private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

第14章3

2022-05-31 06:59:42 | 連続小説

R.R

 レース前の食堂は繁忙期が過ぎ閑散としてきた。もう30分もすれば第一走者のコースインがはじまる。
「なあ、今日のスタンド、盛況だろ。どうしてか知ってるか?」
 オーダーを終えたアラトの耳に、気にかかる会話が飛び込んできた。
「なんだよ、その気になる言いかた」 
「へへっ、まあな。あのさ濱南に助っ人が来ただろ。はじまって以来の試みだってこともあるけどさ、単にドライバー入れ替えて、レースの目先を変えるだけじゃあないってことよ」
 隣のテーブルに座って食後のコーヒーを飲んでいるふたりの男が、したり顔で話している内容は、アラト好みの裏事情が含まれた会話で、彼らには悟られないように聞き耳をたてた。
「ふーん。それだけじゃ、単純すぎるってことか?」
 そこで、事情通らしき男が声をひそめ顔を寄せる。聞きに回っている男も前かがみになり、アラトまで思わず耳を近づけようとしてしまう。
「これはさあ、まだ内密で一部の関係者しか知られてないことだけど、オレはさあ、まあ、あるスジから聞いてたんだけどよ」
「オマエさ、前から聞こうと思ってたんだけど、どっからそういう情報が流れてくるわけ」
 呆れ顔でカラダをのけぞらせる。
「まあ、それはいろいろとな。コントロールタワー側のスタンドを開けるのも、それなりの人出が見込めるからだ。志登呂の実力者が出張って来て、舘石さんのコースレコードを塗り替えるって豪語しているからな」
「志登呂からも、急遽観戦者が遠征して来てるみたいだしな。応援団版ツアーズってところか」
「だろ。まあ、そうなればコッチからも、お返ししなきゃならねえわけだよ。とはいえ、どこのツアーズだって、エースを出すわけにはいかないからさ。よそに出せる名の売れたヤツが必要なわけだ。家を空けても困らないような名ばかりのエースをさ。指宿が今年調子が上がらないのも仕込みじゃないかとかさ?」
「なんだよ、えげつないなハナシだな。調子の上がらない指宿を担ぎ出せば、いなくても、ここの集客には響かないし、昨年チャンピオンの箔を背負って、向こうでもし勝てば面目躍如だし。実力を見せつけられりゃ優位に立てる。ダメでも、今年の不調のせいで、濱南ツアーズとしても顔が立つ… ってことか」
「結局さ、最初に動いた方が負けなんだよ。我慢比べにどれだけ辛抱できるか。でなきゃ、どんなに対等だと思っていても、最後の一手でぜんぶ引っ繰り返されちまう。志都呂もそこまで追い込まれてるってことだろ」
「きびしいねえ」寄せていた身体を椅子にもたれかけさせる。
「現実さ。それで指宿の調子があがれば凱旋レースとかイベントも打てる。それどころか、いい恥かいた志都呂は存続にもかかわってくるからな。そうなりゃそのままこっちに飲み込むことだってできる」
 肘を立て、組んだ手の向こうで、澄ました顔が首を振り、話しが途切れたところで、コップの水を飲み干し、食器をトレーに重ねる。
「あっ、それ、オレが持ってくよ。いい話し聞かせてもらったしな」
「そう、悪いね。しかし、あいかわらずの味だな。ここのメシは。客が減るのもレースの内容だけでもなさそうだ」
「そういうことだな。なにが原因で引っ繰り返るかわからない。最後は食堂の差ってこともありえるな」
「ちげえねえ。ハッハッハッ」
 配膳を片付け棚にもどした男を待って、ふたりは出口へ向かいつつ、背を向けたアラトの様子を気にかける。
「どうだ、喰いついてたか」
