3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

4000年の歴史 -胡同(フートン)編-

2011-08-17 22:39:02 | 

2011/8/14

三日目。

この日は午後3時の便で成田へと帰る。
午前中の時間がぽっかりと空いた。


当初はこの三日目に北京の町をふらつき、お土産等を買ったりして街歩きを楽しもうかと思っていたのだが、北京の町は初日に十分すぎるほど歩き回り、しかも俺が求めているような店が余りないということを知っていた。

ということで、この三日目の午前は何をしようか。ホテルでだらだらと時間を過ごすのはまっぴらごめんである。せっかく中国にいるのだ。どうせならどこかに言って何かを見たい。

そんな状況下だったのだが、実は昨日、ガイドの人がとてつもなくナイスタイミングな情報を提供してくれていたのだ。

ガイドさんによると、胡同(フートン)と呼ばれる北京の古い町並みを残している場所である。ここにツアーで行くことが出来るというのだ。

どっちかというと俺は高層ビル群が立ち並ぶ北京市街地よりも、そのような生活観が見える場所のほうがよっぽど興味があった。

地元の人の生活は当然、家に入ったりすることもできるらしい。

いくつかのコースがあったのだが、3時間で巡るものがあった。
なんとまあ、俺のために用意されたようなプランではないか。

ということで昨日のうちに実は申し込んでいたのだ。

早速タクシーで入り口へと向かう。

移動は胡同の定番と思われる、三輪リキシャ。

リキシャ自体もボロボロで、ギシギシ音をたてる。
漕いでいるおっちゃんの服もいい感じにみすぼらしい。
服は汚れ、靴はボロボロ。町の風景と一体化している感じがよい。


暫くリキシャに揺られて、銀錠橋胡同という場所へ到着。一軒の家庭にお邪魔することになった。

伝統的な中国は北京の家。
なかなかできない体験である。普通に家の中まで入って、家の様子を色々見せてもらった。

地元の人々の生活を生でリアルに見ることが出来る。
こういう体験を求めていたのだ。

野良犬らしき犬がふらふらと道を歩いている。
乱雑に転がっている自転車。
そしてなぜ運転できるのか疑問に思うほどの荷物を抱えて自転車を漕ぐおばちゃん。
上半身裸へ道端にころがっているおっちゃん。
家の外に干してある無数の洗濯物。
近くの者たちが集団で利用しているのであろう公園で運動している人々。

みな、とても力強く、生活力に溢れていた。
熱が漲っていた。

今の俺ではここでは暮らせないなーと思う。


胡同でリアルな生活風景を垣間見て、新鮮な体験はあっという間に過ぎた。


リキシャで先ほどの入り口に戻る。

その後、タクシーでホテルへと帰った。


いい具合に時間はつぶれたのだが、空港へ出発する時間までまだ1時間程度余っていた。

昼飯を兼ねて、最後の北京散策へと繰り出す。京都苑賓館周辺、そして最寄り駅の建国門駅周辺の地理にはたった3日間ながら大分詳しくなった。


昼飯はマックで軽く済ませた。時間もなかったし。

そして最後の挑戦を試みる。


俺は北京に着いた時からとても疑問に感じていたことがある。


北京はやはり大きな都市であった。高層ビルが立ち並び、綺麗に舗装されていた。

しかし、このような大都市はどこでも貧富の格差は存在するのである。

北京では街中でよく壁を見た。

その壁は人の身長よりも高く、まるで中を見えなくしているようであった。

そしてその壁からたまに飛び出して見える家の屋根は、みな一様にボロボロで、石が乗せてあり、屋根が飛ばされずに屋根としての状態を何とか保っている状態であった。

なぜ、このような家、生活空間は壁で囲まれているのであろうか。
何かを区別しているのであろうか。
それとも、見せないようにしているのであろうか。
このような高層ビルが立ち並ぶ大都市に似つかわしくない部分として壁で隠されてしまっているのであろうか。

とても疑問であった。

真実は分からなかったが、俺はその中をぜひ見てみたかった。
中に入ってみたかった。危険なのは百も承知である。
異国の観光客は絶対に入り込んではいけない場所であることは一瞬で理解できていた。

