ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

新盆,元の同僚宅を訪ねて

2018-08-14 22:36:00 | ひと
お盆なので、ご焼香に訪ねて行く。
親戚関係を除くと、同級生の関係か職場で縁があった人との関係か、ということになる。
2年前は、同級生関係で亡くなったの人々のところを次々と回ったのだった。

今日は、今年3月上旬に亡くなった、元の同僚宅を訪ねた。
新盆である。
定年退職を目前に控えて同業の研修団体の仲間であり、かつて2年間一緒に勤めて明るく元気な職場づくりに力を出してくれた人。

彼の家は、県外にある。
少々遠い。
そう、彼は、県外から毎日新潟県に通っていた人だったのだ。
初めて行くので、家が分からない。
車のナビに電話番号を入力して近くまで行ったが、よくわからない。
これはもう、人に聞くほかはないと、車を止めて歩いていると、家の戸が開いていて会話中の年配の女性たちがいたので、聞いてみた。
ナビが告げたよりも、どうやらまだだいぶ距離がありそう。
仕方がないので、今度は通りの洋品店で聞いてみる。
そこの社長さんがいい人で、絵をかいて説明しているうちによくわからないだろうからと、住宅地図までコピーしてくれ、丁寧に教えてくれた。

絵と地図のコピーを頼りに、車に乗って探していくと、なんとか見つけることができた。
彼の奥様とご子息が在宅中だったので、あがらせていただき、仏壇の彼の遺影に手を合わせた。

木工が好きで趣味の一つだった人だけに、家には明らかに彼が作った“作品”ばかりだった。
相田みつをのように強いインパクトはないが、柔らか味のある教訓のような言葉が飾られた額がいくつも並んでいた。
ほかにも、写真を飾った額、見えるところは木だけで作られた振り子時計、花を飾るミニテーブル、そして長椅子…等々。
「まだ材料の木がいっぱい残っているんです。木は細工する前によく乾燥させないとダメだと言っていましたから。」
「面の模様を見て、『うわあ、どっちもいいなあ。どっちを表にするかなあ。』なんて言ったりしていました。」
「このテーブルの『耳』がいい、なんて言ってたんですよ。『耳』なんてどこのことだかわかりますか?独特の言葉で言うもんですから、意味がわからなかったですね。」
奥さんの話を聞きながら、木工好きの彼らしいこだわりが伝わって来て、懐かしく思った。

実は、彼が亡くなったときに、奥さんの勤務先は、偶然にも私が彼と共に仕事をしていたところであった。
「勤務先に、彼の作った長椅子があったでしょ!?」
と私が聞くと、
「手製の長椅子があったから、あれ?と思ったんだけど、どうも作り方が似ているなあと思って家に帰ってから聞いてみると、自分が作ったと言ったんですよ。」
という返事が返って来たのだとか。

彼の趣味は、木工だけでなく、アウトドア派であった。
釣り、山歩き、山野草の栽培、ミニチュア盆栽なども得意としていた。
玄関には、取り残されたミニ盆栽がいくつも残っていた。

職場で話をすると、いつも彼は、「どうせやるなら、楽しくやりましょう。」と言うのが口癖だった。
仕事も皆で楽しくやろう、というのが彼の主張であった。
だから、職場も堅苦しくなることがなかった。
彼の人柄に救われていたのは確かである。

定年退職後は、たくさん抱える趣味を存分に行う時間がある。
だから彼は楽しみにしていた。
なのに、進行性の癌が再発して2カ月後、帰らぬ人となった。
「佳人薄命」と言うが、そのとおりだと思う。

家ではおそらく知らない、私が知っている彼の姿をお二人にいろいろ話もした。
あっと言う間に小一時間が過ぎてしまった。

帰路に運転しながら、思った。
彼のように、自分はこれが好きだ、このことが楽しい、こんなことをしたい、というものをもちたいなあと。
彼が味わえなかった、60歳以降の時間を私は生きている。
これから後の時間は有限だ。
創造的で充実した時間をより多くしたいものだ。
コメント
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