禁止されているはずだ」
 日本では理不尽な暴行が兵隊を結局強くさせるといわれている。
「あれを見てからいよいよ、兵隊に入るのがいやになった」
 と佐藤君はいった。私は従軍で、軍隊の内部を知っているから、いやというよりむしろこわい。兵隊に取られるのがこわかった。
 十二時近くなった。ラジオの前に行った。中村さんが来た。大野家へ新田を呼びにやると向うで聞くという。
 十二時、時報。
 君ヶ代奏楽。
 詔書の御朗読。
 やはり戦争終結であった。
 君ヶ代奏楽。つづいて内閣告諭。経過の発表。
 ――遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。
 夏の太陽がカッカと燃えている。眼に痛い光線。
 烈日〈レツジツ〉の下に敗戦を知らされた。
 蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。
「さよなら」
 佐藤君は帰って行った。明日、奥さんの疎開先へ行くという。当分帰ってこないという。
「おい」
 新田が来た。
「よし。俺も出よう」
 仕度をした。
 駅は、いつもと少しも変らない。どこかのおかみさんが中学生に向って、
「お昼に何か大変な放送があるって話だったが、何だったの」
 と尋ねる。中学生は困ったように顔を下に向けて、小声で何かいった。
「え? え?」
 とおかみさんは大きな声で聞き返している。
 電車の中も平日と変らなかった。平日よりいくらか空いている。【以下、割愛】

 1945年(昭和20)8月15日は、いわゆる「八・一五事件」(宮城事件ともいう)のために、NHKラジオの放送開始が遅れた。放送は、午前7時21分に始まったとされるが、高見順は、この異変には気づかなかったようだ。
 正午の時報のあと、君が代奏楽、昭和天皇の詔書朗読、君が代奏楽、内閣告諭、経過の発表と続いたとあるが、ほぼ史実の通りである。

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