3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

上野で恐竜の骨触ってきました

2009-03-30 00:21:58 | 
今まで散々に日記はミクシーに書いていたという、
誰に言ってるんだかわからんことを書いてきたが、

過去のミクシーの日記をガンガンこっちのブログに移しました。

まだ全部ではないのだけど、
30記事くらいは移動させたかな。
1月の途中までは移しました。

更新していない時は閲覧数“1”とかだったのに、
更新したとたんに200位になりました。
見ていただけるのは非常にありがたいんですけど、
こんな人間の日記読んだって、
何一つ良いことはないよと声を大にして言いたい。
申し訳ない気持ちで一杯である。

まあ、過去のものを更新したってことで、
もしも万が一、読みたい人がいたら、読めばいいと思う。

何度も言うが、何一つ収穫はないと思うけど。

けど、結構めんどくさかったんだよ。
何がって、本文だけ写すと、
記事の順番が反映されないから、
とんでもない順番になるわけ。

それがどうしても嫌だったし、
何故か、そのとき書いた記事はその時の日にち、時間で
とっておきたいなどという、
よく分からん考えが起こり、
全ての記事をミクシーで更新した時間で設定してこっちに移した。
その作業が非常にだるかったわけです。


ってこんな宣伝めいたこと書くのは、
俺のやりたいことではないので、さっさと止めにして、
今日のことを軽く書こうと思う。

今日は上野に行ってきた。

冷静に考えると、
春休みの日曜日という限りなく間違った日に行ってしまったわけだが、
冷静に考える前に行こうと決めたら、
テンションと共に体が動いてしまうんだからしょうがないんだ。

最初は上野動物園に行く予定だったんだけど、
俺が丸の内線後楽園駅で見たポスターが忘れられなくて、
急遽予定変更。

で、向かったのは…

大恐竜展。

お前はいくつだと思うなかれ。
しょうがないだろう、恐竜好きなんだから。

しかもお値段、なんと1500円。
高いか安いかは行った人間が各自判断すればよい。

時間にして1時間もあれば十分に回れる。

どっちかって言うと、
子供づれの家族で行った時に最大限の力が発揮される場所かなと思う。

別にいいじゃないか、行きたかったんだから。
楽しかったよ、十分。
だって物販で600円もするキーホールダーまでかってしまったんだから。

まあ、行けて良かったですよ。
最近はここいきてぇ!って思ったら、スグに行動してる。
じゃないと絶対に行かない。
いつか行こうと思ってると、いつかが非常に長くなって
絶対に結局は機械を逃す。
コレは俺の場合だけど。



で、その後は地球館という、
Zoology(動物学)的な展示場に行く。

場所は国立科学博物館ね。
あのでっけークジラのオブジェがあるとこ。

地球館はタダデした。
面白い人にはホント面白いと思うよ。

その後、ご当地ピンズをやって(旅行する時は必ず買っている)
上野公園(?)に移動。

夕日が最高に良い感じの時間で、
夕景を目に焼き付ける。

桜も三分咲きらしく、
頭上は既にピンクの屋根ができていた。
外国人の人たちが桜の写真を撮っててさ、
なんかうれしくなっちゃったよ。
日本の桜はやっぱり世界に誇れるものなのかな、なんて。
綺麗でした。

でも俺やっぱり、
お花見って好きじゃねえな~
あの雰囲気が好きになれない。

別に桜を見るのはとてもいいし、
実際綺麗だし、その下で仲いい人と酒飲むなんて、
楽しくないわけがないんですけど、

なんた勘違いしてる馬鹿が多い気がしてね。
ぎゃーぎゃーうるせえやついるし。
無駄に酔っ払ってるやついるし。
完璧合コンになってる大学生集団とかマジでウザいし。

雰囲気を楽しむことができないなら、
居酒屋でやっていただきたい、ぜひとも。
光景として俺にとってうっとうしいから。

それが花見なんだったら、
俺は花見なんてぜったやりません。

ぜひとも、仲いい人奴らと、
たは~、春だねえ~なんて酒飲めたらいいな。

って俺は年取ったのか??

