3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

20年越しの夢 5 ―空中都市マチュ・ピチュ編―

2015-02-18 23:03:13 | 
2014年8月2日

朝は普通に起きることができたが、やはり体調は悪い…
睡眠も十分にとれていない状況である。

が、この日はアドレナリンが出ていたことも手伝ってか、朝ご飯も僅かながら食べることができた。
なんていったって、今日はマチュ・ピチュに行くことができるのだ。

朝ご飯と食べ終えたらしばし、マチュ・ピチュ村を散策した。
ここマチュ・ピチュ村はもともとはアグアス・カリエンテスと呼ばれた小さな村。
この村がマチュ・ピチュに最も近い村である。
おそらく、このマチュ・ピチュ人気で。村が改名されてしまったのであろう。
もともとのアグアス・カリエンテスの方が響きがいい気がする。

昨日はすでに暗かったため全く見えなかったマチュピチュ村の様子がよくわかる。
とても小さく30分程度でアルマス広場等の見るべき場所は見ることができる。
アルマス広場からはマチュピチュ山がどーんと聳え、これからあそこに上るのかという期待が高まる。

そしてホテル、エル・マピをチェックアウト。
一泊しかしていない。外装もいい感じで、中もいい感じで、俺の体調がよかったらもっとくつろげたのに…

そしていよいよ出発。
まずはマチュピチュ駅付近のバス乗り場へ。
もうすでにここには長蛇の列ができていた。
相当なハイペースでバスがガンガン出発していく。

そしてようやくバスに乗り込む。
ここからハイラム・ビンガムロードの九十九折を30分ほど。
標高が高くなっていくにつれ、ワクワク感がどんどん募る。
ただ、このハイラム・ビンガム・ロードを登っている最中は、マチュ・ピチュ遺跡自体は見ることができない。

そしてバスはようやく遺跡の入り口に到着。
遺跡の入り口はすでに多くの観光客でにぎわいを見せていた。

入り口をくぐり、いよいよ遺跡内に突入。遂にマチュ・ピチュに入っちゃったよ…


まずいきなり見えるのは貯蔵庫である小屋。
ここからでもまだあの遺跡は見えない…うーんじれったい。

そして貯蔵庫からさらに進んでいき、見張り小屋に到着すると…






きた…






このときは本当に感動した。
どれくらい感動したかというと、一瞬だけ高山病が治ったくらい。

世界史の教科書やテレビなどでよく見るあのマチュ・ピチュとまっっったく同じ光景だった。
あのよく見る景色の中に俺がいる、そんな感覚。
それくらい全く同じだった。

この日は天気も超晴天で、絶好のマチュ・ピチュ日和、絶景だった。

ここでしばしフォトタイム。天気のいいこともあってか水が最高にうまい。
調子に乗って何枚も写真を撮った。


上からの絶景を楽しんだとはいよいよ遺跡の中に入っていった。


入り口は門になってるんだよね。
これがまたいよいよ入っていくんだって感じを煽る。気分は探検家だ。周りに人いっぱいいるけど。

水路があり普通に水が流れている…
こんな高地にどうやって水を引いたのだろう…ちなみにここより高い場所に水源は確認できていないらしい…
一体どうやって…?

そして太陽の神殿。
上の部分は神殿、下はお墓になっている。
この石組は世界中の考古学者をうならせたという。
自然の石と削った石が一寸の狂いもないほどにきれいに敷き詰められている。
現在の技術をもってしてもこれほど精巧に石を敷き詰めることは難しいそうだ。

しばらく進むと中庭のような場所にでる。
ここではリャマは呑気に寝そべったり、草を食んでいた。とても牧歌的でこういう雰囲気もまたペルーらしくてよい。

そしてインティワタナと呼ばれる日時計を発見。
ここはマチュ・ピチュの最高点らしい。

すぐわきを見ると、絶壁が見える。
ここからの景色はめまいを覚えそうなくらいの山の景色。
自分がいま、どんな場所にいるのか実感させてくれる。

天体測定の石の横の小屋でしばし休憩。
近くにはワイナピチュ登山用の入り口があったが、今回の俺に行けるわけもない。
ワイナピチュから見下ろすマチュ・ピチュは本当にすごそうだが、なんせ高山病だからね…
今回はこれで十分満足だ。

