private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権 SCENE30

2016-05-28 17:07:42 | 連続小説
「いいですかあー。対戦ボードを見て自分が勝つと思う方の数字をお選びくださーい。第一戦目は1か2です。お客さんが選んだ数字を押印します。勝ったほうの数字が入っている商品券をご提示されると、一時間後に行なわれる第二戦のレース開始まで、フード一品目お買い上げいただくごとに、お飲み物が一杯無料でサービスとなりまーす。第二戦以降同様のルールとなりますからねー。つまり、勝ちチケットを持っていれば、1時間以内にその番号のついたチケットでフードをお買い上げのたび、お飲み物無料となりまーす。レースは一日三回。三日で九回行なわれますので、この夏まつりを十分にお楽しみいただくにも、ぜひプレミアム・チケットをお買い求めください」
 呼び子が声を嗄らして、駅ホームから乗降する群衆に呼びかけている。
「ようよう、飲み物ってビールとかもあるのか?」
 タンクトップから日焼けした筋肉質の上腕二等筋が、これ見よがしにはみ出している大柄の男が疑い深気にたずねてくる。
「はい、ソフトドリンクから、チューハイ各種、ビールは第3のビールとなりますけれども、夏まつりの屋台で提供しているすべての飲み物が対象となっております。カップのサイズはすべてSサイズのみですのでご了承願います。次のレースまでの1時間以内なら、フードをお買い求めいただくたびご利用いただけますよ」
「そのプレミアム・チケットを一冊買うと一回レースに参加できるってこと?」
「2冊買って、どちらかの数字選べば、必ず当たるってことよね」
 今度は、買い物途中の主婦仲間と見られる女性から声がかかった。
「はーい、一冊10枚つづり2000円ですが、2200円分のお買いものできます。一度に2冊お買い上げいただければ4000円かかりますけれども、どちらかの数字を選んでいただければ必ずお飲み物が無料となりますよ。なお、プレミアム・チケットの上手なご利用方法は、出会いの十字路で詳しく説明しております。ここから50メートルほど先です。プレミアム・チケットをお得なご利用方法で十分活用いただいて、駅裏商店街の夏まつりを存分にお楽しみくださーい」
 そのやり取りを聞いて、興味深げにひとが集まってくる。人垣ができればまたそれが気になって別のひとたちが集まってくる。「人力車レースてどんなんだ?」。「オレは2000円で勝負だ」。「飲み物タダって、お得じゃない?」。「対戦者の意気込みとか、相手への挑発がチラシに載ってるぞ。ボクシングの対戦みたいで、これ、思い入れ込めると熱くなりそうだな」。「なに? これレースだけじゃなく、レース後に15分レンタルで、人力車に乗ってお祭り見れるとか、逆に自分で引かせてもらえる体験乗車もできるんだって。ねえアナタ、わたし乗っけて引っ張ってよ」。「ボク、体験学習したから、チケット一冊もらえたんだ」。
 いろんな声が飛び交うたびに、ちょっと行ってみようと駅裏に流れる人の群れが動く。商店街の中心である、出会いの十字路まで足を運ばせるのもひとつの戦略だ。まつりに出店している屋台をながめつつ、雰囲気をあじわえば自然とチケットを買ってまつりを楽しんでみようかという気にもなる。そこで、プレミアム・チケットのお得な利用法を説明され、目先で次々と売れていくのを目の当たりにすれば、自分も乗り遅れるわけにはいかないと購入していった。
 駅中の2階のテラスで会長と、恵がその様子を眺めている。
「いくら飲み物の原価が安いとはいえ、かなりの出費になるところだった」
「ほとんどの飲み物が新製品の試飲を兼ねたスポンサー契約を取れましたから、ポスターとテーブルテントの広告付きで商店街の利益がでるようになっております。5月から始まっていた夏のキャンペーンの余った分を在庫消化しつつ、新製品の広告が打てるので先方にとってもうまみがありますから、三方良しといったところでしょう。お客さまだってタダで飲めるんですから銘柄までこだわらないでしょうからね」
「うちの商店街はほとんどが閉まっていて、そういったのぼりや広告塔を置くところが自由に配置できたのがよかったな。利権にからむような契約をしている店もないから好都合だ。どのみちそれほど繁盛している店はないから無駄な心配だったかな」
 それを言っちゃミもフタもないないと、苦笑いする恵。
「しかし、人力車でレースをやって、商品券に予想番号を押印して、馬券替わりにすると聞いた時は正直おどろいた。行政への承認とかも簡単ではないと思っていたし、まさかな、夏まつりで賭け事とはな」
「会長がそう思われるのも無理はありませんけれど、当たればなんらかの商品を獲得できるというのは、ビンゴゲームやらスタンプラリーと同じようなことですから。せっかく人力車という資産をお持ちなんですから、それを使わないのは宝の持ち腐れかと」
「こちらからは喧伝せんが、2冊買えば必ず当たると誰でもすぐにわかる。2冊買ってもらって飲み物を振る舞ったとしても十分元が取れるし、むしろそちらを望んでいる。ひとりがやればまわりも続く、一日の発券分が残りわずかにと分かればみんなが先を急ぐだろう。考えたものだと言いたいが、あこぎなやり方だとも言える」
「ただ走らせるだけでは、余所もやっていますし、競馬も賭けなきゃ家畜のレースとはよく言われますけど、人力レースも賭けなきゃただの単なるバツゲームにしか見えませんから… 」
 会長は、その例えの笑いどころがわからない。
「それに、いくら人力車のレースが物珍しいといっても、何度も見たいとまでは思われないでしょうから、レースをお客様に予想をしていただき、どうしたって自分が選んだ番号が勝負によって飲み物がフリーになるならば気持ちも入っていく。顧客がそこに価値を見いだせれば、ビジネスとして成り立つんです。どうしても勝ちたい人は、2冊買っていただくもよし。あとは自己責任と自己満足… 夏まつりなんですから、それぐらでいいんじゃないですかねえ」
 会長は大きく肩をすくめ、首を横に振った。
「まったく… それだけじゃなかろうに。これが正しいかどうか、わたしにはまだわからん。毎年恒例の行事になるんだろうか… 」
 恵は会長の意見を受け止めつつ、促すようにしてエレベーターに乗り込み最上階へ向かった。満員のエレベーターはレストラン街のある最上階で止まり、ふたりを残してすべての人が降りたつ。下りのエレベーターを待つ大勢の人混みを見ながら口角を上げる恵は、『閉』のボタンを押し、さらに屋上階へ向かう。
「この暑いなか最上階までいくのは、さすがに変わり者だと思われてもしかたないな」
