private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over05.11

2018-12-30 10:20:08 | 連続小説

 母親の与太話にいつまでも付き合っていられない。牛乳を溢さないように慎重に廊下を歩いて、なんとか玄関まで到着した。小皿に入れた牛乳は思いのほかバランスが悪く、小皿の端から端まで波打をうち、溢れそうになるのを小皿を回して回避する。なんかこういうのクルマの運転テクニックを養うためにあったような、、、 歩きにも役立つのか、、、
 廊下に溢しでもしたらシミになるだの、拭いた雑巾に匂いが残るだのと、母親の文句のネタを増やすだけだ。おれは母親からよけいな小言をいただかないように、細心の注意を払った、、、 それがこの家で生きてくためのルールだ。
 そんな粗相でもしたあかつきには、その後、ことあるごとに、あのときオマエはこうだったってとこから始まって、やれ雑だからとか、大雑把だからとかやいのやいのと、耳にタコができるぐらいに何度も繰り返し語られるから、おれとしてもたまったもんじゃない。
 そいつがまた、まわりのウケがいいもんだから、親戚が集まる度に語られ失笑をもらい、あげくにおれが誕生日を迎える度に、果ては特別な晩御飯、そう、例えばすき焼きなんかを食べるとき、今日のように口が滑らかになった母親の口から飛び出してくる。
 牛乳パックごと持っていって、壁の前で小皿に注いでもよかったのかもしれないけど、そうすると残った牛乳を冷蔵庫に戻しにいくのもめんどうで、そのままにしておけばしておいたで、牛乳が傷むとか、全部飲んじゃってよとか、別の小言が出現する。
 どっちを取るのかって、そんなどうでもいい自分だけの究極の選択に一喜一憂するのもばかげた話しで、いちいち戻るより慎重に進む方を選んだだけなのに、その選択で得られた時間は有効なのか、それともムダに過ごしたのか、、、 そんなぐらいの差だ。
 たしか小学校の時には、誰かが溢した牛乳を拭いた雑巾がよく流されもせず、そのまま廊下に放置されてたりして、陽が当たらないから乾きもせず異臭を放っていたことを思い出した。昨日のマンホールの悪臭がよほど深層に残っているのか、クサいとか、汚いとか、気持ち悪いってキーワードが出ると、いろいろな過去の思い出が走馬灯のように、、、 走馬灯見たことないけど、、、 浮かび上がってくるのはナゼなんだろうか。
 まったく人間の記憶ってヤツは、妙なところでつながったりして、もっと効果的な、実践的な、有効的なことでも思い出せばいいのにと、、、 それならよっぽど事あるごとに思いだす母親の持ちネタの方が気がきいている。
 おれは壁の隙間で、とりあえず待ち構えてみた。母親からのミッションをコンプリートしないと、おれの夕食がこの小皿の牛乳になりかねない。だったら、はさまったのがやっぱりトラだったら肉にありつけて良かったのにと、母親の誇大妄想に賛同したくなる、、、 生まれてすぐなら入るかな、、、 ってどこで産むんだって、、、 生肉喰えんし。
 ひとりでノリツッコミをしていてもしかたがない。やるべきことは隙間に牛乳を置くだけだけだが、はたして冷たい牛乳の匂いがネコに届くのかと心配になり、なんとなく手で扇いでみたら『ミャア』と鳴いた。そうだ、牛乳だぞ。飲みに来い。「ホシノーっ」そう、欲しいだろ。へっ?
「なにしてんの?」
 なんだか今日聞いたばかりの可憐な声を再び耳にした。えっ、なんで? 顔をあげれば朝比奈が、ファッション雑誌のモデルよろしく、スクーターのハンドルの上で腕を重ね、そこにちょこんとアゴをのせ、両足を広げてスクーターを支えている。
 うーん良い、これは良い、いやほんとに写真とって雑誌に応募すれば、そのまま掲載されちゃうんじゃないの。もしかしたら表紙を飾っちゃうんじゃないの。というわけでしばらく堪能していたら、すかさず強烈な毒舌が飛んできた。
「おーい、聞いてんのかあ。ホシノー。腰だけじゃなくて、耳も老化したかあ」
おいおい、腰だけとか、老化とか言うな。イテッ、おひねりを投げてくるとは、そんな古風なとろこもあったのか、、、 あっ、ガムの包み紙か。
「なにニヤニヤしてんだ、ヘンタイだな」
 そこはあまり否定できない部分だし、たしかにこれ以上いじめられて喜んでいたら、ヘンタイ扱いされても仕方なくなるので、おれは大義を説明することにした。これわだね、、、 大義なのか、、、
「えっ、子ネコ? どこよ、ちょっとどいてみて」
 多少の着色はあったものの、ここまでの経緯をちょこっと都合よく説明してみたところ、なんだか手を貸してもらえそうで、おれの喋くりも捨てたもんじゃない。こうなればネコの手も借りたいところだ。って、これじゃへたな漫才のオチにもならない、、、いや結構うまいか。
「おいで。チッ、チッ。さっ、ミルクだよ」
 うーん、なんだかな。おれがネコなら速攻で朝比奈の胸めがけ、なんの躊躇なく跳び込んで行くんだけどな。『ミャア』
「ほら、出てきたよ。あっん」
 てめえ。絶対、オスだろ。ゆるせねえ、いくら子ネコとはいえ、朝比奈の、あの、ツンと上向き加減のカタチのいい、それでいて柔らかそうな、包み込まれたらもう二度と離れられないような、、、 
 まあ講釈はそれぐらいにしておいて、とにかく朝比奈のムネに飛び込んでいきやがって、、、 おれがしたかったのに、、、 しかし、いまの朝比奈の喘ぎ声、、、 喘ぎ声でいいよな、、、 これは、今日の夜はフルコースでデザート付じゃないか。そう思えばよくぞやったぞ、子ネコ。オマエはエライ。今日の夜のオカズが一品増えた。
「あん、ダメよ、そんなことしないで、ミルクの方をナメなさい」
 抱きかかえられた子ネコは、こんどは朝比奈のあごのあたりをペロペロとナメはじめた、、、コイツ、テクニシャンか。
「ほら、イカツい顔して無理強いしてたら、出てくるものも出てこなくなるでしょ」
 いやいや、だからおれだってね、出るところはだいぶん出ちゃって、、、 そうじゃなくて、朝比奈に手でされれば、出るものもいっぱい、、、 これも違う、、、 いや、つきつめれば同じか。
 ようやく牛乳を舐め始めた子ネコをひょいと持ち上げてみたら、やっぱりチビっこいながらもオトコのシンボルがついていた。悔しさもあるけど、同意もできる。オマエも男よのう。そりゃ仕方ないよね。牛乳を取り上げられた子ネコはミャア、ミャアと抗議の声をあげる、、、 性欲を満たした後は、食欲か、、、 おれも変わらんが。
「ホシノォ、何してんだ。ゴハンの最中だろ」
 それより朝比奈は、なんでこんなところにいるんだ。いくらなんでもタイミング良すぎだろ。おれはいまにもミルクの小皿にダイブしそうなぐらいの勢いの子ネコを解放してやった。
「ああ、そうだな。なんか、いつも使ってる道が今日は工事中で、一方通行に流されながら走ってたら、見かけたマヌケヅラが困り果ててるから、ちょっと見てた。まさかね、ここにホシノの家があるなんて。不思議だわ。キッカケがあると、ひょんなことで出遭うことが多くなったりする。もしくは、引き寄せたとかね… 」
 そうでしょう、そうでしょう。おれたちって、きっと、そういう巡り合わせになってるんだよ。やっぱ子ネコえらい、、、 帰ってくるまで忘れてたくせに、、、 もしかしてオマエ、恋のキューピットとかになってくれるとか? おれはわき目もふらず牛乳をナメている子ネコのアタマをなでてやる。
 『ミャア』と、子ネコは感謝の意をあらわしたのか。おれのオゴリだ好きなだけ呑んでいいぞ。よかったらオカワリだって持ってきてやる、、、 父親の稼ぎだけど。こんどはパックごと持ってこよう。
 両足を折り曲げてしゃがみこみ、膝の上に手を置いて、肩肘をつき頬づえをしている。そしてそのとなりでおれはミルクをナメる子ネコを見ていた。いいじゃないか、いいシーンだ。おれの青春のひとコマにこんな時間が存在するなんて、これまで想像すらできなかった、、、 長生きはするもんだ、、、 18だけど。
「やっぱり、子ネコといっても、野生の本能があるんだ。もしくは、子ネコだからこそなのかもしれないけど。自分の身を守るために、どこにいるべきか、何をすべきかが分かっているんだ」
 そうか、そうだったんだ。おれに野生の本能さえあれば、危険を予知できて無謀なバイトなんかしなかったのかもしれない。勝負事から遠ざかっていると、そうなんだよなあ、どうしても鈍くなる。
 朝比奈はだいたいからして強気なもの言いなのに、時折こうして末尾に憂いを含ませてくる。そいつがクセなのか、おれに何かを感じて欲しいのか、これほど会話を重ねたことがこれまでになかったからわかんない。
 いつだって人との関係性はそこからはじまるわけで、失敗しながらも経験則を重ねていく方法だってあるけれど、この時は、なぜかすぐにでもわかってあげないといけない気がした。それがおれの精いっぱいの野生の本能なんだろうか。


