礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本国民のみなさん、日本の天皇は……(米軍ビラ)

2024-07-18 03:17:38 | コラムと名言

◎日本国民のみなさん、日本の天皇は……(米軍ビラ) 

 角川文庫『八月十五日と私』(1995)から、小松左京の「昭和二十年 八月十五日」を紹介している。本日は、その二回目。

 だが、八月十三日、十四日と、二日つづけて、不思議千万にも、あれほど熾烈だった空襲がなかった。警戒警報は何度も鳴ったが、侵入してくるのはたいてい一機、それも、伝単(ビラ)をまいて行くだけだった。「敵の謀略直伝」であるビラはひろう事を厳禁されていた。ひろってもっていたために、憲兵隊にひっぱられたやつもいた。しかし、誰も彼も、そのビラを一度は見た事があり、その内容が、「日本国民のみなさん、日本の天皇は、ポツダム宣言をうけいれ、無条件降伏を申し入れました」といったものである事は、誰もが知っていた。そして八月十四日、翌十五日に、「重大放送」がある、という情報がつたわってきて、それはかえって、「敗戦」の、噂をうち消してくれるものとうけとられていたのである。
 十五日の朝になって、「重大放送」が「陛下の玉音」である事がはっきりすると、みんなは、ほんの少しばかり興奮した。
「いよいよ本土決戦やな」
 と変にうれしそうにいうやつもいた。
 いつもより十分早い、午前十一時五十分に作業は終わり、私たちは工場の中央のラジオの所に集まった。私のいる罫書【けが】き班は、ラジオに一番近かったので、一番そばに陣どれた。――いよいよはじまった「陛下の玉音」を、みんなはコチコチになってきいた。何しろ、天皇陛下は、子供のころ「御真影〈ゴシンエイ〉をじかに見ると眼がつぶれる」とおどかされた「現人神【あらひとがみ】」であり、その玉音が、ラジオできけるなどという事など、あり得ようとは思えなかったからである。
 しかし、必死になってききとろうとしても、ラジオも悪く、そのカン高い、節のついた言葉はどうにもききとれず、ただ「ポツダム宣言」という言葉と、「たえがたきをたえ」という言葉しか理解できなかった。ついに何もわからずじまいに放送が終わると、担任の教師は大感激して演説をぶった。
「ただいま陛下は、もったいなくもおんみずから、ポツダム宣言を離脱したといわれた。われら陛下の玉音にしたしく接したこの感激を身に帯し、ますます一億一心、尽忠報国の意気にもえ、聖戦の完遂にむかって邁進すべきである。天皇陛下万歳!(ここでみんな万歳三唱)――ただちに午後の作業にかかれッ!」
 歳とった工員は、感激のあまり涙をながしていた。ほかの連中も、何となくわりきれない顔をしながら、職場へかえっていった。【以下、次回】

 いわゆる玉音放送には、「共同宣言」という言葉はあったが、「ポツダム宣言」という言葉はなかった。そのあとに放送された「内閣告諭」では、そのいずれもが使われていない。その後さらに、放送員により、ポツダム宣言が読み上げられたので、そこでは「ポツダム宣言」という言葉が使われたはずである。ただし、多くの日本人は、それ以前の報道によって、「ポツダム宣言」という言葉やその内容は、把握していたと思われる。
 神戸第一中学校の勤労学徒とその引率教師は、おそらく、この放送を最後まで聞いていたのであろう。それにもかかわらず、引率教師は、「ポツダム宣言を受諾」を「ポツダム宣言を離脱」とカン違いした。そして、少なからぬ工員や生徒が、その教師のカン違いを受け入れたのであった(小松左京もそのひとり)。

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