「せっかくのロケーションなんですから、ビアガーデンでもやればいいんですよ。ガーデニングだけじゃ、このさきすぐに飽きられるでしょうね」
「おいおい、次は駅ビルの再開発まで取り込もうってハラかね?」
 恵は、笑顔で答えるだけだった。会長はあながち冗談ではないなと思えてきた。

 人間というものは、そこに安全が保障されていれば、高いところが嫌いなわけではない。そして高みに立てば下を見おろしたくなる。清掃員の彼はそう信じて疑わなかった。
 大きなガラス張りで眺望のいいこの階層は、駅ビルのレストラン街になっており、エレベーターが到着する度に多くの人を輩出し、そのガラス張りの前を通りすぎる。そうするとそのあいだに、少しでも景色を見ようと足が緩むか、ガラス際で立ち止まってしばし鑑賞したり、端末で撮影する者も珍しくはない。そして、それはひとりが行うと大勢が横並びに始めるのもおなじみの光景だ。
 週末であれば、さらに多くの人間であふれ、話のネタにと初めて目にする眺望を焼き付ける。家族づれは子供をダシに使い、カップルはふたりの親交を深めるように、女性は怖がってみせ、男性は強がって見せたりと、最後にはお決まりのように自撮りで決める。しばらくその場を動かない老夫婦は会話もないまま時間を消費していく。一瞥をくれるだけのお一人様や、ビルに入っているテナントのビジネスマンはそれらを疎ましそうにして足早に歩き去る。
「 …えーっ、マジでえー?」
「そうそう、聞いた話なんだけどね、絶対あり得ないでしょ、たぶんね、間違いなく… 」
 男の耳に突然、若い女性の会話が飛び込んでくる。ふたりは、ちょうど石でできたオブジェに腰かけに座るとこだった。レストランで食事をしたあと、話し足りないようで、同じフロアで座れる場所を探して続きをする人も少なくない。それにしても『絶対』なのか、『たぶんなのか』なのか、『間違いない』のか、どっちなんだとツッコミたくなる衝動に駆られる。本人たちは気付いていなくても傍で聞いている方が、冷静に言葉を捉えることができる。いかに会話というものが、お互いの調和の上で成り立っているかがわかるというものだ。
 モップの柄を脇に立てて支えにし体をまかしている男は、断片的に聞こえてくる女性の会話にそんなどうでもいいようなことを考えながら、目の前の光景を見続けていた。もうすぐ5時になり早く片付けて仕事をあがりたいところなのに、この階の清掃が終わらなければそれもままならない。今日は駅の商店街のまつりの影響もあり、いつもより人が多いのはそのせいだろう。最後には強引にあたまを下げつつ突破して清掃するしかなさそうで、いまもそのタイミングを計っていた。
 誰だってトラブルは面倒だ、なるべく危険が少なそうなところにめぼしをつける。それが経験を持った人間のすることだ。やっかいな通行人に捕まって、ビルの管理事務所に乗り込まれるといった記憶は一度や二度ではない。
 そんなことを思い出していると、今日は人の動きが違っていると男は気づいた。一見さんが景色に足を止める姿は変わらない。そこからの行動がいつもとは違うのだ。集まった人たちはそれぞれ下を指さし、仲間内であろうと、知らない者同士であろうと、なにか言い合っては、そこから嬉しそうに会話弾ませ。そうしていそいそとエレベーターへと引き返すのであった。よくみかけるサラリーマンの連れ合いも、大外からつま先立ちで背伸びして感嘆をもらす。
「 …ちょっとそれって、友達としては重いよね。行くのか、やめるのかハッキリして欲しいところでしょ?」
「そうなのよ、そう思うでしょ! だから私も… 」
 腰かけに座ったさきほどの女性は、時折話が盛り上がるとボリュームが大きくなる。ふたりはガラス側を背にして座っているため、人々の流れには無関心だ。
 男はもうひとつ気になることを発見していた。人の波は順番に動いていくのに、ひとりの女性だけがそこに居続けていた。そのまま注視していると、それだけではなく、人を誘導しているように見える。エレベーターから人が降りてくる。ただでさえ人垣ができているので、注意をひかれる。なにかと覗きこむとその女性がうしろにまわりなにやら話しかける。すると興味津津の顔でその話しに聞き入り、いそいそと来た道を引き返す。女性はその人たちに向けてあたまを下げ一声かけている。
「 …アノ人も持て余してるみたいで、ちょっとかわいそうな感じなのよねえ」
「あるねー。そうゆうの、どこまで立ち入っていいか、どちらの側に立つかって難しいとこよね… 」
 たしかにどこまで踏み込んでいいものかは悩みどころだ。すべての人たちにそうして対応しているわけではないようで、その女性が絡まなくても、まわりのひととの会話で何かを確認し、窓の外を覗き見ようと歩を進める者もいる。また、その女性が説明しても、首を振ってレストラン街へ向かう者もいる。そういった場合でも、深くあたまをさげてひと声かけている。
 何かの勧誘だろうか。彼は少し嫌な記憶がよみがえってきた。この景観に人が集まることをいいことに、チラシを配ったり、アンケートをしたりする輩はたびたび出没する。そういうトラブルの元を見かければ、警備室に連絡するのも清掃員の仕事のうちだ。警備員も常にどこかに常駐していられるほど、人数が満たされているわけではない。
 ただ、当の女性はチラシを配るわけでもなければ、なにかを書き留めているわけでもない。集まった人に話しかけているだけと言われればなんともならない。不確定案件で警備員を呼び寄せてなにもなければ、これはこれであとからお叱りを受ける。
「 …でしょ! やってらんないわけよ」
「わかるーっ、それ。みんなさ、責任取るのイヤだから、逆に面倒持ち込んでくる方を悪く見るみたいなところ… 」
 女性たちの会話がいちいち気にかかる。とにかく、このまま傍観していてもしかたがなく、なによりも掃除を終わらせるという大義名分がある。時間を超過すればそれはそれでお叱りを受けるだけだ。モップを滑らせ、人波をかき分け、当の女性に近づいていった。
「見てください、あのマーク。すごいですよね。このビルのガラスに映った反射で道路に影が落ちてるんですって。今日は駅ウラでおまつりですね。矢印の方向に進むみたいですよ… 」
 女性は、他人事のように淡々とそんな説明をしている。その言葉を耳にした人は「へーっ」とか「ほうー」とか言って、「見に行ってみるか」、「食事に来たけど、まつりで買い食いもいいな」などといってはエレベーターの方へ引き返すのだ。男も窓越しに覗き込もうとすると、年配の女性に睨まれて後ずさりする。顔を歪ませて件の女性を見返すと、「お仕事が終られたら、寄ってみてはいかがですか?」とニッコリと微笑み、首を傾けられた。若く、それも見目麗しい女性に、夏の装いでカラダの線がハッキリとでる、薄墨で描かれた朝顔の絵柄のワンピース姿でそう言われれば悪い気はしない。掃除の邪魔になるとも言えずに、なれない笑顔で返すしかなかった。