Starting over04.31

2018-12-23 16:37:53 | 連続小説

 いったい何を言われるのか、、、 言い出すのか、、、 そのネタにこと尽きないおれとしては戦々恐々で、だけどなるべくその心境を悟られないように平静をよそおってみる、、、 無理だって、、、 とりあえず軽くあたまをさげて、ただいまといってみた。
「お帰りぃ。今日は早かったんじゃないのお」
 
って、なんだか、末尾をのばしながら声をかけられた。怖いって、だから。何ヴァージョンなんだ。それに早いって言われても、走って帰ってきた訳じゃないから、、、 スキップしようとはしたな、、、 だからって、これまでとそれほど差があるわけじゃないだろ。
「なに、言い訳じみたこと言ってんの、なにか後ろめたいことでもあるのからねえ」
 ぎくっ、、、 べっ、別にさ、そんなこと、ないような、あるような、、、 あっ、やべ。
「そんなことどうだっていいのよ。イッちゃん。あのね、お隣の壁の隙間にね、なんかね、引っかかってるみたいなのよねえ」
 はあーっ。また洗濯モンでも、落っことしたのか? こないだは、おれのお気に入りのTシャツが、みごとに、すっぽり、ずっぽし、どっぷりと入り込んじゃったから、ナイショで父親のパター持ち出して、先っちょに引っ掛けてなんとか引き上げたんだけど。ところどころのブロックの出っ張りに擦れたからTシャツのプリントが擦れちまった、、、 ついでにパターの柄にもちょっぴりキズが入ってしまった、、、 ちょっぴりな、ホントに。
 それで母親に今度はナニ? って、つっけんとんに訊き返したところで、頭の中にフラッシュバックが起こった。
「子ネコ… 」
 その言葉は見事におれと母親で二重奏を奏でていた、、、 テンションは違ったけど。
「なに、アンタ、知ってたの? あんなところで死なれちゃこまるから。引き上げといてね。アンタ、近頃ネコに縁があるみたいだし。じゃ、頼んだわよ」
 そんな、釣り竿に引っかかった空き缶でも釣り上げるわけじゃあるまいし、簡単に言ってくれちゃって。ましてや今回は動かない物ではなく生きてるわけで、大人しくおれの手の中に納まってくれるとは思えない、、、 父親のパターも役立たない、、、 むしろジャマ。
 母は言いたいことだけ言って、いそいそと台所に向かってしまった。これは何らかの成果を出さない限り、おとなしく夕食のテーブルにつくのは困難な状況だ。それはネコだけのことではなく、母親に何かを握られている精神的圧迫を感じているからだ。
 昨日の暗がりに比べれば、たしかに今日はまだ明るい。今日のおれは、よっぽど足取りが軽かったとみえ、早く家に着くわ、昨夜のこともすっかり忘れて子ネコを思い出しもしないわで、闊歩していたんだ。
 壁の隙間を覗き込むと『ミャア』と、昨日のリプレイを聞いてるように鳴き声をあびせかけてくる。悪かったなあ、おれもいろいろあって、やっぱりオマエのことは五番目からも漏れてしまっていたんだ。怨むなら気まぐれに現れた朝比奈を怨んでくれ、、、 朝比奈は怨めんな、今夜はお世話にならなきゃいけないし、、、 その前から忘れてたし、、、 やっぱりおれを怨んでいいよ。できれば半分はマサトのせいってことでと、まったく関係ないアイツも引きこんでみた。
 近所のおばちゃん的な、引いたり出したり、ひとりおすそわけプレイをしたてら『ミャア』と、あきれた、、、 ような、、、 声をかけられた。
 わかったよ。まだ、死んだわけじゃないから怨みつらみを言うのは早いよな。子ネコは向こう側でニンマリと笑ったような表情をした、、、 ように、、、 思えた。
 ただ、改めてネコの居座る地点からの距離を目測すれば絶望的な気持ちに陥る、、、 届かない。届いたとしても、伸ばしたおれの手を受け入れ、おとなしくつかませてくれるか怪しいものなのに、届かなければ手招きとかして関心でも引けば出てくるなんて簡単な話ではないはずだ。そもそも、あの子ネコ自体、好きであそこに居るのか、動けなくなってあそこに居るのかさえわからない。
 アイツ、いつからココにいるんだろう。何日もいるとしたら、何日もメシ食ってないだろうに。なんて考えてたら、おれも腹がへってきた。追っ払ったことにして、夕飯食ってからまた考えようか、、、 ネコの腹具合をおもんばかりながら、自分のメシを気にするおれって、、、 あっ! そうだ。
「なに、イッちゃん。ネコは釣れたの?」
 母親は味噌汁のミソを溶かしながら、おれに釣果をたずねてきた、、、 だから、釣りじゃねえって。
「なんだ。ネコって?」
 父親が気になったのか、夕刊を横にずらして問いかけてくる。
「あのね、お隣の、壁との隙間に… 」と、母親のその言葉が出たとたん、またその話しかと、つづきの内容も聞かずに煙たがる父親は、母親の姿と声を遮るために夕刊を大きく音を立てて広げる。
「だから、私は最初から反対だったのよねえ、あんなところに壁作っちゃって… 」
 父親が聞いてないと分かっても、台所に向き直って料理の続きをしながらブツクサ文句を言っている。新聞の角が重力で垂れ下がると父親と目が合った。やべえ、なんか言い出しそう。
「どうなんだ。勉強の方。最近やる気出してるみたいで図書館通いしているらしいな。就職せずに、勉強で大学にでも行く気になったのか?」
 どこまで関心があるのか怪しいもんだけど、それだけ言うと折れ曲がった新聞を煽って立てた、、、 訊いておいておれの回答を聞くつもりはなさそうだ、、、 おれの目の前に広がった一面には海水浴でごった返す海岸の写真が載っていた、、、 夏休みだっていうのに、おれからもっとも遠い世界がそこにあった。
 春に腰をケガをして、夏の大会を迎えることのできなかったおれは、推薦で大学に進学できる道を断たれ、その目論見が早く消え去ったのは良かったのか、悪かったのか。まあ、夏休みが終わってから推薦を諦めて、自力で大学入学を目指すのはかなり厳しいはずだから、そう思えば春先で淡い夢が消えたのは結果オーライだったのか。
 どのみち勉強してるわけじゃないので、今の時点でその線はないけど。父親にはそうじゃなくて、これまでの遅れを取り戻すのに大変なんだよと、取り繕っておいた、、、 言っておきながら、いったいどこから取り戻せばいいのか自問しているおれがいる。
 父親はフーンとか言って、聞いてんだか、聞いてないんだか分からないような返事をする、、、 聞いてなくていいけど、、、 これ以上ツッこまれると困るけど、、、 するとさっきまで隣の壁の文句を言っていた母が、「就職とか、大学とか。その前に卒業できるかよねえ。アンタ、ダブらないでよ」と、デリカシーのカケラもない言葉を頂戴した、、、 たしかにその線もなくはない。
 自分の話題で、もうこれ以上盛り上るのは避けなければならない。おれはそもそも台所に来た本当の用件を思い出した。釣りにはエサが必要で、子ネコを釣るにはと、小皿を用意して、冷蔵庫から牛乳を取り出し流し込んだ。冷たいけど夏だからいいか、、、 って雑か。
「なにアンタ。そんなので牛乳飲むの? ネコじゃあるまいし」って、おいおい、そこまで言って気付けよ。だから子ネコのエサだって。
「ああ、そう。じゃあ、頼んだわよ。まったく、子ネコだから牛乳ぐらいで済むけど。トラでも挟まった日にはナマ肉でも用意しないといけないのかしらねえ。そうなったら、お隣さんと折半しないとね。まさか牛乳代を半分請求するわけにはいかないから。それぐらいはコッチでもつけどね」って、おいおい、まさかトラが挟まる事態を本気で想定してるわけじゃないだろうな。だいたい、トラは隙間に挟まらないし、、、、 そもそも入れない、、、 トラが町内ウロつく時点で大事件だろ。父親はあきれ顔で首を振っている、、、 もしおれがダブっても母親のせいにできるかもしれない。


