◎私と同じ気分の検事を差し向けるから(宮城長五郎)
昨日のコラムで、宮城長五郎(みやぎ・ちょうごろう、1878~1942)という人物に言及した。
宮城長五郎には、『法律善と法律悪』(読書新報社出版部、1941)という著書がある。当ブログでは、「血盟団・井上日召検挙までの経緯に疑問あり」と題した2015年7月1日の回、および、「井上日召、検事正室に出頭す(1932・3・11)」と題したその翌日の回で、同書を紹介したことがある。
その両回で紹介したのは、同書の第二篇「法律放談」にある「法道一如」というエッセイの一部であった(135~141ページ)。本日は、同じエッセイから、それに続く箇所(142~143ページ)を紹介してみたい。
○○○〔井上昭〕は、
「新聞では私を罪人扱いにしてゐるのでその為出頭した」
と申した。私は、
「君は日蓮信者であったな」
と問うと、
「左様です」
と答えた。私は、
「法国一如」
と一唱した。それを聞いた○○○は恭しく頭を下げました。こゝで三人の間に和気が流れ、随行〔本間憲一郎〕も腰を下し、私は○○○に、
「これまで支那や満洲でお国のためにつくされたと云ふが、色々苦しいこともあつたらうね」
と、話しを支那、満洲に転じ三十分位談笑して居りました。そこへ棚町〔丈四郎〕次席検事が仕度が出来ましたと云つて来た。既に談笑によりお互ひになごやかになつたときなので、
「君是れを見て呉れ給へ、此の通りの書類を一一眼を通さねぱならぬ。ゆつくり話しがしたのであるが、それが出来ぬのは遺憾であるが、私と同じ気分の検事を差し向けるから、ゆつくり話しを聞かせて呉れないか、それに御覧の通り検事局は雑沓して、落付けないが、警視庁に静かな部屋があるから、そこで検事に遇つて呉れまいか。その検事は木内〔曽益〕と云ふ少壮検事である」
と申しました処、
「承知しました」
と云ひ、検事局の裏口から警視庁にその指廻はし〈サシマワシ〉の自動車で送り込み、検事を直ちに遣つて取調べさせた。それで血盟団の検挙は完了したのであります。
その時口から出た「法国一如」から法道一如と云ふ言葉が出て来たのである。【以下、略】
宮城長五郎検事正は、検挙する側でありながら、検挙された井上日召(昭)に対し、異様に気を使い、井上および随行の本間憲一郎と「談笑」しようとさえ努めている。
また、取調べを担当する検事として、「私と同じ気分」の者を選んでおいたと言って、井上を安心させようとしている。どう考えても、テロル集団の首魁に臨む検察側の態度ではない。ただ、その時代の「空気」を感知できる、貴重な史料であるとは言える。