private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over22.2

2018-08-26 12:03:57 | 連続小説

「おおっと。やばい、やばい。なるほどな。お嬢さんはかけひきがお上手だった。コイツらもうまいことノセられたみたいだし。アンタに、おっと、アンタって呼ぶのはよくないって、自分で言っておいてそりゃなかった。よかったら名前、教えてくれよ?」
 ミカサドはすぐに落ち着きを取り戻した。どうやらアイツらから事前に情報を仕入れているらしい。
 
小指の先で首を掻く朝比奈は、いかにもつまらなそうだという反応だ。こうして相手をイラつかせていくんだろう。それなのにおれにとってはセクシーなポーズにしか見えない、、、 のはなぜなのか、、、
「なまえ、なんてどうでもいいんじゃない。そんなものはひとつの象徴とか記号でしかないんだし。わたしは貴方みたいに気にしないから。わたしはわたし、何者でもない。好きに呼んでもらえばいい」
 ミカサドは表にはださないけど、怒りで血管が波打っているはずだ。朝比奈に余計なことを言うからそんな目にあう。朝比奈にしてみれば顕微鏡の中の微生物を覗いてるぐらいの感覚で、どこからでも、どんなふうにでも攻撃できるんだ。そいつはおれが少しでも有利に戦えるようにいろんな手をうっているんだ、、、 もしくはそもそもそれが、朝比奈の性分なのか、、、
「好きに、そうか、それもいい。そうだな。じゃあ、マリちゃん、ルリコ、エリィがいいか。いとしの、なっ」
 おしい、、、 くもないか、、、 エリナってのもホントかどうか怪しいもんだし。
「まあ、そんなところでしょ、貴方が思い浮かべられるのは。だから、教えてもしかたないって。生まれや育った環境がどうしても出るんだ、そういうのって。それで貴方の運転技術も戦略も想像がつく、でしょ」
 ありゃー、こうじわじわと男のプライドをキズつけるような言いかされりゃ、たまったもんじゃないだろうな。
 
そしてミカサドは早々に舌戦を終わりにした。
「チッ。お嬢さんにのせられたみたいだな。余計な話しして、読み切ったようにしてプレッシャーをかけて、オレを揺さぶろうったってそうはいかねえ。さあてと、交通量が増えてきてもめんどうだ。早いとこやろうや」
「早いとこケリつけたいのはコッチも同じ。小学生じゃあるまいし、お名前、名乗り合ってる場合じゃなかったんじゃない?」
 ひとついえば、ふたつや、みっつのカウンターを受けるとようやく気づいたらしい。だいたい、そうはいかねえって、すでにそうなってるし。
 
朝比奈は吠えさかる猛犬を手なずけたかのような表情になる。それがまたミカサドのカンにさわるようで目元をヒクつかせている。
「いい、あの歩道橋見えるでしょ。向こうの信号からスタートして、あそこまでがだいたい800メートル。先にゴールした方が勝ち。しごく単純な勝負」
 ミカサドは目線を信号から歩道橋まで動かした。いいだろうと言ってニヤける。昨夜のリーダーと同じように、少しでも余裕のあるところを見せて、陽動作戦にひっかかってないとアピールしているようだ。ほかのヤツラもうなずいて、楽勝だとか、こりゃブッチギリだとか、声をかけあっている。ヤザワのヤツはひとり真剣な顔でおれを見ていた。
 
コイツ本当は自分でやりたいんだろうな。ミカサドの登場で譲らなければならなくなり、はがゆい思いをしているのか。なにしろきっかけを作ったのは自分だ。朝比奈うんぬんより、アイツだって自分の手で決したかったはずだ。ガソリンかけられたまま指くわえてなにもできない。そういうのが下っ端のつらいところだな、、、 と、このなかで一番ヒエラルキー最下層のおれが言う、、、
「ホシノ。クルマに乗って。だいじょうぶ。わたしが勝たせてあげる」
 
はい。最上層の朝比奈がそう言って、天使の微笑みをたずさえた。ヤツらにとっては悪魔の微笑み。ひとの上に立つ者には天使と悪魔が同居しているんだ、、、 そして美しい、、、
 