Starting over04.21

2018-12-16 07:37:19 | 連続小説

 どれほどのあいだ朝比奈とのやり取りをあたまの中で反芻し、手に残る感触に思いを馳せていたのか、、、 手に残る感触は、夜まで要保存、、、 周りから見ればこの暑いさなか、単にボーっと突っ立っている間の抜けたヤツとしか見えなかったとしても、、、
 運がいいことに新しい客も、通りを歩くひともいなかったようで、、、 これも神のご加護なんだろうかって、この輝かしい青春のひとときを、こんな虚しい妄想についやしているおれってとふと思うけど、自分の時間はまだ永遠にあると思えるからやってられる。それが若さってヤツで、それが実はそうでもないって何時か知ることになる。
 そうは言っても若者の動機や、世の中の革新はいつだって、、、 その動機がいかに不純であっても、、、 いつだって異性への関心から始まる。
 そこにお決まりのようにマサトの声が侵略してきて、おれの幸せな時間は崩れ去っていった、、、 朝比奈との至福の時間の最中に現れなかっただけでも上出来だ、、、 妄想の世界にいたおれは二・三度は呼びかける声に気付かなかったみたいで、マサトの声がけたたましい。
「おい、イチエイ。イチエイってばよ。聞こえてないのか? 誰? 誰だったんだ、今の。知り合い? オンナ …だったよな?」
 マサトは彼女が朝比奈だとは気付いておらず、ならばおれも当然のようにして、そこは伏せて適当にごまかしてやる。朝比奈との思い出のひとときをマサトに介入されたくないし、知られるだけで美しい記憶が汚されるような、、、 ってのは、あまりにも言いすぎか、、、
「なんだよ、ニヤニヤしちゃって」
 事実を説明したからって、それでどうなるわけでもないんだけど、洗濯物干し終わったのか? とハナシをはぐらかす。おれだっていろいろとあるんだよ。なんでもオープンにするわけにはいかないことが、、、 とくにマサトには。
「あのさあ、おまえさあ、詰め込みすぎだって。あの量だったらさあ、二回に分けて洗わないと、汚れも落ちないし、排水にゴミが詰まるだろ」
 オマエ、ホントは家で洗濯当番してるんじゃないのかと、突っ込みたくなるぐらいの細かい指摘に、もっと言えば家政婦のバイトも兼業しているのかって、追い突っ込みもしてやりたいところを抑えて、 悪いなあ、おれって、お坊ちゃんだから箸の上げ下ろしぐらいしかしたことないから、そんなとこまでアタマ回らなくてさ。でもさ、どうせそのまま干してきたんだろって、軽くあしらってやった、、、 マサトだって、それぐらいの約束は守れるオトコだ。
「そりゃ、洗い直すのもなんだし」、、、 なんだよなあ。
「屋上、メチャメチャ暑かったし」、、、 すぐ乾くよな。
「見ろよ、この汗。びっしょり」、、、 おまえも屋上で干してきたらどうだ。
「あの洗濯機、古いんだよ。壊れたら、おまえが弁償しろよな」、、、 クルマの頭金が減るけど、いいのか。
「 …なんかさ、おまえ、すっごく、言葉滑らかだな。朝とぜんぜん違うけど、どうしちゃった? もしかして今のオンナ、そんなによかったのか。えっ、えっ、もしかしてお友達になれちゃったとか?」
 たしかにおれは、ニヤけた顔をしてマサトのハナシに応えていたんだと思う、、、 いつもはボーっとして聞き流していてるから、マサトも不信に思ったのだろう、、、 それがアホ面には変わりないとしても、、、
 おれはいま、きっと何を言われても怒らないぐらい、幸せにつつまれているから、そのオーラがありありと見て取れるはずだ。そしてマサトには、いいオンナだったなあ、オマエにも見せてやりたかったなあ、、、 見せんけど、、、 なんて、さらに追い打ちをかける。
「なんだよ、おれが汗だくになって洗濯物干してる時に、おまえはそんなカワイコちゃんとお近づきになってたのか。まったくやってらんないな」
 それはいつものおれのセリフ。このツラく、苦しかったバイトも今日この時のための苦行だったかと思えば、それも良しと思えてくるから人間ってやつは、、、 おれってやつは、、、 はなはだお気楽にできているようで、このスタンドの風景も昨日とまで、、、 さっきまで、、、 とは全然違って明るく、華々しく見えてくる、、、 おれの将来と同じように、、、 それは言い過ぎ。
 これも普段から、一生懸命に働いているご褒美で、マサトみたいに今日たまたまじゃあ、天使も、、、 朝比奈も、、、 微笑んでくれないんだよ、、、 おれもこんなにまじめに働いてるのはバイトのときだけなんだけど、、、
 どうしたって、人生には生きるための理由が必要なんだ。むかしから、オトコがオンナを自分のモノにするのは、自分の遺伝子を存続させるためで、それは同時にほかの男の遺伝子の存続を阻むもので、致し方のない人間の営みのひとつなんだな。いまじゃそれが平和な世の中になって、違った意味合いでの蹴落とし合いになっているとしても。
