3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

真夏の冬 4 ―古の寺院アンコール・ワットへ―

2012-12-27 01:26:37 | 
昼休みにトンレサップ湖に遠出したため、ほとんど休憩を取れず少し体力的にきつい部分もあった。
ホテルに戻ってベットにゴロンとしただけで、一瞬で向こうの世界に行きそうになった。
しかし、午後は遂にアレを訪れる。気合を入れて臨まなければならない。

途中で飲んだマンゴーシェイクがうま過ぎたということもついでに書いておく。

アレは、ホテルからバスで15分ほど。
本当に確認しているのか怪しいくらい適当な遺跡のチケットの確認を終え、とうとう見えてきた。

あの世界史の資料集や世界遺産の書籍で何度も見たことのあるあのフォルムが見えてきた。
とうとう俺はここまで来た。
アンコール・ワットをこの目で見て、この足で踏みしめる時が来たのだ。
大げさだが、写真でしか見たことのなかったアンコール・ワットが実際に目の前にそびえてるのを見たときは感動した。本当に。

遺跡巡りでは何度も見た、ナーガの石像が入り口で待ち構えていた。

まずはお堀の上の周壁までの一本道。アンコール・ワットは二段構えになっているのだ。
ちなみに南北1300メートル、東西1500メートルの堀で囲まれており、参道までは600メートルもある。
まだまだ本番はこれからだ。
あ、ちなみにワットとは寺院という意味らしい。

王の門とゾウの門があり、身分的に明らかに俺はゾウで十分である。
右わきのゾウの門をくぐると…

遂に見えた。あの写真でよく見るあの3塔が並ぶアンコール・ワットが!

シンメトリーがたまらない。そして中央神殿にまっすぐに続くあの一本道。
この中央神殿までの道の長さが建物との絶妙な距離で、これまたきれいに見えるんだな。

人が多かったのが少し残念だったが、人が少ない明日の早朝に期待しよう。
この中央神殿までの参道が有名すぎて、調子に乗って写真を撮りまくったが、あとで見直したらまともな写真は二枚だけだった。

いよいよアンコール・ワットの中央部に。

アプサラダンサーが刻まれたレリーフを抜け、中央部に進む。
柱には数多くの落書きが。歴史的な日本の落書きもあるのだが、ほとんどが日本でよく見る“○○、ここに参上!”的ものばかりだ。

一度外に出て回廊を外から臨む。
恥ずかしいことに初めて知ったのだが、アンコール・ワットの塔って正面から見ると3つに見えるから、3つしかないものだと思っていた。
けど回廊から出て北側から見ても同じように3っつの塔が見える。
中央の塔一つに加えて、囲むように4つ塔があったらしい。

外壁を見てもとても積み上げただけだとは思えないほどの精巧さ。
まるでパズルのようだ。

そしていよいよ第三回廊へと昇る。
この階段がめちゃめちゃ急なんだよ。
以前、韓国だかの人が階段から落ちて命を落としたらしい。
まあ、確かに慣れてない人は落ちてもおかしくないなってくらい急。
けど、そういうことがあったせいか、一番ゆるい、後から作った階段以外はすべて規制され、立ち入り禁止になってしまったようだ。

そしていよいよ第三回廊からの眺め。
絶景である。

シェムリアップでは建物の高さも規定があるらしい。
当然、遺跡よりも高いビル等を建設してはならない。
そのせいか、高い建物が遺跡以外何もないので、遠くまできれいに見渡せるのだ。
このアンコール・ワットの第三回廊からの眺めも秀逸であった。
カンボジアの大地を遥かまで見渡せる。
加えて夕日が沈む一歩手前の時間帯で、メランコリックな感じもこれまたよい。

ちなみに俺はやらなかったが、気球に乗ってアンコール・ワットを上空から見下ろすというアトラクション(?)も有名らしい。
少し馬鹿にしていたところがあったが、高い建物が全くないこの辺りではかなりきれいに景色が見渡せるんだろうな。

第三回廊から降りて、そのあとは一連のレリーフを見る。
これがまたすごい。よくこれを手作業で彫りきったよというくらい。ひたすら同じような人物が永遠並ぶところとか、
まるでコピーしたかのように正確。

