◎それでは自分が意見をいふ(昭和天皇)
雑誌『自由国民』第一九巻二号(一九四六年二月)から、迫水久常の「降伏時の真相」を紹介している。本日は、その九回目。
八月十日午前二時
三対三の激論に聖断下る
一体近来の御前会議は、私に言はせれば、一つの儀式であるといつてもよい。政府なり、統帥部なり或は其の両者の協議によつて決定したことを陛下に奏上する一つの特別な形式といつてもよいと思はれる。即ち予め列席者の発言内容は打合せられ、筋書きの通りに運んで司会者より一同の意見一致を宣するのである。陛下が御発言あらせられることは殆ど全くないといつてもよく、私が内閣参事官当時には、御前会議関係者は、どうしてその会議を会議らしくするかに苦心してをつたかを目撃してゐる。然し今度の会議は、全く意見の対立したまゝに、各人の信ずる所を率直に披瀝するのであるから会議は終始緊張し、本当に御前会議らしい御前会議であつた。
陛下も御熱心に耳を傾けられ,深夜に拘はらず御疲労の色は拝されなかったが、御心配の御様子は唯天顔を拝するだけで涙が流れた。会議は総理を除く 六人の構成員が三対三をもつて依然として議纏まらず、翌八月十日の午前二時をすぎた。〔鈴木貫太郎〕総理大臣はそこで立つて『議を尽すことすでに数時間、なほ議決せず、しかも事態は遷延を許さず、かくなる上は甚だ畏れ多きことながら、これより私が御前に出て、思召を御伺ひし、聖慮をもつて本会議の決定としたき』旨を述べられて玉座の前に参進せられた。御前に参進した時の総理の姿は、今も私の眼前に彷彿するが、若き聖大子の前にある老宰相の姿は、真に麗しき君臣一如の情景であつた。鞠躬如〈キッキュウジョ〉といふ言葉の意味がはつきりとわかつた気がした。
陛下は、総理に対し、一応座に帰るべきことを仰せられ、やゝ体を起されたのち、それでは自分が意見をいふが、自分は外務大臣の意見に賛成すると仰せられた。蓋しポツダム宣言を無条件に受諾すべき旨を諭されたのである。聖断は下つた。一同恐懼してゐる裡〈ウチ〉に陛下は語をつがれて、その理由を示しておかうと仰せられた。
何といふ畏れ多いことであらう、御言葉の要旨は我が国力の現状、列国の情勢を顧みるときは、これ以上戦争を継続することは日本国を滅亡せしむるのみならず、世界人類を一層不幸に陥るゝ〈オトシイルル〉ものなるが故に、この際堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍んで、戦争を終結せんとするものであるといふ主旨の御言葉であつた。この御言葉をそのまゝ、これを文語体として書改めたのが戦争終結の大詔の前段をなすものである。更に、陛下は陸海軍将兵の上に深き思召を垂れさせられ、戦死者、戦傷者、戦災者またその遺族に関し、御仁慈の御言葉があり、明治天皇の御事についても御言及遊ばされた。一同は唯感泣の中に御言葉を承つたのである。唯御言葉の中に、『戦争開始以来陸海軍のした所を見ると計画と実際との間には非常な懸隔のあることが多かつた。若し戦争を継続するに於ては、今後に於てもさういふ事態が起るのではないか』といふ意味の事があつたが私は竦然〈ショウゼン〉として襟を正したのであつた。【以下、次回】