3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

編集者として

2009-05-28 21:59:04 | 
ちゃお。
どうもどうもどうも。久しぶり、でもないか。

最近はアタマの中がマジでエクセル。
いきなり意味不明なことを言って申し訳ない。


用字用語の統一という相当にめんどくさい作業をやってるんですけど、
編者と著者が別の時って、
基本的に編者に用字用語を統一するんだ。

今回、編著者一人、
著者10人という構成だから、
基本的に編者の表記に他の10人を統一しなきゃならない。

これが思った以上に大変なんです。


例えば、

編者が「さらに」って書いてあったら、
他の10人が「更に」って書いてあってもひらくし、
他の10人が「とくに」って書いたあっても、
編者が「特に」って書いてあったら漢字にする。

「子ども」にするのか「児童」にするのか
「新学習指導要領」にするのか「平成20年版学習指導要領」にするのか
「平成20年」にするのか「2008年」にするのか、
「二十五」にするのか「ニ五」にするのか。
「教科書」と「教科用図書」
「OECD」ってかくか「経済協力開発機構」って書くか。
この辺の単語は解り易いからいいんだけど、

「捉える」と「とらえる」
「気づく」と「気付く」
「解ると」と「分かる」と「判る」
「生かす」と「活かす」

挙げてったらきり無いんですけど。


で、一見、エクセルに落としてけば、
簡単に思うじゃん。
俺もそう思ってた。
コントロール+Fで検索できるしね。
あ、どっちだったけ、と思ったら検索すればいいじゃん、と。

実際はそんな簡単じゃなかった。

何が一番の問題なのかと言うと、
そもそもその字が、
検索を掛けるかどうかに値するのかどうかを
覚えていなきゃいけないってこと。

どういうことかというと、
文中に、普通に漢字で様々って書いたって、
そのときは普通に読み進んでいって、
100ページ後に出てきた時に、
あ、前に「さまざま」は漢字で書いてあったな、
ってのを覚えていなきゃならないわけよ。

だからその言葉がどっちだったけ?
というレベルじゃなくて、
前にさまざまは漢字ででてきたないうことを覚えていながら
文を読み進めていかなければならないってこと。

まあ、もちろん一周で全用字用語統一なんてできるわけ無いんだけど。

200個くらいあるし。

でも慣れてくると凄いもんで、
その200個を常に頭の中で検索かけながら
文章を読めるようになるんです。

解りやすく言うと、
一つの単語を文章中から探すって言われたら、
その単語を見つけるために検索かけながらよむじゃん。

それを200個の単語に対して一斉にやるって事。

気分は既にクイズ番組。

ず~~~~~と原稿読んでて、


ピンポーン!
ハイきたーーー!
にやけながら赤ペンを取り出す。

みたいな事をアタマの中でやってる訳です。

知恵熱がでます。
文書読むのってあんなにも疲れるんですね。
もしかしたら最近ムシムシしてきただけかも知れんけど。

皆さんも本を書くとき、
論文を執筆する時は、
用字用語は全て統一させましょう。

するとなんとも完成度が高く見えますから。
内容はともかくとして。
少なくとも編集者には最高の文章ですから。



おしまい。


トトメス三世

2009-05-18 23:55:40 | 
ひひひひひひひひひひひひひ
そろそろ切れそうです、何かが。
最近疲れてます。

この街を真っ赤な林檎で埋め尽くしたい。
その中を泳いで、ビーチパラソルを立てよう。

京都の宇治市でコンビに強盗が発生したみたい。
俺、そこ行ったことあるよ…
なんか見覚えのあるコンビにだなーって思ったら。


しかも面白かったのは、
犯人の特徴。

身長170センチくらいで、
20代~30代位の男。

果たしてどれほどの人が該当するんでしょうか。


とりあえず、伏見稲荷大社はサイケだよ。
やり過ぎかと思ったけどね・
てか最初は本当に1000本もあんのかよと、
数えてやる気満々だったが、
10秒で辞めた。




そうそう、誰も覚えてないだろうけどさ、
前の日記に、ふれあいラグーンで触れ合いたいという
異常な渇望を日記に記していたんですけど。


ちょっと前に、相当触れ合ってきたよ。

イルカ触ってしまった。
どんな感触か知ってるか、お前ら。
まるで食器洗ってる時の、
せとものみたいにつるっつるしてるのね。
イルカ触ってよろこんでられるんだから、幸せこの上ないと思う。