ここは彫刻が一連の物語をつくっている。
まずは西面のマハーバーラタ、ラーマーヤナ。
そして南門の天国と地獄を表現した彫刻群。この南門の彫刻の精巧さは驚嘆に値した。
東側には乳海攪拌という、ヒンドゥー教の天地創世神話が描かれており、蛇を引っ張る描写もすべてコピーしたかのよう。

そして裏門からアンコール・ワットを後にする。
入場してきた正面とは違い、裏門は人が誰もいない。
しーんとしており、何気にここが隠れたベストスポットなのかもしれない。

そして北側をぐるっと回って再度正面に。
この時間がまさに日没の時間でアンコール・ワット越しに沈む夕日はめっちゃきれいだった。

そしてアンコール・ワットの一番の美しいフォトスポット。
富士山の逆さ富士よろしく、アンコール・ワットのお堀の池に浮かぶ、まさに逆さアンコール・ワット。
カンボジアは風が少なく、池の水が漣だたないので、くっきりときれいに水面にアンコール・ワットを映し出す。
夕日に照らされ少しオレンジがかったアンコール・ワットは本当に芸需品だった。

そして夕日を正面に受けて少しオレンジがかったナーガの石像もきれいだった。
このたびで気に入ってしまった。ナーガ。

その後は夕食。
カンボジアの伝統であるアプサラダンスを見ながらカンボジア料理を堪能した。
相変わらずカンボジアのラーメンはうまい。

次の日はアンコール・ワットの朝日を見るためにまさかの5時起きである。
寝坊しないようにこの日は早く寝た。

なんてことはなく、ホテルに戻ったのは9時くらい。せっかくカンボジアにいるのだ。このまま寝てしまうのはもったいない。
昨日に引き続き、よるのシェムリアップの町を散策に飛び出す。

たった1日だが、カンボジアの免疫がかなりついたと思われる。
話しかけてくるトゥクトゥクの勧誘も、店の営業もすんなりとかわす。経験値は確実にアップしていた。
昨日より少し時間が遅かったためか、昨日に比べちょっとだけ活気に欠ける。

ただ、そんな中で活気ムンムンの場所に向かう。
その名もナイトマーケット。闇市である。

ここは夜の時間だけ空いている市場である。
お土産屋が所狭しと犇めいている。ここは活気に満ち溢れていた。

ここの人たちはがっついてくるんだけど、何か余裕があった。向こうも外国人対応に慣れているんだろう。
だから沢木耕太郎のように、価格交渉を楽しむことができた。
ここが楽しすぎて思いのほか時間を使ってしまった。

“オニイサン~、ティーシャツ、イチドル、オニイサン~”

ティーシャツオニイサンと化し、価格交渉を楽しみながらたくさんの買い物をしてしまった。
予想外の出費だったが、やっぱり市場での買い物って楽しい。これこそが海外で買い物をしているって気分になるんだな。

意外な楽しみを見つけ、テンション高めでホテルの帰路を歩く。


結局明日朝早いにも関わらず夜更かしをしてしまった。



2日目の日記がようやく終了した。なげーよ。
まあ、それほどこの日は濃かったってことですね。
本当に濃厚な1日だった。







真夏の冬 3 ―東南アジア最大の湖トンレサップ湖―

2012-12-27 01:24:37 | 
カンボジア旅行の2日目の昼休み。

昼休みだけで独立させて書こうと思う。
たった2時間ほどの昼休みであったが、俺にとってこの2時間はカルチャーショックがあまりに大きく、
本当に考えさせられた。この時間が俺にとってあまりに大きいからだ。
本当に今回の旅行は、何かを見て感動したこと以上に多くのことを考えさせられた。
ここまで勉強になったな、と感じた旅は初めてかもしれない。

生きる力って一体何なんだろう?
日本では生きる力を育むって言われてるけど。
カンボジアで見た子どもたち、特にこの時間に見た子どもたちは生きる力に満ち溢れていた。
幸せかどうかなんて本人しかわからないし、生活水準も全く違う日本人が勝手に判断していいものじゃないだろうけど。
とにかく必死で生きていた。
一生懸命生きていた。
生きることに絶望している感じも、生きることを放棄している感じも全くなかった。
その環境にならなければわからないことなんだろうけど、とにかく生きよう、生活しようとする意思は強く感じられた。
まあ、日本人の勝手な判断基準だけどね。
幸せが飽和状態で、かつ飽食の日本人が第3者的に見ているって事実は十分ご承知。