段々畑を見ながら、出口に向かう。マチュピチュは立ち入る場所が決まっており、順路も決まっているので迷うことはない。


入り口に戻ってくると、ちょうど昼食の時間。
しかし…

アドレナリンが収まり、再び高山病が再発…
極度の吐き気に襲われる。

レストランの横にホテルがあり、そこのソファーに横になっていると怒られる。
ここは横になる場所じゃないんです。わかっちゃいるけど、吐きそうだよ…

1時間くらい気持ち悪くて何もできずにロビーとトイレを往復する。
そうこうしているうちに時間は過ぎ、昼飯は食べれない。

そしてまた帰りのバスもとてつもない長蛇の列。
これに並ばなくてはならない。
この並んでいる時間は結構きつかったが、さっきのホテルのロビーで待っている時よりはずいぶんましになってきた。

先ほどのマチュ・ピチュ駅にハイラム・ビンガム・ロードを通って降りてくる。

その後はクスコに戻るのだが、出発の時間までマチュ・ピチュ村を散策。

まず探したのは郵便局。これが結構苦労した。
アルマス広場にある市庁舎の脇にあったのだが、まず、ホテルエル・マピの通りにあったインフォメーションセンターがある本屋でも切手を買えるという情報を得てきたので、
そこに入ったのだが、なにせ大量に必要だったため、そこの本屋の切手はすべて買い占めてしまったが、まだ足りない…
それっぽいところを入っては出て、ようやく上記の郵便局を見つけた。
店員はお昼をとっていったぽく、誰もいない。
買うことはできたのだが、本当にこんなに買うの?って感じで聞いてきた。
というか切手はめちゃ高かった… ペルーで買ったもので一番の高額品は切手となってしまった。

その後はお土産やをふらつく。
駅の近くは民芸品のマーケットになっており、ここでいくつかマチュ・ピチュグッズを購入した。

昼飯は食べていないが、食欲は一向にわかない。何かを食べられる状況ではなかったため、キャンディーをひたすらなめる。
そして大量の水を飲み続ける。
こうしてないと気持ち悪くなってしまうから。

一つ残念だったのは、マチュ・ピチュにはスタンプがあり、駅で押すことができるという情報を得ていたのだが、ここの駅ではなかったらしい…
駅員に必死にスタンプのありかを尋ねたのに非常に残念だ。

そして再びインカ・レイルに乗り込む。
帰りの列車の中では気持ち悪くなってしまうんじゃないかという不安もあったが、ここは何とか耐えきった。

そして社内では余興があり、まず、怪物のような民族衣装と仮面をした男が奇声を発しながら車内を走り回る。
お次に列車にいた係り員たちが、ペルーの伝統衣装に着替えてファッションショーが始まった。
さすが観光立国。けど係り員たちも大変だな。

そしてオリャンタイタンボ駅に到着。

ここからはトラウマになっている、オリャンタイタンボ⇒ウルバンバ⇒峠越え⇒クスコのコースである。

バスの中では無心を保った。
そして、星がきれいだったので、ペルーの星空を眺める。

なんとかクスコに到着… ラッドウィンプスに救われたわ…


クスコに着いてからの日記は別にします。
ここからは語るも涙の地獄の夜が始まるからである…



20年越しの夢 4 ―インカの首都クスコ&高山病編―

2015-02-11 13:20:09 | 
2014年8月1日

この日は俺にとって忘れられない日になった。
たぶん本当に俺はこの日を忘れないと思う。この日を境に語るも悲劇な旅行記になっていくとは思ってもみなかった。

朝食を済ませ、リマの泊まりなれたホテルからまたバスでリマのホルヘ・チャベス国際空港へと向かう。
到着した時は真っ暗だったが、今回は朝。悠々と喫煙所を見つけ、一服して、搭乗を待つ。
搭乗まではまたインカコーラを購入。さっそくはまってしまったようだ。

ペルービアン航空というキャリアでクスコへと向かう。

言わずと知れたインカ帝国の首都、クスコ。

このクスコも町自体が世界遺産に登録されている。
クスコとはインカの言葉で“へそ”を意味する言葉。
ここクスコとの歴史は非常に古く、インカ時代の建物とスペインの支配が交じり合い、独特の雰囲気を醸し出している。
赤と茶色の歴史的な建物が立ち並ぶ向こうには広大な山々が見える。
そう、ここはなんと標高3400メートル。
富士山の頂上付近の標高にあるアンデスの高地に構える町なのである。
ペルーに来たら外せない都市のひとつ。