おれはそのまま運転席に押し込められて、かわいいおしりでドアを閉められ、朝比奈は再び挑発的に腕を組んだ。そしておれには小声で、、、 ヤツらには気づかれないようにほとんど口を動かさずに、、、 次の指令を出した。
「いい、スタートラインにはゆっくりと向かって。アイドリングで進むぐらいのスピードで。ただし… 」
 それってかなり難易度高いんじゃないのか。おれはそんな芸当ができるほど手馴れてない。もし、、、
「いい? 間違ってもエンストしないで、ねっ」
 ねっ、って。それ言わないでくれる? そこ一番心配しているのに。そんな醜態を見せればあっという間に化けの皮が剥がれて、そこで勝負あったとなってしまうでしょうが。
 そりゃおれもその方が効果的なのはわかるよ。あわててスタートラインにつけば余裕がないように見られるだろうから。とはいえ、そいつを実践するのは簡単ではない。クラッチをつないで、低速で進むためにすぐにアクセルを戻せば、たちまち回転数が急降下してエンスト、、、 エンジン・ストールね、、、 してしまう。足元で適度な回転数をキープしつつ顔は平静をたもつって、水面を優雅に進む白鳥じゃないんだから。
「そうねえ、クラッチ盤がいい感じで磨り減ってアタリがついてるから、少々粗っぽくつないでもストールする心配はないでしょ。あとはその状態をキープしてクルマを進める… 」
 
その状態をキープって、簡単に言ってくれちゃって。
 
どうやらそれはナガシマさんが長いあいだ使い込んだために、うまいぐあいスムーズに連動するようになっているってことらしい。きっとちょうどいいってナガシマさんが気に入っていたんだろう、、、 感謝しなきゃいけないのかもしれない、、、 ひとがしてきたことの、なにが、どこで、誰とつながっていくかなんて誰にもわかんないんだから。
 
おれはエンジンをかけ、、、 これも一発でかからないと、とんでもないことになるプレッシャーのなか、、、 ようとキーをひねる。ブスッといういやな音がしてケツがキュッとしぼんだけど、なんとかエンジンはかかり、おれはなんでもないようにすまし顔をつづけた、、、 ほんとは少しチビった、、、 
「いい、ホシノ。わたしの歩幅にあわせてね」
 
なんて、勝手なこと言って朝比奈は歩きだそうとする。軽くエンジンをあおると回転数がレスポンスよくあがり、そして急降下する。そこをとらまえてクラッチをつなぐ、車体の鼻先が少し持ち上がり、クルマは低速のまま前に進んだ。
 朝比奈はドアに手をたずさえたまま、馬の手綱を引く調教師よろしく、おれをスタートラインまで導いた、、、 イヌから、ウマへ昇格したか、、、 調教ってなんかエロいな。
 
おれは回転数をキープしたまま、、、 足の親指で細かく調整するから、あしが攣りそうになるのをこらえるのにも必死、、、 左足でクラッチをつないだり、切ったりしてトロトロとスタートラインへ向かった。左足もまた緊張して、試合前にこれだけあしを酷使して、これでホントに勝てるのかって文句のひとつも言いたくなる。
 
ミカサドはそれを見て案の定あせったみたいで、急発進しておれたちの外側を通り、先にスタートラインに着いた。そしてニヤニヤとこっちを向いている。それがアイツの精いっぱいの主導権の取り方なんだろう。
 
おれはその後も焦る気持ちをオモテに出さないようにして、止まりそうなスピードを、心臓が止まりそうになりながら保ったまま、ゆっくりとスタートラインへ並んだ。
 
ほんの十数メートルの冷や汗ものの道のりだったけど、タイヤがアスファルトを噛む音がなんだかだんだんと心地良く感じられるようになった。
 
そして二台が並んだクルマの真ん中に朝比奈は立った。
「そこのアナタ、クルマの前に立って」
 
朝比奈がヤザワを指差した。やっぱりこの場を仕切るのは、、、 朝比奈なんだ、、、


Starting over22.1

2018-08-19 12:39:57 | 連続小説

「どうやら時間のムダだってわかったようだな。あれさあ、おまえのクルマ? ニイナナ。あれももらっとこうかな。必要ないだろ。おまえには」
 そうなるか。ラストエンペラーは、この男は、給油機のわきにとめてあるおれの、ナガシマさんのクルマをあごでしゃくった。
 