では昼休みにどこに行ったのかを以下に記す。

午前中の遺跡巡りが終わり、周りのメンツは慣れない猛暑に疲れ切っていた。
体力が有り余っている俺は昼休みが3時間もあり、この時間はどこに行こうかと考えていた。

そんな中、オプションで、近くのトンレサップ湖に行くツアーがあるとのこと聞いた。
もう即決。行くに決まっている。

トンレサップ湖は前から知っていた。テレビで見たこともあったし。
ガイドブックを見て、シェムリアップから近いことを知り、行ってみたいなと思っていたところだったので、キター、って感じだ。

トンレサップ湖は東南アジア最大の湖。
琵琶湖の25倍だからね。見た目は湖ではなく、もはや海だよ。

シェムリアップからトンレサップ湖までは車で30分程度。

湖に近づくにつれ、街並みがどんどん変わってくる。
道路もすぐに舗装されていないものに変わった。

シェムリアップの街並みは観光客向けの街並みなんだろうな。
車を5分ほど進めただけで間にの様子は一変した。
ただ、これがカンボジアの原風景なんだろう。
中国で見た胡同のような感じ。素朴で質素な高床式住居が並ぶ。

トンレサップ湖に到着し、クルーズ船に乗り込む。
湖は濁っており、決してきれいだとは言い難い。
ガイドはこの水を飲んだら、日本人ならほぼ100パーセント腹を壊すといっていた。
まあ、現地の人はこの水で生活しているんだから、人間の体っていうものは順応するものなんだなと実感。

エンジンの音がけたたましい船は進む。しばらくはトンレサップ川。
湖までの川の両脇には、現地の生活をそのまんま見ることができた。
その合間を縫うようにマングローブが生い茂っている。

家屋は水の上に浮かんでいる。そう水上家屋である。
生活がすべて水の上で行われる暮らしというのは一体どんなものなのだろうか…トイレはきっと川に垂れ流しなんだろうな…
洗濯物など生活感丸出しで、中も丸見えである。プライベートもあったもんじゃない。
子供たちは元気に全裸で水に飛び込んだりしていた。

驚くべくは、結婚式場や学校までもが浮かんで着ることである。
ガイドの話によると、小学校も水に浮かんでいるため、時期によって場所が変わってしまうため、たどり着けないじょともあるとのことである。

そして俺がこの旅で一番衝撃を受けた光景が、ここトンレサップ湖に暮らす子供たちの通学手段である。

子ども一人がようやく入れるタライと木の棒で通学しているのだ。
あの琵琶湖の何十倍はあろうかという湖を。
あの光景を見たときは心底驚いた。

ひっくり返ったりしないのだろうか。当然底も深い広大な湖である。
泳げなかったら死は確実である。
あの湖の大きさに対して、子どもたちが乗っているタライがあまりにも小さすぎる。

あの光景には生きる力を感じざるを得なかった。
日本では考えられ無すぎて笑えた。絶対に死人が出まくるだろうな。
アレで毎日学校通っていたら、そりゃ根性つくわ。

子どもの生きる力を感じられるのはタライ通学だけではない。
子どもは生まれて、物心ついたときには必死に働く即戦力なのだ。

俺が乗っているボートに何層もの船が群がって並走する。

まだ小学校にも通っていないような小さな子が、太い蛇を体に巻きつけ、
“ワンダラー、ワンダラー”とひたすら大声で叫んでいる。

彼らは立派に生きるために、生計を立てるために働いているのだ。

カンボジアの小学校は夏休みや冬休みはないらしい。
何も考えていないツアーの同行者は“かわいそ~”とかぬかしていたが、全然かわいそうじゃないだろ。
というか絶対学校行きたいだろ。普通に考えて。
だって家にいても、生きるために本当に幼いころから毎日必死に働かされるんだから。
学校行って勉強したいだろ。
休みたい、学校に行きたくないなんてのは日本のぶったるんだ基準であって、ここでそんな考えは考えられないと思った。
日本にもいろいろな問題はあるんだろうけど、彼らを見るとやっぱり少しおかしい思う。