リマから2時間程度のフライト。

到着して外に出るとひんやりと冷たい空気とともに、空気の薄さを感じる。
天気は素晴らしいくらい晴天。

高地の薄い空気、そして広大な山々が青い空によく映える。
これだけ高い土地なのに、少し暑く感じるくらいであった。

空港からクスコ市街まではバスで20分程度。まず向かったのはサント・ドミンゴ教会。
ここは以前のインカ帝国時代には太陽の神殿だった場所である。

教会の入り口でガイドブックを売り歩いている方から日本語のガイドブックを記念に購入。
読むかどうかはわからないが、旅の祈念になろう。

中は結構広く、さまざまな展示物を見ることができる。

やはりここで注目すべきなのは石の壁である。
インカ帝国の特徴である、超精巧にできた壁。

石を正確無比に積み上げ、その隙間は剃刀の刃一枚すら通さないほど精巧。

当時の技術でここまでも正確な設計ができることが驚愕すべきことである。

中庭には色とりどりの草木が生え、開放感がある。

そして何より、この教会は高台になっており、そこからクスコの町を一望することができる。
その景色が絶景であった。赤と茶色の建物とその奥のアンデスの山々のコントラスト。この景色は一見の価値がある。自分が今まさにペルーのアンデスの高地にいることを実感させてくる。

教会を後にして次にクスコのアルマス広場へ。

ここの景色はまさに、クスコを代表する一番有名な景色であろう。

ガイドブック等のクスコの写真はここ、アルマス広場の写真が多い。そしてあの荘厳なカテドラル。

ガイドブックでしか見たことのなかったあのカテドラルをこの目で確かめたときは本当に感動した。

そのカテドラルからぐるっと一望すれば、クスコの街並みが見える。この景色が本当にきれいだった。


その後しばらくクスコの町を散歩。
そして見つけた、これまた有名な12角の石。

先ほど書いた剃刀の刃一枚すら通さないほど精巧なインカの石材建築だが、この12角の石は本当にすごい。
寸分の狂いもなく積み上げられている。
すべて普通に四角で積み上げればいいものの、あえて12角に削られており、当然、寸分の狂いもなく正確にはめ込まれているのだ。

その後、クスコのレストランで昼食。腹が減っていたので、調子に乗って食べ過ぎてしまった。
これがのちに地獄の始まりだったとも知らずに…

そしてこのレストランで初めて「コカ茶」を飲む。
コカの葉をお湯で煎れて飲むペルーのお茶だ。
そう、コカとはあのコカインの原料のコカ。
日本で普通に同じことやったら、つかまりそうだが、ここペルーでは一般的な飲み物である。
味は独特だった。

その後はしばらくクスコの町を散歩。

お土産屋を冷やかし、有名なアルパカ製品の店、アルパカ・タモンという店でニットを購入。


そしてクスコを出発。

これから向かう先はいよいよ、かの有名な、日本人が行きたい世界遺産第1位のマチュ・ピチュである。


そして事件は起こった。

クスコを出発し、峠を越える。
アンデスの標高4000メートル近い山をバスはどんどん登っていく。

昼食の満腹感も手伝って、俺はバスの中で眠ってしまった。
その眠りが非常に浅く、不快感が残る。

そしてどんどん気持ちが悪くなってくる。
これはちょっとおかしいな、と思った時には相当やばかった。

途中アンデス山脈の峠でトイレ休憩をするため、外へ出た。
その時にはすでに立っていられないくらいに気持ちが悪い…

そして嘔吐…

完全に高山病になってしまった…

いやあ、このときは本当にやばかったね…
吐いたのなんて久しぶりだ。大学生の若かりし頃に調子に乗って日本酒飲み過ぎたとき以来かも。

胃の中を空っぽにしたら少しだけよくなってきた。
もう先ほどの気持ち悪さはなくなってきた。

なんとかバスの中に戻ったが、一番前の席に移動。
水を飲んで体調を落ち着かせる。

アンデス山脈から見下ろす景色はとてつもなく絶景なのだが、それどころではなかった。何とか写真を撮ったが、手にはエチケット袋が。

バスの中では少し楽になってきた。

バスが向かっているのは、オリャンタイタンボという駅。
このクスコからオリャンタイタンボまでの道は聖なる谷と呼ばれるエリアで、オリャンタイタンボは遺跡である。

その途中にはウルバンバという谷を通る。
この辺りの景色がやばい。
まさに聖なる谷という名前がふさわしく、高い山々に挟まれた谷にあるエリアだ。
この辺には宿泊施設もあるらしく、こんなところに宿泊できたらなんとも面白そうだな。
相当に俺にとって感動的な景色だったのだが、写真が残っていないのが残念。

そしてオリャンタイタンボ駅に到着。

ここからお次、かの有名インカレイルに乗り換える。
俺が今世界で一番乗りたかった列車である。

そう、ご存じ、このインカレイルはマチュ・ピチュ駅へと結んでいる高山列車なのである。

マチュ・ピチュには空港がないため、皆このようにして列車で行くしか方法がない。
オリャンタイタンボ駅からマチュ・ピチュ駅までは1時間30の列車の旅。
標高はクスコに比べ1000以上下がるので、体には楽だ。
待合室でじっとしていられず、インカトレイルの車両の前で記念撮影。ついでに乗車券まで写真に撮ってしまった。