 冷房の効いた駅構内とは対照的に、日が傾いて薄曇りの空模様でも暑さの残る夕方の町並みからは、路面から熱気が立ちこめていた。
「ちょっと、たっくん。早く歩いてよ」
 子供の手を引く母親は進むべき先に顔を向け、いまや重荷でしかない我が子を少しでも前進させようと躍起になっている。さっきまでお祭りでカキ氷食べると騒いでいたのに、急に足を止めたということは、このあいだ欲しがっていた新製品のオモチャでも見つけたのだろう。このあいだ買ってやったオモチャでさえ、すでに部屋のスミに追いやられていることを思えば、次から次へと買い与えるわけにはいかない。ダダをこねて泣きわめき出したら面倒だ。再びカキ氷に目を向けさせるため必死に声をかける。
「急がないと、カキ氷屋さん閉まっちゃうかもよ。それか、もう、いっぱい人が並んでるかもしれないし。駅前にできた新しいかき氷屋さん、行きたいって言ってたでしょ!?」
 そう言って脅しても、いっこうに子供は歩を進める様子はない。
「もう、どうしたのよ、さっきまであれだけカキ氷、カキ氷って、喜んでたのに」
「ねーえ、おかあさん。あれなに?」
「なんでもないわよ、さっ早く!」
 ろくに目も向けず、母親は力を強める。ここで反応していては、あとはなし崩しになってしまう。
「だってぇー、あの矢印… 」
「ねっ、見て! あの矢印!?」。「ナニ、ナニ? 行ってみる?」
 すれ違うように通りかかった女子高生の二人連れが、嬉々として声を上げている。その声につられて、ようやく母親が振り向くと、手から離れた子供が足を速めて、矢印の場所で立ち止まり母親を見て指差した。
「矢印… 」
 黒いアスファルトに大きな矢印が浮かび上がっていた。それは真っ直ぐに総合駅へ向き駅裏を指している。ついさっき、自分が通った時にはなかったものが突然あらわれた。薄曇りの空に日差しが差し込んできたため、駅ビルの窓に反射した太陽光が、窓に貼られた矢印と文字を拡大してアスファルトに陰を落し、目の前に現れたのだ。
「ほら、おかあさん。『ナツまつりはコッチ』って書いてある」
すれ違ったサラリーマンが笑いながら声をかける。
「はは、こりゃ気になるよな。ボウヤ」
 母親は照れくさそうにして頭をさげる。そういえば駅裏でも今日から夏祭りをやっているはずだ。カキ氷もあるだろう。行ってみてそれほど盛り上がっていないなら。駅ビルの店にでも入ればいい。とにかくこの暑さはうんざりだ。ここは子供に華を持たせて好きなようにさせてやればいい。おもちゃをねだられるよりよっぽどましだ。とにかく気になって仕方がない子供は、母の手を引き元気よく歩いていく。母親は、今度は子供に引っ張られるようにして駅裏へ向かった。
 それを見送る二人のサラリーマンは改めて、ビルの窓と道路の影を交互に見る。
「しかし、こりゃ、驚いたね。日が差し込んだかと思えばあっという間に文字が浮き出てきた。インパクト抜群だ」
「日差しは、自然現象だから計算には入れられませんが、たしかに面白いですね。こんな広告のしかたはサプライズ効果が高いですよね。どこの企画でしょう。問い合わせてみる価値ありそうです。僕のクライアントに、野外競技場の新しい広告媒体の提案を頼まれてるんです。これ、使えませんかね?」
「よし、まつりでもひやかしながら、探りを入れてみるか。しかし、商売敵の土地に広告打つなんて、たいしたもんだ。ビルのガラスに広告を貼っただけと言われれば、それ以上はなんとも言えないだろうがな。弱者が強者にやるから痛快でもある」
 そんな二人の姿を、苦々しい思いで見ている男がいた。
「なんだあれは。消しなさい。早く消してきなさい! ウチの道路だぞ」
「しかし、カゲですし」
「だったら、日が当たらないようにしなさい!」
「しかし、あそこにターフで覆おうにも、相当な大きさと、場所が… 」
「キミね。わたしの言うことを否定ばかりしておらず、だったら自分でなにか考えたらどうなんだ」
「しかし… あっ、申し訳ございません」
 駅中での呼び込みの盛況具合に気が気でない駅前商店街の会長が重堂とともに状況確認に向かう道すがら、さらに驚くような仕掛けが飛び出し、駅前の客を根こそぎ持っていかれそうで奇声をあげる。
「まったく、なにをやってるんだキミは。ウチの敷地内をヤツラのいいように使われて。リスクマネジメントがなってないんじゃないのか。即刻、駅ビルに問い合わせてあのポスターを撤去させなさい」
「はっ、はい。すぐにかけ合ってきます」
 泡を食った重堂は、駅裏へ向かう人波をかき分けだした。いつもの畏怖堂々とした姿はどこへやら、前線で危機に直面した経験もなく窮地を脱する策など思い浮かぶはずもない。

「アナタはあの時、このビルの屋上でこれを考えていたんだな。まったく、怖れ入るというか。時田さん。アナタにはわたしたちとは違うものを常に見い出すことができている。わたしには同じモノを目にしても何も思い浮かばない」
 駅ビルの屋上にあがった二人は、最初の待ち合わせと同じ場所で、太陽光が作り出す巨大なポップアップ広告を満足げに眺めていた。
「いえいえ、たまたま思いついただけです。会長が来られるまでぼんやりと駅前を眺めながら会長になんて話そうかなんて、取りとめもなく考えていたのがよかったんだと思います。あの道路に、ガラスに反射したカゲが落ちているのを見て、あそこに文字が浮かび上がると面白いかなって。それより、このタイミングで日差しが出てくるとは。天がわたしたちに味方してる証拠ではないでしょうか。昼間っから出ていたら、それこそどんなジャマされていたか。それにインパクトも弱まります」
「いや、それもこれもアナタが引き寄せたんだよ。強く望んだ人の想いの結果だ。否定的な意見ばかりを持って、卑屈になっている人間には幸運は寄り付かんのだ。それはわたしがよくわかっている」
 成果が確実に摘み取られていることに暑さなど物の比でないとばかりに、涼しげに髪の毛を肩からすべらせる。
「最初に、ビルの管理会社に話しを持っていったときは、おかしな顔をされました。あんな廊下の窓を広告スペースに使いたいだなんて。3日間だけでよかったんですけど、そういうわけにもいかず一ヶ月単位での契約となってしまいました。前例がないので通常の半額まで値切らせて手を打ちました」
「しかも、一ヶ月を無駄にせず、有効活用するつもりだろう」
「サンサイネージとして商標登録します。おまつりのあとは… そうですね、駅前に使用料を取って間貸ししましょうか、その収入は駅裏商店街に入れてもらえればコチラの広告代もペイできますしね」