そんなことを考えながら、
アメ横に移動。
余りの人の多さにかなりうんざりしつつ、
かわいらしい雑貨屋で、
これまたなめた感じのキーリングを購入。

うん、こんな何気ない日だったんですけど、
何だか無性に楽しくて。

俺がガキだから、
こんな日常に
あ、楽しいって思うだろうなと。

総じて楽しめた一日でした。

今度は上野動物園に行ってやる。




おしまい。




A.N.A

2009-03-27 21:41:05 | 
成田で飛行機事故がおきてしまいましたね。
人が死亡する大惨事なんて何年ぶりでしょう。

雷に打たれるのと同じくらい、
確立は低い、飛行機事故ですが、
実際起きるときは起きるんですね。
つい最近飛行機に乗ったので本当に恐い。

飛行機について、
ちょっとラッキーな事があった。

ヨーロッパから帰ってくるとき、
ANAだったんだけど
俺のテレビが壊れてて、
(壊したわけじゃない)
テレビが見れなかったんです。

俺は最初から見るつもりもなかったし、
ひたすら読書と、
ヨーロッパで見たこと、感じたことを
ノートに書き綴ってたんです。
8時間くらい。

そしたら、何かすっごい謝罪されて、
7500マイル引換券か、
5000円分の商品券を頂きました。

あ~本当にマイルカード造っておけばよかった…

イギリスの時と、
今回のヨーロッパと、
その7500マイルをあわせたら、
そろそろタダで韓国くらいは行けそうな気がします。

韓国は大学の授業で行きます。
スクーリングで。
国際交流の授業でね。

海外ボランティアにも行きますね、そー言えば。
カンボジアとか行きたいね。

海外行き過ぎじゃねー?って思ったか。

いーじゃないか、別に。
行きたいんだから。

てか、今、この時期を逃したら、
一生行けないかも知れない。

特に国際ボランティアなんて一生行けない気がする。


一生行けないなんて大げさだろとか思ったか。

実際にいつかはいけるだろうと思ってる時点で、
まず行けない。
個人的な俺の考えだが。

いつか行こうと思ってて一生行かない人がどれだけ
いると思ってるんだ。

俺も知らないけど。

別に高尚な目的があるわけでもございません。

唯、ちょっと世界を知りたいだけ。
唯、ちょっと多くの場所に行きたいだけ。
唯、ちょっといろんなものを見たいだけ。
唯、ちょっと何かを感じたりしたいだけ。

ホント唯それだけ。

その時期に今が一番いいと思ってる。
この時期を逃したくないだけです。


あ、勉強もしてますよ、ちゃんと。
流石にね。

あ、みっちり働いてますよ、ちゃんと。
流石にね。


行ってみたいとこなんて山ほど或る。
訪れたい国なんて、
訪れたい世界遺産なんて腐るほど或る。

200カ国近い国が存在する中、
俺が一生をかけて、
行きたいところ行ったとしても、
その数なんてたかが知れている。
一年に一回行ってもあとせいぜい30位だろう。

だったら今のうちに、
ちょっとでも行ってみたいところに行きたいです。

例えば俺がプラプラと世界中を放浪していたとしても、
それは俺の問題であって、
周りの奴には何も関係のないことだ。
悪いことをしている訳じゃないし。

まあ、こんなこと言ってる時点で未来はないな。

そうだ、今年最初の日記で真のクソヤロウになるって
書いたんだから別にいいか。
本当に前に進んでない気がします。


とにかく、俺はアスファルトから咲く花のように生きていくべきだ。

なんつう纏めだよ…




Prague in Czech

2009-03-26 19:10:39 | 


ここはドコでしょう。

正解はCzechのPrague
読めない人が多いだろうな。



プラハは浮浪者が一杯いました。
要するに物乞いが一杯いました。

ご存知の通り、
プラハはついこの間まで共産主義国家。

世界史を知らぬものでも、
いわゆる“プラハの春”位はきいたことあるだろう。

簡単に言うと民主化運動が起こった。
その自由化を推し進めた代表人物が
ドプチェクというなんとも凄い名前の人物。

しかし、単純に考えて、
共産主義国家からしたら、その思想は危険なわけで、
当時の共産主義代表が介入。

誰かというと、もちろん、ソ連。

俺が今回訪れたベルリンの、旧東ドイツ。
当時はバリバリの共産主義国家で、
このときはソ連と一緒にチェコに進入した。

時は少し溯って、
1961年、ドイツでは、
ドイツ連邦共和国、通称西ドイツと
ソ連占領下のドイツ民主共和国、通称東ドイツ。

東ドイツでは反ソ暴動がおき、
西ドイツに逃亡を企てるものが多く現れた。

そこでその逃亡を遮断するため、
ベルリンに大きな大きな壁が造られた。
かの有名なベルリンの壁だ。



意外に薄いんだなというのが第一印象。
もちろん、当時はもっとイカツイものが建っていた。

ベルリンの壁が崩壊したのは、
1989年11月9日。
日本ではエックスが流行っていた時だ。
スターリンも流行っていた時だ。

東西ドイツは統一し、
現在のドイツ連邦共和国となる。

その頃チェコでもビロード革命という民主化革命が起こり、
共産主義国家としてのチェコは崩壊した。

聞いた話によると、
共産主義時代の、
民衆が職を持っている割合は、何と100パーセント。
もちろん、形式上はというところだろうが、
一人につき必ず一つ職があったそうだ。