このインカレイルはグレードが3種類あるが、俺が乗ったのは当然、最も安いグレード。
それでも十分、聖なる谷の大パノラマを楽しむことができる。

このインカレイルの景色はやばい。どこを見ても絶景である。
こんな高地を列車で進んでいるなんて夢みたいだ。というかこのインカレイルに乗ってマチュ・ピチュを目指すことをどれほど夢見ていたことか。
最初の方は見える山は全体的に緑色で、植物が多く生えていたが、次第に山の色が変化してくる。
茶色っぽくなってくると、植物はどんどん姿が見えなくなる。

俺が乗った一番安いグレードでもスナックと飲み物のサービスがあった。
ジンジャーエールを注文する。

インカレイルに乗っていて一番驚いたのは、こんな高地の秘境中の秘境のような場所でも人々が普通に生活していることである。
特に驚いたのは、電車が停車すると、車両に子供がどんどん寄ってきて、手を差し出してくるのだ。たくましすぎる。
こんなに近づいて大丈夫なのかというくらいまで線路に接近してくる。
ちらほらと家を見かける。学校らしき建物まで見かけた。
ここで生活している人たちは一体どんな生活をしているのだろうか。

1時間30分後、マチュ・ピチュ村駅に到着。
辺りはすでに真っ暗になっていた。

明かりが乏しいため、駅周辺の景色がどうなっているのかよく見えない。

ただ、ショックだったのが、いきなりクラブミュージックのような音楽が爆音でドンドン聞こえてきたことである。

俺の想像していたマチュ・ピチュ村のイメージとはかけ離れていた。
え、こんなところなの?

駅からホテルまではしばし歩く。
俺が泊まったホテルは、エル・マピというホテル。
このホテルはとても人気がある現代風なおしゃれなホテルで有名。日本人の観光客も多く見かけた。

ホテルに到着すると、俺はまず仮眠をとった。

9時くらいまで浅い眠りではあるが、少しだけ眠ることができた。

その後夕食は全く食べられる状態ではなかったため、一口も手を付けず。
奥さんを独りで食べさせるという状況に。申し訳なかったな…この時は本当に…
日本から持ってきたせんべいを一枚かじったのみ。
あとはひたすら水分をとり続ける。

こんなんで明日のマチュ・ピチュは大丈夫なのだろうか…

不安感極まりない中、シャワーを浴びて、もう一回寝た。



20年越しの夢 3 ―ナスカの地上絵編―

2015-02-08 23:59:30 | 
2014年7月31日

この日はいよいよ20年越しの夢がかなう日であった。

あれを見てみたいと思ったのは20年以上も前である。俺が小学生だった頃だ。

俺はある本の中でその絵のことを知った。
一発でやられた。その絵の不思議な魅力に憑りつかれてしまった。
なぜそんなに俺の心を惹きつけたのかは今でもわからない。
実際にあれをこの目で見て確かめた後でも答えは出ていない。

けど、確かにあの絵を見て自分の中に衝撃が走り、その世界の謎をこの目で見てみたいという衝動が起こったことは今でもはっきりと覚えてる。

そして念願の3日目。
いよいよ俺はナスカへ向けて出発した。

パラカスのホテルで朝ご飯を終え、バスで移動。
ナスカ空港へ向かった。

ほどなくしてナスカ空港に到着。ここからどこかに移動するわけではない。当然ながら。
フライト時間は帰ってくるまで含めて1時間程度。

ナスカの地上絵を見るためには小さいセスナに乗らなくてはならない。
そしてこのセスナがめちゃくちゃ酔うと悪名高い。
せっかく、念願のナスカの地上絵をこの目で見れる時が来たのだ。

準備は万全にしておきたい。
酔い止めを飲んだ。ついでに日本で新たにわざわざアウトドアショップで双眼鏡まで購入してた。これも首にひっかけて持ち込む。

飛行機の待合室が土産屋になっており、そのお土産がまた俺の心をくすぐるものばかり。
なんでもかんでも買いたくなってしまう。けどちょっと待て。まだ実物を見ていない… お土産は帰ってきてからでも買えるだろ。

ちなみに飛行機はAerodianaという飛行機会社。
手荷物はほとんど何も持ち込むことはできない。俺が持ち込んだのは財布と双眼鏡とペットボトル1本の水、そしてカメラだけ。
セスナは非常に軽いので、重量制限がととえも厳しいのであろう。

