日本男道記

ある日本男子の生き様

ねずみ

2009年03月22日 | 私の好きな落語
【まくら】
「竹の水仙」「三井の大黒」などと並び、名工・甚五郎の逸話ものの一つ。
元々浪曲のネタ。2代目広沢菊春の得意ネタだった「左甚五郎」を3代目桂三木助が「加賀の千代」と交換して演じたのが始まりとされる。

【あらすじ】
奥州仙台の宿場町。ある旅人が、宿引きの子供に誘われて鼠屋という宿に泊まる。そこはとても貧乏で布団も飯もろくになく、腰の立たない主と十二歳の子供の二人だけでやっているという貧しい宿だった。
主の宇兵衛は元々、向かいにある虎屋という大きな宿の主人だったが、五年前に妻に先立たれ、迎えた後妻は腰を悪くした宇兵衛とその子に辛く当たり、番頭とつるんで虎屋を乗っ取ってしまった。宇兵衛は物置小屋を仕立ててなんとか宿にし、その物置に棲んでいたネズミにちなんで鼠屋と名付けたという。
この話を聞いて、旅人は自らが左甚五郎だと明かし、木片でねずみを彫り上げ、それを店先に置いて立ち去っていった。するとなんと、その木彫りねずみが本物のねずみのように自分で動き回る。この噂が広まるやいなや、鼠屋に泊まればご利益があると、部屋に収まり切らないほどの客が入り、見る見るうちに鼠屋は大きくなっていった。
一方、向かいの虎屋は鼠屋の繁盛につれてかつての主をいびり出したという自らの悪行も吹聴され、客足が途絶えていく。腹を立てた虎屋の主人は、伊達様お抱えの彫刻師、飯田丹下に虎を彫らせた。主人はそれを鼠屋のねずみを見下ろすようにして店先に飾った。すると途端にねずみは動かなくなってしまった。
しばらくして、それを知った左甚五郎が再び鼠屋を訪れる。自分が彫ったねずみは、虎に怯えたように顔を伏せ、じっとしていて動かない。しかし甚五郎には、虎屋の店先の虎はとても出来損ないの彫刻に見えた。顔はひどく弱気そうで、額に虎を示す王の字の模様もない。
「ねずみよ、俺は魂を込めてお前を彫った。なぜ、あんなおかしな顔の虎に怯える?」
すると、ねずみはふと振り返って、
「え、あれ虎だったの? 猫かと思ってた」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【オチ・サゲ】
途端落ち(噺の脈絡がその一言で結びつく落ち)

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『甚五郎左が過ぎしか水を飲み』
『旅人は雪呉竹の村雀、止まりては立ち(発ち)止まりては立ち(発ち)』
(次々に宿にやってきて、宿泊しては出発していく旅人の様子を雀に例えた歌)

【語句豆辞典】
【飯田丹下】実在の彫工で、仙台藩・伊達家のお抱え。生没年など、詳しい伝記は不詳。三代将軍家光の御前で、甚五郎と競って鷹を彫り、敗れて日本一の面目を失ったという逸話がある。

【この噺を得意とした落語家】
・三代目 桂三木助

 




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