「それでいいのかね。ウチが貰える道理はないはずだが。それとも少しでも罪滅ぼしをというわけかね」
「あくまで実験的な要素が強いですので、その結果によってどのようなビジネスにつながるのかデータを蓄積できるほうが、コチラとしては実入りが多いです。そうすればほかでも展開できる立地を探して、TPOにあったスポンサーとマッチングさせたり、拡がりに大きな期待がもてそうです」
「それだけじゃないだろうに。わたしもうまいこと乗せられたというわけだ。それが契約だったからな。いまさら言ってもしかたない。アナタがいうように、これらは実験的な試みであって、商店街にとってこの先につながるものではなく、死にゆく前の最後の一花になりそうだ。アナタの手柄と立身の礎となる手助けには申し分ないだろうがね」
「言葉とは見る角度や、捉える人によって変わり、まやかしとなることもあります。当の本人達より、周りで見ている方が真実を知り得たりすることもあります」
 恵の言葉のレトリックにもそろそろ慣れてきた。
「会長。ビジネスにはウラもオモテもあります。いまさらいいコぶるつもりもありません。そうであっても結果を出し、お互いに勝利の美酒を味わい、そしてライバルにも納得していただいて初めて成立すると考えてます。本当の成功とはひとり勝ちではなく、誰もがその先に光が見出せることです。あのひとたちだって少なからず、それはわかっているはずです。わからなかったのは自分たちが次に打つべき手です。勝者が陥る盲点というものは勝ち上がった時点で、もう次にすべきことを見失ってしまうことです」
 恵は右目をつぶって右手でピストルサインをつくり人差し指を跳ね上げた。その先にはこの状況を苦々しい目で見ている重堂と駅前商店街の会長であった。おろおろとする重堂は青筋を立てた会長に一喝され、蹴飛ばされるようにして場を離れていく。
「大方、ビル管にでも苦情申し立てするつもりでしょうけど、契約はしてあるんだからもう遅いわよ。お金にモノを言わせて取り込まれたらしかたないけど。そうならそうで、それを逆手に取ることだってできる」
「そこまで考えて… 」
「会長さん、ここはもう心配ないでしょう。商店街の様子を見に行きましょう」

商店街人力爆走選手権 SCENE 29

2016-05-14 20:59:31 | 連続小説
SCENE 29

「いらっしゃいませーっ。あっカイくん、ちょっと待ってて。こちらの生徒さんで最後だから。はーい、できましたねえ。それじゃあ包みましょね」
 瑶子の母親である操子が久しぶりに見せる、元気な笑顔とハツラツとした声だった。父親の源一はどんな顔をしていいのか分からず、口をへの字に結んだまま、店の隅で団子をこねていた。瑶子も借り出され、源一が整えた団子に串を打つ手伝いをしており、母親の声にあたまを上げ、戒人を見とめると申し訳なさそうに顔をかしめる。
 戒人は両親には軽くあたまを下げて、瑶子には大丈夫のサインを手でかざしてから、店内の休憩所の長椅子に腰かけ、携帯端末を取り出しイジりはじめた。そのなれなれしい行動に、源一の眉間のシワが深まっていく。
 まつりのイベントのひとつとして提案されたのが、商店街のお店で小学生がおこなう体験学習であった。夏休みの自由研究の教材にもなると、学校側の評判も上々で、協力体制をとりつけられた。各店舗に割り振られた子供たちが、だいたいが親とその両親、つまり父方と母方の祖母と祖父を引き連れてやってくる。
 一家の一大イベントとばかりに、店の手伝いをする我が子の写真を撮り、動画を取り、子供がこしらえたカタチのいびつな饅頭や、団子をうれしそうに試食しては買い求める。もちろんそういった予定調和が盛り込まれた上で催行されている。
 生粋の職人である源一は、そんなおママゴトのようなお遊びに付き合う気になれるわけもなく、協力要請がきたときには強く固辞していた。わざわざ出向いてきた会長があたまをさげに来たときに、医者からも壮年期ウツの疑いもあると言われていた操子がその内容を耳にすると、久しぶりに喜ぶ顔を見せ、夫に意見をしたことはこれまでなかったのに、ぜひやってみたいと懇願され、しぶしぶ承知したのが本心で、本当は子供に団子を触らせ、親や親族のご機嫌を取るなどもってのほかだった。
 商店街も店も客足が遠のき、明るい兆しも見えなくなってから、塞ぎがちになっていた操子が見せる久しぶりの元気な笑顔が、源一の心を動かし、実際に体験学習がはじまると操子はウキウキとして子供の手伝いや、両親ら親族の接待を楽しんでいる。それを見れば見るほど、逆にこのイベントが終わり、いつものさびしい日常が戻ってきたとき操子がどうなってしまうのかと心配になるほどだった。
 そう思えば瑶子が家を継ぐような男と結婚して、孫でもできれば家に活気も出て、ひと安心というところなのだが、自分に似て口下手な瑶子に引っかかった男が、会長の息子とはいえ、小学校の頃からなんらかわらず頼りないまま、成長の兆しも見えない戒人では、とても大事な一人娘もこの店も譲ることはできないと、ほぞをかむしかなかった。
「どうもありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
 操子がいつもの通り丁寧に送り出すと、お土産を手にした子供は手を振ってうれしそうにして、操子らにあたまを下げる家族と一緒にお店をあとにした。
 午前に3組、午後に5組の体験学習がこれで終了した。おまつりの3日間このサイクルが続く。操子は満足げに、あーっ、楽しかった。また明日もガンバらなくっちゃ、と言って片付けをはじめる。
 源一は瑶子に目配せして、手伝いを終えていいことを伝えた。瑶子はうなずいて、残った団子に串を打ち終えてから手を洗い、エプロンを外す。携帯端末をいじっていた戒人の前に立つと、気づいた戒人が立ち上がった。
「エプロンのままでもよかったのになあ。買い物に出かける新婚さんってカンジ?」
 そんな軽口をたたいて、源一にあたまを下げるが、きづいているのか、いないのか、源一は知らん顔で、串の打ち終わった団子をタレの入った壷に順番につけていく。
 店を出た二人は、まつりの準備がたけなわの商店街を歩いて行くと、ほうぼうで同じような光景が見られる。肉屋では下準備を手伝った少年が、店主が揚げたコロッケを包んで、両親や、ひやかしに来た学校の友達に渡している。花屋では子供が選んだ数種類の花を束ねて、デコレーションとラッピングをして両親にプレゼントしている。子供達には体験学習で働いた分の報酬として、まつりのプレミアムチケット千円分が渡される。それらがすべて体験学習の参加費用に含まれていても、それぞれ受け取る嬉しさは格別だ。