京都苑賓館にすぐ近くにも壁はあった。
その壁の中に続くと思われる細い道を発見した。

けど中には入れなかった。強く惹かれるものはあったが、今回の旅はひとりではなく、2人で行ったものだった。俺のわがままを突き通すわけにはいかなかった。

今思うと観光客が入り込んでいい場所ではないという点でも行かなくてよかったのかも。


壁の中身を確かめぬまま、時間になった。
今でもあの壁の中はどうなっているのかは謎のままである。

空港に着き、売店をうろつき、搭乗、日本へ。



何事も無かったかのようにまた日常が始まっていった。




おわり







4000年の歴史 -万里の長城-

2011-08-16 20:57:57 | 

2011/8/13

二日目。

この日はツアーで申し込んだため、お迎えのバスが来るのを待つだけだ。

朝食を済ませ、バスに揺られる。

あまりツアーが好きではない。
理由はただ一つ。当然だが自由がきかないからだ。

冬に行ったイギリスでは完全に自由だったため、お土産を買う時間をどれだけとろうが、
行きたいところに勝手に行こうが、自由だった。
極めて気楽。行きたくない場所に連れまわされることもないし、
何より、見知らぬ人たちと一緒に回るのが好きではない。人見知りだし。

しかし今回は中国だ。
以前は英語だったため、個人でも勝手気ままに過ごせたが、
中国語ということで、言語の壁が非常に厚い。
こちらから意志を伝えることは全くできないし、
当然、向こうが何を言っているのかも全くわからない。
そして今回最も行きたかった、万里の長城は交通の便が悪く、
個人的に行くとすると非常に難しそうだった。
失敗して、行けないなんてことになりたくなかったので今回はツアーを申し込んだのだ。

総勢20人くらいだったような気がする。
と言ってもすでにどんなグループがいたのか覚えていないほど、印象が薄い。

まずはじめに訪れたのが、天安門広場。
うん、ここには昨日来たな…
再び再開した毛沢東元国家主席のポートレートの下を潜り、世界遺産・故宮に乗り込む。
さすが中華人民共和国… 人が多過ぎである…
入口はあまりの人の多さに完全に塞がっており、通勤ラッシュの電車のように押し込まれていった。

そしてついにご対面。

かつて紫禁城と言われたあの建物。


太和殿を見たとき、既視感を強く覚えた。

確か、DOAとかいうかなりふざけた映画のロケ地として使われていたと思う。

太和殿の外周には色々な形をした彫刻が施されていた。外朝を一通り回っていよいよ内廷へと足を進める。
ガイドブックでも書かれていた乾清門を見学。

ツアーだったため、説明つきである。
色々と話を伺うことができたが、この故宮にいる時間がかなり長かった。
ツアーだからしょうがない。歩きっぱなしで少々疲れる。

周りの人たちは明らかに飽きていた。

暫し内廷を見学し紫禁城を跡にする。

その後はすぐ近くの景山公園へ。ここでは景山という山があり、そこを登り見下ろせば故宮が一望できる絶景スポットなのである。
『地球の歩き方』によると、“見下ろす故宮はまさに絶景で、大小の殿閣上の瑠璃瓦が燦然と輝き、遠く北京市内の四方を見渡すことができる”とある。なんとも期待を煽る表現が記されていた。

山登りは全く大変ではなかった。すぐに頂上に到着した。

そこから先ほどいた故宮を一望する。
その大きさに驚いた。実際に回っていたときよりも果てしなく広大なものだったのだということが分かる。
天気はあいにくの曇り空だったが、それでも只ならぬ雰囲気が伝わってきた。


その後はバスに暫し揺られて昼食。中国に行ったのなら是非ともやってみたかった飲茶を体験する。そしてこれも中国に行ったのならぜひやってみたかった。回すテーブル。料理が乗ったターンテーブルを回してみたかったのだ。

しかし、今回はツアー。周りには初対面の全く親しくない人ばかり。
気を遣いながらテーブルを回す。早々に食事を切り上げ、お土産を購入した。



そして、今回の旅のメインイベントである。

今回の旅が決定するずっと前から言っていた。

一生に一回は絶対に言ってみたいとずっと思っていた。

そしてその地を自分の足で歩いてみたかった。

誰もが知っている世界的に有名な歴史的建造物。

いよいよ万里の長城へと向かう時が来た。

今回の旅は万里の長城にだけいければよしと思っていたくらいだ。
興奮はマックスに。本当にかの有名な万里の長城を踏みしめることができるのだ。

長城に向かう途中、バスの中でツアーの人から残念なお知らせが入る。


“残念ながら今回、万里の長城は立ち入り禁止です…”