 朝比奈が強く振る舞っているのも同じ理由からなんだろうか。本人がどう思っていようとそのために目立つ存在になり、排除の対象となる。強き者が群衆をあやつるか、烏合の衆が強き者をくじくか、教室の中はひとつの小さな世界だ。
「なあに、オトコふたりで話し込んでるの? どうせイヤらしいハナシしてるんでしょ」
 なんてきわどいハナシを笑顔でしてくるこの女性が、どうやらウワサの女子大生のケイコさんらしい。まともに顔を見たのは今日が初めてで、いつもは後ろ姿だったり、もしくは遠まきにリカちゃん人形大ぐらいのサイズでしかお目にかかっておらず、再接近で目にした彼女は、大学生にしては童顔で化粧もしてなく、間違いなくマサト好みだ。
「あなたが、マサトくんのお友達の新人のバイトくんね。よろしくね。わたし午前中しかいないし、事務の作業だから会う機会なかったね。がんばってね」
 ケイコさんはそう言って去っていった。マサトはマサトくんで、おれはバイトくんで、おれの名前を覚えてもらえる日は来るんだろうかと、ちょっと拗ねてみようか思ったけど、まあここはマサトに譲っといてやろう。なんにしろ、ひとつのことがきっかけとなってものごとは好転する。そうするとすべてが好転していくような気になるから、、、 ほんと、お気楽、、、
「あーっ、ケイコさん! 待ってくださいよお。カバン持ちますよ」
 マサトは飼い主にかいがいしくまとわりつく犬のように、キャンキャンと吠えながらついていった、、、 頑張れマサト、自分の遺伝子の存続のために、、、 それが報われない恋だとしても、飼い犬として従順に遣えるといい、、、 イヌ? なんか胸に引っかかるな、イヌだっけ、、、 なんだっけ、、、
「おーい、ガソリン満タン。早くしてくれよ」
 いつのまにか新しい客が来ていた。かったるいと思っていた昨日までとは違い、みなぎるパワーがいまのおれにはある。いらっしゃいませーっと元気に声を出し。給油作業を始めるおれがいる、、、 お調子者と呼んでくれていいよ。今日も空が青いぜ、、、 あっ、曇ってきた、、、
 午後から大きく張り出した入道雲が夕方には真っ黒な空に変わっていき、そして夕立ち、、、 おれのうかれた気持ちを冷ますように、戒めるように、先にある現実を思い出させるように、、、 そりゃそうだ、朝比奈とお近づきになれたからって悶々とした気持ちがすべて消えたわけじゃない。
 ずっと気づかなかった想いが、それが陽の目を見ただけでこんなにも気持ちが開放的に、快楽的に、快感を伴って感情移入してきたって、それを上回る不安もすぐにやってくる、、、 幼いころからカラダにしみついた悲観的観測は、そう簡単には消えはしない。
 そうであっても想像できる範囲での失敗なんてものは得てして起きず、気にも留めないところにほころびがあったりする。好事魔多しとは良く言ったもので、浮かれているおれは特に心配してもしたりないぐらいだ。自然界はそうやって均衡を保っている。
 いいことがあれば、その分悪いことが起きて相殺されるんだって、子供のころから説いてくれた母親の言葉を思い出す、、、 そんなこと明るい未来だけを信じたい子供に刷り込むことないのにと、今になって母親を恨んでしまう。
 情緒不安定なのか、、、 でもまあ、そんなもんだろう。やたらにひとの精神状態をもてあそぶような情報が飛びかうけど、そんなものはすべて、自由社会を利用したがっているヤツらの言い分でしかないだから。
  帰りのマサトとの会話も積極的にかかわっていた。そして悔しがるマサトを見ておれは楽しんでいる。
「なんだ、今日はやけにつきあい良いじゃないか。やっぱり慣れだろ、慣れ」
 そうマサトもへらず口をたたいてくるから、おまえも洗たく干しに慣れろよと言い返してやる。マサトが洗たく干せばおれに幸運が舞い込んでくるからなんて、肝心なことさえ話さなければ、少しくらいサービスしてもいいだろう。
 駅で降りてから家への道も、距離が短く感じられるほど足取りも軽く、昨日までのよろけ具合がうそのようで、何んならスキップでもできそうだけど、さすがにそれは止めておいた。
 それなのに、家を目前としたところで何か引っかかりを感じた。
 なんだろう? 朝比奈に変なことは言わなかったし、、、 変な想像はいっぱいして、夜に活かすけど、、、 マサトには口をすべらすことも、それらしいことをほのめかしもしなかった、、、 舞い上がってたから絶対ではない。
 そんなことをあれこれ考えながらいつの間にか門をくぐると、母が玄関先にいた。困ったような、嬉しそうな、それでいて悲しそうな顔をこちらに向けた、、、 ぜったいロクなことが起きない、、、 恨んでゴメンナサイ、、、 あっ、もしかしてバイトのことバレた?


