3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

ユートピア

2008-11-13 20:05:36 | 徒然
最近、空を飛びたいと本気で思います。

とうとう気が違っちゃった訳ではなく、
純粋な願望として。
なんかグライダーみたいな羽をつけて、
ロッキーあたりから飛び降りてみたいじゃないですか。

気持ちいいと思うよ。


たった1分でもいいから一回空飛んでみたいですね。


ってことで前回の日記に続き、
教育関係のお話を一つ。

じゃあ、今日は何を書こうかと、
頭の中をCtrl+Fで検索かけたら、
「ゆとり教育」という単語が出てきたんで、
ゆとり教育について書きます。

最初に言っとくと俺は
ゆとり教育に関しては反対の立場なんで、
そして知識も少ないんで、
だれか反論してください(コメントを稼ぐ気だ)。

そう、僕はゆとり教育に大反対なんです。

むしろ愚策と思っています。
そして、なぜそんな事すら気付かないのかと疑問に思っています。

今日はですます調で行くぜ。

ゆとり教育世代の知識がうんぬんといった偉そうな事を
ほざく気は一切ありません。
むしろ塾で働いてて、
あ~こいつらはゆとり教育の世代だななんて思った事は
一度たりともありません。

けどまず、何が一番嫌いかって言うと、
その言葉自体が大嫌いだからです。

何がゆとりなの。

どの変がゆとりなの。

全く判らん。

まず、ゆとりって言葉を穿き違えてる気がしてならない。

本当の意味でゆとりって言うのは、
同じことをたっぷりと時間をかけてやることだ。

一年間でやらなきゃならない事を、
一年半かけてやる事が本当のゆとりであると俺は思うわけ。

一年間でやらなきゃならない事を、
多いから3割カット!

これのどの変がゆとりなんでしょうか。

ゆとりではなくて、
削減だろ、それは。

だったらゆとり教育なんて言わないで、
堂々と削減教育って言えばいい。

俺には実際やってる事は
ただのカリキュラムの削減にしか思えません。

むしろ削減教育のくせに、
ゆとりなんて響きがいい言葉を使ってるあたりの
根性が大嫌いなわけです。

本当の意味でゆとりを持った教育をしたいなら、
義務教育の期間を延ばすくらいの時間をとる必要がある。

まあ、そこまで根本的に変えようとすると
大問題なので、
出来るわけ無いとは思うが、

必要最低限のことを標準以上の時間をかけてあげること。
ゆっくりゆっくり教えてあげること。
これがゆとり教育なんじゃないでしょうかね。

しかも俺は世間知らずなんで、
よく判らないんですけど、

そもそも時代は進歩してるんじゃないですか。

平均寿命だって延びてる。
医療も発達してるんじゃないでしょうか。

俺はシャープの技術職についてるわけではないので、
はっきりとした事は言えないが、
科学技術だってどんどん進歩しているんじゃないですか。

最近の家電製品凄いし(その程度の知識です)。

人類が月に着陸しちゃうような時代に、

なぜゆとる。

時代は一向に進歩し続けてる中、
教育はなぜ3割カットするんだ。
おかしすぎるだろ、普通に考えて。
時代についていけなくなる奴が出てくるのは
火を見るより明らかだ。

中学校で筆記体は教えなくていいです。

まあ、これは判る。

円周率は3でいいですって、バカか。
3じゃないでしょだって。

算数の中では、
3.0と3.1が同じなんですか。

学力の格差が生まれるなんてのは言うまでも無いだろう。

学校の授業をなめ切るやつも現れ、
進学塾にその知的好奇心を求める。

俺は義務教育のうちに、
尻を叩いてでも必要最低限、
詰め込まなくてはならないものっていうのがあると思うわけ。

補習をしてでも。
時には鬼になってでも。

それを3割カットするのはどうかと思うよ。

むしろ、
その必要最低限を決めるために、
昭和って時代をかけて教育に携わる人たちは
頑張ってきたんじゃないですかね。