「ああ、バッチリだ。レースが終わるころになりゃそれなりのウワサになってるだろ。出臼さんもそうそう馬庭さんの思い通りにさせられんってとこだろ。いつもネタ元で使ってるアイツにこういう形で情報流すんだからな。ボードゲームも角を取っておけば最後に全部裏返しにできる」
「昨夜、あんなことがなけりゃこんな芝居することもなかったんだからな。裏の裏はオモテになっちまう」
「安藤のこと考えると不安がないわけでもないけどな」
「そこが一番の問題だな。あいつも志都呂じゃ燻ってるけど、実力は申し分ないからな。なんにしろ出臼さんのカオが立てば、どっちに転がろうが知ったこっちゃねえよ」
 若干の不満を覚えつつ、顔をしかめた。
 立ち去るふたりの姿を追っていたアラトに連れの男が声をかける。
「どうしたんだ、アラト。オマエのミート・スパ来たぞ。時間ないんだから早く食えよ」
「えっ、ああ。ちょっと考えことしてて」
「ふーん、今日さ、リクんとこアイツが出るんだってな」
「へっ、アイツ?」あたまでは指宿や、志都呂のことをどうバラまこうか思考がいっぱいで、そんな話しに時間を割きたくない。
「ほら、リザーブでパッとしないヤツ。なんていったけ。タイジだったか、ハイジだったか」
「あーぁ、ナイジだろ、それ。アルプスの少女じゃあるまいし、なんでナ行飛ばすんだよ。その地味な情報が気になるのか?」
 特に聞きたくもなかったが、先ほどの話に気を取られていたことをごまかすために関心のある振りをする。
「うーん、まあ、たまたまだけどさ。オレ、今日オーバーヒート気味だったから、念のためスローダウンしてたんだ。そしたらアイツに追いつかれてさ。それがさ… 」
 カズナリのもったいぶった話し方がはじまった。
「それが、なんだよ」
「それがさあ、変な走りで。ストレートはチンタラ走ってるのに、コーナーの前になるとスピード上げてさ、急にキビキビとした走りして、そんでまたトロトロ走って、最終コーナー前でまた加速しはじめて、それがほかのヤツらとライン取りが違うんだよな。それなのに複合コーナーを減速することなくグーンと加速して消えちまった。早回しの映画観てるかと思うぐらいで。そしたらまた目につくとこまで近づいて。なんかさ、いい加減に走ってるわけでもなさそうで、意味があるんじゃないかって思うんだ。気になっちゃってさ。どうしてかって言われても、うまく説明できないけど、そういう雰囲気が感じるんだよなあ」
 長い話しのあいだに、スパゲッティをすすり出す。
「そうか? 買いかぶりすぎじゃねえの。リクとたまにやりあってるみたいだけど、いい勝負してるぐらいだぞ。ああ、あれか、実はオレは知ってたんだ。ってやつ? 軽くオレに前振りしといて、今日ナイジが良い走りしたら。ほら見たことか。ていうのをやりたいわけだろ」
「まあ、続き聴けって。それだけじゃないんだ。以前さ、アイツがここでメシ食ってたときに、たまたま見かけたんだけどさ」
「そのハナシ長くなる?」
「いいから食いながら聴けよ。そのナイジってヤツがさ、ちょうどそこら辺でリクとメシ食ってたんだよ」
 カズナリが向こうのテーブルを指差す。
「アイツの目の前に、水の入ったコップと水差しがあったんだ。ちょうど腕が通るぐらいのスペースだよ。その奥にあるリクのフライドポテトに手を伸ばして、つまみ食いしてたんだ。そーとじゃないぞ、スッと、ボクシングのジャブみたいに。コップをよけるとリクに気づかれるから動かさないんだろうけど、オレはコップを倒すんじゃないかと気になっちゃって目が離せなくなって。育ちがいいからな。あいつさハスに構え、横見ながらリクに気づかれないように次々とポテト摘まんでるんだ。きっとリクもそんなとこから手が伸びてると思ってないからさ、皿に目を戻したら驚いてやがった。アイツ涼しい顔してヨソむいてるんだ。コップを少しよければいいんだけどな、アイツには避けなくても倒さずポテトを取れる。その方がバレないし。まあ、バレたんだけどな。って聞いてる?」