Starting over04.11

2018-12-09 06:42:56 | 連続小説

「今日さ、客少ないよな」
 などとマサトがのたまうが、客が多かろうが少なかろうが、新人バイトにはやることがイッパイあり、手を頭の後ろで組み、新人バイトの地位をオレに押し付けて、悠々としているマサトが癇にさわる。だいたいなんでこのごろマサトのひとことで始まるのか、それがついでに癪にさわる。
 おれは給油機を雑巾で清掃していた。油まみれになった手で雑巾を握りしめて、空に浮かぶでっかい夏雲を見上げた。
 なにか昨晩、重要なことがあったような気がして、朝のうちはなんだっけと気になっていたんだけど、バイトに入ってからはそんなことは忘却の彼方に消え失せていた。
 今日も暑くなりそうで、汗ばむカラダに風を送ろうと、作業着をバタつかせる。そういえば作業用のつなぎを洗濯機に突っ込んだままにしてあるのを思い出し、マサトに取り出して干しといてくれと頼んだ、、、 たまには仕事を頼んだってバチは当たらないだろう。
「あっ、ああ、そうだな。 …家じゃ自分の洗濯物も干したことないのにな。なにやってんだろうなおれたち」
 おれだって、雑巾がけさえしたことねえよ。こんなひとつひとつの作業が金になると思うと、母親の労働力ってヤツはいったいいくらになるのだろうかと、殊勝な気持ちになってしまった、、、 少しは感謝するか。
 マサトが事務所の裏にある洗濯機に向かっていくのを見届けて、ちゃんとやるんだぞと念を送っておく。
 道路に目をやるとスクーターが直進してくるのが目に入った。たぶん給油に入ってくるって、そういうのが感覚的にわかるようになってくるのは一種の職業病か。ひざ下までのデニムのショートパンツに、ゆったりした白い綿シャツを着た若い女性だ。
 ウィンカーを当てて、手慣れた感じでスタンドに入ってきた。肩から斜に掛けたバックを背負っている。ベルトの部分が豊かな胸をより明確に左右に分けて、段差のはずみで大きく揺れるのを遠い目をしながら実はロックオンしている。
 マサトは洗濯物を干しに行ってしまったし、空調の効いた事務所の中で机上業務をしている先輩たちが、わざわざ給油に出てくるはずがない。ここぞとばかりにいらっしゃいませーっと景気よく声をかけスクーターに近づく。少しはおれもいい目をみたっていいじゃないかと、がぜんやる気を出していると、どうにも懐かしい声が耳に届いた。
「レギュラー満タン」
 まさかとは思ったけれど、ヘルメットとサングラスをはずすと見慣れたセミロングが現れ、彼女より先にピンときたおれは何て声を掛けるべきなのか、まとまらないうちに向こうも気付いたようで、拍子抜けするほど平然と声を掛けてきた。
「ああ、ホシノ。ホントにバイト始めたんだ」
 あの日以来のナマ声は、やっぱり艶っぽくて耳触りがいい。てっきり嫌われたか、そうでないとしても無関心の部類に入ったんだと思っていたおれは、たとえ客と店員としての関係を前提として話しかけられたとしても、それだけで嬉しくて、、、 それじゃ、あまりに安いのだろうか、、、 だから精一杯きどった態度で、ああ、まあ、となんとか絞り出してみた。
 これはもしかして千載一遇のチャンスなのかと思いながらも、彼女の問いにまともに応えられておらず、いやあ、朝比奈との距離が一気に縮まったかと思ったら、あっけないほど冷たくされたもんだから、バイトでもして別の出遭いでもみつけようかと、、、 なんて本音を言えるわけがない。
 おれは目に見えてぎこちない動作で、、、 目は胸元のベルトあたりを回遊して、、、 彼女からカギを受け取り、その時に指先が少し触れただけで、電気ショックが走るような感覚を受け、これは先ほどの映像とともに、夜のオカズにしようかと妄想だけは瞬時に浮かぶもんだから、さらに不自然な動きでシートを上げて、給油口のキャップを不器用にはずす。初めての給油作業がまさか朝比奈になるなんて、、、 どうせなら、初めての共同作業のほうがよかった、、、 いつのはなしだ。
「ホシノーっ、ヘタだな。まだ慣れないの?」
 これはイイ格好をしようとして、失敗する典型的なパターンだ。ああ、どうせ出遭うなら、こんな場所じゃなく、もう少し気の利いたところで、例えは、勉強中の図書館であるとか、、、 本当はそうでなくちゃいけないのに、、、 親を騙くらかしてバイトしてるくせに、、、  そんな都合のいいシチュエーションになるはずもなく、だいたい朝比奈がわざわざ図書館に来て勉強する理由がない。
 おれがバイトを決断し、、、 さまざまな下心を持ちながら、、、 今日たまたま、この暑い中で給油機の掃除をしていたから出遭えたわけで、折り重なる偶然の一致が二人を結び付けたかと思えば運命を感じ得ない、、、 懲りないな、、、 掃除を言いつけたオチアイさんに陰で舌打ちしたけど、いまは不本意にも感謝しているおれがいる。
