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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

新川猛さんとホンダ1300

2024-02-10 04:30:04 | コラムと名言

◎新川猛さんとホンダ1300

 今から六年ほど前のことになるが、当ブログに「松任谷正隆氏とホンダN360」というコラムを書いたことがある(2018・3・5)。その最初の部分を再掲してみる。

 雑誌『JAF Mate』第五六巻第二号(二〇一八年二・三月号)に、松任谷正隆氏の「初ドライブの話」というエッセイが載っていた。文章は巧み、話題も興味深く、楽しく読ませていただいた。
 エッセイによれば、氏は、一六歳のとき、「調布のほうにある自動車教習所」で軽自動車の免許を取ったという。この「調布のほうにある自動車教習所」というのは、たぶん、今でも調布市菊野台にある「調布自動車教習所」のことであろう。教習車は、マツダ・キャロルだったという。
 そのころ、軽自動車限定の免許というものがあったことは、よく覚えている。高校一年の時、同級生にフトン屋の息子がいて、彼の運転するスズキの軽に載せてもらった記憶がある。このころ、軽の免許は、一六歳から取得できたが、実際に取る人というのは、そう多くなかったと思う。中卒で仕事に就いていて、仕事上、車を運転する必要があった若者、家計に余裕があり、軽自動車を買ってもらえるような高校生、などに限られていたと思う。
 松任谷氏の場合、家にマイカーはなかったようだが、高校生の息子が免許を取るのを許してくれたというのであるから、家庭的には、やはり、めぐまれていたのであろう。
 エッセイによれば、氏の免許取得を、一番よろこんでくれたのは、「新川クリーニング」のお兄さん(御用聞き)だったという。この「新川クリーニング」というのは、たぶん、今でも杉並区高井戸西にある「新川クリーニング商会」のことであろう。

 本年に入って、『JAF Mate』第62巻第1号(2024年冬号)を手に取ると、巻頭に、松任谷氏の「クルマ好き」というエッセイが載っていた。その書き出しは、こうである。

 新川クリーニングが亡くなった。と書いても何のことだかわからない人もいるだろう。新川クリーニングのオヤジ。この連載の最初には新川クリーニングのお兄さんだったが、それがだんだんオヤジになり、最後はおじいさんだった。最後くらいちゃんと書こう。本名は新川猛さん。僕に一番初め、刷り込みを与えたクルマの先生である。

 松任谷正隆氏にとって「クルマの先生」であった「新川クリーニングのお兄さん」。その本名は、新川猛さんである。松任谷氏は、2023年6月ごろ、新川さんが店をたたまれたと聞いた。しばらくしてから電話してみると、奥さんが出て、「昨日がお葬式だった」と言われたという。
 エッセイのイラストには、ホンダ1300のセダンが描かれている(藤井紗和・絵)。ホンダ1300は、本田技研工業が1969年から販売した四輪車。ホンダにとっては、最初の普通自動車である。空冷で、フロントエンジン・フロントドライブだった(これらの点は、ホンダN360と同じ)。若き新川猛さん(新川クリーニングのお兄さん)は、そのホンダ1300の「99シリーズ」(四連キャブタイプ)を新車で購入し、意気揚々とされていたという。

*このブログの人気記事 2024・2・10(8位の絞首は久しぶり、9・10位に極めて珍しいものが)

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