なにするにも強いヤツが総取りする。それが人間社会の仕組みだとしても、いまはそんな経験をしたくない。おれはなにひとつ手放したくない。自分の手の内にしたものがいずれは興味がなくなるとしても、自分の手にあまるなんて認めるなんてできはしない。
 朝比奈が男とクルマのあいだに割って入った。組んだ腕は強い意志を示している。
「勝負はする。時間のムダにはしない。わたしたちにはムダにするような時間はない。そのうえでアナタが勝てば、クルマでもわたしでも好きにすればいい。それがアナタたちの貴重な時間ならば… 」
「オウ、オウ。どうしても悪あがきしたいみたいだな。そうやって腕組むと乳がますます盛り上がってスゲエな。早くじかにお目にかかりたいもんだ。いいだろう前技代わりにつきあってやるぜ。アンタなんて呼ぶな。オレはな観笠土っていうんだ。ミカサド」
 そう言って、ヤツらは朝比奈の脇をいやらしい目をしながらすれちがい事務所から出ていった。おれも思っていたことをコイツは、ミカサドは、サラリと言いやがって。やっぱりオトコなら見るよなあ、、、 そこ、、、 朝比奈のイヤミなんか届いてもいないだろうなあ。
 
朝比奈もそんなことを言われても腕をくんだままだ。一歩もひくつもりはないらしい。もうあともどりできない状況まできたんだから、おれもハラをくくるしかない。
「どういうことなんだ。星野」
 オチアイさんはおれを見上げた。声は小さいだけどドスが効いている。不満がありありだ。なにをどう説明したもんか、、、 そんな時間ないけどな、、、
「ホシノくん… 」
 久しぶりに会ったキョーコさんにも心配をかけてしまった。ナガシマさんの葬式以来だっていうのにこんなかたちでの再会となり、ナガシマさんのクルマをこんなことにつかっているのを見つかってしまって、なんとおわびすればいいのやら。
「イチエイ。おまえなに朝比奈とつるんでるんだよ。朝帰りたあ、おだやかじゃない。いやうらやましいな」
 マサトはほかっとこう。
「…」
 女子大生のお姉さんとは接点がない。
 
アイツ等がお別れ会なる場にズカズカと乗り込んできて、どんな振る舞いをしてきたのか、、、 台無しにしたのはまちがいない、、、
「ホシノ。行くよ。いまは走ることに集中して。わかるでしょ、これまでやってきたんだから」
 朝比奈のかけ声に、誰もが言葉をつぐんだ。もとよりおれも、いちいちみんなの問いに答えられるほど余裕はない、、、 オチアイさんを放置するのはちょっとこわい、、、 思い切ってきびすを返して、朝比奈に続いた、、、 逆だな、、、
「あいかわらずだな、あのネエちゃん。星野よ、どうやらそういう状況じゃないみたいだな。オマエがどれほど走れるのか知らんが、戦う以上は勝て。ヤツラにネエちゃん好きにさせるわけにはいかんだろ」
 戦う理由。そんなものは向こうから勝手にやってきただけだ。戦う必要なんかなかったはずなのに、いつのまにかその場所に引きずり出されたんだ。
 