ついでにオタリアまでも触ってきた。
そもそも知ってますか、オタリアを。
知らない人は、よく、動物のドキュメント番組で、
シャチに引きずり回されている、
アシカ的な動物を想像してくれればよい。
ついでに言うと、オタリアを触ってるところを写真とりますって
企画にも行った。
ぺたりとオタリアに触れて、
ハイチ~ズ。
25歳は頑張った。
更に言うと、その写真は1000円で買った。

クジラが目の前で飛び跳ねて、
めちゃくちゃ水がかかりますって言う企画があって。
まあ、もちろん最前列に言った、大人気ない大人なんですけど、
クジラのごんクンは、
それは素晴しいロケットダイブを披露してくれまして。

その後、風邪を引いてしまいました。


その後、ゴールデンウィーク中の地獄のスクーリングが
更に追い討ちをかけて、
全くよくなる気配がありません。
どうしてくれるんですか、ゴンくん。

ダメだ、こんな日記しか書けません。
だって猛烈に脳みそが寝ようとしてるんだもん。

マリリン・モンローくらい猛烈。


いや、むしろマリリン・マンソンくらい猛烈。


トレントレズナーはやっぱり髪長いほうが気持ち悪くて良いよな。

てか今年のサマソニマジで行きたい。
本当に行きたい。
モグワイ見たいな。



あーもう無理です、寝る。


For Whom The Bell Tolls

2009-05-08 22:38:43 | 徒然
やっと終わった!
この一週間。はあ~死ぬかと思った、本気で。
あ~疲れた。

明日は久しぶりに10時くらいまで寝られる…
想像しただけでもよだれが出そうだ。

人間、疲れてくると、
隙間の時間に寝れるようになっちゃって困る。
一駅の電車で立ったまま寝て、寝過ごすとかまだいいほうだと思う。

今日、吉野家で牛丼並を待ってる時に意識ぶっ飛んだからね。
もうちょっとで目を開けたまま寝れるようになったかな。


暇が出来次第、へミングウェイを読もうかと思う。
原文で。

何で急にそんな事を言い出したかというと、
もともとアメリカ文学に興味があったんです。
なんてことはあるはずも無く、
興味があったのは、第二次世界大戦時のヨーロッパ。
なんてことはちょっとあったんだけど、

何より、彼の作品のタイトルが僕の心を射止めてしまったんです。

多分ヘミングウェイといったら、
『老人と海』が一番有名なんだろうか。

じゃなくて、読んでみたいのは、
『誰がために鐘はなる』
って作品。まあ、有名ですよね。

このタイトルの付け方はやばい。

なんつうか、作品だけでなくて、
その時代の事も全部この表題のたった9文字に現れている気がする。

僕なりの解釈でこのタイトルの意味を理解した時に
すげ~って思っちゃって、
勝手に感動して、
もともと第二次世界大戦期は興味がある分野なので、
読もうと思っただけなんだけど。

