3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

ミシュラン

2010-12-24 11:50:02 | 徒然
先週の土曜日、俺が大学時代に働いていた塾での同僚だった知人の結婚式に行ってきた。
披露宴からではなく、僭越ながら式にも出席させて頂いた。

俺は塾では集団形式の授業専門であった。
一方、彼は個別専門の講師。
接点がほとんど無く、4年間一緒の職場で働いたが、交わした会話は多くは無い。

俺の立場からして、披露宴からでも全くおかしくないし、何より二次会からでもおかしくはない。
なぜ俺なんかがフルコースで呼んで頂けることになったのだろうかと少し疑問に思っていた。彼にとってもっと仲がよかった人も大勢いたはずなのに…

式の終了後、その理由が判明する。

もう何ヶ月前のことかは忘れたが、彼から結婚のご報告のメールが入ったのだ。

そもそも全く連絡を取り合うような仲ではなかったので、その分俺に報告をしてきてくれたということが、とても嬉しかったのだ。

そして俺は彼の一生に一度しかないこの報告に、俺が当時考えられうる最高の祝辞を返信した。

何と、この返信が俺が招待されたという理由になったのだと、翌日に知った。
彼が言うことには、返信が誰よりも丁寧で、この人は絶対呼ぼうと思った、とのこと。

俺よりも仲がよかったやつも大勢いたはず。
その関係とか立場とかを全部すっ飛ばして、たった一つのメールの返信で俺が選ばれた。

人は何が本当に嬉しいことなのかは分からない。

けど、彼がそこまで言ってくれる様な返信ができたことを純粋に幸せに思ってよいのではないか。


で、式のこともちょっと書いとこう。このままでは俺のメールの返信が最高だったことの自己満足だけで終わってしまう。

会場は代官山。
代官山駅は交通の便が悪いため、恵比寿駅からタクシー。式開始10分前に到着。
タクシーの中で熨斗袋の用意をする。ファミリーマートで買った。

代官山っていうだけで俺はひれ伏さんばかりなのに、彼曰く、ミシュランの1つ星レストランだとのこと。因みにそのシェフは3つ星のシェフとのこと。

ミシュランの星が何なのか、そもそもミシュランが何なのかよく分からないが、何となく凄いお洒落な感じだけは十分に伝わった。

披露宴の料理は美味しかった。フランス料理なんて食べる機会が滅多にない。
吉野家の牛丼と同じペースで食べたかったが、郷に従い、ゆっくりとナイフを用いて頂いた。

俺はこれで晴れて、ミシュランのレストランの講評をできる男になった。

式では余りゆっくりと話せなかったので、二次会ではサシで話してやろうと虎視眈々と狙っていた。

僅かばかりの時間を狙い、彼と話す。

俺が一番聞きたかった質問、“結婚式の前夜って何を思うものなのか”をぶつけてみた。

すると、“準備がまだ全て終わってなくて、忙しかった”


なるほど…。随分現実的な回答をありがとう。




ということで、幸せの御裾分けを頂いた一日だった。



日常更新

2010-12-16 19:50:38 | 徒然
たまに自分の書いた記事をふと読み返すことがある。
時系列に見ていくと、なんともその当時の自分が映し出されていて面白い。


