礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

重荷を下したと思ふと気抜けが致しまして(金子堅太郎)

2023-02-03 04:34:07 | コラムと名言

◎重荷を下したと思ふと気抜けが致しまして(金子堅太郎)

 清水伸の『維新と革新』(千歳書房、一九四二年四月)から、「金子堅太郎伯に維新をきく」の章を紹介している。本日は、その二回目。

     一、憲法を生かすための維新史

      維新史の完成とその発端
○清水 私は今度文部省で編纂された概観維新史を拝見して非常な感激を覚えました。史観や文章などはとに角として、あの中に書かれてゐる幾多忠勇なる志士の活動や事蹟により、特に国家総力戦下の国民は鼓舞激励されるところ大なるものがあると思ひます。殊に維新の史実の中に盛り込まれてゐる國體の精華――國體の正義に日本を復活せしめんとして蹶起した青年志士たちの挺身的活動、ならびに建設期の諸士の動きが手にとるやうに書かれてゐる。今度御完成になつた維新史はそれを更に十分突込まれた形のものと、公刊の完成を期待してゐますが、この維新史をお作りになつた動機とか、色々御苦心なさつた点などを先づ承りたいと思ひます。
○金子伯 申上げればなかなか長い話でありますが、ごく掻いつまんでお話致しませう。概観維新史は既に十二版になつてゐるが、維新史を書く前にその中から要領を引抜いて、維新 の御代に 明治天皇が如何に御苦心遊ばされたか、又三条〔実美〕・岩倉〔具視〕・木戸〔孝允〕・大久保〔利通〕・西郷〔隆盛〕などといふ元勲が如何に苦心されたか、それを受け継いだ伊藤〔博文〕・山県〔有朋〕・黒田〔清隆〕・松方〔正義〕などの元勲が如何に活動されたか、その事実をありのまゝに筆者の評論を下さずに叙述し、中学程度の教育を受けた人なら読めるやうに平易に書いて、一般国民に知らせたいために一冊の本に纏めたのが概観維新史であつて、国民的の明治維新の歴史であります。大変世の人々が熱望して読んでくれて十二版売切れてしまつて、十三版を要求することになつた。今日お話しようとする維新史は主として学者の参考及び政治に力を尽す人の読むもので、五巻であります。
 この五巻とうに出来ることになつてゐたが、昨年〔一九四〇〕二月私は大患に罹つて三週間殆ど絶望状態であつた。そこで私はこれで死んだならば明治維新史は山県や伊藤・井上〔馨〕の元勲の生きてゐる時に作らうと思つてをつたのに、それらの人は皆亡くなつてしまひ、記録に纏めるやう委嘱された私も終りを完う〈マットウ〉することが出来ぬと思つてゐた。幸にあの大患も奇蹟的に恢復したので、私の生きてゐるうちに是非にと思つて、今年〔一九四一〕の八月一杯には完成するやう去年の暮から編纂官を督励し、随分無理なことをしました。さう激励されては皆神経衰弱になつて殪れて〈タオレテ〉しまふといふのでしたが、私はこの事業は一生の仕事だ、明治元動の委嘱である、諸君が神経衰弱にならうと構はぬと叱りつけて参つたが、幸に八月の廿日に出来上りまして、九月廿五日に参内完結を上奏申上げたのであります。私もこれで明治天皇の御嘱意を貫徹し、明治元勲の遺志にも報ひ、責任解除といふか、重荷を下した感が深く、皇恩の万分の一にも報いられたと思ひます。重荷を下したと思ふとパタツと気抜けが致しまして、こゝ二週間ばかり湯治して帰らうと思つてゐます。【以下、次回】

 ここでいう「概観維新史」とは、維新史料編纂会編『概観維新史』(維新史料編纂会事務局発行・明治書院発売、一九四〇年三月)のことである。
 また、「維新史」とは、維新史料編纂会事務局編『維新史』全五巻・附録一巻(維新史料編纂会事務局発行・明治書院発売、一九三九~一九四一)のことである。

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