飛行機の時間までしばし待たされる。
この時間が楽しみで楽しみでしょうがなく、じれったい。と同時に酔ってしまうんじゃないかとう不安もあった。

そしていよいよ案内が。小さな待合室から外へ出る。
空港から出て滑走路をセスナまで歩く。結構歩いた。
天気も晴天で、絶好のフライト日和である。

そしていよいよセスナに到着。
驚くほど小さい。
チケットによると俺は左側の前から3番目。当然全員窓際だ。

コックピットが全て見えるほど小さなセスナだ。シートベルトをしっかりと締めてスタンバイ。

しばらくはナスカの町の上空を飛行。思ったよりは揺れない。

ここでナスカの地上絵について『地球の歩き方』より少し抜粋して書いておく。

紀元前後~800年前後にかけて繁栄したナスカ文化。
ナスカの人々はこのナスカの広大な平原に謎の地上絵で知られる絵を描いた。
動物、魚、植物、果ては謎の宇宙人らしきものまで。
そして何が一番不思議って、それらが空中からでしか確認できないほど巨大なものであるということ。
一体これらが何を表しているのか、何を意味しているのか。
これまで数多くの仮説が立てられてきたが、未だ謎に包まれている。
宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座を表すカレンダー説、宗教儀礼説などなど…
しかしながら、今のところ確実にわかっているのは、絵はパンパを覆っていた黒い石や砂をどけ、白色の地面を出すことによって線として描かれているということだけ。
そして年間おとんんど雨が降らない気候が、地上絵を現在にまで残したということぐらい。
多くの謎を残したまま、大地という巨大なキャンバスに今もなお刻み込まれている…

どう?こんなの読んだ日にはもうたまんないでしょ。
小学生の俺がわくわく感にノックアウトされた気持ちはよくわかる。

いま、これを書いててわくわくしてきたもん。
今から2000年前の今でも解明されていない謎。本当に地球という舞台のミステリーだよ。

解明されずにこのまま永劫に謎のままでいてくれた方が面白いと思う。
そしてそれを解明しようと謎ときに挑戦することにこそ人はロマンを感じるんだろうな。

誰が、何のために…

これほどこのフレーズが似合う世界遺産もないと思う。


旅行記に話をもどそう。

パイロットは英語を、ちょっとだけの日本語で説明してくれた。



そして遂に…


見えてきた。
最初は…

『クジラ』だ。

こいつは非常に見つけづらいことで有名。一発目だから確実にゲットしておきたい。
こいつの目印は線があって、そこの角になっているところだ。発見!


そして2つめは…

『宇宙人』

こいつは良くガイドブックとかにも載っている有名なもの。
そして山に描かれているので非常に見つけやすかった。
俺に手を振っている。発見!

お次は3つめ『サル』

こいつはだだっ広い何もない平原に描かれているが、しっぽがあまりにも特徴的なのですぐに見つけられた。
奥さんの一番推し地上絵になりました。
発見!


次は『イヌ』

何とか見えたが、タイミングが合わず、カメラに収めることができず…
ちらっとしか見えなかったな…
けど、発見!


お次は何といっても俺の一番の推し地上絵…
『ハチドリ』

俺はこいつが地上絵の中で一番かっこいいと思う。
このデザイン。
なんか俺の感性にピンとくるものがあった。

この目に焼き付けた。発見どころじゃない。

次の『クモ』発見!

次に『コンドル』
こいつもかっこいい。レッチリのボーカルや須藤元気の背中にはこのコンドルの地上絵のタトゥが入っている。発見!

お次はまとめて二つ。
二つ並んでいる『木』と『手』

この『手』のデザインも最高に好き。かわいいよね、何となく。
後で買った石に地上絵が描かれているキーホルダーはこの『手』のデザインのものにした。

『フラミンゴ』『オウム』

この二つも何とか発見!

ということで、何とかすべての地上絵を発見することができた。

ただ、地上絵を見せるために、セスナがすごい勢いで旋回したり、急降下したりするので、途中やばくなりかけた。
全く気持ち悪くはならなかったけど、あのままもう少し長かったらやばかったかもってくらい。
まあ、何よりおれはナスカの地上絵でアドレナリン出まくっていたからかもしれない。