当然、読んでいて顔から火が出るような恥ずかしいことを書き散らしている日もある。
そのような恥ずかしい日記を消してしまいたい衝動に駆られる。

だがそれだけは絶対にしない。

俺がこのブログを記憶と同じ価値で捉えているからだ。

例えば、本当に恥ずかしいことをしてしまった日。
大失恋をした日。
日常が生きていると言うに値しない屑のような日。

誰でも一個や二個の消したい記憶を持っている。

タブをクリックし、1アンペアにも満たない電量が流れ、きれいさっぱり記憶を消せるとしたらどれほど楽に一生を送れるだろうか。

この日記は簡単に消せる。
何の労力も無く、気楽に消すことができる。

このブログには俺なりに感じたことや、日常を徒然なるままに綴っている。

その当時に俺がそれなりに感じたことを書く。
そして後に気に入らないから、恥ずかしいから、それを抹消する。

果たしてこの行為にどれほどの意味があるのだろうか。


否が応でも消さなければ記事は積み重なっていく。

時には読み返すと死にたくなるような記事もあるかもしれない。


その死にたくなるような恥ずかしさをありありと思い起こさせることそのものがこのブログの存在価値であって。

その死にたくなるような日常を残しておく事に意味があるのだ。

記憶は風化する。
だが、この駄文は半永久的に残り続ける。

俺の記憶を少しでも取って置けるように、頑張ってゴミみたいな日記を日々更新していこうと思う。




白の世界

2010-12-15 18:29:22 | 徒然
12月も中旬に突入した。


最近天気が不安定だ。


職場の窓から灰色の空を眺める。

そこから見えるのは高層のビル郡。

建物の色は失われ、見るもの全てがモノクロームの世界に見える。

たまにそんな空が無性に見たくなるときがある。


色が曖昧になったモノクロの世界。


曇り空の中、しとしとと雨が降ったりやんだり。


そんな景色をぼー…っとただ眺めているのが好きだ。



冬の名に恥じない夜の寒さ。

夜になっても星も見えない。ただ身に染みるのは寒さばかり。

そんな中一人で歩くと取りとめもないことを色々と考える。


もっともっと寒くなればいい。

そして全てを凍りつかせてしまえばいい。

灰色の空の下、目に見えるもの全てを真っ白に染めた雪が全ての音を吸収して、時間が止まる。


そんな景色を今日も夢見て家路に着く。


そして自分の考えたことが余りにも下らなくてちょっと笑った。



TIME & VIEW & MUSIC

2010-12-08 20:40:15 | 音楽
あぁ…空腹が極限に達している。
タバコの紫煙が胃を更に刺激している。

朝の通勤時、丁度俺の前の座席が空き、座ることが出来た。
ラッキーなどと思ったが、同時にいつ俺はこんなおっさんの思考になったのだろうかとふと悲しくなった。

これまで読んでいた夢野久作の『少女地獄』とヴォネガットの『タイタンの妖女』を読破し、暫くの間読書はお休みしようかと思う。

今、音楽が聴きたい。

無性に音楽が聞きたい。
大学時代のように、暇さえあれば音楽を聞き漁り、開拓していきたい。

今は年末の海外に向けて本当に節約しなければならないので、CDを買っている経済力も無い。加えて俺のPCはイカレているので、i-tunesを起動させることが出来ない。
前に買ったi-Podは更新が途絶えたまま…
ここ半年くらいに買った新しいCDも入れることが出来なく、非常に口惜しい。

音楽は、気まぐれで本当に飽きっぽい俺が唯一幼い頃から親しみ、そして飽きないで今も続いている趣味である。
音楽がないと生きていけないなんてことは全く無いが、それでも音楽は死ぬまで聞き続けていようと思う。

音楽を聞いていると、その時の情景や心理描写がありありと蘇ってくる。

本当に嬉しかったときも、本当にダメダメだったしょぼくれてた時も、いつもそこには音楽があった気がする。
その曲を聴くとその時のことを思い出す。

中学生だったころ、高校生だったころ、そして大学のころ。
常にその俺が生きていた時間にそれぞれの音楽がある。

そう考えると、俺は今まで常に音楽を聞き続けてきたんだろうと思う。

その風景をリンクする音楽。
それは別にその情景や心理にぴったりと合っている必要なんか全く無い。
自分の中で重なり合えばいいのだ。



暫く音楽と離れてせいだろうか、こんな気分になるのは。

大学時代あれ程までに音楽にまみれた生活を送るとは思わなかった。
なんて恵まれていた時間だったのだろう。
毎日のように音楽を聞きまくり、演奏しまくった。

時間は流れ、俺は音楽を演奏することはまったく無くなってしまったし、1ヵ月音楽なしでも平気で生活している。
やはり、俺は音楽がないと死ぬような人間にはなれていないのだろう。

しかし、やはり今ここまで音楽を渇望しているという事実が、俺が音楽が好きで、これからも一生聞き続け、これからの俺の時間には、何かしら音楽がそばにいるんだろうと思う。


熱が冷めないうちに行動に移すことが、人生成功するコツなんじゃないかって最近思う。



ハーモニウム飼いたい

2010-12-07 20:10:00 | 
標記の通り、『タイタンの妖女』を読破した。

おそらく多くの人と同じように、俺も爆笑問題のススメの最終回での太田光のコメントを見て、感化されて読もうと思ったクチだ。
あのレビューは本当にこの本が面白い、読むべき本であると思わせてくれるな。

それから随分と時は過ぎてしまった。
けど何故か読むときは一字一句逃すまいとなめるように読んだ。

読んだ感想としては“神のような小説を読んでしまった…”

小説を読んだ者、あるいは“徹底的に無関心な神の教会”の信者なら突っ込みたくなる表現かもしれないが、あいにく俺は無宗教なものでね。

人間が、宇宙がここまで発展してきた究極の目的の残念なものっぷりがとても衝撃的。加えて同じくらいサロが気の遠くなるほどの時間を待ち続け、守り続けたメッセージのくだらなさも同じくらい衝撃的だった。

太田光はこの小説を読んで号泣したと言っていた。
俺は泣かなかった。しかし、この小説はもっともっと多感な時期に読んでおくべきだったのかもしれない。

ただ、間に合ってよかった。
この小説を読めてよかった。
大げさな言い方になるがこの小説に出会えてよかった。

一生をかけて読むことができる小説の数なんてたかが知れている。
そのごく僅かな中で、読むことができてよかったと思う。
この話を知らずしてこれからすごすことにならなくてよかった。