ただ、ほんとうに自分が望んでいなかったのか、言いきれない部分もある。実はおれは戦いたかったのかもしれない。走りたかったのかもしれない。勝負の方法がどうであれ、繰り返し戦うことを、その工程を含めて味わいつづけていたかった。だから誰か彼かのひとづたいでこうなることを、、、 望んでいたんだ。
「ホシノくん。ごめんなさい。わたしがクルマを譲ったりしたからこんなことに」
 キョーコさんにそれを言われるのは心苦しかった。過去にとらわれて生きていちゃいけない。なにでもかんでも過去のしがらみとか、誰かのせいにして生きていくのは無益なんだ。それが動機となるのは往々にしてあるけれど、自分自身のためじゃなくなる。まわりに依存している人生では意味がない。
 朝比奈はうっすらと笑った。それでいいと言わんばかりに。そういう意味じゃないのかもしれないけど、そう取っておけばいいさ、このタイミングであえて悪いように取る必要もない。
 ヤツラは待っている。ヤザワたちが乗っていたクルマと、そしてもう一台。フロントボディの長い、見るからにスポーツカーとしたクルマが止まっている。
 
必要以上に相手を大きく見ることはない。勝つことを考えるんだ。勝つための方法を。
 ミカサドはクルマに乗り込んで、すかさずエンジンをかける。低く重たい音が腹に響いてきた。威圧するつもりなんだ。スキっ腹にはなお堪える。そういえば腹へったな。ジャバさんのところでコーラ飲んで、夜中にコーヒー飲んだぐらいで固形物を口にしていない、、、 威圧されたのか、、、
 
つまりおれは、その音にビビることもなく、冷静にヤツラの動向を見据えていた。
 
それでも余裕を見せつけるつもりらしく、エンジンをあおって大きな音をたてることもなく、低いエンジン音をキープしている。ドッ、ドッ、ドッとバスドラがリズムを刻むのに近く、それはオープニングソングが始まるライブ会場を思わせる。そう、着実に始まりを迎えているんだ。
「星野。心配するな。イジってはあるが、ナガシマのクルマと遜色ない。勝負にはなる」
 オチアイさんが耳元でそう言ってくれた。たぶんなんの根拠もないはずだ。だってオチアイさんはおれたちがどうゆう勝負をするか知らないんだから。おれを落ち着かせようとして言っているに過ぎない。それでもうれしかったけどさ。
 運転席から顔を出してミカサジが口であおってきた。ボクシングの調停式とか、計量会場で相手をコケにしたり、怒らせるようなこと言って、心理的に揺さぶろうってやつだ。アリが大口たたいてはなにかと話題になる。でもさ、おれなんかにそんなことする必要があるのか? なんだかんだいって、朝比奈のかけひきが効いているのかもしれない。
「ナニもたもたしてるんだ。はやくクルマに乗れよ。それとも、いまからワビでも入れるってのか? もう聞くつもりはないけどな。怖くてビビってんならネーちゃん置いて、逃げたっていいんだぜ」
 窓から突き出された顔はにじみ出るイヤラしさを隠そうともせず、どうやらこの連中はいずれも頭脳派ではなさそうで、それで朝比奈の戦術にはまりやすいんだろうか。少し安心した、、、 肉体派だから楽ってわけじゃないけど、、、 かえってやっかいだろ。
 朝比奈は、またまた一歩前に出てあいだに割って入る。
「せっかちだな。さっそくクルマに乗り込んで。それともいまから逃げ出す準備なのか?  なんにしろ、怖くてビビってんなら仲間見捨てて、逃げたっていいんだぜ」
「てめえっ!!」
 絶妙な切り返し。ミカサドの顔が見る見る赤黒くなって額に血管が浮き出てきた。怒りからはなにも生まれないと朝比奈は言った。つまりは怒らせて冷静さを欠かせればそれだけこちらが有利になるということだ。
 
平静を保つに限らず、こころの持ちようは大切だ。どれだけ素晴らしい技術を持っていても、必要なときにその能力が使えなければ意味をなさない。自分を含めてそんなやつらを幾人も見てきた。どうして本番で練習のタイムがでないのか。意気込んでからまわりしだり、プレッシャーに押しつぶされてからだがすくんだりするヤツらがいる一方、レースになるとがぜん眠っていてい力を発揮するヤツもいるから驚くんだけど。
 
