ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

中越高校の選手宣誓から22年

2018-08-03 23:08:50 | 新潟
花火に続いて、長岡つながりになる。

今年の夏の甲子園の新潟県代表は、長岡市にある、中越高校になった。
もう12回も甲子園に出場した同校だが、大会で勝ったことはまだ2回しかない。
ただ、それよりも、私の心の中には、1996年に、当時の主将が選手宣誓を行ったことが印象に残っている。
その年は、アトランタ五輪が終わったばかりだった。
「アトランタの熱い感動の舞台は、この甲子園球場に移りました…」
「…やっぱり野球が大好きな私たちが…」
…といったことは、まだ心に残っている。
新潟県の高校が選手宣誓を行ったのは、100回の歴史の中で後にも先にもこの1回きりである。
だから、当時の主将の名前も、内容もよく覚えているのかも知れないが、やっぱり宣誓の内容がよかったことが一番である。

先月、地元紙の新潟日報に、「白球にかけた夏~新潟ヒストリー~」という特集で、当時その選手宣誓を行った儀同謙一さんのことが載っていた。
リハーサルで言葉に詰まり、異例の居残り特訓をしたり、本番前夜は午前3時まで暗記したりしたことや、間違いなく言えるようになったのは会場行きのバスの中だったことなどが書いてあった。
知らなかったのは、選手宣誓に決まってから右腕に異変が生じていたことだ。
捕手なのに、送球時力が入らず、選手宣誓の後の試合では倉敷工に完敗したのだった。

精神面に起因する運動障害「イップス」になっていたと知ったのは、その後のことだった。
ただ、選手宣誓に感動した全国各地の人々から、感動の思いを伝える手紙が届いたという。
大学卒業後、川崎市の中学校体育科の教諭に採用され、今はソフトボール部の顧問を務めるのだそうだ。
40歳になった今でも、選手宣誓の文章は、そらで言えるという。

新潟県代表の中越高校の今年の対戦相手は、くしくも北神奈川代表の慶応高校に決まった。
儀同さんが現在勤めている地域の代表ではないか!?
立派な選手宣誓を行った先輩がいる中越高校。
「儀同先生」がやっぱりすごい学校の卒業生だったのだなあ、と思わせてくれるような試合を見せてほしいものだ。
がんばれ、中越高校!!
コメント
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