礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ともかく陛下に御報告をして来る(鈴木貫太郎)

2020-04-08 00:53:34 | コラムと名言

◎ともかく陛下に御報告をして来る(鈴木貫太郎)

 雑誌『自由国民』第一九巻二号(一九四六年二月)から、迫水久常の「降伏時の真相」を紹介している。本日は、その六回目。

 宮中防空壕内の御前会議
      終戦に閣内の意見対立す
 私〔迫水久常〕は、事態斯なる〈カクナル〉上は鈴木〔貫太郎〕内閣がソ連を中継として戦争の終結を企画し、しかもそれが失敗に帰したのであるから、通常の政治常識からいふならば、この際総辞職をして、次の内閣の収拾を引継ぐべきであるが、一面新内閣の成立は数日を要すべく、その間の事態の推移によつては国家にとつて容易ならざる事態をも生ずる惧れがあるので、〔鈴木貫太郎〕総理大臣は如何せらるゝやと申上げたところ、総理大臣は、決然として、その場に来合せた〔東郷茂徳〕外務大臣をも、かへりみられて、この内閣で結末をつけることにしませう、といはれた。
 そこで私は然る〈シカル〉場合においては
 一、この際、ソ連邦に対する宣戦布告の詔を仰いで、玉砕を期して最後的な戦争段階に入るか
 二、あるひはポツダム共同宣言を受諾して、戦争を終結するか
の、そのいづれかを選ぶのほかなきも、この場合後者を選ばれて然るべしと考へる旨の意見を具申したに対し、総理は沈思せられて、兎も角〈トモカク〉参内して陛下に御報告をして来るといはれて参内せられた。外務大臣は、総理より一足前に参内して、一応の御報告を了せられたものと記憶する。
 九時ごろ総理は官邸に帰られて、私に戦争を終結する決心なる旨を告げられ、国家意思決定に必要なる諸般の手続をとるべきことを命ぜられた。よつてまづ第一に最高戦争指導会議を開催することに方針を決め、十時よりこれを開いた。最高戦争指導会議には、〔迫水久常〕内閣書記官長、〔池田純久〕内閣綜合計画局長官、〔吉積正雄〕陸軍省軍務局長、〔保科善四郎〕海軍省軍務局長の四名が幹事として陪席するのが例であつたが、この会議は極めて重大であり、構成員だけで充分討議せられて然るべしと考へたので、幹事はこれに陪席せざることとし、六巨頭のみをもつて前後三時間にわたつて論議せられた。私は連絡のため一、二回会議場に入つたが、その会議は極めて沈黙勝ちなる会議であつたやうに思ふ。【以下、次回】

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