本当に面白かった。そして考えさせられた。それはとても抽象的で、大きく漠然としていることことだけれども

面白かったという表現が必ずしも適切なものだとは思わないが、とりあえず探して書くのがめんどくさいのでこのままにしておく。

ヴォネガットは間違いなく天才だと思う。
小説を書きたいなんてことを思っていた時期があったが、この作品を読んでからそんなことを考えるべきだったと感じた。

歴史にのこる本当の名作を読むことができてよかった。
偶然にもこの作品を知ることができてよかった。

この作品を体験することなく一生を終える人もたくさんいるんだから。


いや、俺がこの本に出会うことができたのはどこかにいる誰かの思し召しで、
この本のことを偶然のように知り、出会うことができたことは必然だったのかもしれない。


もしかしたら、俺は天にいる誰かさんに気に入られているのかもしれない。




nEWs

2010-12-02 19:34:23 | 徒然
日記を書くときと書かないときに非常にムラがあるのはいつものことである。
昨日に引き続き連日で更新を試みてみよう。

とは言え、特に何を書こうというものは全く無く、いまキーボードをカタカタと叩きながら考えているところである。


うん、何を書こう。



前の出版社を辞めてから、世界の動向に疎くなってしまった。
これは非常にまずい傾向である。

俺は新聞を読まない。

ただ、ニュースは欠かさず見ている。
これを欠かすとどんどん頭が悪くなる。常識に欠ける人間になる。

これは俺の持論であるが、“頭が悪いやつ”の要素って色々あると思うが、その1つに一般常識に欠くやつってのが挙げられると思う。
一般常識ってどこの誰が線引きしたものなのかはいまいち不明であるが、今の日本の、そして世界の動向ってのはかなりいい判断基準になると思う。

ニュースなんかそこまで専門的知識を求められているわけでもない。
常識的なことを幅広く押さえることができる。

いま何が流行っているのだとかは結構面白い。
が、俺は芸能人の恋愛ばかりを特集するようなゴシップな感じのニュースが大嫌いだ。そんなことに微塵も興味がわかない。
「AとBに熱愛発覚!」
だからどうした。それを知ってどうなる。それを知ってお前の何かが変わるのか?
これを翌日の話のねたにしようとなどは思わない。

やはりニュース番組は堅苦しいものに限る。


もちろん毎日新聞をきちんと読めるような人間になれればより常識力を養い、俺が思う頭の悪いやつと遠ざかることが出来ると思う。

なんともそれが出来ないので、ニュースだけは欠かさずチェックし、特に世界情勢(池上氏の得意そうな分野)を重点的に見ていた。

それに加え、前の会社では日々の業務がパソコンを中心に仕事をするため、と言うかパソコンがないと仕事にならないため、四六時中パソコンと向き合っていた。
出社して業務に移る前の15分の間、yahooとmsnのトップのヘッドラインになっているニュースを片っ端から速読するのも毎日の習慣になっていた。

最近はそんなことをしなくなった。
ニュースも余り見なくなった。

最近本気で板門店に行きたくて、今度行ってこようと意気揚々としていたときに、あの事件が勃発し、行かなくてよかったと胸を撫で下ろしたということもあった。
タイミングの問題だが、それを知らずにノコノコといってしまうような馬鹿にはならずに済んだ。


馬鹿になる前に、常識ない人間になる前に、世界に置いて行かれる前に、

知識だけは何とか世界に食いついていこうと思う今日この頃。



1年

2010-12-01 19:23:56 | 徒然
昨日で11月が終わり、今日からいよいよ12月が始まった。
今年も残すところあと1ヵ月だ。

今年をざっと振り返ってみると、この1年間で俺は果たして何か手に入れることはできたのだろうかと思う。
以前、確実に前に進んでいるという感覚はあるというようなことを書いた覚えがあるが、それは本当に俺の皮膚感覚による適当な予想ではなくて、確実に自分の中で今年はこれを獲た、と言えるような何かがあるのだろうか。

1年を総括するにはちょっと早いかも知れないが、最近よくそのような感覚に襲われる。
こまごまとした毎日の進歩を感じるときももちろんあるが、1年で今年はこれを獲たってものが何も無いなんてのは結構終わっていると思う。

1年ってそれくらいの長さ・価値のあるだと思う。


昨日、久しぶりに前に働いていた出版社に行った。
退社後も引き続き校正している単行本のゲラを届けに行ったのと、そのゲラに関して打ち合わせを行った。

辞めてから2ヵ月以上が経過した。

この2ヶ月は自分にとって余りにも新鮮で、全てが新しい経験だったため、たった2ヶ月しか経っていなかったことにとても驚いた。もっと相当前のことに感じる。

以前の上司と暫し閑談。既に懐かしい。たかが二ヶ月まえなのに。
当たり前だが、俺のいないところで既に新しく回り始めている。
勝手も極まりないがやはり少し寂しい。

そんな複雑な感情を抱きながら今日も仕事に行く。


今年は年末年始を海外で過ごすことに決まった。

今のところそれが楽しみで毎日やっていける。


これから飯を食って、シャワー浴びて、寝て、明日も仕事に行こう。
寝る前に本を読んでみようか。
日記を書いてみようか。
少し勉強してみようか。


何もしなくても勝手に明日は来てしまうのだから。