彼らは雪が降りしきる氷点下のプラハの町に、
土下座のようなカッコをしながら、
何時までも座っていた。
何時までも。

多分、今も座っているんだろう。


よく見かけたのが、
彼らはよく犬を連れている。
自分のお金さえないのに、
なぜ犬なんかを連れて歩いているのだろうか。
コレには理由がある。

自分で調べてみた。
なるほどと納得した。










Mechanical Animal

2009-03-26 00:02:54 | 
仕事中に一人で泣きそうになってた今日。

また、いつもの著作権申請で、
前は印税報告書の作成って言う業務の次に嫌いだった。

けど、最近は楽しい。
コネが広がってくし、
何より本に詳しくなる。
純粋に。

今日、とある小中学校の国語科教師向けの教育書の
転載をしなくてはいけなかったんだけど。

で、その作品の中の一つに、
『かわいそうな象』って作品があって。

もちろん幼い頃に読んだ事あるし、
知ってる話なんだけど、
内容も覚えてはいるんだけど、

今、じっくりと読むとね、
泣けるよ。

今日読んだのは絵本なんだけど、

毒を入れた餌をあげても象たちは吐き出してしまう。
本能でわかるんでしょうか。

餓死寸前の象たちが
餌を貰うため必死に芸とかしているとことか、
本当にやばい。

転載の申請中に一人でゲラ見ながら、
涙ぐんでる奴がいたら回りは不審に思うな。

ってことで近々、上野動物園にいってきます。
戦争が終わったのってたかだか60年前だもんな。

今はそんな悲しい歴史の痕跡は、
何も残ってないだろうけど。

あ、動物で思い出した。
ロンサム・ジョージって知ってます?

てかガラパゴスゾウガメって知ってます?

ってかガラパゴス諸島は知ってると思う。
世界自然遺産で超有名。

そこにいるゾウガメの一種です。

その中の、
亜種ピンタゾウガメってのに凄い悲しい、
切ないストーリーがあるんです。

ピンタゾウガメは長らく絶滅したと思われていたが、
1971年に再発見され、ジョージと名づけられ、
現在はチャールズ・ダーウィン研究所で飼育されている。
事実上最後の一頭であり、ロンサム・ジョージと呼ばれている。
(またウィキぺディァから引っ張ってきた、めんどくさいから)