 ノズルを突っ込んでトリガーを引いてから、おれはまだ下っ端だから雑用ばかりで、あんまり給油することなくってさと、取り繕ってみた、、、 することなくってもなにも初めてで、しかもマサトの見よう見まねだ、、、 だいじょうぶか?
 おれは満タンになるまでの間が持たず、勢いにまかせて朝比奈に問いかけてみた。おれの現状は見ての通りだけど、朝比奈は夏休みに何してるのかって、、、 うーん。これって、結構立ち入った質問だな、、、 そんなことホシノに関係ないでしょ、なんて言われたらへ込むな。だけど、ここでバイトしているのかの問いに対してなら、不自然でもないはずだ、、、 その言葉を言われてからずいぶん間が空いたけど、、、
「まあ、いろいろとね。それなりに高校最後の夏を楽しんでいる… つもりだけど」
 おれは、給油口までガソリンが一杯になってきたのを確認し、トリガーをゆるめて少しだけ朝比奈の方を見た。
 真っ白なシャツから良い匂いがしてくる。ポケットに手を突っ込んで、顔だけを通りの方に向けて、そんなセリフを言うもんだから、おれは映画を上等な席で見ている気になり、それだけで満足してあらためて見惚れながらも、朝比奈のその表情はあまり楽しんでいるようには見えず、最後の『つもりだけど』という言葉がなんとなく自信なさげに伝わって、おれの胸に刺さってくる、、、 なんだよ、このシチュエーションは。
 それはおれになんとかして欲しいとかってことなのか、たぶんおれは楽しんでいない朝比奈をどこかで期待している。それをおれが満たせられるんじゃないかと誇大評価している、、、 できるわけがない、、、
 そうだよな、最後の夏休みなんだよなって、いまさらながらに身に染みてきた。どうもおれは他人に言われてようやく自分の状況を実感できる性質で、、、 だから母親にも呆れられる、、、 
 主体性のなさは誰にも負けない、、、 だからマサトに嵌められる、、、
 ガソリンは誇大評価せずともタンクを満たしていき、あとは微調整しながら少しづつ給油して、めいっぱい満タンにする。左手に持った雑巾でノズルの先端を拭きホルダーに戻し、引っかけてあるボロ布で給油口の周りをきれいにしてからキャップを締める。
 シートを下ろすと、スクーターを挟んで、朝比奈と対面する構図になっていた。無表情でこちらを見ている。おれはやっぱり、プライベートに関わるような込み入った質問をしてしまったのだろうかと身が引けて、あの時を再現するように、メビウスに睨まれた哀れなオトコって状況になっている。硬直したままの身体に相反し、その分余計に泳ぎ回る目が焦点も定まらない。
「いくらだった?」
 あっ、それを待ってたのね、、、 なにを待ってるんだかおれは、、、 その言葉で、おれの中でいろんなものが崩れ去り、停止していた身体を必要以上に動かして会計の準備を始めた。まさか新人バイトの分際でサービスしときますとも言えず、わるいなあと断わりながらリッター105円の計算をして電卓を彼女に向けた。
「そんなこと期待してないから。それより、なんか悪かったね… 休み前。 …迷惑かけちゃったみたいで。あの状況を考えると、教室で親しくしない方がいいと思ったから」
 小ぶりのレザーでできた財布は質感があり、端数まできっちり取り出しておれの手にガソリン代を置いた。ここでキャラクター付きの財布が出てきても絵にならない、、、 それもまたいいか、、、
「じゃあ。またガソリン入れに来る」
 ヘルメットをかぶり直し、スターターを親指で押してエンジンをかけ、チコチコと、スクーターらしい音のたてるウィンカーを出して左足でバランスを取りながら本線に合流していった。
 朝比奈がそこにいるだけで、そして動くだけで、いつもの風景が映画のスクリーンになって映画館特別指定席にトリップしていく、、、 こりゃ観賞代払ってもいいな、、、 なんてことまで思ってしまう。
 おれはあらたまて、もっと早くそれを言ってくれれば、こんなバイトしなくてもよくて、本当に図書館で勉強でも教えてもらいながら有意義な夏休みを過ごし、朝比奈の『楽しんでいるつもり』を、『楽しいに』に変えてやれるのに、、、 などと、妄想が分不相応なまでに肥大化していた、、、
 おれのことを気にかけてくれた朝比奈。彼女らしいのかと言えばそうではないはずだ。それがなぜこのタイミングでのカミングアウトになったのか。そこには彼女なりの理由があり、いま明かされたおれにもそうなる理由があるはずだ。
 なんにしろ、悪い印象は持たれてないようで、それだけは安心していいみたいだ。それにまた来るっていうから少なからずも脈があるはずで、そいつを理由にこれからのバイトを乗り切ろうだなんて、朝比奈のスクーターのガソリンがどれほどの頻度で空になるかなんて、おれの小さなあたまには計算できないところが残念すぎる。