必死になって練習して成果をだしてきたヤツらを嘲笑うかのように先頭でゴールする。理不尽なのかもしれないけどそれが現実だ。
 
一夜漬けのおれは、それにすがりたい、、、 ぜひとも、、、


Starting over21.3

2018-08-13 10:57:55 | 連続小説

 事務所内を見渡せば、オチアイさんが苦々しい顔で伏せていて、マサトはほとんど泣き顔で、キョーコさんと女子大生のお姉さんはおびえた顔がそこにあった。
 
アイツらといえば、ヤザワとかいうヤツはひとり難しい顔をしているのに対して、その他のヤツラはニヤけ顔を無様にさらしていた。ラストエンペラーがその後ろ盾になっているんだ。
 
コイツら自分たちでは不安になったのか、もっと腕の立つ野郎を引っ張ってきたってとこか。そして約束の時間など反古されたのだ、、、 朝比奈のおどしが効きすぎだ。
「そうね、あり得るでしょ。こういうのも」
 クルマで待っているはずの朝比奈が背後にいた。
「おー、おー、この娘か。はーっ、女王様だ。確かにな。それでおれが勝てば、なに、女王様を好き勝手にできるっていうの。でかした。オマエらにしては上出来だ。どうだ少年。どうせ負けるんだからさ、もう女王様残して退散してみては。時間の無駄だから」
 
おれはアタマの中が真っ白になっていった。ヤザワとのときもそうだったけど、おれはときに自分を見失う、、、 みたいだ、、、 ふだん冷静を装ってるから、その反動が一気に押し寄せてくるらしい。
「ホシノ、いまはまだその時期じゃないから」
 おれの肩に手が添えられた。その手からおれの怒りが吸い取られていった。
 
おれはこうして助けられている。だれかに。そうでなければおれはもっとひどい目にあっていたはずだ。だれかに。
「ホシノ。いい? 怒りからはなにも生まれない。本当に強い人間は寛容になれる。ホシノはね、そういったのを力に変えて自分の能力を超えていける。だからいまじゃなくても、ねえ、いいんじゃない」
 そんなこと言われたって、おれは強い人間ではないし、なれるとも思わない。怒りを力に変えるなんてできるはずもない。
 
だけど、、、 だけど、そんなおれの思い込みさえくつがえすのは朝比奈の言葉だ。いいんじゃないって言われや、、、 いいんじゃないでしょうか、、、
 ラストエンペラーが余裕の勝ちを確信しているなか、時間をやりすごしているおれたちがいた。時間の流れを捕まえている感覚はまだ続いているんだろうか。
「どうした少年。時間のムダだとわかってきたか?」
 
おれがヤツらを自分のペースに巻き込もうとするならば、ヘタに自分から動き回るより迎え入れるように構えていた方がいいに決っている。それぐらいの駆け引きはおれにだってできる
 
戦いは必ずしもゴングが鳴ってから始まるものでもない。戦うことが両者に認識された時からそれは始まっているんなら、それを有効に使うことがかしこい戦略だ。
 
それもこれも朝比奈の助言があってからこそなんだけど。朝比奈はそれについて何も言わないし、そんなおれに促がそうともせずに放置している。だったらおれはそいつを信じていればいい。
「どうするか考え中か。いいだろう考えればいい。よく考えてみることだ。どうすればお互い幸せになれるのか」
 おれはこれまでこんな時の中を過ごしてきたんだって、あらためて思い出させてくれた。走れなくなってもう二度とこんな雰囲気を味わうこともないと思っていたのに、なんの因果か、いま再び、同じような時間の中にこの身を置いている。
 
あと時間もすれば、確実に二つの世界のどちらかに自分がいる。勝利を得て賞賛と自画自賛に満ち溢れた世界。負けて慰安と自己批判にさいなまれる世界。
 
いまはどちらの世界にも行ける自分がある。その中に身を委ねていられることがいまを生きている直接的な感情の捉え方であるし、おれにとってなによりも代え難い貴重で大切な時間で、生きていることへの証でもあったわけで、あの時に戻れたような感覚が染み入ってきて自然と口元が緩んでいた。
 
なぜか、状況としてはいままでの陸上のレースではないほど、迫りくる緊張感もふつうではないはずなのに、それさえももう一度体験できていることが勝り、嬉しく思えてしまう。いつだってそうやって過ごしてきた。
「そう、それでいい。ホシノって、なに笑ってんだか。だいたい想像はつくけど」
 