何が凄いって、
そいつが最後の一匹なんだよ。

絶滅種の最後の一匹。

世界で存在しうる最後の一匹。

コレは凄くないですか。
切ないくもあり、儚くもあり、悲しくもある。

コイツが発見されるまで、
コイツはずっと一人だったらしい。
だから、ロンサムって言われてるんだそう。

つまりは最後から二匹目が死んじゃってから、
コイツは地球上で種の最後の一匹として、
ずっと生きてきたってことだ。

しかもゾウガメの寿命は人間より長いので、
年数も人間に換算していただいて、問題ない。

もちろん、彼はそんな事実を知る由もないだろうが、
客観的に見るとそれは果てしなく悲しいことであると思う。

地球上で仲間が死滅した中、
たった一人で生きてきた事実を知らなくてよかったと思う。



おしまい。



狭間

2009-03-25 22:19:30 | 徒然


こっそりと更新してみる。
あくまでこっそりとね。

いつから文が途絶えてるんだ?
秋ぐらいからか。

もう冬が終わろうとしている。
いつの間にか春になったんだな。
ちょっと寒いけどね。

こんばんわ。
って言っても誰も見ていないなんてのは毎回の事。

俺が今まで書かなかった間に本当に多くのことがありました。

念願だったヨーロッパの放浪もすることができた。
初海外のイギリスに続き、
フランスと、
ドイツと、
チェコと、
オーストリアに行った。

まっさらだったパスポートが今年度だけで、
急に忙しくなった感じだ。

それだけじゃない。
日本でも色んなところに行った。

勉強もあくまで地味に、
或る程度はやってます。
そもそもまた海外に行ったから、
更に英語が上達しました。
コレは確実に。

出版社の編集としても日々、
修行している。
10月に比べたら遥かに編集者っぽくなってきたと思う。

もう、外に出て、
例えば他の会社で、
編集業務なら一通りできます、と言っても、
詐欺にはならないレベルまでは来たかなとは思う。

平日は毎日働いている。
土日や合間をぬって学校に行く。

時には旅をしてみたり。
更に時には10間も休みを取り、ヨーロッパを放浪してみたり。

こんな日常。

時たま、文章に残しておきたくなる。

前も書いたが、
日記を書かなかったわけじゃない。
ミクシーのほうにはかなり頻繁に更新していた。

2008年度ももう終わる。
また誕生日を迎え、
25という大きな壁を越えてしまった。

来年度と言う、
世間は夢と希望に溢れかえるこの時期に、
やっとこさ俺は重い腰を上げ、
日記を書いてみた。


そんな日常。


チェコのプラハの町並みはホントに夢の様な世界でした。

しかし現実に戻りたくないなんて、
そんな感情は皆無。

全部含めてコレが現実。

やっとこさその狭間から抜け出して、
また日常の一瞬、一瞬を懸命に生きなくてはと感じた。

一年経った今でも、
俺は何一つ変わっちゃいなかった。








MW

2009-03-21 00:51:25 | 


今日ジュンク堂にいったんですけど。

俺の担当している雑誌が平積みにされてまして。
何か非常に嬉しくなってしまいまして。

そこら辺の人手当たり次第に、
これ俺がつくったんですよ!
って言いたくなってしまいました。

まあ、一番高く積まれていたので、
つまりは一番売れてないってことなのか…

まあ、俺のせいじゃねえな。

あー早く単行本が世に出ないかな。



手塚治虫の『MW』という作品をご存知でしょうか。

『MW』と書いて“ムウ”と読む。


この作品は手塚治虫の作品の中で、
最高の問題作であると言われている。

ウィキペディアによると、
本作は生々しい性描写や猟奇的殺人場面が描かれており、
子供の目にさらすことのできない手塚作品の一つといってよい。
タイトルであり作中の化学兵器の名でもあるMWとは、
結城が犯行の際に得意の女装や男娼的行為をすることに
関連づけられているといわれている(Man/Woman)。

で、もちろん読んでみたんですけど。

そんなに言うほどグロくはない。
残酷描写も想像してた程ではなかった。
残酷描写ならばサイコとかのほうがよっぽどグロい。


てか、手塚治虫の書いた漫画だ。
絵が絵だからな。
あの絵でグロくするほうが難しい。

まあ、人間的にどうなのってか、
タブーに触れている感の強い作品だとは思います。



最後に、
暇な人は、

“レンソイス”ってグーグル画像検索してみ。

この世のものとは思えない光景が出てくるから。

こんな光景が地球上にあったなんてビックリだ。
はじめて見た時は衝撃的でした。

あ、グロいとかそういうんじゃ無いんで。
安心してください。



で、今回の写真はどこでしょう?


delay寸前

2009-03-19 23:11:53 | 徒然
初めに言っとく。
今日の日記は読むに値しません。

久しぶりに長い日記でも書くわ。

やっと割付終了。
印刷所に出しました。

二週間くらいで初校ができるでしょう。
いや、こっちの話ね。


Mくん神だ。
動画ありがとう。
いや、こっちの話ね。

日曜日は、
塾の送別会でした。
一年前の記憶が鮮明に蘇ってきました。
もらい泣き上等。
よく考えたらホント楽しかったんだな、と。
いや、こっちの話ね。

その後はIさんとサシで飲んだ。
当時は聞けないあんなことやこんなことまで色々聞いた。
彼はいつの間にか終電の時間に帰る人になってしまったんだな。
いや、こっちの話ね。