俺が今編集業務を担当している、
例の国語の教育書で(あ、やっと再校まで行きました)
『タイトルってのは最強の要約文だ!』
みたいな事書いてあったのを思い出した。

確かにこのタイトルの要約力は凄いと思いました。
しかもかっこいいじゃん。

あ、そうそう、自分今まで生きてきて、
“ハード・ボイルド”って言葉を勘違いしていました。

ハード・ボイルドって聴くと、
太陽にほえろのテーマソングが聞こえてきそうな気がする。
もしくは松田優作が、
デニムのジャンパー着てる映像を思い浮かべてしまう。

もちろんその意味もあるんだけど、
あくまでもそれは二次的な意味で。

本来は、ヘミングウェイの『老人と海』みたいに、
徹底的に客観的に、
感情を排して、
第三者の目で語られるような物語を言うんだって。

重松清の『疾走』とかハードボイルドだね。

これからは、
松田優作ののことを考えなくてすみそうです。


鯛さんの日記にもあったんだけど、
忌野清志朗を、去年のカウントダウンライブで生で見ました。
本当に偶然。
別にそこまで見たかったわけでもなく。

とても一年後になくなるようには見えませんでした。

今さらながら、最後に見れてよかったのかなと思う。
よく考えたらめちゃくちゃ貴重なライブだったんだな、あれ。



さて、飯を食らって寝ようかな。




2009-05-01 23:42:16 | 徒然
マハリク・マハリタ
タブラ・ラサ

白紙に戻りたい今日この頃。
いやあ、どーもどーも鈴木ですけど。

長い日記を書いてしまいました。
最後まで読んだ人には、コルナを差し上げます。
コルナとはチェコの通貨。
来年ユーロに統一されるから、レアになるよ、きっと。

なんとGWじゃないですか。
あと、インフルエンザが流行ってますね。

インフルエンザは日々進歩してるんですね。
だって今まで豚から人にはあんまりうつらなかったのが、
今度のは人にもうつるし、
しかも人から人へもうつるんでしょ。
これは立派な進化ではないか。
って褒めてどうする。

それに比べ人間は肉体構造的には、
進化が非常に遅い生き物であると思う。

てか、ああいう菌が速すぎるのか?

世界の頂点に立って偉大なる文明を築き上げてきた
人間様も、
このまま、菌とかが進化し続けたら、
皆殺しにされるんじゃないでしょうか。
実際、現実味が無いとは言えないような気がします。



結構前に俺は動物モノに涙モロいなんて感じの話を書いた。

先日俺が電話で話した内容を文章にする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

例えば、
競走馬が暴れて、骨折したら、
間違いなく安楽死させられるわけだ。

人間の娯楽のために産み出され、
いや、創り出されて、
商品価値が無くなったら消すってこと。

その動物が死ぬところなんかをテレビで
放送してたとしたら
俺は悲しくなってしまう。

かわいそうなぞう

こんなタイトル犯罪である。
また泣いちゃう。
動物ものは俺の涙腺のツボをぐいぐいと刺激する。

動物園もよく考えると、
悲しくなってしまう。

あんな狭いところに閉じ込められて、
見世物にされて、
本来やつらがあるべき生活から隔離しているわけだ。

けど待ってくれ。
俺らは動物の肉を食うときに、
涙を流すか。
やつらの死を意識するか。

松屋に入って、
牛の姿を思い浮かべ、
彼らが殺され、涙を浮かべてるやつはいるか。
そんなやつはいない。
てかいたらおかしい。

もちろん、俺らはこいつらの犠牲のもとにいきてるんだな~
なんて小学生でもご存知でいらっしゃるようなことは、
頭の中には入っている。

けど、松屋で牛丼食ってるとき、
焼肉食ってるときにそれを思う人はあんまりいないと思う。
少なくとも、俺はしない。


で、俺の考えた結論。


これは防衛機制なんじゃないかと。

人間は生きてるうえでそれはもう、
無意識に涙ぐましい精神的努力をしてるわけなんです。

だから、何かを食ったりするときには、
その感情をどっかで封じ込めているのではないかと思ったわけです。

言い換えるなら、
テレビで見るような動物に対する視点を、
無意識に封じ込めてるんじゃないかと思うんです。

もちろん、心のどっかで気づいてると思うよ。
けど、自分が食事をしてる時とかは、
絶対に封じ込めてると思うんですよ。

じゃないと、もうジャイナ教に入信するしか手は無い。

人間にはそういう便利な心の働きがあるからね。

生きるためだけの殺生から離れた時、
それは避けられない事なんじゃないでしょうか。

で、ふとテレビとか、
動物園でもいいけど、
そういった、きっかけが思い出させてくれるんじゃないでしょうか。

自分が達が余りにも多くのものを殺して
生きていることに気づくんじゃないでしょうか。




考えすぎでしょうか。

寝たほうがいいんでしょうか。

その前に歯を磨いたほうがいいんでしょうか。

それともコルナをあげるとか言っちゃった以上、
きたねえ部屋から、
硬貨を探すという行為に出たほうがいいんでしょうか。