3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
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20年越しの夢 7 ―最終日・帰国編―

2015-06-27 20:04:57 | 
2014年8月4日

ペルー旅行最終日。

この日はリマの町を散策し、深夜の便でアメリカへと発つ。
精神的にもだいぶ吹っ切れてきた。
何より肉体的には本当に楽になった。
酸素があるってこんなに幸せなことなんだな…

プーノへ行くことができなかったのは残念だが、いつかまたきっと行きたい。
次行くときは病院で高山病の予防注射を打ってから臨もうか。

インカコーラを飲みつつ、昼飯にはペルーの有名料理である、セビーチェを食べた。
ご飯を普通に食べれるってこんなに幸せなんだな…

ってこれがすごくおいしい。
自分としてはペルーの料理の中でこれが一番おいしかった。
セビーチェとは、生の白身魚をレモンでしめた料理なんだけど、これがまたさっぱりして本当においしい。
もしかしたら、久しぶりに食べたまともな食事だったからかもしれないけど。
山盛りのセビーチェをぺろりと平らげてしまった。

その後はラファエル・ラルコ博物館というところへ行った。
ここには数々の土器がコレクションされているんだが、なんといっても面白かったのは、エロティック土器。
その言葉通り、性をモチーフにした土器が数々展示されているのである。
もちろん、子供は立ち入り禁止で、別棟になっている。

そして面白いのはトイレの「男、女」の表示までもがエロティック土器で表示されている。
思わず写真を撮ってしまった。

性ってどれだけ古い時代であろうが、人類が繁栄してきたってことは必ず性行為は行われてきたわけで、
今だろうが、4000年前だろうが変わらない人間にとって普遍的なものの一つだよな。
そう考えると、当時の人たちが性をどう捉えていたのか少し覗けたような気がして面白い。
エロいとかそういう感情はあまり起こらなかったな…

そしてこの博物館は中庭がすごくいい空間。
ハチドリが訪れるらしく、目で追うのも大変なスピードで彼らが飛来する。

写真で捕えようとするが、なんせスピードが半端じゃない。
宙に浮くあの独特な飛び方をしたかと思えば、次の瞬間には瞬間移動している。

中にはでは猫がほのぼのと昼寝をしていた。時間の流れがゆっくりだ。



その後は最後の目的地である、リマのミラフローレス地区に移動。

ここはリマの中であるが、初日に訪れた旧市街歴史地区とは違い、新市街。
つまりは比較的おしゃれな雰囲気のハイソな街並み。海沿いの町である。

まずはラルコ・マールというショッピングモールへ。
ここがペルーであるということを忘れてしまうくらい大きなショッピングモールであった。

まあ、自分としては歴史と文化と世界遺産をこの国に求め、この国に惹かれていたので、買い物にはあまり興味がなかったんだけど、やっぱり首都ともなるとやっぱり発展してるのね。

定番の恋人たちの公園にも行った。
有名なキスをしあう男女のモニュメントを見たが、それよりも高台から見た海外線の景色がとてもきれいであった。
パラグライダーが飛び交っている。


そして最後に夜になり、日本人が経営しているショップに行き、最後の買い物。
ここではスーツケースの整理もすることができた。

せっかく来たのだからということでアルパカのニット帽を購入した。
季節はまだ夏なのにね。


リマの空港へ向かう。
もうすでにこっちの時間で深夜だったら体力的にもかなりつらかったが、
リマ⇒アトランタ間は爆睡できたらしく、ほとんど何も覚えていない…

アトランタではトランジットが4時間くらいあったので、この時間が非常に辛かった。
まずはスタバでコーヒーを購入。

アメリカのスタバでは購入するときに名前を聞かれる。
で、商品を渡される時、名前を呼ばれるのである。

おれは自分の名前をはっきり店員に伝えたつもりであったのだが、店員はまったく違う意味不明な単語を大声で叫んでおり、その単語がまさか自分の名前であることに気づくまでにしばし時間を要してしまった。

何かしようといっても空港内なので、特にやることもなく、ただぶらぶらと買う気もない店を冷やかしたり、だらだら本を読んだりして時間をただ浪費する。

ようやく時間が来て搭乗。
アトランタ⇒成田間も比較的寝ることができた。
行きとは比べ物にならないほど早く感じた。何より、隣の席が空きという奇跡が起こったので非常に楽だった。


成田に着いた時には体力はもう底をついていた…


が!

なんと成田に到着したのは午後の5時くらい。
で、8時から仕事があったのである。

急いでスーツケースを宅急便で送り、スカイライナーに乗り込む。

スカイライナーの中ではいろいろなことが頭の中に浮かんだ。


死ぬほどつらかったけど、たぶん一生忘れない濃い10日間だった。