礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

さすがは世界の大勢に通じた伊藤公だ

2023-02-04 00:01:07 | コラムと名言

◎さすがは世界の大勢に通じた伊藤公だ

 清水伸の『維新と革新』(千歳書房、一九四二年四月)から、「金子堅太郎伯に維新をきく」の章を紹介している。本日は、その三回目。

      憲法を制定した理由いかん 
 さて維新史の沿革をお話すると長いことになるから簡単に申上げます。維新史の発端といふと遠く水戸義公〔徳川光圀〕の大日本史、〔頼〕山陽の日本外史、北畠親房〈チカフサ〉の神皇正統記〈ジンノウショウトウキ〉等が余程影響してゐる。私が維新史を書かんならん必要を感じたのは話せば長いのであるが、明治廿二年〔一八八九〕に憲法発布のことあり、翌廿三年〔一八九〇〕には第一議会を開かんならんことになつた。そこで憲法は出来たけれども議院の組織、政府と議院との交渉即ち議案の配布とか速記録のことその他内部の組織は日本では分らないので、私に欧米の議会政治、議院組織などを視察して来いといふことになり、その結果により日本の議会を組織し憲法を運用しようとのことで、私は四人の随行を連れて廿二年の六月に東京を立つた。
 かれこれ欧米を一年ばかり廻つたが、行くについて昼夜兼行で憲法の英訳本を作り、これを持つて行つた。それは伊藤〔博文〕公の憲法義解を英文に翻訳したもので、欧米の政治学者にその英訳本を見せて、忌憚なき批評を頼み、こちらの忌憚なき意見をも述べて批判を頼むといふわけであつた。それについて私の一番感じたことは渡英中のことでしたが、オツクスフオード大学の教授で世界に名高い政治学者ダイシイ〔Albert Venn Dicey〕、アンソン〔Sir William Anson〕、それにかねて懇意であり進化論を書いたハーバ一ト・スペンサー〔Herbert Spencer〕、――この三人と憲法について話をしたが、ダイシイ、アンソンの両人は、
 「流石は世界の大勢に通じた日本一の伊藤公だ。英国の欠点も、ドイツの欠点も、米国の欠点も、みな欠点は除いて、いいところだけを日本の憲法に採用してゐることは伊藤公の卓見である。我々がもし新たに建国する国があつて憲法を書いてくれと頼まれてもこれ以上には書けない。実によく出来てゐる。」
といふのでしたが、唯一つ、
 「この憲法は分つたけれども、何のために明治政府が議会を開くのか私共には分らない、聞くところによれば日本は紀元二千五百年といふ、えらい国ではないか、その間政治をしてゐたに相違ないから、王政維新になつたからといつてもそのまゝ政治をやつて行けばいゝやうに思ふ、何のために憲法政治をやるのか、アメリカでも手古摺つて〈テコズッテ〉ゐる位新しい憲法政治である……」
とダイシイ、アンソンは言ふ。そこで私は説明した。……日本は世界の大勢に迫られて開国進取の方針にならなければならぬ、それがために幕府と勤王党に分れて戦争をした。明治新政府が出来て、それまで二千五百年の間日本は人民は依らしむべし知らしむべからずといふ風であつたが、幾分なりと国民が政治に参画せにやならぬのが世界の大勢である、そこで 明治天皇は五ケ条の御誓文を下され、その中に「広ク会議テ起シ万機公論ニ決スベシ」と仰せられた。これによつて憲法政治の日本に行はるべきことが分るではないか。……それから色々維新になる理由も説明した。【以下、次回】

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