◎頭山満邸の家宅捜索を決定したが……
木内曽益『検察官生活の回顧(再改訂版)』(私家版、1968)から、「あの人この人訪問記(再改訂版)」の一部を紹介している。
本日は、その二回目で、「大川周明逮捕の顚末」の項に続く、〝空巣狙いはやらぬ〟の項を紹介してみたい。
〝空巣狙いはやらぬ〟
私は、大川周明を逮捕起訴後も引き続き横須賀海軍刑務所に行つて、古賀〔清志〕中尉らについて背後関係の取調をしたのですが、その結果古賀は、大川の他に、頭山満〈トウヤマ・ミツル〉翁の三男天行会〈テンコウカイ〉長の頭山秀三〈トウヤマ・ヒデゾウ〉と紫山塾〈シザンジュク〉頭の本間憲一郎にも頼み、五・一五事件に使用した拳銃の内五挺及び実弾一五〇発を頭山邸内で同人からもらいうけたことを自供した。それで、先ず本間憲一郎を逮捕したが、同人もこの間の事情を一切自白したので、いよいよ頭山秀三逮捕の段取りとなつたのです。
さきにも言つたが、頭山秀三は渋谷区常盤松町〈トキワマツチョウ〉の父君頭山満翁の邸内に天行会の道場を設けてこれを主宰していて、井上日召〈イノウエ・ニッショウ〉もこの道場に潜伏していたことがあるが、当時警視庁でも中々手入れが出来なかつたような次第でした。しかし、いかに治外法権的存在である頭山翁の三男とはいえ、事ここに至つては検挙しないわけにはゆかない。一方、警視庁の幹部も、前に述べたように交替しており、当時は、藤沼〔庄平〕総監を始め橋本〔清吉〕刑事部長も、異常な決意をもつて五・一五事件の後末をしようと努力しておられたので、事件処理については私としても非常にやりよくなつていたのです。
そこで、〔1932年〕十月二十五、六日頃を期して頭山秀三を検挙すると同畤に、頭山翁邸の家宅捜索を決行することにしたので、予め〈アラカジメ〉秀三が頭山邸内におるかどうかを内偵して見ると、秀三は最近結婚して頭山翁と別居し、現在は杉並の方に新居を構えておることがわかり、また頭山翁は、御殿場に行つておつて渋谷の本邸にはおらないことがわかつた。
一部では、翁が不在なのはもつけの幸であるから翁の不在中に決行する方が翁にも傷がつかす、また都合もよいという意見の人も相当あつた。しかし、私は、
〝頭山翁の不在を知らなかつたのならば兎も角〈トモカク〉、不在と知つてその留守中に家宅捜索をしたとあつては、検察当局が翁の威力に恐れをなして空巣狙いをしたと思われ、却つて検察の威信にかかわる問題だから、私は空巣狙いはやらぬ〟といつて断乎として反対したわけです。
私がさきに井上日召が頭山邸内の天行会道場に潜伏していたとき頭山邸の捜索を主張したのも、法によらざる治外法権的存在のために法を曲げることは許すべからざることで、法の威信の上からも、検察の使命の上からも、断乎として頭山邸を捜索しても日召を逮捕しなければならないという信念の上に立つての主張であつたのです。こんどの頭山秀三の検挙はもちろん、頭山翁の邸内で何回かにわたり拳銃や実弾の授受が行われている以上、同邸内の捜索も亦当然のことである。その意味において、このたびも頭山邸の捜索を主張したものですが、しかし空巣狙いはこれまた私の信念に反するものであるから反対したのであつて、結局空巣狙い的捜索は取り止めとなりました。
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