昨日はレポートの締め切りだった。

最近は割付と校正の為、
一日に5時間は活字を見ている。

その後で更に俺は字を書くのか。
って思いながらも、
今日こうしてまた活字を打ってるんだから病気だ、もう。

で、クソみてぇな論文提出して、
東京ドームシティーのイルミネーションを見ながら、
歩く。

なんか、コースターから聞こえる、
キャーキャー言う悲鳴。
明らかに俺より年いってる男が、
奇声を発しながらエアホッケーに興じている。

そんな光景を見ますとね、
何か無性に悲しくなってしまいまして。
何の感情なんですか、コレは。

私は浪人をしたので、
(因みに留年もした!)
予備校生だったときがある。

その時に受けた青木の世界史が人生で一番面白かった授業だ。
因みに単科で掛け持ちという、
とんでもない事をしていたので、
代ゼミの幸夫の授業も楽しかった。

あの授業を受けた俺は、
本当に幸せものだと思う。

一番、感激したのが、
中国史の西遷の時。
本当にドラマがある。
あの講義を聴いて何も感じない人間は仲良くなれないと思う。


一歩でもどこかから外に出るきっかけってのは、
とても些細なもので、
その些細なことで人生が変ったりする。

例えばアラスカの景色に心惹かれ、
カナダに留学し、
そのまま写真家になり、
アラスカでテントを張り、寝ていたところを、
野生の熊に襲われ命を落とした、星野道夫。

彼の人生は一見、普通じゃない。

けど、彼は、
俺はでってー普通じゃねーと常に思いながら
その人生を歩んでいたと思うか。

彼にとって興味のあることがあって、
その結果その道に進むことが自分にとって普通だったから
その道にいったんだろ。
わざと狙って普通じゃないから行ったわけないと思う。

星野道夫にとって一歩外に出るきっかけっては
本当に一枚のアラスカの写真だったのかも知れない。

けど、その偶然のきっかけで、
彼の方向が大きく決定付けられたはずだ。

そのきっかけを探す努力はすべきだと思う。
別に世界中を旅することでも、
猛勉強する事でも、
就職セミナーに通う事でも。
そっからなんかのきっかけがあって、
一歩なんか外から出れたら、

やっべ、今楽しい、なんて感じられたらいいんですけどね。



俺が初めて送り出した中3は来年、大学生になります。

シテ島

2009-03-09 19:21:20 | 


どーん。

ここは何処でしょう?


正解は、かの有名な
“ノートルダムの鐘”

フランス、パリのシテ島というところにある、
ノートルダム大聖堂の塔にある、大鐘です。
30分くらい並びました。

ちなみに、
ディズニーのアニメ、ノートルダムの鐘の舞台なのだが、
当初のタイトルはノートルダムの鐘
ではなかったのは有名な話。

放送禁止用語、
正確には差別用語がタイトルに含まれており、
邦題は変更されたのだ。

最初のタイトルは、
ノートルダムのせむし男

もちろん、せむし、の部分がアウト。



そうそう、一国目のドイツの写真をアップして、
一枚一枚にコメント入れました。

頑張って、
世界史が解らない人でも、
俺が行った所は歴史的にどんな意味があるのか、
俺が何をしたかったのかが、
なんとなく解るように書いたつもりです。

前回の日記とあわせて読めばよりわかると思います。
暇でしょうがない人は読んでみてください。
何か感じるものがあれば幸いです。


オーストリアからフランスは空路を使いました。
セキュリティーチェックは女性でした。

俺は直前にトイレに行き、
なんとチャック前回でセキュリティーに突入しました。

金属探知の直前でベルトを外そうとして、
やっと気付きました。

やべっ、てはにかんだら、
その女性のリアクションが、」

Oh~みたいなドラマで見るような外国人のリアクション。

「なんてことだ」

見たいな日本語訳がつきそうな。

もちろん手は外に斜め45度だ。

或る意味相当危険人物なので、
別室呼び出しにならなくて本当によかった。

グローバルなセクハラやってる場合じゃない。


フランスについてからは、
本当にフランスパン咥えながらシャンゼリゼ通りを闊歩しました。

誰もが認める世界一オシャレな通り。

俺は穴があいた、きったねえドクターマーチンと、
すそが破けてるディッキーズのワークパンツと、
オーストリア航空機内で食ったスクランブルエッグが
飛び散って、ジャケットにこびりついているという姿でした。



日本の恥と化しました。


もちろん、何かを知ったり、感じたくて行ったんだけど
別にずっと重苦しいこと考えてたわけじゃなくてさ、
こんな馬鹿なことですげえ楽しかったのは、
やっぱり見知らぬ土地だったからでしょうね。


欧州放浪忌憚

2009-03-03 19:36:11 | 


ヨーロッパ放浪の旅から帰ってきました。

今回は本当に無茶をしたので、
なんとか生きて帰ってこれてよかったです。

で、昨日帰ってきて今日は早速仕事しました。

本当に辛かったです。
何度も吐きそうになるくらい、
体と脳が眠ってました。
極度の時差ボケ。
8時間違うんだからな。


結構今回に限ってメールが色々と入っていて、
連絡をくれた人申し訳ありません。

何とも学んだことが多くて、
色々なものを見れてよかったな。
適当に感じたことでも書きます、そのうち。

写真とかアップします、そのうち。

今回の写真はドコでしょう??