「なんだかな、オレたちの子供時代には普段の生活の一部なのに、それが今じゃ、家族を巻き込んでのお祭り騒ぎだよ。あっ、おまつりだからいいのか。いやいや、そうじゃなくて、これじゃあまるで、テーマパークで、アトラクションに参加してる子供を見守る図… あっ、それ、オレが言ったんだったよな… 」
 よくある戒人の自己疑問、自己解決で話が進み、瑶子はうなずいたり、首を傾げたりしてあいづちを打っている。その後、戒人にしてはめずらしく押し黙り、無表情になっていった。
 この企画を父親から耳にした時にも同じ言葉もらしていた。最初にオレが言ったことじゃないかと。小学校の頃から見てきた同じような流れだ。グループで実験だとか、校外実習や、研究発表などを行うとき、積極的に参加していない戒人が一歩引いた場所からなにげなく、そして他人任せで、無責任につぶやいた一言が、あとになって、重要な部分で使用されていたりした。自分もそれほど真剣に考えて言ったわけではないし、その言葉を自分でもこれほどうまく活かせるとは思っていないので、それはそれで歯痒かった。
 ただ、自分にももう少し時間があれば、自分の言葉をうまく使うこともできたのではないかという自負も少しはあった。つながることはつながる、それが人より遅いか、すこし間が悪いだけなのではないかと。
 戒人のあたまに、あの時の恵の言葉が蘇ってくる。
「そんなことがこの商店街では日常化していて、あなた達はこの商店街の隆盛とリンクしながら、ずいぶんと楽しい幼少時代を過ごしてきたのね。今日は大した期待もせずにアナタにつきあってみたけど、どうやらそれで正解だったみたい。もしよ。もし現代にそれを再現できたら面白いと思わない?」
「いやあー、ムリっスよ。いまのガキがそんなことすると思えないっス。ゲームで遊んだり、テレビ見てた方がいいって言うに決まってますって。それに子供に手伝わせるほど忙しい店なんてどこにもないっスよ」
 恵は、やはりありきたりな発言しか言わない戒人の言葉をうなずいて聞いていた。
「アナタ、ふだんはいまみたいにロクなこと言わないけど、稀に興味深い発言をするのよね。私の勘が良いのかもしれないし、アナタが私にとってのラッキーパーソンなのかもしれない」
「そおっスか?」
「誉めてないわよ。あのね、私ね、つねづね思ってたのよ、人の生き方ってもっと自由であるべきなんだって。型にはめようとするのはいつも体制であり、権力でしょ。それがあとから追っかけてきて、こうしなさい、ああしなさい。これが普通ですなんてお仕着せてくる。ひとつの仕事に一生を捧げるのが美徳だなんて、勝手に作り込まれただけの価値観で、本当の人の幸せとはまったく別のところにあってもおかしくないんじゃない。人がひとつの場所に集められて働くほうが、効率が良いってことで、会社なり、工場なりが作られ始めて、たかだか一世紀ぐらいなのよねえ。あなたにこんなこと言ってもどこまでわかってもらえるかしれないけど、でもね、私の中ではつながっちゃったみたい」
 それほど、期待せずに話し始めたのだが、思いのほか戒人は余計な茶々も入れずに押し黙って聞いている。それではと、恵も持論を続けた。
「それまでは個々人で生きるためにどんな仕事もこなしていた。『百姓』なんて言うと差別用語に捉えられがちだけど、もとは百の生業をこなす人々のことを言い表しているって説もあるし、それが時の政権の都合に合わせたプロパガンダとしても、時代によって人に強要しているのはいつだって、そんな耳触りのいい掛け声だけなのよね。本当は今だって、百の生業をこなし、横断的に経験値を得ている人や、雇い主が、そこから新たなアイデアが生まれるというチャンスを見過ごしているだけだとしたら、働き手の価値が一変するかもしれないわね」
 戒人は正直いってよくわかっていなかった。恵のいくつかの言葉には引っかかりがあっても、また暴走がはじまったぐらいにしか思っておらず、その時は言葉が戒人の前を上滑りしていくだけだった。
 それらが少しずつこなれていき、ひとこと、ひとことが思い出され、沁み入ってきた。こうして体験学習を目にすればそれが、いっそう深くつながっていく。自分がなにげに吐き出した言葉が形になり、子供たちに影響をおよぼし、そのまわりの人間をつないでいく。自分では実現できなかった世界を恵は完璧に現実にしてみせた。嬉しさ半分、悔しさ半分。自分のヒラメキを誉めてやりたいし、自分の実行力のなさにダメ出ししたい。
 あえてひとつだけ自信となったのは、たとえ時間がかかっても、恵の構想をおぼろげながら理解し、共感できたことであり、まだなにかを足せるのではないかという思いがあることだ。恵をおどろかせたい。そんな野望がくすぶりはじめていた。
「ヨーコちゃんはさ、もし子供ときにこんな学校の実習があったら、なにやりたかった? とはいえ、オレたち、そこそこ、この商店街の仕事は経験したけどな」
 瑶子は自分が答えるべきなのか考えた。戒人が自分に答えを求めているようには見えなかった。わたしは… と切り出したところで、案の定、戒人がかぶせてきた。
「オレさ、ヤッパ… 」
 そこからの言葉は、瑶子の想像通りであり、そして恵にも見透かされていた。
「それで、あなたが一番楽しかった仕事はなんだったの?」
「そりゃあ、もちろん。風呂屋の番台やれたときはもう最高だったっス。当時の風呂屋のオヤジが大相撲に目がなくて。風呂屋にも、もちろんテレビあるんスけど、ドラマの再放送流さないと女性客が風呂入りにこないって、奥さんからチャンネルを固定されちゃってるから、5時から6時まで抜け出すために100円で子供に声かけて、電気屋に見に行っちゃうんスよ。これがけっこう競争率高くて、風呂屋のケイタは見飽きてるからいいとして、ユージとニシキと取り合いで、曜日ごとにローテーション決めて、15日間のうち5日をシェアするんス。ほかの同級のヤツラとか、上級生に気づかれないように隠れてやるのは大変だったっス。あとは、ストリップ劇場で、ステージの合間に座席のゴミ拾いするんスけど、イカ臭いティッ… イテッ!」
 恵の掌底が戒人のミゾオチにヒットした。
「あーっ、いい、もういいから、皆まで言うな」
 恵がこめかみを押さえつつ首を振る。そして大きく呼吸をして、冷静なコメントで押さえつける。
「わかるわよ、それが現実であり、大人社会を知るのに必要な工程だったのは。本当に大切な経験って、そうやって親とかに隠れて覚えていく方が多いんだし、だからこそ身に付くんだろうけど、小学生にはさぞ刺激的だったでしょうね」
 恵なら適当なところで止めさせられ、そこから自分の考えも付け加えられても、瑶子では困り顔でうなずくしかない。
