3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
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4000年の歴史 -胡同(フートン)編-

2011-08-17 22:39:02 | 

2011/8/14

三日目。

この日は午後3時の便で成田へと帰る。
午前中の時間がぽっかりと空いた。


当初はこの三日目に北京の町をふらつき、お土産等を買ったりして街歩きを楽しもうかと思っていたのだが、北京の町は初日に十分すぎるほど歩き回り、しかも俺が求めているような店が余りないということを知っていた。

ということで、この三日目の午前は何をしようか。ホテルでだらだらと時間を過ごすのはまっぴらごめんである。せっかく中国にいるのだ。どうせならどこかに言って何かを見たい。

そんな状況下だったのだが、実は昨日、ガイドの人がとてつもなくナイスタイミングな情報を提供してくれていたのだ。

ガイドさんによると、胡同(フートン)と呼ばれる北京の古い町並みを残している場所である。ここにツアーで行くことが出来るというのだ。

どっちかというと俺は高層ビル群が立ち並ぶ北京市街地よりも、そのような生活観が見える場所のほうがよっぽど興味があった。

地元の人の生活は当然、家に入ったりすることもできるらしい。

いくつかのコースがあったのだが、3時間で巡るものがあった。
なんとまあ、俺のために用意されたようなプランではないか。

ということで昨日のうちに実は申し込んでいたのだ。

早速タクシーで入り口へと向かう。

移動は胡同の定番と思われる、三輪リキシャ。

リキシャ自体もボロボロで、ギシギシ音をたてる。
漕いでいるおっちゃんの服もいい感じにみすぼらしい。
服は汚れ、靴はボロボロ。町の風景と一体化している感じがよい。


暫くリキシャに揺られて、銀錠橋胡同という場所へ到着。一軒の家庭にお邪魔することになった。

伝統的な中国は北京の家。
なかなかできない体験である。普通に家の中まで入って、家の様子を色々見せてもらった。

地元の人々の生活を生でリアルに見ることが出来る。
こういう体験を求めていたのだ。

野良犬らしき犬がふらふらと道を歩いている。
乱雑に転がっている自転車。
そしてなぜ運転できるのか疑問に思うほどの荷物を抱えて自転車を漕ぐおばちゃん。
上半身裸へ道端にころがっているおっちゃん。
家の外に干してある無数の洗濯物。
近くの者たちが集団で利用しているのであろう公園で運動している人々。

みな、とても力強く、生活力に溢れていた。
熱が漲っていた。

今の俺ではここでは暮らせないなーと思う。


胡同でリアルな生活風景を垣間見て、新鮮な体験はあっという間に過ぎた。


リキシャで先ほどの入り口に戻る。

その後、タクシーでホテルへと帰った。


いい具合に時間はつぶれたのだが、空港へ出発する時間までまだ1時間程度余っていた。

昼飯を兼ねて、最後の北京散策へと繰り出す。京都苑賓館周辺、そして最寄り駅の建国門駅周辺の地理にはたった3日間ながら大分詳しくなった。


昼飯はマックで軽く済ませた。時間もなかったし。

そして最後の挑戦を試みる。


俺は北京に着いた時からとても疑問に感じていたことがある。


北京はやはり大きな都市であった。高層ビルが立ち並び、綺麗に舗装されていた。

しかし、このような大都市はどこでも貧富の格差は存在するのである。

北京では街中でよく壁を見た。

その壁は人の身長よりも高く、まるで中を見えなくしているようであった。

そしてその壁からたまに飛び出して見える家の屋根は、みな一様にボロボロで、石が乗せてあり、屋根が飛ばされずに屋根としての状態を何とか保っている状態であった。

なぜ、このような家、生活空間は壁で囲まれているのであろうか。
何かを区別しているのであろうか。
それとも、見せないようにしているのであろうか。
このような高層ビルが立ち並ぶ大都市に似つかわしくない部分として壁で隠されてしまっているのであろうか。

とても疑問であった。

真実は分からなかったが、俺はその中をぜひ見てみたかった。
中に入ってみたかった。危険なのは百も承知である。
異国の観光客は絶対に入り込んではいけない場所であることは一瞬で理解できていた。

京都苑賓館にすぐ近くにも壁はあった。
その壁の中に続くと思われる細い道を発見した。

けど中には入れなかった。強く惹かれるものはあったが、今回の旅はひとりではなく、2人で行ったものだった。俺のわがままを突き通すわけにはいかなかった。

今思うと観光客が入り込んでいい場所ではないという点でも行かなくてよかったのかも。


壁の中身を確かめぬまま、時間になった。
今でもあの壁の中はどうなっているのかは謎のままである。

空港に着き、売店をうろつき、搭乗、日本へ。



何事も無かったかのようにまた日常が始まっていった。




おわり