礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

民衆の恥知らずなしぶとさ、したたかさ、狡智

2024-07-15 04:03:56 | コラムと名言

◎民衆の恥知らずなしぶとさ、したたかさ、狡智 

 角川文庫『八月十五日と私』(1995)の紹介に戻る。本日は、作家・夏堀正元(なつぼり・まさもと、1925~1999)の「非国民二等兵」を紹介したい。ただし、紹介するのは、その「抄」である。

 非国民二等兵        夏 堀 正 元

 一九四五年八月十五日を、わたしは弘前陸軍病院の大滝温泉療養所で迎えた。秋田県の花輪線にある静かな山中の温泉場で、米代川〈ヨネシロガワ〉のほとりにある。大学時代、文学書や哲学書ばかり耽読していたわたしのなまくらな身体は、かつて〝八甲田山・死の行軍〟で知られた第八師団の猛訓練に耐えられず、重度の肋膜炎になっていたのである。学徒兵だったわたしは二等兵として酷使され、演習のほかに空襲に備えて連日のように不慣れな壕掘りをさせられて、とうとう発病してしまった。もっとも、古い三八式歩兵銃すらも不足し、ときには弾丸のでない模擬銃をもたされたことがあるから、猛訓練の演習といっても、どこか兵隊ごっこの感があった。そんなわけで、初年兵にとっての最大の仕事は、むしろ過酷な壕掘りにあったといえるような具合だったのである。
 わたしが弘前の部隊に入隊したのは、おなじ年の三月二十五日、そして六月中旬には発病して陸軍病院に入院する羽目になったのだから、甲種合格としては情ない話であった。だが、右肋膜炎は千五百CCの水を取ったものの、なかなかよくならず、その後もずっと熱がつづいて、米軍機による本土空襲が激しくなると、大滝温泉に移送されたのである。
【中略】
 それにしても、八・一五の敗戦は、わたしの確信ですらあった。その二年前の十八歳の日記に、こう書いている。
「この戦争は、絶対に負けなければならない。もしも日本、ドイツ、イタリアの枢軸側が勝利したら、世界は狂熱的なファシズムの毒を撒き散らす三つの獣性国家によって支配され、精神の自由は盲目の帝国のなかで圧殺されるだけである。いまこそ、精神の自由のために日独伊は負けるべきなのである」
 したがってその日、わたしは敗戦の事実を冷静な歓びのなかで受けとめていた。
 わたしが弘前の原隊に帰ったのは、それから半月後の九月一日であった。部隊はまだ解散せず、兵舎も、内務班の顔ぶれも元のままであった。
 しかし、わたしの身辺では、驚くべき変化が起った。「非国民!」「不良学徒兵!」「貴様なんか早く第一線にでて、くたばりやがれ!」とわたしを罵倒し、上靴で顔がみるみる変形するほど殴打をくりかえしていた班長をはじめ兵長、上等兵、古兵たちの態度が、掌〈テノヒラ〉を返したようにガラリと変ったのである。まだ微熱がつづいて、班内の所定の二等兵の寝床に横たわったり、坐りこんだりしているわたしに、彼らはまるで上げ膳据え膳の大サービスを始めたのだった。
 なかには、わたしの下着から褌〈フンドシ〉まで無理矢理脱がせた、いかつい顔の大男の兵長などは、そこにぎっしりとついているシラミとその卵を丁寧につぶし、ときには前歯でシラミを殺してくれたほどである。むろん、温泉でふやけたわたしの肌をところかまわず刺しつづけた南京虫退治もしてくれた。
 わたしは啞然とした。薄気味がわるかった。「いったい、どうしたというんですか」と、彼らの想像もつかなかった突然の親切の理由を訊いた。
「貴様は――いや、あんたは日本が負けると予言していた。それも八月なかばだ、と見事 にいいあてた。まるで神業だ。これからの日本は、あんたのような ひとのものだ。あんた は絶対に偉くなるよ」
 農民あがりの兵長は、ほとんどへつらいの色もみせず、ケロリとした表情でいって、ハ、ハ、と笑った。 
【中略】
 生れてはじめての屈辱的な制裁をわたしに加えたそのおなじ連中が、敗戦直後のいま、「これからは、あんたの世のなかだ」といって、わたしのシラミまで食いつぶしてくれている。彼らのほとんどは県下の農村出身者であり、商人であり、職人であり、サラリーマンであった。なかには銀座でバーテンダーをしていたというヤクザっぽい上等兵もいた。
 彼らはみな、わたしを殴ったことすらなかったかのように、平然と豹変した。時と場合に応じてあっさりと心変わりする人間というものが、ほんとうに怖ろしい生きものであると知ったのは、このときである。民衆はオポチュニストである、と切り捨ててしまうことは易しい。だが、彼らはオポチュニズムをとおして、あわよくばなんらかの権力を手に入れようとするエセ知識人とは違う。彼らは移ろう権力にたいして逆らおうとしないだけなのだ。褌や下着のシラミを取ってもらいながら、わたしは日本の民衆の恥知らずなしぶとさ、したたかさ、狡智に、頭をどやしつけられた思いだった。
 そのとき、わたしは一種の戦慄を覚えていた。それは人間(民衆)にたいする畏怖の念というべきものであった。これにくらべれば、粗野と卑劣と虚偽と喧嘩と醜悪が渦巻いている軍隊の、日常的な恐怖などは、どこかつくりものめいていた。【以下、割愛】

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