3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

死に至る病

2009-10-28 21:47:29 | 
最近は『ソフィーの世界』を読みすぎて頭が疲れている。
やっとキェルケゴールまでいきました。
キルケゴールじゃないよ。
キェルケゴールね。

彼、イケめんだったんですね。

ヘーゲルあたりが一番疲れた。
やっぱり西洋哲学はキリスト教を自分の身近に感じられないと理解するのはとても難しいと思う。

ここでさらりとドイツ語原文で読めたりしたら超カッコいいんだけどな。
そんな事はいいとして。


ついこないだ香港からロンドンまでバスだけで行ったこともあり、
(沢木耕太郎の深夜特急を読んだという意味)
またヨーロッパに行きたくなってきて困る。

システィナ礼拝堂の「最後の審判」が見たい。

どれ位見たいかというと、「時をかける少女」の千秋くらい見たい。
時空を超えそうな勢い。
あれ本当に凄いらしいよ。

ミケランジェロつながりで。
皆さんはダビデ像をご存知でしょうか?

歴史的に天才と称されるミケランジェロが、
なんと26歳の時に完成させた彫刻。

あ~俺あと5ヶ月で26になっちゃうよ。

この同じ26年間の埋めがたい差は一体なんだ。

別にミケランジェロになりたいなんて気はさらさら無いが、
彼はこんな下らない日記を書いていなかったことだけは容易に想像できる。



そうそう、11月には書店に並びます。

おしまい。

実体の無い情報としての言葉と実感を伴う情報との関係性

2009-10-24 22:13:28 | 
今日、言語教育系の学会に参加してきた。
場所は慶応義塾大学三田キャンパス。
慶応は初だ。

うん、遠いよ…

覚悟できる遠さだったら、例えば横浜とかだったら踏ん切りがつくんだが、
田町って、中途半端に遠いよ。
覚悟できない遠さのギリギリのところに鎮座してやがるぜ、三田キャンパス。

学会の内容はともかくとして、なぜ俺がその学会に参加したのかというと、
まあ、仕事の一環なんですが。

俺が編集を担当した先生が会長を務める学会だったのです。
その研究発表学会。
俺は本の企画者である上司一緒に完成した書籍をもって
颯爽とのりこんだわけです。

本が完成して、献本するときに先生に連絡したんだけど、
もし俺が来ることがあったら、
先生の名前出せば入れるようにしといてくいれたんです。

せっかくのご好意だし、
何より俺もご挨拶はしたいと思ったし、
更に何よりメールや電話では頻繁に連絡したが実際に会いたくって。

因みに前説にジャーナリストの池上氏が講演をしていました。

教授は学会長なので、常に誰かと話をしていて、
実際に先生と話せた時間はたったの5分。
いや、5分も無かったな。
ご挨拶だけで終わってしまった。

けど、いいんです、実際に俺は学会に行って、実際に会って、実際に話をしたんだから。
その事実は揺るがないわけです。
俺が話した内容なんて本当にどうでもいいんです。
だけど、実際に俺が会って、話したってことに意味があると思うんです。

情報は「速い情報」と「遅い情報」とに分けることができると思う。

今日に限らず、「速い情報」は常に溢れ返っている。
例えば、広告、看板、新聞の見出し、要約、本のタイトル、ネットのページ…

つまりは情報を瞬時に運ぶメディア全ては「速い情報」の提供者と言える。

新聞の見出し、リードなどはその最たるものである。
いかに速く情報を伝えるかに意味がある。

「速い情報」はつまりどれだけ情報を瞬時に相手に伝えるかに主眼が置かれているため、
「選択」という行為が必然的に起こる。

「速い情報」はその情報を伝えようとする主の主観が伴う。これは当然だ。

例えば、看板を見てみると、
駅にあるような看板に、ある店が看板を出していたとしよう。

店の名前、地図、電話番号、キャッチコピーがせいぜいではないだろうか。

看板に創立年月日や、社長の名前なんかを書くか。

これらはいかに客に足を運んでもらえるかという視点で、
凝縮されたものであり、選択されたものである。

戦争報道でも然り。
戦争を本当にリアルに描写しようとしたら、原稿用紙が何枚あっても足りない。
目の前で起こっていることだけでも全て描写したら、とんでもないことになる。
いや、不可能だろうな、実際。