そうやってなんでもわかったように口にする朝比奈は、やはりなんでもわかっているんだ、、、 どうせ。
 
もともと生まれ持った才能なのか、多くの経験の中で得た能力なのか、もしくは、、、 両方だな、、、
 
特別だと思ったことはないはずだ。誰だって感じてるんだと思う。言葉にするのは難しいかもしれないし、したとしても理解しづらかったのかもしれない。それで、口をつぐむことはよくある。
 
人との関わり合いのなかで、流されていく会話が、舞台のセリフのようによどみなく、そして枯れていく。誰にでも理解できるなんてことはあり得ないし、語り合う言葉は噛み合わなくても不思議でもなく、違った意味合いで理解されることだってある。
 
都合が悪けりゃ歪曲して捉えてもいい。それで良い方向に流れる場合もあれば、逆もある。最終的な判断は、どう自分に戻ってくるかってことだけだ。
 
意識的ではないかもしれないけど、最後は本能的にそちらを選んでいる。それが相手の意に反すれば嫌われ者に成り下がる、意のままなら好意的に受け入れられる。そこが見えてれば人間関係にそれほど悲観することはない。
 
相手に期待するから失意が大きくなるなら。
「ホシノは自分に期待する他人の身勝手をどれだけ許容できるのかしら?」
 朝比奈の言い分はもっともだ。だからといってそれですべてが割り切れれば、この世で人間関係に悩むヤツラは出てこない。そんなヤツラが多く居るってことは、誰もそんな結論に到達できてないからだ、、、 もちろんおれだってそこまで達観できてない。
「だからね、みんなそれだけ時間が有り余ってるのよ、もしくは、時間が無尽蔵にあると勘違いしている。本当にやりたいことや、目標とするゴールから逆算していま何をすべきかがわかっていれば、そんな範疇を越えたことにかまって暇はないはずなんだけど。どうにもならずに手っ取り早くその迷宮から脱出したくなれば別なんでしょうけど。いまだって、わたしとの間には相容れないミゾがあって、それを解消するために、自分の都合のいい方へ解釈し始めてるでしょ」
 ああそうか、だからなんだ。思いもせず自分の意図が伝わったり、口にしなくても思い通りの結果を得たときの得も知れぬ快感は、その数倍ある伝わらない実績があるからそこ成り立っているわけだ。
「おい、おい。おれは理屈っぽいオンナは苦手なんだよ。可愛い顔してるお嬢さんは、黙ってオトコの言いなりになってりゃいいんだ」
「選べれるうちはいい。いつか選べないときがくる。ホシノは選べた? それとも選ばれたのかしら」
 自分から選んだといえるかもしれないけどそれは結果だ。だれかにいいようにつかわれたって、それを選択肢のひとつととらえることもできる。必ずしも事実だけがそれを物語っているわけじゃあないんだ。
「つまりはそこなの。好意を持てば選ばれたい。悪意を持てば嫌われたったいい。ホシノだってまわりのすべてを受け入れているわけじゃない。ほんの少しのすれ違いで、悪態ぐらいつきたくなる。ふつうの行為。そうじゃない人間など信じられない。だからね、いいのそれぐらいで。すべての人を愛せなくたって、すべての人の平和を叶えられなくたって、しかたないんだから」
 あいかわらず決定事項として結論だけを述べてくる朝比奈であった。
 おれなんかそいつに対してなにかいいかえせるほど語彙が多彩ではないんだし、反論の言葉さえ持ち合わせていない。ただひとつだけ反論、、、 反論てほどでもないけど、述べさせてもらうなら、どうして今なんだろうってことだけだ。話しの流れでそうなったのかもしれないけど、それ以上に朝比奈からは訴えかけられる力強さが見て取れた。
「それはねえ… 」
 遠くを見ていた。
「 …わたしたちには、」
 