「 …イカ臭いティッシュがそこら辺にボロボロ落ちてるだろ。子供の時なんか、上級生とかに教えられたって、なんのことかわかんなかったけど。ある時期に来て、ああそういうことかって。そんなことがさ何度かあって、振り返れば面白いもんだなあって。ヨーコちゃんもそんな経験ある?」
 あるわけないし、あっても瑶子が口に出すわけがない。戒人はそんなことにはおかまいなく、いつもとは景色が違う商店街の眺めを面白がって見ている。
「なんだか、ある意味、不憫だよな。これだけいろいろと段取ってもらえないと店の手伝いもできないんだからさ。オレらが楽しんでやったり、イヤイヤしてたことが、授業の一環で夏休みの宿題の課題だってさ。それでよけりゃ、オレたちも夏休みの宿題もっと楽だったよなあ」
 仁志貴からの最後通告を受けた翌日に、戦う意思を伝えてきた戒人だったが、勝つための努力をしているようにも、なんらかの戦略があるようにも見えなかった。ふたりでいるときもこのとおり相変わらずC調のままで、瑶子には戒人の本当のところが見えないまま不安な気持ちはつのるばかりだ。
 ただ、戒人がそのときに言った言葉が、自分に言い聞かせるように、そしてひとりごとのようにつぶやいていた言葉が、瑶子には妙に気にかかり、いつまでもあたまから離れずに、なにかしら期待を持つことで気持ちをつなぎとめていた。
「 …不安な気持ちや、心配事は誰にだって、何時だってあるんだよ。オレもありすぎるぐらいある。それをオモテに出しても誰もかばってくれないし、逆につけ込まれたりもするだけなんだ。だけどね、それを話せる相手がいるかどうかって、すごく重要なんだよ。誰にも言えずにひとり悶々とするしかないって、もしかしたら一番つらいことなのかもしれない。だからね、それだけでも、オレたちは幸せなんじゃないかと思う。人生なんて失敗の連続なんだからさ、だからっていちいち自分のできなさ加減に落ち込んで、それでダメだって方向に流れるのは、ある意味ラクをしてると見られてもしかたない。ラクして、逃げて生きるのも最終手段として必要な時だってあるけど、ニシキがやるってんなら、オレは逃げないよ。かといってスーパーマンじゃないんだ。まともにやって勝てるわけないんだから、だったら勝てる土俵にひきずりこんでやる。絶対に、ゼッタイにね、ヨーコちゃんにチョッカイ出せなくしてやる… 」
 戒人には、小さい頃から何度も何度も声をかけられ、励まされてきた。その言葉がかなりの割合で自己都合でもあり、行動と伴っていなかったとしても、瑶子を思っての言葉であるのは疑いようがない。戒人が戦う気持ちをみせるならば、瑶子もそれを信じるべきだと思えた。ある意味、仁志貴の横やりは自分たちの決心を促すための、芝居ではないかとさえ思えてくる。
 人がそんなに簡単に変われるはずがないのは瑶子が一番分かっている。なりたい自分と、なるべく自分はいつまでたっても一致しないままだとしても、昨日の自分より1ミリでも大きくなっていれば、それを他人が認めようと認めまいと、自分で認めてあげればいいだけだ。
 後押しされた瑶子は、一歩前に進もうと、戒人と一緒に一歩前に進まなければいけない時期なのだと決意した。
「どうかな? オレの… 」
「あっ、戒人さんの… 大きすぎます… 」
「そうか、そうかなあ。これぐらいがフツウだろ?」
「挟んで… あげますね」
 瑶子は前かがみになる。
「えっ、ホント? ヨーコちゃんに挟んでもらえるなんて… アッ、マジ!?」
「 …そんなあ、おおげさです… あっ、やっぱり、コレ、はみ出ちゃいます。やっぱり大きすぎます… それに… 」
「それに?」
「それにちょっと、太さも… 」
 瑶子はもう一度、挟みなおしてみても結果は同じだ。
「これじゃあ、挟めても、口に入れるのは大変そう… 」
「大丈夫だよ、一度ためしてみて? ほら、はみ出してる部分、くわえてみてさ」
「 …いいんですか? そんなことして… 」
「いいも、悪いも、いいに決まってるじゃないの。さあ、さあ、遠慮しないで」
「あんっ、でも、これ、先が割れてて、熱そうな汁がこぼれてます… 」
「ヨーコちゃん、ネコ舌だけどさ、それはちょっとそれは大げさってもんだよ、そこまで熱くないからさ」
「そうですか。じゃあ、いただきますね… 」
「うん、さっ、早く口の中に入れっちゃって」
「あんっ! やっぱり、熱いです… 」
「大丈夫?」
「 …もう飲み込めましたから… 大丈夫です」
「よかった… あっ、コレ出して、かけるともっと良くなるからさ。ちょっと待ってて」
「戒人さん、好きですね。 …ソレ」
「あったりまえだよ。イッパイ出すからさあ、ヨーコちゃんにもかけてあげるよ」
「 …じゃあ、ちょっとだけ… お願いします… 」
「遠慮しなくていいから、ほら、こうして、あっ、出そう」
「あっ!」
「ゴメン、ゴメン。ヨーコちゃんの顔にもかかっちゃった。大丈夫?」
「あっ、はい、自分で取りますから… あんっ、戒人さんのここにもついてます。 …取りますね」
「そんなに、舐めちゃって大丈夫? けっこうヨーコちゃんも好きなんじゃないの?」
「 …嫌いじゃないですけど、戒人さんほどじゃないです… 」
「ねえ、ねえ、お兄ちゃん。ケチャップ別料金だよ」
 パン屋で学習研修している子供が、店先でホットドックの売り子の手伝いをしている。売り子と言ってもセルフサービスで、パンとウインナーを選び、好みで炒めたキャベツをトッピングして、小袋のケチャップや、マスタードを付けるので、実際やることといえばお会計だけだ。
「ごめんなさい、わたしが払います。いくらですか?」
「ジューエンでーす」
「せこいな、10円ぐらいまけと… 」
 瑶子に口を塞がれる戒人。瑶子は財布から10円玉を取り出して、少女に手渡し、二人は歩きながらホットドックを頬張った。
「なんかさ、ヨーコちゃんとこうやって、この商店街で買い食いするの何年ぶりだろ。なんかいいよなあ、こうゆうの。別にさ、高い店で食事すればしあわせってわけでもないんだよ。いやホント」
 それについて瑶子は肯定も、否定もしない。ただ、こんなささいなことでも、嬉しそうに話す戒人を見ているのが自分はしあわせなのだと、あらためて思っていた。

商店街人力爆走選手権 SCENE 28

2016-05-01 11:59:14 | 連続小説

「よく間に合わせたもんですねえ。これじゃボクの立場なくなっちゃうじゃないですか」
 恵と、会長が進む先にセキネが待ち構えていた。恵は腰に手をあて、あきれた表情で問いかける。
「あらあら、敵情視察ですか?」
「敵って… やめてくださいよ、身内でしょ? 企画書と稟議書作ったの僕だし。まっ、やってることは、ほとんど書き換えられてますけどねえ」
