◎古賀斌、太平洋戦争の敗因を論ず
書棚を整理していたところ、古賀斌著『戦争革命の理論――防衛中立の戦争社会学的研究』(東洋書館、一九五二)という本が出てきた。入手したのは、たぶん、三十年以上前だろう。
筆者の古賀斌〈タケシ〉については詳しくないが、軍事学に関する造詣は、相当なものがあるという印象を受けた。かなり専門的な本だが、私のような軍事学の初心者が読んでも、読めないことはない。むしろ、軍事学的な発想を理解する上での、入門書的な本と言えるかもしれない。文体に独特のクセがあるが、基本的には読みやすく、わかりやすい文章だと思う。
本日は、同書のうちから、第八章「国土防衛の諸問題」の「二 日本陸軍八十年の歴史」を紹介してみたい。
二 日本陸軍八十年の歴史
―― 太平洋戦争の敗因について ――
日本の太平洋戦争は、緒戦以来の、つぎからつぎへの侵攻作戦で、はなばなしい戦果をもたらしたということは一般国民の記憶になおあたらしく、たれでも、これを否定するものはないといつてもいい。にもかかわらず、中期以降、戦局がぎやくてんして防禦にたつや、米英の攻撃にたいして、これを、とにかくも防止してその目的を達成したというのは、ラバァール以外、ほとんどない。サイパン、アッツしかり、マキン、タラワまたしかり、硫黄島、沖縄、ヒリッピン等、ことごとく敵の攻撃を防止しえなかつたために、かかる惨敗をもつて終結しえなくなつたということも、これまた、ひとの銘記せられるところだろうと考える。だから、この事実だけをもつてしても、戦争は守勢より攻撃が有利だという一般通則の説くところが誤りないのだという一般的な戦争概念に妥当性を賦与することになるが、そうではなく、日本は戦争においては攻勢は得意だが、防衛は不得意、下手だというように、日本の上手下手にするかのどつちかである。ところが連合軍側は、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール党の防禦において、日本軍の猛攻をよく防止した戦例、防禦戦史においては、まつたく、ナポレオン戦史にも匹敵するような、いな、考え方によつては、それ以上の甚大なる成績をおさめ、ついに勝利への途を開拓したという戦例をのこしている。したがつて、太平洋戦史における日本軍の防禦が失敗したという事実は、攻防いずれが有利なるやの両戦略にたいする一般的法則を確立するための判断の資料ではなく、日本は防戦には上手でなかつた、駄目だったという噂さをまきちらせたにすぎないことになつている。
それというのも、わたくしをしていわしむれば、故尾崎秀実氏等の「資源戦争」というナチス流の考え方が作戦当局者をして、ただ、南へ南へと、戦争資源かくとくのため侵攻作戦に傾注せしめたことに存するといわざるをえないが、しかし、この本源をただせば、クラゥゼヴィッツの前述した戦争と政治との関連についての言説の解釈誤謬から生じたイデオロギー、すなわち、政治は軍事に優越するという観念の誤謬にあることは明瞭である。かかる誤つた観念が第一前提をきずいていたから、資源確保という政治経済的な要請を中心にした南方への攻勢拡大戦略のみに躍起になつたこと、しかも、そのなかに敗戦の原因が介在していたということは疑うことはできない、これは偶然にも、ヒットラーの戦略的過失と一致する。「ドイツ軍の歴史」というところで前述もしたように、一九四一年には、ヒットラーは完全にモスクワ攻撃にうつる一歩てまえのところまで進撃していつたのである。それにもかかわらず、かれが、ウクライナのために第二戦車軍団を引抜いてしまつた。そしてモスクワ攻撃を遷延せしめたというのはなんのためであつたか。四二年においてもそうである。モスクワは南からの遠巻きで包囲せられる宿命下におかれてあつた。にもかかわらず、フオンク・ライスの兵団は、はんたいの、コーカサスにむけられていたが、もし、これがドン河の方向に配置されていたらどうだつたろう。大勢はまつたく逆転され赫々たる勝利が待つていたであろうということはだれだつて合点することである。だが、かれは敢てこれをしようとしなかつたのはなぜであるか。フランスの将軍ギョーム中将が『赤軍はなぜ勝利したか』で直截に指摘しているように、ヒットラーもまた、コーカサスおよび近東の石油資源に誘惑せられていたからに外ならないのである。いいかえれば、資源の確保という政略目標を、純軍事的な概念(戦争の純概念)より、より以上のものとして把握し、政治をもつて軍事をその下位概念として引張つてきたところにあるのである。だから、これは、まつたく近衛、尾崎のこの二つのトリオが作戦をリードしてきたのと少しも変るところがない。だから、ドイツの場合のみならず、日本の場合においても、巷間で私議せられるような軍独善のための失敗ではなく、かえつて、その反対の、軍が、その独自性を喪失して、戦争の純概念よりか当時の政治論(戦争論)に屈服したための大敗であると、わたくしは、日本の失敗をこう看取している。【以下、次回】