その先に何が見えるのか訊いてみたいぐらいに。
「 ……時間が… 」
 
何かが見えるわけじゃない。何かを見つけたいのかもしれない。その目の先には。これまで見えてきた経験から自然に及んだ行為にすぎない。
「 …ないんだから」
 自分の意にそぐわない判決を下した裁判官の言葉のように思えた、、、 裁判の判決なんか聞いたことないけど、、、 例えが適切だったかどうかはおのずとわかるはずだ。おれたちに時間がないならばそれほど遠い話しじゃないんだから。
 そのやりとりとは裏腹に、おれたちふたりのあいだだけには無尽蔵の時間があるかのようだった。
 どうやらそいつは、消えゆくロウソクの炎が限りある時間を使い切るための最後の時間だったらしい、、、


Starting over21.2

2018-08-05 15:29:31 | 連続小説

 早朝の街の景色が窓の外を流れていく。
 
夏の朝の街は前日の暑さがまだ冷めきってないようで、ビルの壁も窓のガラスも、そしてアスファルトも、熱気を吸収したまま、そのはけ口をどこにもみつけられずに、その熱をのがれるために、だれも歩いていないし、走っているクルマもおれたちだけだった。
 
いまさらだけど徹夜なんてものをしたのは、生まれて初めてなんじゃないだろうか。
 
テストや受験の勉強でしたこともないし、夜通し外で遊びまわったことも、なにかに熱中して朝を迎えたなんて経験もない。だいたい部活で疲れて帰ってきて、メシくってフロ入れば、すぐにバタンキューで朝まで直行コースだった。
 
初めての徹夜だったからなのか、時間の流れが普段とは違って、長い夜を過ごしてきたように思えた。
 
なんだか自分の意志で時が流れていて、日が昇ると思わなければいつまでも日が昇らないぐらいおれの意のままであった。
 
だからっていつまでも夜が続くわけじゃない。深い紫に包まれていた空が、徐々に青くひろがっていき日の出がはじまっていた。
 
夏のこの時期の日の出はいったい何時なんだろう。
 
おれも朝比奈も時計をはめていない。朝比奈に訊いてみてもよかったんだけど、なんだか一日がはじまることを焦っているのが見透かされそうで行動には移さなかった。
 
日の出が何時だろうが、いまが何時だっていいはずなのに、わからないとなると無性に知りたくなるから、ヒョイと運転席側のパネルを覗き込んでも、このクルマには時計がついていない。
 
たぶん最初はついていたんだろうが、それがあった部分は配線とかが剥き出しになっており、メーターなどの必要最小限のモノしか残っていなかった、、、 たぶんね、、、
 
朝比奈はおだやかな顔のままクルマを操っている。見ればもうすぐスタンドにつづく国道に右折するところまで来ていた。
 
おっ? ちょっとまてよ。港の工場地帯から市街のはずれにあるスタンドまで20キロぐらいはあるはずで、どんなに急いだって30分はかかるはずなのに、昨日の夜みたいにけたたましい走りならまだしも、このなめらかでスムーズでコクもありキレのある、、、 なんの例えだっけ、、、 ああ、そう運転のハナシで、ここまで30分もかかってない。
「おかしなもので、そう、力んだり、粗かったり、早く動こうとするときって、むだな力が入りがちになって、それが一生懸命やっている証みたいになってしまうから、本人もいいように感じてしまう。それなのに、その力って逆効果でしかなく、すばやい動作は力みのない、ゆるやかな自然体からしか生まれない。そして余裕を持った行動はあらゆる状況に反応できる。そういうのって自然に身につけば一番いいんだけど。どうしても自分で理解できてないと、どれだけ説明したってつたわらない」
 まさか、おれの運転の上達を認めつつ、力みの悪癖を指摘するのではなく、タイミングをみはからって見せてつたえる。まったく朝比奈の考えてることって、おそれいるというか、その手で転がされているおれって、、、 朝比奈の手のひらなら転がされたいけど、、、 いろいろと、、、 その流れくると思った。
 