新聞記事はリアルではない。
当然、記者の主観を通したリアルである。

それを情報として誰かに伝えようとするならば、
記事にしなくてはならない段階で絶対に選択をしなければならない。
記者が何かを意図して、何かを強調して伝えようとして選択し、情報になるのである。

「速い情報」は確か俺らの頭の中に入ってくるプロセスはとても速い。
うまく使えば非常に便利である。
だが、その分、凝縮され、何より選択が多く行われているという点がある。

まあ、世の中の情報全てが真実と思っているやつなんていないとは思うけど。

じゃあ、逆に「遅い情報」ってなんだ。

これは「実感」と行ってもいいかもしれない。

小学校2年生の国語の教材・アーノルド=ローベルの「お手紙」という作品をご存知でしょうか。

『ふたりシリーズ』というシリーズで、
「がまくん」と「かえるくん」という二人のかえるが主人公になっている。

「がまくん」は今まで一回も手紙を貰った事ないことを嘆いている。
親友の「かえるくん」はそれを見て、一回家に帰り、

「俺は君の親友です  かえる」

といった旨の手紙をトロいかたつむりに配達するように託す。

また「かえるくん」は「がまくん」のところに行き、
「きっと手紙がくるよ」といって二人で待ち続ける。

何日も待ち続けてもまだ手紙が来ない。

ここで「かえる」は「がま」に手紙の内容を話してしまう。

しかし、「がま」は「いいお手紙だ」といって喜び、その後も二人で待ち続ける。

その4日後、かたつむりがやっとこさ到着し、
二人は大いに喜ぶ、って具合だ。

この作品を「速い情報」と「遅い情報」との違いが非常によく現れていると見ることができる。

言葉ってものの特性を見てみる。

言葉とは「速い情報」の代表格である。

実際に「かえる」は「がま」に
俺はお前の「しんゆう」であるという事を言葉で、速い情報できちんと伝えている。

しかし、ここで考えて欲しいのは、
たとえば、「かえる」が手紙だしたからって伝えて、すぐに帰ってしまったらどうだったか。

もしくは、手紙まってたら一瞬で来てしまったらどうだったか。

二人の喜びは半減すると思う。

「速い情報」には何一つ変化は無い。全て同じ条件である。
「しんゆう」という言葉はきちんと伝わっている。

しかし、なぜ、三つの条件で嬉しさが違ってくるのかというと、やはり「遅い情報」が働いている。

「しんゆう」という言葉なんて誰にでも言え、簡単に相手に速く伝わる。
しかし、それが実感を伴うようになるには「遅い情報」が必要。

「俺はお前の親友だ」って言葉は確かにこの場合、「速い情報」として伝わった。
しかしこの場合、
「何日間も一緒に待ち続けたという事実」が「遅い情報」としてはたらしている。

「何日間も一緒に待ち続けたという事実」が「速い情報」である「しんゆう」という言葉を実感が伴うものまで引き上げているのである。

それが情報かって思うかもしれないが、
実際に俺らの思考、認識に何らかの変化を及ぼしていることには全く変わりは無いし、
時間をかけて何か認識に訴えかけたのなら、紛れも無い情報である。

これは失恋にもあてはまる。

「別れましょう」って言葉を言われたとする。
この段階でも当然ショックだろうが、本当に別れたことを実感するのは
毎日話してたり、近くにいた人がいなくなったんだってことをふと気付いた時だろう。