なんてことを言われた日には本気で憤慨していたであろうが、

“一番有名な八達嶺長城は、道路が込みすぎていて、人も多すぎ”とのこと。

“そこで提案なのですが、比較的空いている¥て、ここから近い司馬台長城(確か。忘れた)に言って、ゆっくり回らないか”とのこと。


俺は大賛成であった。最も有名な場所ではなくとも、万里の長城の一部であることには変わりはない。そして到着に時間がかかり、実際に歩く時間が削られたり、人がごった返していてうんざりしたりするほうが、よっぽどいやだった。

心の中で、うん、そうしよう、そうしようと訴えていた。

すると周りの方々もそっちのほうがいいという意見で、バスの中はそのコースで回ろうという阿吽の呼吸。

ガイドの人は、一人一人の署名を求めてきた。確かに後でコースを変えたことをとやかく言われたら大変だもんな。事実、善意とは言え予定されているコースを変更しているのだから、クレームつけてくるやつがいてもおかしくない。ああいうガイドの人も大変だな…


そんなことを考えているうちに、ついに到着した。

山々をうねり、永遠に続いていそうな長城が目の前に伸びている。

この足で踏みしめることを何度も憧れていた、長城を目の前にして半笑いになる。


ツアーのため、自由に歩きまわれる時間には限りがある。確か1時間くらいだった気がする。っていういことは、30分で出来る限り上ってみよう。

そして20分で降りてきて、残りの10分で麓にあったお土産やで記念品購入+トイレを済ます、という完璧な計画を立て、いざ登城!

万里の長城を踏みしめた最初の一歩は感慨深いものがあった。
おぉ…俺本当に万里の長城を歩いてるよ…みたいな。

最初のうちは万里の長城を歩いているという非現実的な事実を楽しんでいたため脳内麻薬が溢れていたが、すぐに汗まみれになる。

途中ずっと階段になっているのだが、その一段一段の高さが半端じゃない。

大またでぎりぎり上れるレベル。大きいものだと一段が俺の腰くらいまであった。
そんな階段をずっと歩き続けているのだ。疲れないわけがない。

汗はだくだくと垂れ、のどがカラカラに。太ももはぱんぱん。
けど30分しか時間がないということで、できるだけ進もう進もうと体力を削りながら進んでいく。

かなりのハイペースで上っていく。面白いことに最初のうち、麓辺りは人が大勢いたのに上るにつれてどんどん人が少なくなっていく。
多分途中で引き返すのだろう。

ここらが潮時かなというところまで上ると、もう殆ど人が通らなかった。

写真を撮ったり、マシュー・ハーディングの真似をして踊ってみた。

そして下山。悠久の歴史を噛み締める時間はあっと言う間に過ぎてしまった。

麓に到着すると、汗まみれ+のどカラカラ+太ももぱんぱんの体に売店のコーラが光って見えた。

ただのコーラがこんなにうまく感じるとは。トイレも済まし、あとはお土産だけだ。

ダサくてどシンプルな“万里の長城!”みたいなキーホルダーなんかが欲しかったのだが、入り口に自分の名前と、登城年月日を刻印できるキーホルダーがあった。
ミーハー丸出しで購入する。2011年8月13日嶺登日期。

あとはポストカード。海外に行ったときには必ず現地から出している。
よし、これで思い残すことはない。完璧だ。

案の定、全員集まっていなく、待ってる時間余裕の一服。
こういううまいタバコがあるからやめられない。

今回の旅で一番楽しみにしていたイベントが終了し、少々燃え尽きムードに。

そんなムードにぴったりなちょっと気休め的企画が次に用意されていた。

本場の中国茶を本場の煎れ方で飲む。

これも実際に中国に行ってみない事には出来ないことだ。キャラではないが、美味しく本場の中国茶を頂くとしよう。中国茶なんてバーミヤンでしか飲んだことないけどな。

多少癖が強いものもあったが、どれも美味しかった。
舌が肥えてない俺は何でも美味しく感じてしまう。
というか、あの雰囲気、入れ方をされたら美味しく感じる。何気にいい経験かも。