ミラドールに上ってきたかったッテ感も少しあったが、全然満足。
全て見れたし、何よりこの目で20年間見たかったナスカの地上絵を見たって満足感でいっぱいであった。

そしてまた30分程度のフライトで空港に戻ってきた。

お土産やではやたらと一杯買ってしまった。

キーホルダーとマグネット、さらにはTシャツまで買ってしまった。

いやー、夢をかなえた。幸せだった。


そしてパラカスのホテルに戻って昼ごはん。
昼ごはんはパエリアとポテトサラダ。

昼ごはんが終わると、もうパラカスとはお別れである。宿に別れを告げてバスへ。
またリマまで4時間バスに閉じ込められる。

リマに到着するともう暗かった。


初日に泊まったリマのホテルで夕食。
スープとペルー料理の定番ロモ・サルタードという牛肉と玉ねぎとポテトの炒め物。
これがまたおいしい。

さらにせっかくなのでペルーの有名蒸留酒、ピスコをいただく。
ピスコは相当に強く、全部の飲めなかった…
味は美味しかったけどね…

というわけで一生に残るナスカの地上絵編でした。



20年越しの夢 2 ―首都リマの旧市街とパラカス編―

2015-02-08 17:20:24 | 
2014年7月30日

実質的にはこの日が初日である。
1日目は本当に移動だけで終わってしまった。

ホテルがリマの旧市街にあったので、この日はリマの市街を散策した。
と言ってもリマにいたのは半日の午前中だけだったけどね。

リマはペルーの首都であり、旧市街は歴史地区として世界遺産に登録されている。
新市街のミラフローレス地区も行ったのだが、これは後程。

ホテルから世界遺産であるリマ歴史地区まではバスで10分ほどであった。

まずは旧市街と言えばここ、アルマス広場へ。
リマの旧市街って言ったらたぶんここが一番有名。

パンフレットやガイドブック塔等でのリマの写真は大体ここ。
アルマス広場へ行けばとりあえず旧市街の雰囲気が存分に味わえる。
天気は曇りで微妙だったが、念願のペルーの首都、そして世界遺産であるリマを訪れるのは、スターターとして絶好の場所である。

まずはなんとってもこれ、カテドラルへ。というかカテドラルってそのまますぎるネーミングだね。
町の中心アルマス広場の正面にカテドラルっていう配置は南米ではどの都市にも共通する光景であるとのこと。
しかし、地球の歩き方によると、ここリマのカテドラルは南米きっての征服者、フランシスコ・ピサロが自らの手で礎石を置いたペルーでも最も古いカテドラルであり、その日は1535年1月18日、リマ建都の日でもある(地球の歩き方より)
1535年って…相当古い。
ピサロという名前は有名で聞いたことのある人も多いと思う。

インカ帝国を支配したスペインからの支配者、ピサロ。
その名前を聞いたのは、確か俺が小学生だったと記憶している。
当時の俺は、ドラクエ4のラスボス、デスピサロと名前がオーバーラッピングし、相当な悪者というイメージがあった。
まあ、当然今俺が見ている実際のカテドラルは1535年のものではなく、何度も改修が行われたものではあるが。
ちなみにピサロは暗殺され、その遺体はカテドラル内のガラスケースに安置されれているらしいが、真偽のほどは定かではないらしい。

そしてすぐ隣にはペルー政庁の建物がある。
アルマス広場の中心にある噴水辺りでぐるーっと一周見渡せば、目に入ってくるのは歴史的な建物。
そしてこの辺りは道がとてもわかりやすく、直線で碁盤の目状になっている。

その後はオーガスト通りを歩き、駅へ。何の駅なのかよくわからなかったが、ガイドブックで確認してみると、「デサンパラドス駅」とのことだった。
中に入ってみる。
駅の中を通り過ぎると、線路が見えた。
しかし、この路線はすでに使われておらず、一般客を乗せる電車は通らないとのことであった。

その後はサン・フランシスコ教会を目指して道を歩く。
ちらほらとお土産屋が開いていたが、売っているものはどこもそう変わらない。
俺はペルーで買いたいお土産が決まっていた。その中の一つは地球の歩き方にも乗っていたキーホルダー。
“どこにでもある土産物。5個で1ソル位で買える”とのこと。
その言葉通り、このキーホルダーはいたるところのお土産屋で売っており、探すまでもなかった。

道には犬や、猫がふらふらしているが、人間に対して警戒心もなく、襲いかかってくる気配もない。
人間慣れしているのだろう。だだ、ペルーはひたすらに動物たちが野放しであった。

そんなこんなでサン・フランシスコ教会へ到着。
ここ、鳩が異常に多く、入り口は鳥の糞でとんでもないことになっている。
中をちらっと見学し、教会を後にする。


そしてここからは、ひたすら移動だ。


バスに乗り込み、パラカスという町を目指す。
実に4時間半もひたすら道を南下する。

リマを出発してほどなくすると、すぐに町の景色が変わってくる。

リマの洗練された街並みとは一般して、とてもリアルな感じの街並みに。
色とりどりのレンガや土でできたような家々がところ狭しと並ぶ光景を何度も見た。
屋根がなかったり半ば崩壊している家も多数。山の斜面を削り、所狭しと家を押し込んでいる。