まあ、彼らは自分で働かないと、教科書も買えないそうだ。
学校に行きたいとか、そういう次元ではなくて行きたくても行けない子どもが一体どれほどいるんだろう。
学校で普通に勉強ができるという状況が彼らにとってどれほど幸せな状態なのか。

小さい子がニシキヘビのようなでかい蛇を体に巻きつけ、写真を撮らせようとする。
撮ったら当然、“ワンダラー、ワンダラー…”
どんどん近づいてくる。俺らとは生きる世界が違いすぎる。

俺らの船には来なかったが、並走して違う船に平気で飛び乗ってくる奴もいた。
必死に生きてるんだな~

俺が乗った船にも小学生と思われる少年が一人乗り込んできた。
何も言わずに客の背後に回り、肩たたきを始める。
当然サービス、好意でやっているのではない。お金を稼ぐためにやっているのだ。
客はそれを理解して彼らに接しなければ逆に失礼だと感じた。

この時間で俺の中の経験値がすごく上がったような気がする。
それは全体を通じても言えることだけど、このカンボジア旅行を通じて、自分の経験値は大きく上がった気がする。
所詮はツアーだし、個人でバックパック一つで地方を回った!なんて人に比べたら微々たるものかもしれないけど、
ツアーで回った分だけ、多くのものを見れたし、多くのことを考えさせられた。
何よりガイドの方が本当にいろいろなことを教えてくれた。

そんなことは人それぞれの感じ方だと思うが、俺はやたらとこの旅行でいろいろ感じて、考えた。
そのきっかけとなったのがこのトンレサップ湖だった。
彼らはみな必死に生きていた。俺にはそう見えた。

名前を聞いたことあるし、時間あるから行ってみたい~!というノリで行ったこの湖でこんなに多くのことを目の当たりにするとは思わなかった。


本当にいい経験になったって話。

真夏の冬 2 ―世界遺産アンコール・トムへ―

2012-12-27 01:22:34 | 
20121227

カンボジア滞在記 2日目


朝は6時半に目が覚める。海外に来て初日の朝はたいてい眠れないものだが、この日は普通に寝ることができた。
日本との時差は2時間しかないのだから当然といえば当然か。

カンボジア旅行はツアーにした。

もちろん、個人旅行にしてバイクタクシーを駆使してすべて自分たちで回るという方法も考えられる。
しかし、言葉の壁や、治安上の問題等々を考えると、ツアーのほうが圧倒的に効率的である。
多くの遺産をスムーズに回ることができる。
要は何を手にしたいかであろう。地方の都市を回り、地元の人々の生活に触れ、自分探しの旅をしたいのなら個人旅行にすべきであるが、
今回の重たる目的はアンコールの遺跡群をこの目で見て、歩くこと。

今回はツアーにして本当に良かったと思う。なぜならばツアーのガイドの人が大当たりだったからである。
本当にガイドの鏡のような人であった。今までのツアーでは群を抜いていた。
彼のガイドは本当に勉強になった。それだけではなく、カンボジアに興味がわいた。
カンボジアのことをさらに自分で勉強してみようとも思った。
そして何よりも、彼の言葉の節々から、カンボジアという自分の国を本当に愛していることが伝ってきた。
そしてカンボジアという国をよくしたいという気持ちにあふれている様に見えた。
本当にいい人だったな…

朝食を食べ終え、一服して準備を整える。
例のガイドさんに出会う。

シェムリアップの町からアンコール遺跡群はさほど遠くもない。自転車でも十分行くことができる距離である。
まず向かったのは、チケットチェックポイント。当然だがここで遺跡の入場券を購入しないといけない。
京都のように一つ一つの寺社に入場券を払うのではなく、ここの券は指定された遺跡であればすべて入り放題。
購入したのは三日券。値段は$40。驚くほど安い。券売所では顔写真も取られ、チケットには不細工な俺の顔が印刷されていた。