Starting over03.31

2018-12-02 07:30:21 | 連続小説

「 …すぐに慣れるって」
 言葉巧みに理想的な職場として紹介したくせに、単に自分がやっていた雑用一般をおれに押しつけている現実に少しは負い目を感じているのか、それが精一杯のフォローの言葉だったのかもしれない。
 甘い誘い言葉だとわかっていたのに、ノコノコついて来たおれがよっぽどオメデタイわけで、マサトに言い返す気力もない。欲に溺れて足元もおぼつかないでいる人間をその気にさせるのは簡単なんだ。
 わかっちゃいたのに、やっぱりおれは微塵の光にほだされて、何かいいことが起こるんじゃないかって、甘すぎる考え、なんの根拠もない自信、、、 やり始めてすぐに、おれはいったい何をしてるのかって思いに変わっていた。
 マサトから聞いた勧誘の言葉なんて、さすがに話し半分で、、、 三分の一ぐらいで、、、 聞いていたけど、マサトの世界にいたならばおれは、キレイなお姉さまと一緒に和気あいあいと仕事ができ、給油に来たキレイなお姉さまとお知り合いになれ、先輩の彼女のキレイなお姉さまの差し入れをいただいて、洗車待ちのキレイな若奥様と小粋な会話をして、一日が終わるはずだった。
 仕事と言うより、地元に帰った有名人にでも設けられそうな接待なみの待遇で、その最終目的が地元にお金を落とすこととされていても、接待費は税金で賄われ、うまみは一部の権力者で山分けされ地元民に還元されることはない。
 なんのハナシかと言えば、面接で政治がらみの例えばなしをはさみこむと、学があるようにみえるからって、小ネタのひとつふたつ集めておくものだと、スポーツ推薦で大学に行った部活の先輩から聞いたことがあったから。
 以前考えたモノがいまいちだったから、ちょびっとバージョンアップして使ってみただけで、この例えばなしがやっぱり的を得ていないのはわかっている。的を得ていたからって、どれほど効果があるのか知れたもんじゃないけど、面接の場にはそぐわなさそうだ、、、 それよりまじめに勉強するほうが先だろ。
 そんなことはさておき、おれの華麗なる、、、 華麗なのか?、、、 バイト遍歴の第一歩がどうかといえば、話し三分の一でも言い過ぎなぐらいで、大学生のお姉さまとは、出勤時に事務所でチラッと見かけるぐらいで仕事で絡むこともなく、給油に来る客はオヤジ連中ばかりで、そいつらにアゴで使われ、バイトの先輩になんだかんだと仕事を言いつけられ、つねに奔走しているので、一度も差し入れを持ってきた先輩の彼女とやらにも遭遇せず、やっと休憩が取れて事務所にもどれば、差し入れはすべて食べ尽くされている。若奥さまとはほど遠い、おれの母親より年上の有閑マダムは、逆に馴れ馴れしいほど絡んできて振り切るのに苦労する、、、 そんな一週間があっという間にすぎていき文頭に戻る。
 帰りの電車でマサトは、いろいろとくっちゃべっているけど、おれはただ、気のない相づちを打つだけで、何も考えられず、何の言葉も出なかった。マサトは要領よくやって、それほど大変そうではないらしく、その分のしわ寄せが全部おれの所にきてるんだから。
 連日の猛暑も手伝って、食欲も落ち込み、駅からの帰り道はフラフラになっていた。クルマが通るので道路の脇をゆっくり歩いていると、側溝からは昼間の熱気で腐敗した濁り水が臭気を漂わせ鼻をつき、胃の中は空っぽで何も出てこないのに吐き気がしてくる。
 あと何日続くんだろうと、そんなことしか考えらなかった。まだ7月だから1ヶ月は悠に残ってるのは分かりきっているのに、どうやってこの先を乗り切っていこうかと、およそ建設的でない思案に流れていく。
 まだ期限のあるバイトの身なんだから、最悪を想定すればケツをまくって辞めたっていい。それぐらいの立場なくせに、なんだか追い込まれた気持ちになってくる。父親を見て将来を悲観したくせに、何年も仕事を続けていることに尊敬の念をいだくやら、あきれるやら、、、 あきれちゃいかんだろ、、、
 来年になれば本当の就職が待っている。こんなことで泣きごと言ってる自分が許せないって、それぐらいの意地はおれにだってあるわけで、いずれにしてもこのままズルズルと働きつづけるのはどうにもうまくない。なにか手を打つか、目先を変えるか、、、 なんにしろ、その場しのぎか、、、 そいつが、おれが就職する前に一時でもバイトする意義なんだろうか。
 母親には一日中、空調の効いた図書館で、夏休みの宿題と就職活動の準備してるって言ってあるから、へばった姿を見せるわけにもいかず、家に近づくにつれ無理にでも背筋を伸ばしていくしかない。