「そりゃそうでしょう、そのまま使ったらいろんな所に筒抜けになるんだから」
 と、セキネをあくまでも敵対勢力として会長に印象付けておき、セキネの後ろに回り込むと小声で恨みつらみを続ける。
「夏まつりの事業企画書は、そのつど総務に提出しているのに、どこで止まってるのかしらねえ。社長が私の失態を見過ごしたと、吸収先に勘繰られるのを嫌がったってのもあるけど、私がいかにも、こそこそと立ち回っているように印象付けられてるみたいだし、だったらコッチもそれを利用させてもらわないと」
 セキネも会長には悟られないようにして応戦する。
「事実と乖離した企画書で混乱させようとしたんでしょうが、少しやりすぎましたねえ。僕の方で取捨選択して流せるものは流しておきましたよ」
「どおりで、NGネタばっかり流れてたわけよね。これじゃあ私がバカまる出しで錯綜している姿がありありってとこね」
 親しげな二人に、ひとり取り残された会長は交互に目を振る。
「ああ、会長。こちら、うちの会社の万年ヒラ総務員にして、影の実行支配者であり、駅前商店街のプランニングを一手に担う旭屋堂の刺客ですけど、まだまだ見せてない部分がありそうで、その実態はナゾにつつまれています」
 会長は、肩書を聞くたびにうなずくも、結局どういう人物なのかわからないまま、恵の冗談のような紹介のしかたに、キツネにつままれたままだ。
「おいおい、ケイさん。会長さんが困ってるでしょう。そんな生々しい説明はこの場にふさわしくないですよ。会長、お初にお目にかかります。ぜひ私にもこの夏まつりの概要を見学させていただき、勉強させてもらえますか」
 セキネは大げさにへりくだる。
「ダメですよ! この人に見せたらアラ探しして、つぶすところはつぶし、目に付いた部分があれば、さらに改良して自分のアイデアにして持ってちゃうんですから。今の段階ではまだ早いです」
 会長はまだ状況が把握できておらず、同じ会社の年配者になにを言っているのかという表情だ。さすがにこの年代は年功序列に厳しい。
「わたしはこのあと、組合の打ち合わせに行かなきゃならない。おふたりで確認がてら見てまわってもらえばいいんじゃないですか。よろしいですかねセキネさん?」
 セキネは一歩前に出て、喜んでとほほ笑むと、恵はその後ろでセキネの脇腹にヒジ鉄をくらわして不満顔だ。
「ほら、会長もそうおっしゃってることだし。さあさあ、行きましょう」
 痛みを堪えて、セキネは恵の手を引っ張って勝手に進んで行く。最後まで二人の関係性がつかみ切れない会長は、首をかしげながら場を離れていった。
「ちょっと、もういいでしょ離してちょうだい」
 恵は手を振りほどき、その場で立ち止まる。
「なんなのよ、聞いてないわよ。突然現れちゃって。コッチの身にもなってよね」
「なかなかの名演技でしたねえ。俳優業もこなすとはさすがケイさん、マルチタレントぶりをいかんなく発揮してますねえ」
「なに、はぐらかそうとして。私にもいろいろ段取りとかがあるんだから、いまはまだそのタイミングじゃないのよ。ややこしくしないでちょうだい」
「よかったじゃないですか、会長も気を利かしてはずしてくれたし」
「会長がはずしてくれなかったら、セキネさんに退場して貰うつもりだったわよ。退場しないなら、チキンウィングフェイスロックでオトして病院送りにしてるとこよ」
 セキネは顔をしかめ、無言で首を振る。以前やられた経験があるらしい。
「別にね、セキネさんがアッチと内通してるからって私は気にしてないわ。それどころか、さすがセキネさんと感心したぐらいだけどね… 」
 言葉を止めた恵は、それだけで終わるつもりはなさそうで、ハスに目線を送る。
「 …吸収先の発言力を持つ部長まで失脚させる手筈を取っていたとはね。しかも私を使って、ってとこがいかにもじゃない」
 セキネは愉快そうに聞いている。肯定も否定もする必要はない、あくまで恵の想像上の話だ。
「おもしろい話ですねえ。しかし、それはいくらなんでも僕のことを買いかぶりすぎだと思いますけどねえ」
「どうだか。セキネさんがそう思ってても、向こうの社長の意向を受けて実行したのかもしれないし!? って、ああ、そういうこと… 」
 恵は想像を膨らましているうちに、核心に近づこうとしている。さすがにセキネも頬がひきつるところだったので、くるりと体を回し商店街を一望した。
「しかし、短期間によくここまで体裁を整えましたね。古びた商店街も、消費者目線で見なおせば郷愁を誘う建造物と成りますか。なるほどねえ」
 今度は恵が、多くを語る必要はない。セキネが話題を変えてきたことが如実にそれを物語っている。切り札は必要な時に切ればいい、手の内にあるうちに有効に使うことが必要なのだ。恵は大げさに手を広げセキネの視界を妨げる。
「だ・か・らーっ、偵察しないでって言ってるでしょ。まったく、もう。かといって駅ウラを歩くなとも言えないし、むしろ正面切って登場したことに驚くわ。つ・ま・り、自分が動いてるってことが私にわかっても、もう問題ないと踏んだってことですよね。次は何をたくらんでいるつもりなのかしら?」
「いやいや、次への布石を打っているのはケイさんの方でしょ」
「あーら、わかっちゃった?」
 あえて、陽気にふるまうことで余裕を見せ、簡単には見破られない自信を見せつけるも、セキネは容赦なく切り込んでくる。
「そうですねえ、駅裏のこの道を端まで行けば、街並み保存街を通って城跡にもつながっていることですし。どうでしょう、人力車で往復させて、行きに食べ物、帰りに土産と金を落とさせるとか。いろいろと広がりも考えられそうですねえ」
 するどい! 恵は笑顔のまま心の中で冷や汗をかく。ただそれは、セキネが形勢を入れ替えようとして、いきなり恵の最終目的に触れてきたともいえ、それだけ、さきほどの恵の発言が効いているという裏付けにもなる。
「さっすが、セキネさんですねえ。わたしが温めているプランを一見して読み切るなんて。実現にはいろいろとハードルもあるんですけど、よかったら、企画書作りますから、相見積もりなしで買い取っていただけません? 旭屋堂に移ってから発注いただけると私も助かるんですけどね」
「ほう、今回のまつりの成功を売りにして、いよいよ独立するつもりですか」
「まだ、成功するって決まったわけじゃないわよ。だけどね、ウチの社長みたいに無理にしがみつくつもりはないから。それに要らないなら、要るようにしむけてみせるぐらいの気概はまだ持ってるわ。向こうからアタマ下げて居てくださいって言わせるぐらいのね」
「ということは、はやり杉浦さんも引っ張ってくんですかねえ?」
 ここで恵は笑みをこぼす。
「ご心配ですか? セキネサン」