オリンピックの鳥の巣スタジアムを車窓から眺めてツアー終了。


旅の出発前にここだけは行こうと決めていた万里の長城に行くことができた。
昨日は絶対に食べたいと思っていた本場の中華料理を食べることができた。

旅の目的を二つともクリアし、次にもしできたら是非ともやってみたい3つ目の目的が結構現実味を帯びてきた。

今回の旅では時間がなく、2日目のツアーがメインとなるため、今回は見送りかなと思っていたが、もしかしたらこのまま行けるんじゃないか?という雰囲気になる。

その目的とは…


中国雑技団をこの目でしかと見ることである。


噂では何度も聞くし、テレビなどで見る彼らはもはや人間ではない。
人間離れし過ぎていて、現実味がないくらいとんでもない人たちばかりである。

これは別に中国に興味が全くない人でも、純粋に見てみたくないですか?
期待を裏切らないのは分かっていることだし。

ということで、本日のガイドさんにこれから中国雑技を見ることは出来ないか?と尋ねたところなんとOKとのこと。

しかもバスの降りるところを変更し、天地劇場という劇場まで連れて行ってくれた。

更にガイドの人がそのままチケットを購入してくれた。開園10分前くらいの滑り込み。

更にその席はど真ん中の特等席であった。

こんなにスムーズにことは進んでいいのかと思ったが、念願の中国雑技団を生で見ることが出来た。
やっぱり人間じゃない方々が多数登場した。
流石4000年の歴史は半端じゃないぜ。

更に更に劇が終わった時間にはガイドの人が迎えに来てくれ、タクシーを拾ってくれた。


お礼を言って、明日の打ち合わせをして一旦ホテルに帰還。

中国二度目のディナー。


今回は勇気を出してずっと気になっていた「李先生」に入ることを決める。

言葉も通じないのでどきどきだったが英語で何とかなるだろ…


メニューを見てみるとラーメンがメインのようだ。
ラーメンに何点かおつまみがついているセットに決める。

そしてせっかくなのでビールが飲みたかったが、どれがビールなのか分からない。

写真だけを頼りに、おそらくこれがビールだろうと思われる飲み物を注文してみる。
運ばれてきたのは正真正銘のビールだったので一安心。

ラーメンもパクチーが入っていてかなり癖が強い味だったが、俺個人的にはとても美味しかった。セットでついていたおつまみもビールを進めてくれた。
李先生、なかなかやるじゃないか。普通に満足だった。
ちょっととんでもないものを期待していた自分もいたが。


その後はちょっと夜の北京の街をふらついて再びホテルに戻った。




この日はやりたかったことを全てできて、中国を思う存分楽しむことができた。

いよいよ明日は帰国日。

部屋に無残に散らばっている荷物をバックパックに詰め込み、眠りについた。













4000年の歴史 -北京中心部散策編-

2011-08-15 14:06:35 | 

2011/8/12


貴重な休みを使って、弾丸気味で中国に行ってきた。

2泊3日。海外にしてはちょっと勿体無いと感じるかもしれないが、それ以上は休みが取れない。しかも今回は中国ということで近いし問題ない。

たった3日間でトランクなんて持って行ってたまるか。愛用のバックパックに荷物を詰め込み、羽田へと向かう。
今回、空港は羽田であった。海外ではいつも成田だったため、羽田は初めて。幾度となく訪れた成田とは異なり、羽田の国際ターミナルは勝手が分からない。

いつもの極楽バス(地元から1本で運んでくれるリムジンバス)もあったのだが、お盆の時期ということで、道路状況が全く読めないため、電車で向かった。

やはり羽田は成田と比べ格段に近い。程なくして余裕を残しつつ到着。

チェックインもすぐに済み、買い物を済ます。
入国審査も全て終え、タバコを二箱購入しようと思って中に入るが、免税フロアはタバコをバラで売っていなかった。仕方がないので免税でカートンを購入。カートンなんて買ったの初めてだ。けどまあ、消耗品だし、免税でかなり安くなっているし、よしとしよう。
おにぎりとそばを食べていざ出発。

いつも大概機内では寝れないのだが、今回は体が相当疲れていたのか、爆睡してしまった。
本当にあっという間に着いた。途中で見ていたディスカバリーチャンネルの「恐竜最後の日」というドキュメンタリーも途中で寝てしまい、最後まで見れず。

北京国際空港に着いても全く中国にいる実感が沸かず…
思うのは4000年の歴史を持つ文明の国に降り立った感慨よりも、眠い…疲れた…

どこに行けばよいのかよく分かっていなかったため、集団の流れに身を任す。
途中シャトルバスに乗らなければならなくてちょっと心配だったが、気がついたら入国審査の場所までたどり着いた。