リアルな街並みが終わると、今度はひたすら荒涼とした砂漠のような景色が続く。
砂漠のきいろっぽい砂ではなく、灰色の砂。
灰色の砂漠なので、より一層荒涼として見える。
そして時折、そのはるか向こうに海が除く。
今は知っている道はペルーの最西端にあり、海沿いを南下しているのだ。
もちろん、海は太平洋。
地球の裏側に来ているのに、東京から見える海と同じなんて太平洋はどれだけでかいのだろう。

まずは2時間くらいして昼食。カニのリゾットとペルー風味の焼きそば。あと、ビール。
カニのリゾットは当然想像できる。おいしかった。
問題はペルー風味の焼きそばである。一体どんな味がするのかというと、これがうまい。
なんか日本人絶対大好きだよ、あれ。一言でいうと、しょうゆ味。しょうゆ焼きそばだった。
トイレが心配なくせに調子に乗って昼間っからビールを食らってしまった。
この途中で寄ったレストランあたりから天気がとてもよくなってきた、
加えて、バスの中でひたすら2時間移動だった後ということも手伝い、とても開放感があり、気持ちよかった。
景色もひたすら田舎。それがまたいいんだろうね。
車もあまり通らないので、道路にふらふらと出てきて写真を撮った。


そしてまた2時間。このバスの中は良く覚えていない。たぶん寝てたんだろうな。

ようやくパラカスに到着。

まずはホテル近くの祈念碑へ。
何の祈念碑だったか忘れてしまった。たしか火事がどうとか言ってたような気がする。
その祈念碑を忘れてしまうとはなんて罰当たりなんだろう。
その祈念碑の周りがひたすら何もない空間で、絶景だった。

風が強かったが、地平線見えるくらいひたすら何もなく。砂がひたすら見える。
視界にあんなにも遮るものがないって気持ちいいんだね。
とりあえずこの名もなき、荒原がペルーに来て一番の絶景であった。

その後、ホテルに移動。

昨日のホテルとは違い、パラカスのホテルはかわいらしいおしゃれなリゾート地にあるようなホテルだった。

そしてパラカスは海沿いの町。潮のにおいがする。
空にはウミネコ?やカモメが飛来し、岸には多くのボートや船が泊まっている。

ホテルのチェックインが終わると、ちょうど日が傾き始めてきた。
いいころあいだったので、ホテルの近くにある海岸沿いを散歩した。

海外沿いには、相変わらず野放しになっている犬が多くいて、楽しそうにじゃれあっている光景が非常に微笑ましい。
なんか、この町はすごく平和な雰囲気がした。もちろん、夜とか気を許したらそんなことないんだろうけど。

海岸沿いの道はすごく雰囲気良くて、ただホテホテと歩いているだけで退屈しなかった。
途中、ペリカンに餌をあげているオッチャンが写真撮らせようとしてきたが、普通にとってお金払った。
なんて行儀よく教育されたサービス精神にあふれれたペリカンなのだろうか。
こういう、教育した動物で写真で商売するのは外国では定番なんだな。今までそんな光景に数多く出会った気がする。

その後はちょっとビール飲んで一服したくなったので、その通りにある雰囲気良さげなバーに立ち寄る。
ここでちょっとしたハプニングが。
スペイン語がまったく話せないので、ひたすら英語で押し通してきたのだが、なんとビールという単語、つまりはbeerという単語を店員に理解してもらえなかったのである。
俺の発音が相当良くなかったという問題ではないと思う。
店員はとても人がよく、何度も俺のbeerという単語を理解しようとしてくれた。しかし、残念なことに遂には理解してくれることはなかった。
なんか謎の単語を発する俺ら東洋人を必死に理解しようとさせてしまった。
そもそもスペイン語でビールという、“Cerveza(セルベッサ)”という単語を覚えていればこんなことにはならずに済んだのである。

そして、奥さんと相談して、じゃあ、違うお酒でも飲もうということになった。
名前だけで一番無難そうなお酒を頼むと…

なんと色がとてつもなくカクテルっぽい深い紫色をした、上にパラソルが乗ったカクテルが運ばれてきた。
想像していたのと全く違い過ぎて笑ってしまった。

味は普通においしかったけどね。けどちょっとアルコール度数は高めだったかな。
こういうちょっとしたハプニングが大好きだ。旅しているって思う。

そしてほろ酔い気分でホテルに帰って夕食。なんて幸せなんだろう。

ポタージュ、白身魚の玉ねぎの炒め物が乗ったやつ。
この白身魚が何の魚なのか気になったが、驚くべきことに、ペルーでは何の魚かということを全く気にしないらしい。
つまりは、この魚は何なのか…とう質問の答えはすごくシンプル。

…“白身魚”

白身魚、赤身魚…という分別しかないらしい。

白身魚はとてもおいしかった。
もちろん、さっき飲めなかったビールも飲んだ。

そしてその瓶ビールのふた(王冠)にはマチュピチュのシルエットが描かれており、記念に持って帰った。

最後に、ここで初めてインカコーラを飲んだ。
見た目にインパクトがありすぎる、まっ黄色のコーラ。


とても有名でペルーに来たら絶対に飲まなければいけないものの様なので、恐る恐る飲んでみると…


これおいしい!