ブランキーの歌詞ではないが

「知らない国のどこかの知らない誰かが死んだって、俺は涙なんかながせない」


けそ自分の知ってる人が亡くなったらやっぱ悲しい。

これは「遅い情報」の差であると思う。

自分の身の回りにいて、多くの時間を共有し、膨大な「遅い情報」を得ている人であればあるほど悲しい。

「あなたのじいちゃんの友達のいとこの娘の愛人のスピードワゴンさんが亡くなりました」
「あなたのじいちゃんが亡くなりました」

「速い情報」としての役割は全然違うことなんか無い。
それが悲しいか悲しくないかを決めるのは、

どれだけその人の「遅い情報」を得ているかだと思う。


先生から教えられたことを自分なりに解釈して書いてみました。

校了

2009-10-07 21:52:16 | 
上がりました。校了っす。

実に一年がかりの大プロジェクトでした。
本当に長かった。

度重なる原稿の差し替え、
そして度重なる俺の用字用語の統一ミス。

確か当初の予定では刊行予定は2008年度だったような。

校正完了、略して校了です。

後は製本に移すのみ。

今回は装丁も俺がデザインしました。
デザインの参考にしたのは塾時代に使っていた夏期テキスト。
白地でフォントで遊んで、英単語を散らしてみました。
デザイナーさんには俺のわがまま聞きまくってくれて本当に感謝です。
自分では結構カッコいい装丁になったかなと思います。
教育書の限界まで無機質にしてみました。


基本的にうちの会社では、

原稿→初校→再校→三校→校了
なんだけど、

原稿→初校→再校→三校→念校→抜念校→抜抜念校→抜抜抜念校→校了までいきました。
てかDTPの方、本当にすいません。

最後にゲラに「校了」ってスタンプを押すんですけど、
そのときは今までの苦労が走馬灯の様に駆け巡ってきやがった。

なので今日は一人でビール飲んでみた。

明日は装丁のプロッターが出てくる。
いやあ、楽しみ。

出版なんかに興味ない人は何言ってるか解らんと思うけど、
要は、俺が今日は嬉しいってことだけ伝わればいい。


そんなこんなで明日も頑張りましょうか。

リオデジャネイロ

2009-10-04 14:09:02 | 徒然
オラ!

昨日、本当に久しぶりに終電を逃した。
正確に言うと、俺の最寄り駅まで行く終電車を逃した。
最寄り駅の一つ手前まで行く電車に乗ってしまった。

そこからは30分以上歩かなくてはならない。
田舎のほうになるので、一駅と言えども、駅と駅の間が長くて結構大変である。

最近は終電を逃すという状況にならない。
毎日の仕事は終電というレベルではないし。
飲み会なども全くないし。

最寄り駅の一個前の駅っつうのが、俺が前に働いていた塾がある駅だ。

塾で働いていた時は毎日のように終電を逃していて、毎日のように歩いて帰ったものであった。

久しぶりに自分が終電を逃し、当時よく歩いていた道を歩いて、
塾で働いていた時の事を思い出した。

この道は一体何回通ったんだろう…



余り時事ネタなど書くような人間ではないのだが、
少し嬉しかったので書いてみようか。

オリンピックはリオデジャネイロに決定した。

俺はリオが一番よいと思っていた。
まず、初めてっていう部分。
そして南米はブラジルでオリンピックが開催されるっていう部分。

大した考えも無しにこの二点だけで、
「なんかいいじゃん」的曖昧な魅力を感じていたので非常に嬉しい。

というか正直に言ってしまうと、
東京にさえならなかったら別にどこでもよかった。

マドリードでも全然よかったし、なんならアフリカの広大なサバンナの上で野生のアニマル達を横目にやってもらっても全然かまわない。
南極とか土地が広くていいじゃない?