 去年までは夏休みといえば毎日のように部活三昧で、泊りがけの合宿もありほとんど昼間は家にいなかったから、今年になって家に居座られても調子が狂うだろうと、体裁よく勉強とかにかこつけて一日中家を空けるって言ったら、母親は感心したような、安どしたような、『あんたもようやくやる気になったのねえ』。と、喜んでいるのか、皮肉っているのか、あいかわらずツカミどころのない言葉を聞いて、おれもさ、将来のこととかまじめに考えないといけない時期だからって、、、 母親は冷たい麦茶を飲んでフーンとだけ言った、、、 おれは目を泳がせた。
 親を騙すってのは、はからずも抵抗はあった。なにが正しいかではなく、なにをすれば正しいと認められるか。そうれを突き付けられた気がした、、、 すげえ言い訳、、、 これは子供の頃からのおこないの良さのたまものか、これまでも、よほどのことがなければ反対されることはなかった、、、 もしくは、はじめから反対されるようなお願いはしなかった姑息なおれ、、、
 図書館で勉強せずスタンドでバイトするのが、よほどのことの範疇かどうか考えるまでもないが、母親から『その図書館で夏期講習とかやってるでしょ。受けるんならおカネ出すわよ』。と、言われた時は、その気になったら受けてみるとお茶をにごすしかなかった。
 お金を受け取って、講習も受けずにバイトしてたってバレはしないだろうけど、いくらなんでもそこまでできないと、抑制できる道徳心と、勉強の成果を隠ぺいする悪知恵ぐらいは持ち合わせていた、、、 それも二学期までのはかない運命だ。
 なんとか家の前までたどり着き、かたちばかりの勉強道具が入れられた手提げバックを斜めにかけ直し、庭先のトビラを開けようと手を伸ばそうとすると、何かがキラリと光るものが目端に映った。
 ギィッと音をたてて開きかけたトビラのハンドルから手を離し、トビラの上に手をかけ動きを止めて静かに手を離す。指先には赤サビが付いたみたいでザラっとした感触が残った。よく見れば所々にサビが浮いている。ゴルフクラブ磨くよりトビラのサビ止めでもしろよと、嫌味が口をつきそうになり言葉を飲み込んだ、、、 おれが言えた義理じゃない。
 ズボンで指先の汚れを払い、忍び足で一歩、二歩と後ずさりして、光の正体を探す。隣の家の塀との境目だ。その隙間で目を凝らすと何か小さな存在が認識できた。そのうち、か細い声で『ミャア』と鳴いた。おどかすなよ。子ネコだった。生まれたばかりらしく、わずか5センチくらいの隙間に入りこんでいる。顔を正面に向けると外灯の明りが目に映りこみ、それが暗闇でキラリと光ったように見えたんだ。
 もともと外壁はウチの方だけにあり、お隣さんは改築したタイミングで、ピッタリくっつけるようにして、ウチより高く外壁を作った。
『あの壁、なんとかならないかしら?』。母はそれが気に入らなかったらしく、物が落ちたら取れないとか、ゴミが溜まっても掃除できないとか、何かと父親にこぼしていたけど、本当はウチの壁から見える隣の壁に変な圧迫を感じていたのだろう。出来上がってしまってからは何を言っても後の祭りだ。
 さて、この子ネコも母のご指摘のとおり、壁の隙間から取り出すことは出来そうにない。自分で入っていったなら、自分で出てこれるんだろうが、両方の壁とも直線的な造形ではなく、起伏のあるブロックが組み合わされているので、どうにか通れる道順があって、進めるところまで行ったけど、これ以上身動きがとれなくなったというところか。
 それにしても、手前から後ずさりして入っていったのか、向こう側からこちらに進んできたのかもわからず、外敵から身を守るのには都合がいいけど、もし引っかかったまま動けないのなら、このまま餓死してしまうのは明らかだ。
 おれはしばらく、夜空を眺めていた。一応どうしたものかと思案しつつ、半分以上は厄介ごとに巻き込まれた自分をおもんばかっていた。なんだか最近、ネコにからんだ事件に関わってる。もしかしてこの子ネコは、あの死んだネコが生んだのだろうか。動物は多産だから一匹っていうのはおかしい、、、 生まれ変わり?
 箸にも棒にもかからない考えをしていてもしかたない。ただでさえ、このところ帰りが遅いから、母からも訝しがられている。図書館出てからどこほっつき歩いているのか、問いただされるのも面倒だ。子ネコの件は見なかったことにして、もう一度トビラに戻り、足先で軽く押しトビラを開けた、、、 そうやっていろんなことにフタをしてこれまでも生きてきた、、、 明日からもまたそうやって生きていく。
 ひとは自分で解決できないことはしょい込むことはないって、なんかで聞いたことがある、、、 都合のいいことだけは覚えてる、、、 おれがもしあの子ネコのことを解決できるなら、きっといやでもまた思い出すに違いないはずだ。
 おれのあたまの中で、優先順位の五番目ぐらいに位置付けられた子ネコの存在は、他に何か問題が起これば、一番最初に切り捨てられる程度のものでしかなく、そして案の定、翌日の朝にはきれいサッパリ忘れていた。