礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

本土来冦を機として敵に大打撃を与ふべし(阿南惟幾)

2020-04-10 00:44:49 | コラムと名言

◎本土来冦を機として敵に大打撃を与ふべし(阿南惟幾)

 雑誌『自由国民』第一九巻二号(一九四六年二月)から、迫水久常の「降伏時の真相」を紹介している。本日は、その八回目。

 御前会議は、八月九日午後十一時三十分(実際は 約二十分遅れた)より宮中防空壕内の一室において親臨を仰ぐ最高戦争指導会議が開かれたのである。これが所謂第一回の御前会議である。列席者は本来の構成員たる〔鈴木貫太郎〕総理、陸海軍〔阿南惟幾、米内光政〕、〔東郷茂徳〕外務の各大臣、〔梅津美治郎〕参謀総長、〔豊田副武〕軍令部総長と特に列席せしめられた平沼〔騏一郎〕枢密院議長の外、幹事として〔迫水久常〕内閣書記官長、陸海軍省軍務局長〔吉積正雄、保科善四郎〕、池田〔純久〕内閣綜合計画局長官の四名が陪席した。陛下を始め、各構成員の手許にはポツダム宣言の仮訳文と当日午前の最高戦争指導会議に於て対立した二つの意見が甲乙両案として配布せられてあつた。会議は趑理大臣これを司会し、最初に私〔迫水久常〕がポツダム共同宣言を誼上げた。天顔に真に咫尺〈シセキ〉してあの宣言を読むときの私の心持、到底声を出すに忍びず、どうして読んだか、全く覚えない様である。
 それに引続いて、先づ〔東郷茂徳〕外務大臣が起つて一応の経過を説明し、この際は戦争を終結する最も好き機会であり、そのためには天皇の御地位即ち國體に変化なきことを前提として、ポツダム宣言を無条件に受諾する外なき旨を論旨正しく、言葉も明晰に述べられた。
 続いて〔阿南惟幾〕陸軍大臣は『私は外務大臣の意見に反対である』と前提して、今日なほ我が戦力は絶滅したわけではなく、敵の本土来冦を機としてこれに大打撃を与ふることは可能であり、その際に、又終戦の機会も与へらるべく、従つてこの際は、死中に活を求むるの気魄をもつて進むこと適当なるべしと述べ、併し若し乙案(条件付受諾)によつて終戦することが可能ならば、之に賛成するものなることを痛烈な口調をもつて述べられた。次いで米内〔光政〕海軍大臣は極めて簡明に外務大臣の意見に全く同意なる旨を述べられた。平沼枢密院議長は、陸海軍大臣をはじめ各員に対し、色々な事項について極めて詳細なる説明を求められた後、外務大臣の意見に同意なる旨を述べられた。〔梅津美治郎〕参謀総長及び〔豊田副武〕軍令部総長は、我が戦力をもつてして戦争は必勝を期する能はずとするも、必敗と定むべからず、玉砕を期して、一切の施策を果断に実行するに於ては死中に活を求め得べしと論ぜられた。【以下、次回】

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