「いや、すごいハナシなのか、そうでもないのかよくわかんないけど」
「なに言ってんの。人並みはずれたバランス感覚があるってわけだ。クルマを乗りこなすには重要な要素だろ、動体視力が抜群にいいんだよ。“空間認知能力”ってやつだ」
「はぁ、なに、“食うか ニンジン 能力”? 食ってたのってポテトだろ。なんでニンジンが出てくるんだよ」
「何の言ってんだよ。くいモンの種類じゃねーてっ」
 あきれたカズナリも自分のサンドウィッチに手を伸ばす。すでに角が乾燥していた。
「あのさあ、オレ、ミート・スパ見てて思い出したんだけど」
 アラトは、先程のふたりの男が話していた内容を思い返しているのに、カズナリが今日に限ってやたら喋りたがってくるので眉をひそめた。
「なんだよ、それってまだ、ナイジの話の続きなわけ? スパゲッティを手首の回転だけで一瞬に巻きつけるとか」
「ちがう、ちがう。えっ、そんなことできるの? いや、そうじゃなくて、オレの体験談」
「ふーん。それってさ、このミート・スパ見て思い出したって言ったけど。なんか嫌な予感しかしないんだど、オレ」
 最初に予防線を張ったのは、これまでの経験上を踏まえると、カズナリの体験談からくる話はロクな内容ではない。
 アラトは、まだ半分も残っているミート・スパを無造作にフォークに絡め口に運ぶ。スパを食べるとき、なぜか毎回ミートソースが余り気味になってしまい癪に感じてしまう。
 それは最後にミートソースが足りなくなったときに、麺だけで食べなくてはならないことを回避するためだで、ところがそんな状態になることはなく、食べはじめからもっと麺に絡めて食べればよかったと後悔するばかりだ。
 今回もややソースが余り気味だが、カズナリの話しを聞くことになればそれを気にかけているヒマはない。
 カズナリは自分の持ちネタを話す時、いつも大げさに、もったいぶったように、言葉を選びながら回り道をして話す。本人はそれで満足していても、聞く方はハナシが散漫になって、わかりづらくなり何度も聞き返す。
 それがカズナリにとっては心地よくあるようで、これみよがしに、ゆっくりとコーヒーを啜ると、次にタマゴサンドをほおばる。
「うわぁ、カラシ、キッツ」目をしばしばさせて、次はトマトサンドを手にする。
 アラトは少し苛立ってきたが、ハナシを急かすとますますカズナリの術中に入っていくので、口の中が空くまでそ知らぬそぶりで待つことにした。
 カズナリはトマトサンドを飲み込むと、「それがさ…」と、ようやく本題に入るらしい。
「ここからの帰り道で、夜中の2~3時頃なんだけど、あー、違う違う、その日じゃなくて、オマエが早く帰った日だよ。そう、そう、なんか見たいテレビショーがあるって、ほらゲストにオマエの好きな… いや、それはどうでもいいから。それで夜の川沿いの道を走ってたんだ、なんか最初からタイヤに変な感触があってさ。そしたら突然、アイスバーンの道を走っているみたいに… ああ、以前、雪の日の翌日に、どうしても行かなくちゃいけないところがあって。 …そうじゃないよ、お袋に用事頼まれちゃってさ、川向こうの親戚ん家に届け物をさ、橋の上でスベル、スベル。だから、その夜も、こうハンドルが軽くなって、スルスルと滑り出したんだ。びっくりして。で、急ブレーキを踏むのも危ぶないし、とにかくアクセル戻して、惰性でクルマが止まるまで何とかコントロールして、どうにか草地にクルマを停止することができたんだ。見せたかったよな、こうやってカウンターあてて、流れるように回避してったんだけど、もうタイヤが全然グリップしないから。まあ、草地に入ったらグリップも戻ったんだけど。いったい何が起きたかってヘッドライトが照らす方向を見るとさ、何か、こう、動いてんだよね、もぞもぞと… 」