飛行機の中で入国用紙を記入していた。抜かりはない。

地球の歩き方によると、“不備がなければ何もきかれることはない”とのこと。

念のため見直すと、何と俺は間違えて「ビザの発行された場所」の欄に今回泊まるホテルの名前を記入していたのである。
完璧な不備ではないか。そのまま突入していないでよかったと思う。

今回宿泊するホテル、京都苑賓飯店に到着するとどっと疲れが襲ってきた。
このままでは一日が終わってしまうので、北京の散策を試みる。

しかし、このホテルが北京のどこにあるのか、自分たちがどこにいるのかも皆目見当がつかない。地図を広げ場所を確認。取り敢えず中心部にいけば何かあるだろ。


天気はというとあいにくの曇り。北京の夏は大体こんな天気らしい。けど雨が降っていないだけ大分ましである。

街の眺めは東京都さほど変わらない。高層ビルが立ち並ぶ発展都市って感じだ。ただビルの看板に書かれている文字が中国語ってだけ。
韓国を訪れたときも思ったのだが、やはり街を歩いていて面白いのはヨーロッパだ。町並みが全く違う。今回の中国に関しては街を歩いていて感動することは余りなかった。汚さも、落ちているゴミも、たまに死にかけているゴキブリが動いている感じも東京となんら変わらない。


ホテルの近くを暫くぶらぶらしていると、異様に人が集まっているド派手な建物を発見した。建物には“北京○”と書かている。最後の文字が読めなかったが、この建物が何なのかはすぐに分かった。

北京駅である。最後の文字は駅を表す文字なのだろう。流石は中国の首都駅。東京駅といい勝負なくらいに大きく、人で賑わっていた。

北京駅を後にし、近くのデパートに入ったり、ショッピングストリートを散策。


その後昼食を食べようということになる。辺りを見回せば飲食店らしき店は幾らでも並んでいる。

しかし、何か怖い…

何せ今回は中国語ということで、言葉が一切分からない。そんな中、何も分からないまま変なものを注文してしまったらどうしよう…てか本当にこの店は色々と平気なんだろうか…

そんな不安が犇く中、ひとつ気になる店を発見。その名も…

「李先生」


店名を見た瞬間からなぜか異常にそそられたが、その当時の自分には入る勇気がなかった。まあ、まだ中国に着いてから2時間くらいだしね。もう少し免疫を作ってからのほうがよいだろう。

そして結局入ったのは…



マック。


本当にこの店には何回お世話になれば気がすむのだろうか…

ロンドン、エディンバラに引き続き、またしてもマック。
この店は間違いがない。

しかしいざカウンターに立つと問題があることに気付く。
どうやって注文したらよいのだろうか。メニューのリストはカウンターには置いていなかった。店員の後ろには日本と同じく大きなパネルがあったが、その状況下でオールボディーランゲージで欲しいものを全てゲットするのは相当な高等技術のように思えた。

ええい、英語でいったれ。


まずはメニュー持って来いと伝える。
後は全部メニューを指差しながら英語。そしたら案外すんなり伝わり、店員も英語で返してきた。あーよかった。

しばし休憩。それまでずっと心休まる時間がなかったためか、ここで座ってゆっくりとした時間が異様にほっとした。

ポテトの塩気で疲労回復し、再び散策開始。


中国(北京だけなのかもしれないが…)ではなぜか恰幅のよいおっちゃんは必ずと言ってよいほど腹を出して歩いていた。腹出している人を一体何人見たのだろう。流行っているとしか思えない。まあ確かに暑かったけどさ。スマートな人は出してないんだよ。腹出てる人は見せ付けてるようにどーん!と出してるんだよね。
何であれが流行ったんだろう?

基本的にみんな地元の人は薄着だった。薄いどころか上裸なんて当たり前の雰囲気。朱に交わることはしなかったよ…流石にね。てか俺腹出てないし。


その後はデパートに入り、本を購入。夕飯はこんなのが美味しそうだな~なんて参考にしながら散策。


これまでずっと歩き回っていたため、ちょっと冒険してみようということになる。
何かというと、電車に乗ることである。

俺は海外に行ったときは必ず電車(地下鉄)に乗っている。

今回泊まる京都苑賓飯店の最寄り駅が建国門駅というところだった。
地図を確認すると、電車で3駅で超有名なところへ行くことが出来るではないか。

天安門。


世界史を学んでいた者にとっては有名すぎるこの単語。世界史全く知らぬものでも天安門という言葉ぐらいは聞いたことがあるだろう。それぐらい有名な“血の天安門事件”の舞台。実際に行くことができる。

