ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「総史沖縄戦」(大田昌秀編著;岩波書店)を読む

2018-08-12 22:49:53 | 読む

8月は、広島や長崎に原爆が投下された月であり、終戦を迎えた月である。
そして、先日、翁長雄志沖縄県知事が亡くなった。
辺野古への基地移設をめぐって、政府と対立していたが、その問題が知事が亡くなって今後どうなるのか、注目を集めている。
翁長知事が県知事選挙に出た時、「辺野古に新基地はつくらせない」ということと合わせ、「日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきもの」と主張していた。
そのことがずっと気になっていた。

「総史沖縄戦 写真記録」は、元沖縄県知事で、昨年亡くなった大田昌秀氏の編著である。
1982年8月の刊行である。
大田氏は、久米島の出身であり、自ら沖縄戦を体験している。
30年余りの研究によって沖縄戦の実相を集大成した本と言われている。

私自身、この本を購入したのは、今から20数年前であった。
定価は、5000円。
10%減の価格で購入したことだけは覚えているが、高い金を出したわりには、ずっと読まずに「本棚の肥やし」になっていた。
読む気力と読む時間がなかったことを言い訳にしていたのだが、今こそ読んでみようと思って読み始めたら、翁長知事の訃報である。
やはり今こそちゃんと読んでおくべきなのだと認識し、読み進めた。

単に沖縄での戦争のことだけが書いてあるのかと思ったが、違った。

明治以前の沖縄は、本土とは違う歴史を持っていた。
また、本来争いを好まぬ気質を有していた。
それゆえにもっている文化に明らかな違いがあり、それを後進性と思い込み、日本本土のものとの違いの差を縮めないといけないという意識や事情があった。
そんなことから、日本との同質化の志向が屈折した忠誠心を生んでしまったという背景があった。

そして、民衆を巻き込んで行われた沖縄戦。
だがこれは、日本本土防衛のための捨て石の戦いでしかなく、沖縄自体を防衛するための戦闘ではなかった。
さらに、軍隊が戦争中に民衆を守るというのは幻想にすぎなかった。
逆に、それによって、住民殺害というより多くの犠牲を生んでしまった事実が無数に生じてしまった。
久米島では、8月15日以降も事情は変わらず、最終的に「沖縄戦」が終了したと言えるのは、9月7日だったという。
その日まで、住民が軍によって殺されることは続いたのだということだ。

…このようなことが起こっていた沖縄。
だから、戦争から70年以上たった今でも、なぜ沖縄だけが被害や損害を受けても、基地等の問題を我慢し続けなければいけないのだ?という思いがあって当然だと思う。
翁長知事のこだわりが少しわかるような気がした。

明日から盆を迎える。
まもなく終戦記念日を迎える。
戦後73年である。
戦争をしてはいけない。
戦争があったことを忘れてはいけない。
自分の考えというものをしっかりもって生きたい。
改めてそんなことを思っている。
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