なんていうんだろう…何かにたとえたり、適切に表現するのが難しい味なんだけど…
ヤクルトみたいな乳酸系飲料をコーラで割ったような…とにかく表現するのが難しい味。
けどおいしいよ。癖になってこの旅で何本も飲んでしまった。




20年越しの夢 1 ―楽しみずぎた準備・出発編―

2015-02-08 17:17:01 | 
20140729

出発の日。
いつも通り胸躍らせているわけだが、今回ばかりはわけが違う。
とうとう20年越しの夢がかなう時が来た。
ちょっと大げさか。

いつも通り成田空港には直通リムジンバスで向かった。
今回は池袋のメトロポリタンから出ている直通バスに乗る。
道はすいていて遅れることなく早すぎる到着である。

成田空港到着後は時間が有り余っていたので、備品を揃えた。

まず目薬。なぜ出発着前になって目がかゆくなってきたから。
そして酔い止め。これは今回俺が楽しみにしているものをしかとこの目で確かめるためには必需品である。
そしてビーサン。これはホテルでシャワーを浴びたりするときや、ちょっと外でたばこ吸いに行くときなど、いろいろ便利かと思い、購入した。
売っていたのがド派手な色で、JAPANという字に埋め尽くされているような、完璧に外国人観光客が日本土産に買っていくようなビーサンであったが今となってはお気に入りだ。

今回はよほど楽しみにしていたせいか、旅用品も完璧にそろえた。
まず双眼鏡。あれを見るには必須である。
そして変圧器&コンセント変換プラグ。今回は今までの海外と比べ滞在時間が非常に長い。ケータイやデジカメの充電ができないときついために購入。
首まくら。これは6年前にイギリスに行ったとき購入したものだが、対して使用せずに眠らせてしまっていた。
しかし今回は飛行機の時間が桁違いである。事前に洗濯し、抜かりはない。
デジタルカメラ。とうとう新しい相棒を購入してしまった。今までのパワーショットももちろん持っていくが、新たにミラーレス一眼?っていうの?を購入。
メモリーカードは4枚用意。
山登り用のシャツも何枚か購入。池袋のアウトドアショップを回った。
無駄に小物入れを買ったりした。驚くべきことに、スマホのエバーノートのアプリに「旅そろえるもの」たるページをわざわざ作り、そこでチェックリストを作成。
それをひとつひとつ購入していく。日に日に持ち物がそろってくる感覚がとても幸せだった。そしてそれほどまでに気合が入っていた。

覚悟を決めて成田国際空港から、まずはアメリカはアトランタまで飛ぶ。フライト時間12時間…長い…こんなに長いのは結構久しぶりかも。最近アジアばっかりだったからなあ。
当然前もってESTAの申請も完璧である。旅行代理店に頼むのではなく、自分で申請を行った。
なぜかというと、申請代行料をケチったわけではなく、自分で申請していくのが旅に向かうって気持ちを喚起して楽しくってしょうがなかったのである。

12時間飛行機の中で何をしたのかはよく覚えていない…
ただ唯一覚えているのは、『怪盗グルーの月泥棒』を1、2ともに見たことである。しかも無駄に英語バージョンで。
しかし、方向は東向きである。あの特有の徹夜感。目的地にはまだついていない…先は長いが体はもうくたくたである。

けど嬉しい誤算があり、飛行機が大幅に遅れ、トランジットのあの暇でしょうがない時間がほとんどなかったのである。ほとんどなかったどころか空港内を走った。
なのでアトランタ空港内での記憶はほとんどない。本当に登場に間に合うために走ったことくらいかね。


そしてアトランタ空港からリマ空港まではまた6時間もかかる。狭いエコノミーシートに18時間は流石に疲れた。

リマの空港に到着したのはもうすでに深夜。

ホテルまではバスで移動し、すぐにチェックイン。この日は本当に疲れていたのと、いくらリマという都会とはいえ、南米の町を深夜に練り歩くのは流石にやめた方がいいだろうと考え自粛。
というか首都であるにも関わらず、ほとんど人を見かけなかった。
なので、この日はおとなしく、ホテルで荷物の整理をし、日本から持参したせんべいを食べて、
記念の1日目のムービーを撮影しながらビールを飲んで寝た。