その毛沢東の肖像画を生で見ることが出来る。ここは行ってみたい(明日も行くんだけどね)。


言葉わかんなくても地下鉄乗るくらいならなんとかなるだろー…そんな甘い気持ちで階段を下りる。

言葉分からずして、どうやって切符を買うのか。
そんな心配は無用。
実は空港からホテルまで送ってもらったガイドの方に中国版パスモを頂いていたのである。

チャージされている金額も確認済み。切符の金額に悩む必要もない。らくらくタッチアンドゴーだ。

そしてそのお気楽な気分も一瞬にしてぶち壊された。

なんとたかが駅の癖に荷物チェックがあるのだ。
空港のように手荷物を預け、中身を確認される。

何か話しかけられたらどうしよう…
そして言葉が分からないうちにあたふたして荷物を没収されたらどうしよう…

大丈夫か、これは…

そんな杞憂を抱きながらも荷物検査はすんなり通過することができた。

天安門広場(故宮)に行くための目的駅は「天安門東」という駅。
ホテルの最寄り駅である「建国門」駅からは3駅。

別にいつもならどうってことない、たかが3駅の鉄道乗車も、今回ばかりは心配でならない。

電車は満員電車であった。さすが中国。人が多いぜ…


けど日本の朝の通勤列車に比べたらどうってことはない。

地元中国の方々との距離が近い…
何か勝手にスリルを感じて、ちょっと面白かった。
異国の電車に乗るという目的も果たすことができた。


程なくして目的駅「天安門東」に到着。何となく読める看板を頼りに出口に向かうと、それはすぐ円の前に現れた。

本当に社会の資料集などでよく見る、毛沢東の肖像画。

中国で2番目に有名な場所って行ったらここかも知れない。
本当に来ちゃったよ…

あの血の大きな道路を挟んで、向こう側にはかの有名な天安門広場だ。
血の天安門事件当時の映像は世界中を震撼させた。

俺は当時の放送をおかんの話でしか聞いたことはなかったが、その場所に実際来てみると、ここがあの場所なんだなーなんて見たこともないのに勝手に考えさせられるものがあった。

結局毛沢東の肖像画の前で写真撮ったり、踊ったりしてその場を後にした。

故宮には入らず。だって明日入るからね。

やたらと中国の国旗を売りつけてこようとするやつが大勢いる。
堂々と立ちションしてるやつもいる。
中国の生活観溢れるパワーに圧倒され気味だったが、やっぱりこういう熱気に満ち溢れているところは面白い。


本日中国の有名どころを押さえ、その後早くもお土産屋を探す。


そして驚くべきことに、お土産売っているような店が全くない。
何時間も歩き回ったのに、一軒もなかった。

あるのは、高級ブランドの店ばかり。北京ってこういうところだったのね。

俺がブランドに興味があったらテンション上がるんだろうけど、残念ながら免税店をどスルーするような海外行っても全くブランド買わないような俺なので、どんだけ高級そうなブランド店も全く興味がない。
それよりも200円くらいの「中国」って書いてあるキーホルダーが売っているような小さいお土産屋を探しているんだ、こっちは。

お土産を買うことができず、疲労感が残る。

一度ホテルに戻り、晩飯。

晩飯は既に決めていた。

今回の旅行の大きな目的は2つ。この2つの目的が果たせれば、弾丸旅行は達成されたという大きな目的が2つあった。


1つは…万里の長城をこの足で歩くこと。

1つは…本場の中国料理をこの舌で味を確かめることだ。


万里の頂上に関しては明日のツアーで行く。

ということで今宵は2つ目の大きな目的、本場中国で、絶品中華料理を食すという目的を達成してしまおうではないか。

今回のメインイベントだったため、多少の出費は惜しまない。
それよりも本格的な中国料理が食べられるのなら出費は惜しまない。

ホテルに一度戻ったときに行くべき場所はき待っていた。


俺が今回宿泊した「京都苑賓飯店」から程近いホテルニューオータニ長富宮にある広東料理のレストラン牡丹苑。

ガイドブックによると、“入り口を入るとチャイナドレスを着たウェイトレスが出迎えてくれる”とある。うん、なるほど。

そして注目すべきは“日本語対応可能でもちろん日本語メニューもある”

ここに決定。


全く言葉が分からない中、あれこれ試行錯誤しながら何とかありつける食事というのもとても面白く、大好きなのだが、それは明日に回すとして、今回は失敗しないよう、安全策をとった。

予算も300元と本格的。
いつも吉野家を愛用している俺にとっては入るのも憚られるような門構えであった。

席についてメニューを見る。本当に日本語のメニューがある!