そして最初に向かったのは、かの有名なアンコール・トム。
アンコール二大遺跡の片方である。ちなみにアンコールとは都市、都という意味で、トムとは大きいという意味。

アンコールトムは大きな塀に囲まれた空間になっており、その中に有名な遺跡群が存在している。

辺りの景色はまるでジャングルである。映画やテレビでよく見る、東南アジアの原風景が広がる。
像に乗った観光客を横目に、南門から入場。
門にもかの有名な観世音菩薩の顔が。この顔はアンコール・トムの中にいくつも見ることができる。
この顔を見ればいつの時代に作られた寺院なのかがわかるという。
驚くべくはこの顔が巨大な石を積み上げて作られたものだということ。
接着剤なども使わず、絶妙なサイズの石を積み上げただけで作られたものだそう。その石の切れ目を見ると、その精巧さに驚く。

ちなみにシェムリアップの空港はとても小さく、飛行機もジャンボジェットではなく小さな飛行機しか飛ばしてはいけないと規定されている。
なぜなら大きな飛行機だと、エンジンの爆音で空気を振動させ、遺跡を崩してしまうからである。
接着剤等を使っていないので、空気の振動に非常に弱いのである。

まずはアンコール・トムの中で最も有名ともいえるバイヨン寺院に向かう。
テラスから見るその遺跡は圧倒的な存在感を放っている。

ここのレリーフは非常に有名で、ガイドブック(地球の歩き方)によると、アンコール・ワットのレリーフは宗教的な色が濃いのに対して、
アンコール・トムのレリーフは当時の庶民の生活や戦いの様子などが彫られているとのこと。
バイヨンの回廊のレリーフは一連の絵巻のようになっており、様々なストーリを表している。

ガイドの説明を聞きつつ、中に進んでいく。

そしてバイヨン寺院の中でも最も有名なスポット。
“クメールのほほえみ”を目の当たりにする。
一番のフォトスポットは斜めに顔が三つ並ぶとこころがある。
この顔は一つの塔に対して東西南北四方向についている。これは全世界に幸せを振りまくという意味らしい。

その後はバイヨン寺院を後にし、バプーオン、ゾウのテラス、ライ王のテラスという順で移動。
ゾウのテラスは王族たちが閲兵を行った場所らしいが、ここからのの眺めは何かを感じた。

ライ王のテラスには閻魔像が。日本の閻魔像は憤怒の塊のような顔をしているが、カンボジアの閻魔は非常に柔和な表情をしていた。
ちなみにここは三島由紀夫の『ライ王のテラス』で有名。

その後はピミアナカス。ここは時間的にあまり見学できなかった。
これまで見てきた遺跡とは違い、色が赤茶けていた。ラテライトで作られているそう。
メキシコなどのピラミッドを髣髴とさせる。


とりあえず1日目の午前中はここで終了。
1日目はあまりにも濃い&ここまでの記述があまりにも長くなってしまったので一回ここで切ります。

ということで今回はアンコール・トム編ということで、ここで終了。

真夏の冬 1 ―カンボジア入国―

2012-12-26 01:14:07 | 
20121226

今年で年末を海外で過ごすのは3年目になった。

2年前はロンドンのバーでカウントダウンを行った。
去年はフィンランドはヘルシンキ、町中の人が集まる大聖堂前の広場でカウントダウンをした。

そして今年。年をまたぐことは出来なかったが、今年も年末を利用し、海外に行くことができた。
しかも念願の場所だ。旅好きの人間なら絶対に一度は行っておかないとならないと思う国であろう。

世界でももっとも有名な世界遺産のひとつを有する国。
そして日本人が最も行ってみたい世界遺産の上位3位にランクインする、アレを有する国。

26日は4時半に起きた。25日は普通に仕事だったため、睡眠はあまり取れず眠いことこの上ない。

前日にまた成田直通バスを予約していた。海外に行くときは本当にお世話になっている。
フライトの時間の2時間前には成田に到着していたかったが、早朝であるということと、ターミナルが第2ということで、2時間前ギリギリのバスを予約していた。

しかしバスは大幅に遅れた。1時間くらい遅れた。

空港で買うものもある。そして外貨両替もしていない。
大急ぎでチェックインして、両替して、買い物して、セキュリティー受けたら驚くほどスムーズにいって時間に困ることは全然なかった。
いつもどれほど無駄な時間を過ごしているのだろうか。