 口元で手を押さえるセキネはその手で恵を指さす。
「それはそうとして、こう敵が多いとかえってヤル気もわいてくるから感謝しなといけないのかもしれないわ。ソチらにとっちゃ眠らせておいた方が良かったんじゃないですかあ?」
 恵はいたずらっぽく笑う。しかたがないとセキネが咳払いして取って置きを口外する。
「ここにきて社長にダメ出しされた小学生の総合学習を突っ込んできたのも、ケイさんらしいですしねえ」
「なに、なに、それも知ってるの? まったく、困ったもんね。平日にぶらぶらと出歩いてばかりいないで、ちゃんと社内で仕事してて欲しいわ。そ・れ・と・も、ジェームズ・ボンドなみの諜報部員がいるとか?」
「それほど大したモノじゃありませんよ。ただ勝手にしゃべってくれる内通者が部内にいるもんですからねえ」
 戒人だ。恵はあたまをかかえたくなった。まさか人力車の駆動の仕掛けのことも話しているのではと不安に駆られても、それをセキネに訊くわけにもいかず、困ったものねと首を振るに留めた。これでは戒人は恵にとっては諸刃の刃だ。薬にもなるし毒にもなる。
「ケイさんと、杉浦さんの関係ほどじゃありませけどね」
 ダメもとのカマかけにセキネが乗ってくるとは少し意外だった。珍しくあせっているのか、向こうから結論を急いでいる。それともそれ自体がワナかもしれないので安心はできない。
「どうかしら? 思うほどセキネさんより親密じゃないかもしれませんよ」
 逆にセキネの方もこれだけジャブを打っても、ロープ際に追いつめられていない恵を見て、やはりあせりを感じ始めていた。今日すべての答えを出す必要はないものの、恵の方向性を確しかめておかなければ後手を踏むことになる。
「夏まつりは、そうとうやりそうですねえ。駅前もうかうかしてられないでしょう、と言いたいとこですけど、そのリスク管理は彼らにはできてなさそうですよ。勝ち戦の祝杯をあげることしか考えてませんからねえ。今度の夏まつりで引導を渡すつもりでいるようですが、これじゃ逆に寝首をかっ切られそうですよ。ところで、いったいどこからここまでの資金を捻出したんですか。夏まつりは恒例行事だとしても、ウチへの企画料と、ここまでの準備だけでもアシが出てるでしょうに」
「まあね。自分の身が危ういとは思ってもいないどこかのボンクラ部長が、ある条件と引き換えにね、敵に塩を送ってもらったってとこですかね」
 重堂だ。彼もまた、踏み台にされるひとりになるのだろうか。
「それは、それは。よかったですね。彼はアナタの価値をわかっているようですが、その素敵なお尻から見え隠れしている鋭い針までは知らなかったようですね」
「さあ、どうかしら。ちゃんと働けばそれなりのご褒美が手に入るかもしれませんよ。ところでセキネさん、私以外にその発言をするとセクハラになりますからね」
 あいかわらず、のらりくらりとかわしていく恵だった。
「店の扉に打ち付けてあった木戸が外されてますがどうするんですかね。このまま道路に敷いておくつもりではないでしょうに?」
「それもねえ、ご想像にお任せしますわ。当日来てもらえばわかることだから、隠し立てしてもしょうがないんだけどね。なんならセキネさんの見解をお伺いさせていただこうかしら?」
 恵はセキネの口車にのることなく、セキネに話させることで、どこまで読み取っているのか探りを入れる。かと言って、セキネの言葉がどこまで真意なのかわかるはずもなく、ここはお互い腹の探り合いだ。セキネは木戸が外された店の中を覗き込んでみた。店の中は、さすがに商品が置きっぱなしになっていることはないが、当時の装いはそのまま残っている。懐かしさが充満しているそのたたずまいに目を細めた。
「駅前は大手の資本も入り、改装してきれいになった店もあり、駅裏と同じように閉められたままの店もあり、昔ながらのままで営業している店もありますからねえ。いまはまだ新装開店のムードにものって全体的に賑わってはいますが、この先いつまでそれが続くかは大いに疑問がありますね」
「大いに疑問って、そこまでわかってるんなら、さっさと手を打てばいいでしょ。私の前で体裁を取り繕うる必要はないんじゃないの? それともわかってて、ジリ貧になるのを待っているとか? まあそれで割が合うんでしょうね。しょせん、駅前も重堂もアテ馬でしかないと… 」
 セキネはそれには答えず話しを続ける。
「全体の景観としてはずいぶん偏ってますからねえ。道路も整備され横道もなくなり、遊び心に欠けます。あたりまえですが単純で小ぎれいな立地にはカオスがありません。混沌がなければ人は愛着がわきません。いずれどこにでもあるどこかになってしまうでしょうでしょう」
「だけど、今の若い人たちは、それがいいんでしょ。うらぶれて朽ち果てる商店街なんて、来る気にもならない… 」
「それです! そこが、ケイさんのカムフラージュってわけですね。古い街並みを価値に変える施策は特に新しいものではありません、イギリスでもスクラップアンドビルドより、コンバージョンをするよう法的に整備もされています。それも、財政支援があり、補助金なり、融資がなされればの話ですけども… うまいところに目をつけましたね。店を改装する必要もない、そのままの景観を生かせば郷愁もさそうし、情緒にも訴えられる。木戸を開けた時の宝物を見つけた時のようなアナタの目の輝き。想像できますよ」
 理論武装を持ってして矢継ぎ早にたたみかけてくるセキネに、恵はどうしたものかと悩んだ。時間もかけられない。黙っていては認めたことになる。肯定しても同じこと。否定すればセキネの発案として持ってかれる。
「そこまでは、誰だって… 」
 セキネが神妙な顔つきになる。
「 …誰だってよ。考えることですよね。そこに何を足せるか、それで勝負が決まるでしょ。何を足すのかはひとそれぞれ、セキネさんなら何を足します?」
 この時点で恵には何も考えはなかった、ハッタリは堂々と自信を持って言い切らなければ尻尾をつかまれ、形勢は一気に逆転される。
「なるほど、そうきましたか。それは宿題とさせていただきましょう。アナタに提出するかは別ですけどねえ」
「でしょうね。引き合いがあった方が勝者となる。それだけです。ただ、それだけ… 」
 セキネはうれしそうにして手を振り、恵の元を立ち去って行った。
「アナタとの会話はいつも楽しくて、深みがあります。これからも遠からず、近過ぎずの関係をつづけたいものですね。それがお互いに一番良い距離感なんでしょう」
――これ以上、深入りするなってことね。最後通告のつもりなんでしょうけど、みてらっしゃい、ソッチから深入りしたくさせてあげるわよ。
 やはり、敵が大きく、強ければ、それだけやる気がみなぎってくる恵であった