とにかく、東京にならなかったことが非常に嬉しい。

俺はオリンピックにびた一文興味は無いからである。

東京に決定したとしてもまだ先のことであるが、
俺は今もこれから東京を職場にする予定なのである。

そのときに、2002年のワールドカップのように、人がごった返すのだけはマジで勘弁。
うっとうしくて仕方がない。

それが何かテンション高くて、統一のユニフォームなんか着ちゃったりして、
うるせー声で騒いでたりなんかしたら不愉快の極みである。

オリンピックだろうがサッカーワールドカップだろうが、
好きな人がいて全然いいと思うし、楽しんで欲しいと思う。

けど、全く興味もない人がいるってことをすっかり忘れてるような態度が非常に不快。

好きな人は勝手に応援してくれて構わない。
けど、興味ない人にはせめて全く興味ないという中立の立場を取らせて頂きたい。

オリンピックは全国民が好きであるって前提で進めてるような感じが気に入らない。

だから東京にだけはならなくて本当に嬉しい。

去年の夏はイギリスに留学していたので、
(テレビ無かったし、それどころじゃなかったし)北京は一秒たりとも見なかった。




そういう手段もあるのか。

けど次はロンドンだったんだよね…危ない危ない…





腑抜けた

2009-10-03 15:28:19 | 徒然
教員採用試験が終わり、現在は結果待ちである。

教員採用試験が終わったのは、9月の6日のことである。
9月中はゆっくりしよかなと思っていた。
そしたら最近、かなりの腑抜け具合だ。
本当に毎日仕事するだけの日常。帰ってきて、何もしなくなってしまった。
一次試験の前なんかは仕事が終わって、
11時半まで勉強していたのに…

実技試験の対策中はモチベーションだけは無駄に上がり、
実技試験終わっても英語の勉強は真剣に続けよう。
TOEICとか英検を受験し、資格を取ろう。
などと受験が終わってからの英語の学習に対する目標まで設定していたほどであった。

当初、9月6日東京都教員採用試験の実技試験が終了したら、
もっと、あ~終わった~という感覚になるのかと思っていた。
自分でもそれまでは結構ストイックに頑張ってきたつもりだったから。

しかし、実際はそんな開放的な感覚とはほど遠い。

何かがどっかにつっかかってる感覚がある。
能天気に開放的になれない。

よく考えてみれば当たり前である。

結果が出ていない。

そして実技試験で失敗してしまった。


上記の二点から、この結果待ちの宙ぶらりんの時期はなんとも
スッキリしない気分になるのは火を見るより明らかである。

6日に試験が終わって、その次の週に教員採用試験を受けた仲間達飲んだ。

この三人とはかなり運命の巡り合わせ的出会いで仲良くなり、
同じ大学に集まり二次試験の対策をしたりした。

特にもう一人のYさんは受験教科が英語という事もあり、
二次試験が終わってからも実技の練習を二人で何度もした。

本当に何度もした。

2日に一回は会っていた。どんだけ仲が良いのか。

しかも実技の試験って簡単に言えば、
「英語の面接」である。

ガチです。

練習はガチでしました。


小金井のジョナサンで。

もうなんだこいつら的な視線の集中砲火。
けど恥ずかしいとか言ってる場合じゃないからね。
こっちは必死だから。

小金井のジョナサンでいきなり真剣に英語を話し始める。

俺でもなんだこいつらって思うわ。よく考えたら。

二次試験から実技試験の二週間の間、Yさんと話してる間は、基本英語。
何か電車で考えたりした事は、すぐに英語に直してみる。
英語漬けの毎日だった。

…で、飲み会の話に戻すと、
飲み会での雰囲気は実に中途半端なものであった。

「おつかれ~」

「おつかれ~」

「本当につかれたね~」

「いや~長かった…」

「やっと終わったね…」


「ふう…」



「はあ…」




誰もが、
「でもまだ結果出てないんだよね」
という台詞を口に出す事を避けていた。

そこにいた三人誰もがそんな当たり前の事実には気づいていたが、
この場で、その台詞を口に出す事はtabooであるという事にもまた気付いていた。

まあ、試験の話だけでなくて話は多岐に及んで、楽しかった。


で、そんな飲みが終わり、

俺は週末には生まれ故郷に帰り、本当に何年ぶりかの墓参りに行ったりした(9月16日の日記参照)。


そしてその次の週には何と南紀をぐるっと回ってきた。


その次の週は秩父の山に行った。


そして次の週はこうして時間を持て余し、パソコンと向かい合っているという訳だ。