問題もなく飛行機は飛んだ。まずはトランジットのため、タイはバンコクへと向かう。
バンコクまでは6時間の旅。

いつも飛行機ではまったく寝れない人間だが、今回は3時間位は寝た。
昨日まで普通に仕事だったのがよかったのだと思う。疲労が神経質を上回った。

バンコク国際空港に到着してからが体力的に辛かった。
待たされた時間は2時間もなかったような気がするが、なんせ空港のトランジットの時間なんてなにもすることがない。
成田のように勝手がわかる空港ならいろいろ時間を潰すことができるかもしれないが、初めて来たタイのバンコクの空港は全く勝手がわからず、
トイレを探すだけでも一苦労した。

バンコクから目的地のシェムリアップまでは1時間のフライト。地理的にはシェムリアップのほうがバンコクより日本より近い。
この飛行機はあっという間だった。最後のほうに出てきた機内食べ終わったらもう着陸のサインが出いていた。

シェムリアップ空港に着く。まるでスコットランドのインヴァネスに到着した時のようだ。
空港は地平線が見えそうなだだっ広い空間で、ポツンと建物が一つ見える。これが空港。
もちろん、スロープが空港まで繋がっているのではなく、飛行機から降り、空港の建物まで歩く感じもインヴァネスに酷似している。
夜だったので真っ暗で、景色は何も見えなかったが、ただただ広大な雰囲気だけは伝わってきた。

VISAは日本で取得済みであった。カンボジア大使館より発行され、パスポートに貼り付けられたVISAを誇らしげに眺めたものだ。史上最強に無愛想な入国審査を通り過ぎ、正式にカンボジア王国に入国。

まず空港の玄関で圧倒される。
人、人、人…人の多さに圧倒された。
旅行客に地元の人たちが一斉に声をかけている。

そして、ライトを見ると、もうこれでもかってくらいの虫、虫、虫…
日本の比じゃないくらいの量の虫が飛び交っているではないか。

加えて、夜だというのに、何もせんでも汗が噴き出すほどの纏わりつくような熱気。

これぞ東南アジアって感じの熱気を感じる。これからの旅路が楽しみでならない。
沢木耕太郎の深夜特急で読んだことしかない東南アジアの熱を、到着して5分でビンビンに感じることができた。

ホテルまで送ってくれる人に会い、バスで移動。

ホテルまでは15分程度で到着。
ホテルでチェックインを済ませる。

部屋に行き、ようやくゆっくりすることができた。荷物を下ろすとどっと疲れが。

ここでバタンと寝てしまってもよかったのだが、寝るにはまだ惜しい時間である。

町の散策に飛び出す。

ホテルの外に出て道に出るや否や、俺を見たトゥクトゥク運転手たちが一斉に寄ってくる。
“オニイサン、トゥクトゥク、オニイサン~”

次から次へと。いちいち相手をしていたらとてもじゃないが時間がかかりすぎて歩くことができない。

その辺に転がって寝ている人、ひたすら声をかける人、呆然と座り込んで空を見つめる人。
路上に転がった生ごみ、ネズミや鳥の死骸。ビービーとやかましいバイクのクラクションの音。

人、人、人… 夜の9時だというのに本当に活気がある。熱がある。

まだ、カンボジアに来て数時間も経っていないため、免疫ができていなかったため少し興奮に交じって、ビビっていたところもあったが、
人々は本当に生きる力に満ち溢れていたように見えた。

いくつかの店を冷やかす。

店に入ると日本の営業丸出しの洋服屋の10倍は声かけてくる。
“オニイサン、ヤスイ、ティーシャツ、オニイサン、ナニホシイ~?”

一言も発していないのに、俺が日本人であることは一目瞭然なのだろう。
生きるために覚えたであろう日本語で必死に話しかけてくる。

カンボジアではクロコダイルの皮が有名なのだろうか。クロコダイルの剥製が数多く売られてきた。

この日の夜は体力的に疲れており、初日ということもありあまり免疫がなく、すぐに疲弊してしまった。

ホテルの前の大通りのスーパーに寄り、ビールを買ってホテルに戻った。

ドルで払った時にお釣りで、カンボジアの通貨であるリエルを手に入れることができて嬉しかった。

しかしその紙幣が紙幣として機能するのかというくらいボロボロで汚くて少し驚いた。