礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

荒木貞夫と「皇道派」という呼称

2023-02-23 03:59:28 | コラムと名言

◎荒木貞夫と「皇道派」という呼称

 荒木貞夫は、「皇道派の重鎮」と呼ばれることがある。この「皇道派」という呼称は、荒木貞夫が好んだ「用語」に由来するともいう。
 ウィキペディア「荒木貞夫」の冒頭部分を引用してみよう。

皇道派(こうどうは)は、大日本帝国陸軍内に存在した派閥。北一輝らの影響を受けて、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し、対外的にはソビエト連邦との対決を志向した。
名称と概説
名前の由来は、理論的な指導者と目される荒木貞夫が日本軍を「皇軍」と呼び、政財界(皇道派の理屈では「君側の奸」)を排除して天皇親政による国家改造を説いたことによる。
皇道派は統制派と対立していたとされるが、統制派の中心人物であった永田鉄山によれば、陸軍には荒木貞夫と真崎甚三郎を頭首とする「皇道派」があるのみで「統制派」なる派閥は存在しなかった、と主張している。

「皇道派」という呼称は、理論的な指導者と目される荒木貞夫が日本軍を「皇軍」と呼んだことに由来するとしている。はたして、この説に、根拠はあるのだろうか。
 ここで、歴史学者・長谷川亮一さんの論文「十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策」(二〇〇七年三月)の一部を引用させていだだこう。

 ところが、1930 年代に入るころから「皇国」の語が盛んに用いられ始める。とりわけ早くから「皇国」を用いていたのが陸軍省であった。たとえば、1933年3月27日、国際連盟脱退にあたって荒木貞夫陸相(在任1931年12月~1934年1月)が垂れた訓示には、その書き出しでこそ「大日本帝国」という表記が用いられているものの、「今ヤ挙国皇国道義ノ意識ニ甦生シ」「皇国ノ自主愈々茲ニ確定シ」「内ニ皇国ノ面目ヲ発揮シ」などといったように、「皇国」が盛んに用いられている(141)。なお荒木は「皇道」「皇軍」「皇謨」「皇威」「皇猷」など、他にも「皇」の字を冠した熟語を多用したことで知られている(142)。
 また陸軍省は、『日露戦後二十八年 皇国は太平洋時代の軸心に立つ』『国際輿論を通して観る皇国日本の立場』(ともに1934年3月発行)(143)といったパンフレットで「皇国」を盛んに用いている。「陸軍パンフレット事件」で悪名高い『国防の本義と其強化の提唱』(1934年10月発行)(144)においても、日本の自称としてはもっぱら「皇国」が用いられている。
 同時期には民間右翼などにおいても、「帝国」を排除し「皇国」を使用すべきだとする主張が強く唱えられた。たとえば大本教の聖師・出口王仁三郎【おにさぶろう】(1871~1948)は、自らの主宰する右翼団体「昭和神聖会」の機関誌『神聖』誌の1934年11月号において、日本には「天皇はあつても皇帝はいない」のであり、天皇は「外国の皇帝や王や、その他の主権者とは根柢から尊卑の区別が違ふ」とし、さらに「帝国議会」は「皇国議会でなければなら」ず、「帝国憲法は皇国憲法でなければならない」と主張している(145)。〈三一ページ〉

 長谷川亮一さんの論文「十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策――いわゆる「皇国史観」の問題を中心として」は、インターネットから引用した。非常に優れた論文だと思った(千葉大学に提出した博士論文のようである)。
 荒木貞夫が、「皇道」、「皇軍」、「皇国」といった熟語を好み、これを多用していたことは、間違いない事実である。しかし、そのことを以て、「皇道派」という呼称が、荒木貞夫に由来するとまでは言えない。また、そのことを以て、荒木貞夫を「皇道派」の理論的指導者と捉えるわけにもいかない。長谷川さんの論文にも、もちろん、そういった趣旨の指摘はない。
 長谷川亮一さんには、『「皇国史観」という問題――十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策』(白澤社、二〇〇八年一月)という著書がある。おそらく上記の論文を基にしたものであろう(両者の異同は確認していない)。
 なお、今回、引用させていただいた部分に関しては、以下の「註」が対応している(一一六ページ)。

(141) 『各種情報資料・陸軍省発表』「訓示」(国立公文書館蔵、JACAR ref. A03023787900)。
(142) 秦郁彦『軍ファシズム運動史』増補再版(河出書房新社、1972年。初版 1962年)73頁、高橋正衛『昭和の軍閥』(講談社学術文庫、2003年。初版 1969年)243頁。
(143) 『大日記乙輯』昭和9年「「昭和8年に於ける関東軍の行動に就て」及「皇国は太平洋時代の世界軸心に立つ」発行の件」(防衛庁防衛研究所蔵、JACAR ref. C01006571200)、同「「国際輿論を通して観る皇国日本の立場」発行の件」(JACAR ref. C01006572000)。
(144) 「『大日記乙輯』昭和9年「国防の本義と其強化の提唱」発行の件」(JACAR ref. C01002049000)。
(145) 出口王仁三郎「肇国皇道の精神」(池田昭〔編〕『大本史料集成 II 運動篇』三一書房、1982年、所収)721~722頁。

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