 ここで、カズナリはひとつ間を置いた。アラトは『もぞもぞと』のところで背筋に嫌な悪寒が走った。カズナリの満足げな顔からも次に何かが起こることは察しがつく。
 残り少なくなったミート・スパの皿を目にして一抹の不安を感じる。そして、この質問をすることに意味があるかどうかもわからなかったが、核心に入る時間を少しでも先延ばししたかった。
「なあ、カズナリ。そのハナシの続きって、食べ終えてからにしたいんだけど?」
「食べ終えてもあんまり変わんないと思うけどな」
 そんなことは、どうでも良いとばかりにほとんど感情を加えずカズナリは答える。話しを続けたいのにミート・スパを食べ終わるまで待ちたくはないのが真意だ。アラトはスパが離れたフォークでカズナリのほうを指し、あらためて念を押すように言う。
「なあ、カズナリ、俺がゴキブリとヘビが死ぬほど苦手だと言うことは知ってるよな。もちろん同じよう種類のヤツも。今からこの話しにソイツらは登場するのか?」
 あえて再考する必要もないはずのカズナリであるのに遠い目をする。
「いやあ、そんなに黒くないし、それ程長くもない」
 アラトの反応の楽しむように、カズナリは斜めの回答をしてきた。アラトにはもうそれだけで十分であった。
「そうか、でも、それっぽいのは出てくんだな」
 そう言い終わるが早いか、アキオは皿の上のミート・パスタを口の中に流し込み、頬袋を膨らましたハムスターのようになって咀嚼する。口からはみ出したパスタが左右に揺れると、カズナリにその日に見たアレを思い出させ、ついつい顔をしかめてしまった。
 アキオはさらにコップの水を飲み干すと、トレーを手に取り、席を立ち上がろうとすると、安物のビニール地で出来た白地に緑のラインが入ったテーブルクロスが貼り付いて、トレーがうまく持ち上がらない。
「あれぇ、アラト、どうした。ハナシの続き聞かないのかよ? いや聞いてくれよ」
 アキオの突如とした素早い行動に、意表をつかれ見入ってしまったカズナリがあわてて制止する。
「聞かない!」
 とにかく第六感が働いた。目をしかめるアラトは、この先のハナシを聞くのを本能的に拒否することを選んだ。中腰の体勢でカズナリにトレーを持った手を押さえつけられ、それを無理やり離そうとすると、貼り付いたテーブルクロスが嫌な音を立てる。
「聞かないって、途中まで話して、俺すっごく中途半端なんだけど。オマエの口からはみ出たミート・スパ見て、さらにしっかりと思い出しちゃったし」
 アラトは自分の口を手で抑えた。いよいよ悪い予感が高まってきた。そして指を一本立ててカズナリの目の前に差し出す。
「いいか、オレはこのハナシにはもう聞かない。むしろ忘れたい。聞けばとんでもないことになりそうだし、オマエのその手のハナシには二度と関わりあいたくないんだ」
 カズナリは情けない顔になる。「そんなあ… 」
「おぅ、もうメシ終わったんか? いつまで食ってんだよ」
 そこに玖沙薙ツアーズのヤマモトが声を掛けてきた。レースが近づき客がひとり、ふたりと店をあとにし食堂は彼ら3人のみとなった。
 ヤマモトはそのまま続けた。
「お前ら今日コースマーシャルの当番だろ、オレもだ。一緒に行くぜ。んで、何のハナシしてたんだ?」
 アラトにとって、ヤマモトの登場は悪魔の使者でしかなく、ここまでのいきさつを説明したくもないし、説明したら余計に面白がって盛り上げるに違いない。とはいえ、いい加減な言い訳をして、先輩であるヤマモトの誘いを無下にもできない。
 ヤマモトに肩をつかまれしぶしぶ座りなおす。アラトにとって人生最悪の不幸が積み重なる一日になることが決定した。