private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来13

2023-10-29 18:08:46 | 連続小説

 ふたりはキジタさんがる勧めるお店についた。店の外観を見たスミレの印象は、古くてあまり小ぎれいとは言えないお店だった。
 薄汚れた暖簾には大衆食堂と書かれていているだけで店の名前もないようだ。古き時代をなつかしむ映画で出てきたお店と似ている。
 建付けのよくないガラス戸をキジタさんは器用に開ける。それを見ると通いなれしていることがうかがい知れた。
 店内にはビニールクロスが敷かれたテーブルに丸椅子が四つ置いてある。それが6卓有り、カウンターは5人が座れるようになっていた。
 キジタさんに勧められるように3人はテーブルに座る。竹で作られた箸入れには、漆がはがれかかった箸がいくつか突っ込んである。
 赤い注ぎ口のしょう油。黄色い注ぎ口のソース。青いキャップの食塩ビンが置かれていた。いずれも注ぎ口には残滓がこべりついていて、日々手入れをしていないことは歴然だ。いまであればそれだけでも外食の選択肢から除外される。
 おかみさんとおぼしき女性がアルミのヤカンと湯呑を3っつ持ってきた。片手で運ばれる湯呑は、なんの迷いもなく飲み口に指が突っ込まれている。
「おかあさん。定食3つね」
 給仕をしてくれる女性を親し気におかあさんと呼び、キジタさんは迷うことなくそう注文した。
 おかあさんと呼ばれた人はそっけなく、注文の復唱もせずに、厨房に『テイサンっ』と伝えた。定食3っつのことをそう呼ぶようだ。
 定食3つを間違えることもないのだろうが、注文を間違えていたらそこで指摘すればいいと、変な納得のしかたをする。
 キジタさんがヤカンを持って湯呑に注ぎはじめる。麦茶がそこからは出てきた。スミレは恐る恐るそれを口にする。香ばしいお茶の香りがノドを潤してくれる。
 落ち着きたところでテーブルとまわりを見渡してみる。メニューらしきものは見当たらず、定食が何なのかもわからないことを知り再び不安がよぎる。
 定食と言う名のお任せ料理なのだろうか。それなら人数だけ確認すれば、注文を間違えることはないだろう。
「いやだな、スミレちゃん。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ワタシがおかあさんて親しみをこめて呼ぶけど、ここに来る常連さんはみんなおかあさんって呼んでるんだ。あのひと不愛想だけど、お客さんが物足りないかなと思ってると、一品余分につけてくれたりとか、食欲がないときなんかは、酢のモノとか、ソーメンに小鉢を代えてくれたり、さりげなく気配りしてくれるんだ。そう言った意味では実家でご飯食べてるみたいだしね。食べ終われば大満足で心から御馳走さまって言葉になるんだ」
 スミレの時代であれば、そんな心遣いも余計なお節介と言われたり、お店の立場に立てば、不要な経費をつかう自分勝手な店員でしかない。
 バイト先に知り合いが来たので、余分にトッピングしてあげたり、お昼をありあわせの食材を使って作れば、店長に叱られるし、ひどい場合ならクビになることもある。
 以前は多めに見られていたことも、どんな些細なコトであっても横領に該当すれば、企業として厳しく対応しなければ、際限がなくなっていくためにしかたがないことであろう。そのカゲで大量の賞味期限切れが廃棄されていく。
 表面上は笑顔で接待してくれる店員も、バイト料以上の仕事をすることもなく、望まれてもいない。そんな時代を生きるスミレにしてみれば、キジタさんの時代のこの食堂は、家庭でご飯を食べるような、そんなあたたかみがすんなりと身に染みてくる。
 スミレはなにからなにまで初めて目にすることばかりで驚くばかりだ。入る前に何を食べたいとか、何かが目当てでお店を選ぶことが普通なのに、その一切の情報が何もないまま出される食事をスミレは待っている。
 のこのことキジタさんについてきてしまったのは、カズさんが乗り気でそれに反論する言葉がないからだ。
 スミレが馴染んている外食のありかたは、必要以上に人とのつながりがない。電子メニューで頼めば店員さんに気兼ねすることなく、オーダーのミスもない。
 店員も少なくて済めばその分安く食べられるし、自分の個の情報をとことん排除して、好きな食べ物にありつけられ、それが便利だと思い込んでいる。
 嫌いな食材や、アレルギーのある食材を抜いてもらって、ボリュームが少なくなっても、値段は変わらない。食べきれないほどのデカ盛りを注文して、フードロスしても、それがこの客層の嗜好とくくられるだけだ。
 そうして、その裏でデータ化された自分の情報がどんどんと蓄積されて、活用され、自分へのお勧めとして消費活動に組み込まれていても、直接的でなければなんの抵抗も感じない。
 目に見えるモノだけを非難の対象として、大切なモノを大量に放出していているシステムに気づかないようになっている。
 どちらがいいのかスミレには判断できない。それはその時代の人々が求めたもので、スミレの時代に残っていなければ、いまの人は求めていないからとかし言いようがない。苦手な食べ物が入ってないことを願う、スミレのいまの心配事はそこだった。
「いまじゃあ、こんないい店があるんだね」
 カズさんは、うれしそうにそう言った。カズさんの言う良いお店の価値観はスミレのモノとは、また別だ。
「わたしの時分には、外食と言えば露店で、どんぶりに汁物と麦飯が入ったのが精一杯だったわ」
 懐かしむように言うカズさん。カズさんの子供の頃と比べればそうかもしれないけど、それから大人になって、お年寄りになって、いまはまた若返っているけれど、その間に外食したことはないのだろうか。
 ガチャガチャとトレーにのせたお皿を盛大にぶつけながら、おかあさんがやってきた。どんぶりによそわれた白いご飯。その横にキュウリの漬物が添えてある。漆のお椀には野菜がたっぷり入ったお味噌汁。そしてお皿には煮付けた魚にほうれん草のおひたしときんぴらごぼうがのっていた。
 カズさんは目を輝かせてその料理を見渡す。みそ汁はこぼれてお椀をつたっているし、さかなもほうれん草もきんぴらも元の位置から随分ズレていて、三人それぞれの盛り付けがバラバラだであっても気にならないようだ。
 画像を撮って、誰かに見せようとは思わない料理が目の前に並んだ。逆にこんなひどい盛り付けを知らしめるために、画像を拡散して批判を焚きつけることはあるかもしれない。
 竹の筒に差し込んである年季の入った箸をカズさんは取り上げると、両手を合わせ親指の付け根に挟み込み、手を合わせて目を閉じた。食べ物に対して感謝を伝えている実感がわいてくる。
 スミレもいつもなら、右手に箸を持ち、左手にご飯茶碗を持って『いただきまーす』と言って食べはじめるところだが、見たことのないカズさんの所作を見てマネをしてやってみた。
 キジタさんは片手で手とうを切り、いただきますと言うが早いか、すぐさまさかなを切り分け口に入れると、ご飯をかき込みだした。待ちきれずに早く食べたかった心情を隠そうともしない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