8月13日。
迎え盆の日だ。
墓参りをして、ご先祖様の魂を家に持ち帰る。
そんな意味があったはずだ。
今日は、娘や息子と共に、墓参りに出かけてきた。
今は、ご先祖様というよりも、自分の父や母の霊にご挨拶に行くような気持ちになっている。
彼岸と盆との違いもはっきりしなくなっている。
昔と比べて、盆だからと特別なことをすることはずいぶん減ったなあと思う。
野菜を切って供えたり、野菜で家畜など動物の形を作って供えたり、特別な飾りを作ったり…というのは、以前はどこの家でもやっていた。
しかし、今は、どこの家でもという訳ではない。
様々に伝承されてきたことが、父と母の世代まではまだあったというのに、いろいろなものがなくなっている。
なくなっているというのが正しいのか、しないようになったというのが正しいのかはともかく、父と母の世代まではあったのに、今ではなくなっているというのは、なくしてきたのはわれわれの世代だということではないかと思う。
特に、わずらわしいことは避け、ずいぶんしなくなってきたように思う。
冠婚葬祭に関することは、その最たるものだ。
そして、この盆のような年中行事もそうだ。
墓の前で手を合わせ、ちゃんとした盆の準備をしなくてごめんね、ということも思ったりする。
ただ、墓参りをし祈るときの、あの神妙な思いは変わらないと思う。
墓の向うの両親に語りかけるとき、自分の心のありかを確認できるような気もする。
時代は変わって、盆のやり方も変わったけれど、墓参りをすることは変わっていない。
そこには、自分にかかわってくれた人や自分の過去と向き合うことに貴重な価値を見出す人が多いからではないかと思う。
父や母、伯父や伯母が遠い世界の人となってから、久しい。
還暦も過ぎてしまった自分だが、過去・現在と向き合いながら、もうしばらく自分の人生を進んで行こうと思った、迎え盆の日であった。