ここで俺は大好物の麻婆豆腐を注文した。

俺は日本でしょっちゅう本格中華料理レストランバーミヤンに行く。

バーミヤンの麻婆豆腐と本場中国の中華料理屋で出す麻婆豆腐はどれくらい味が異なるのか確認してみたかったからだ。

あとは青菜の炒め物。炒飯。そしてビール。

いつも日本のバーミヤンで食べるメニューと変わらない。


かなり待たされた記憶があるが、待ちに待った麻婆豆腐が到着した。
海老がふんだんに入っていた。

食べる。






うますぎ。



これまでに食べた麻婆豆腐の中で一番うまかった。

海老のぷりぷり感がたまらなく、山椒がかなり効いていてスパイシー。
俺はグルメのリポートに関してへたくそすぎるので、この美味しさを克明に伝えることができないが、とにかくおいしかったということだ。

けどかなり辛かった。俺は辛いもの大好きだから全然OKなのだけれど。
ビールが進む。

炒飯はご飯がパッサパサになっていた。(炒飯の場合はほめ言葉)

味付けは薄味でサッパリとしていた。もちろん完食。ホント旨かった。

勘定の時は、ガイドブックの巻末についている旅の中国語をわざわざ見せる。

“マイダン”

するとウェイトレスの人はにこっと笑ってビルを持ってきてくれた。
こういうやり取りがいちいち面白い。

もうこの日は思い残すことはない。


極上の一服を味わい。ホテルで荷物の整理をして明日のツアーに備えた。


ってか、ここまで書き終えて、長っ!て思った。
ちょっと細かく書きすぎたな。

次回はもうちょっとコンパクトに書こう。


二日目に続く。













教師になりました

2011-08-15 13:38:55 | 徒然
“果たしてこのブログを読んでいる人はどれだけいるのだろうか…”とか、
何回書いたんだろう。

今回は流石にもう二度と更新できないんじゃないかと思った。
俺自身が。

半年近くも間が空いてしまった。

なぜ空いてしまったのかというと、4月の頭に人生の目標が1つ叶ったからである。
ちょっとかっこよく書き過ぎた。


そう、何とか現在教師として働いている。

本当に長かった…どんだけ遠回りをすれば気がすむのか。自分でも疑問である。
よくここまで来たよ。

これまでの軌跡を思い起こすと色々な感情が巻き起こってしまい、複雑な気持ちになってしまうので、今は教師に漸くなって、実際に今生徒に授業をしているという結果だけに目を向けて、教職に集中するようにしている。

スナフキンのような人生を送りたかった様な人間も、とうとう年貢の納め時である。
ずっと目標としてきた教師という職業に就けた以上、その仕事に全身全霊を捧げていくつもりである。



で、なってみて。


想像を絶するほど忙しい。

忙しくてブログなんて書けなかったよ…なんて台詞を散々吐いてきたが、今回ばかりは今まで断トツで忙しかった。本当にブログを書くような時間が物理的に取れない程に忙しかった。月月火水木金金が本当に起こり得ることを知ったときは倒れるかと思った。

初任だから、俺はいま働き盛りだから、今までふらふらとしてきたのだから…と自分自身に言い聞かせながら何とか走り抜けてきた感じだ。

そして日々是全て勉強。
全てのことが新しいことのため、全てのことが本当に勉強なのだ。

今は、夏休み。

何度も“俺もうダメかも…”と思いつつも、日はまた昇るから、俺もまた学校に行く。
そして生徒がいるから何とか頑張れた日常が少し落ち着いたところ。

学校で一番つらい部活を任されたため、本当に毎日のように部活だけど、授業がないので、随分時間に余裕がある。




人生の中で一番濃い四ヶ月が終わった。

って言ってもまだ1年の半分も終わってない。
本当にこれからどうなるんだろうかと心配しつつも、これまでのように何とかがむしゃらにやってのけていっちゃうんだろうな。俺の性格からして。


ということで。ご報告。
この内容の日記は一生のうちでも何回も書けるもんじゃないな。

夢叶えたぜっていう日記でした。