とはいえ、その事実がわかっただけで、どうすればその境地に立てるのか、わかっていないからほめられたもんじゃない。
「それはね、やはりある程度の経験が必要になってくる。そして、ホシノの経験は、だから、さっきも言ったように、運転だけのことでなく、これまでの陸上での積み重ねが、あるから。つぎはうまくできるでしょ、たぶんね」
 それって、含みを持った言いかたに聞こえた。ましてや朝比奈にそう言われれば、やらなきゃいけなくなるじゃないか、、、 親の言うことは聞かないくせに、、、
 スタンドが見えてきて、ウインカーを出して左に寄せつつ減速する。おれは事務所の様子が気になってしかたない。朝比奈にはつたえてないから、朝までみんなが居るだなんて思ってもみないだろう。
 なんだか機を逸すると、いまさらそんなことを言いだしてもしかたないと結論づけてしまうのがおれのダメなところで、言葉が足りないだなんてよく母親に小言をいわれ、先生や、先輩にはあきれられ、友達とか後輩にも無用の誤解をあたえてきた。
 気づくのがおそいから、ああ、あのときの、なんて自分でふりかえってみても後の祭りで、元来がズボラだからそうやって身近な人を失っていって、かれこれ何年も、、、 朝比奈がそうなる可能性もある、、、
 
給油機のとなりにクルマをとめて朝比奈はドアを開けた。事務所からは誰も出てくる気配はないし、人気も感じられない。夜通し会をしていたとは思われないほど普段の朝と変わらない静けさで、、、 こんなに朝早く来たことないけど、、、 その心配は徒労に終わった。ただ単に運がよかったのか、、、 その運ってなんなんだ。
 
やっぱりマサトの言ったことはガセだったのか。そいつをおれの母親に伝える理由がわからない、、、 考えるつもりもないけど、、、 朝比奈にとってもおれの挙動は不審だったはずだ。
 
なんだか昨日来たばかりなのに、閉鎖が決まっている場所っていうのは、突然にさびれたような、ひなびたような、うらぶれたような、、、 まあ、魂が抜けちゃった感じ、、、 で、建物だって引き際っていうか、そういう時期をわきまえているんだろうか、、、 そうならおれよりたいしたもんだ、、、
 
わたしのもタダで入れてと朝比奈に言われた手前、スクーターが置いてあるんだから、あとで入れといてやろうかとひそかに考えていた。
 
こういうことはさりげなく、こっそりやったほうが心証が良くなるとか、コーヒーのお礼だとか言えばシャレてるなんて、セコい立ち振る舞いばっかり考えていたけど、このスタンドのようすをみると、なんだかひどく不誠実な行為に思えてきて、ときとしてそんな感傷の溝におちいったりして、それでまたまわりを困惑させる要因にもなる。
「だったら、夏休みに入ってから、もっと頻繁にくればよかった」
 
そう、なにもかも受け入れるように言ってくれた。
 
朝比奈には緊張とか、動揺とかといった心の揺らぎはないのだろうか。だいたい何回も来ても、ガソリンが減らなきゃ入れる量は変わらない、、、 んじゃないかな?
「まあ、気持ちの問題かしら」
 そんな、どんな気持ちの問題なのか、マサトの行動を考慮する時間は無駄だけど、朝比奈の気持ちを理解するために割く時間は用意しておくつもりだ。とりあえずいまは、朝比奈の気持ちが大切ならばそれでいいんじゃないかと、気持ちいいほどそう思わせてくれる。
 
おれは給油機のカギを取りに行くべく事務所に向かった。朝比奈にはここで待っていてもらうように促した。
 
ひかりの加減でわかりづらかっただけで、近づけば人の姿が確認できた。4~5人が椅子に座っている、、、 いやもっといる。そんなにバイトいたっけ。
 照れ隠しもあって、朝比奈には気づかれないように小さくあたまをかきながら、おわびのひとつでもしようと、、、 特にオチアイさんに、、、 細めた目を見開くと、バカなおれでも人数が多い理由がわかった。
「コイツか、その腕の立つドライバーって。おれは女王様のほうに興味あるんだけど、いないの?」
 昨日のヤツラ、プラスワン、、、 ラストエンペラーの登場だった。