private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

第17章 1

2022-10-30 14:09:26 | 連続小説



R.R

「行っちまったぜ。いいのかよ、ほんとに、マリ様乗せたまんまで… 」

「よくないでしょうね。気付かれなければ御の字ですけど… 気付かれますよね、きっと」
 シャッターを上げる作業が済んだふたりの周りにあれだけいた人混みと目線は、オースチンの移動と共に、いまはスタートアンドフィニッシュラインに注がれている。
 ふたりきりになったあとに発せられたリクオの問いに対するジュンイチの言葉は、どこか他人事で、どこか楽しんでいるように聞こえた。
「まったく、ナニ考えてんだ。こればっかりはよ、ホント、ワケわかんないぜ」
 嬉しそうな顔をしていたジュンイチは、少し真顔になり上目遣いにリクオの方へ顔を向ける。
「今まで考えていたんですけど、ナイジは何らかの理由があり、あの女性を乗せなければならず、増えた重量を差し引こうとガソリンを抜こうとひらめいた。そうして彼女を呼び出して僕等にガソリンを抜く指示をした。ガソリンを抜くのは彼女が必要である結果であり、アイデアではない。では、なんのために?」
「なんのためだよ」
 目を泳がして推測したことを順序だてて話そうとするジュンイチに、何の想像もつかないリクオがぶっきらぼうに尋ねる。
 どこから話すべきか口に指を当てしばらく黙っていたジュンイチは、しだいにその指をピアノでも弾くように小刻みに動かし考えを述べ出した。
「考えられるケースは、レースをするにあたって、助手席からのなんらかのアシストが必要になった… 」
「どうして? ナビゲートするような道じゃないだろ。かえってナイジの方が知り尽くしている、ジャマなだけじゃねえか?」
 ジュンイチが言い終わるのも待たずに、さすがにそれぐらいはわかると言わんばかりに、ふんぞり返ってリクオは答える。ジュンイチの言うアシストとはなにも、道案内をすることを言っているわけではないがリクオを立てて肯定してみせる。
「ですよね。そこで、それ以外で考えられるのは、タンデムシートのクルマでは両側に人が乗ったほうがバランスがいいということ。特にここでレースしているクルマは、だいたいが、ライトウェイスポーツ。車重は比較的軽く、重量の差し引きによって、少しとはいえクルマの挙動に変化は生じますからね。そこでメリットとしては、スタート時ではノーズの浮き上がりを抑え、前タイヤもしっかりと路面をグリップするでしょうし、重量バランスが良ければコーナーも右でも左でも、喰い付きが良くなる。左右バランスが良くなり、弱オーバーの状態になりますね」
 わかっているのか、そうでないのかリクオは無造作に何度も首をタテに振る。
「もう一方で、不利益な面としては、ガソリンが少ないためにコーナーリング中にタンクの中ではアウト側へ偏るので、長いコーナーが続けばサージングを起こし、軽いガス欠状態になる可能性もあります。あっ! もしかして。最後の5連コーナーはすべて左コーナーです。助手席の荷重分でイン側のロールを抑え、前輪左のタイヤをしっかりとグリップさせ、最終コーナーでの優位性をより確実にして、そこを勝負どころとして捉えているとしたら… 」
「でもよ、そうしたら、逆に連続するコーナーはやばいんじゃないの。あれだけ長い左コーナーだ、ガス欠状態になっちまうんだろ?」
「うーん、可能性はありますね。諸刃の剣になるかもしれない。ナイジのオースチンはタンクが換装してあるので、どのような形状になっているかわかりませんし、タンクからエンジンまでのどれぐらいのガソリンが流れ込んでるか断定できませんけど、あとは神頼みになりそうですね… 」
 ジュンイチは一転、険しい顔になっていった。ホームストレートでは歓声が段々と大きくなっていく。リクオは両手をアタマの後ろに組んで、なにやら冷めた表情になっていた。
「あのさ、オレ、難しいことはよくわかんねえけどさ… 」そう切り出した。
 ツアーズの関係者達は、こぞってピットウォールに鈴なりになっている。一週間前にナイジが走る前まで、誰がこんな光景を想像できただろうか。ほとんどの者達がそう思うなかで、ウラでそれを仕掛けている者はほくそ笑んでいる。
「みんなさ、だれもがさ、自分の都合がいいように物事が進めばいいと思ってるだろ。そんでさ、そうならないと、気分が悪かったり、誰かのせいにしたり、ひどい時にはその誰かに八つ当たりしたりするんだよな」
 リクオが突然に何を言い出すのか、ジュンイチは少しあっけにとられながら話の続きを聞こうとリクオを見やる。はやくピットウォールに行かなくていいものか声掛けのタイミングあつかめない。
「オレのさあ、死んだバアちゃんが口癖のように言ってたんだ。ヒトが生きるには、ムダと、余計なことが必要なんだって。うまくやろうと思えば思うほど、まわりの信用を失って、ひとりぼっちになっていくってさ」
 的を得た格言であるが今この時にどう結びついているのかわからない。そんなリクオの言葉をジュンイチは遮ることができずに聴き入っている。
「もともと、誰の信用を得ていない、孤立していたナイジがさ、自分の信念をつらぬきはじめたとたん、こんなおおごとになっちまった。なんだかさ、その差し引きとして、ムダであり、余計なことであるマリ様を助手席に必要としたのかなって、なんかそんなふうに思ってな」
 現実としてはそうでなくとも、リクオの言わんとしていることは間違いではない。それで均衡が保たれるならば、それを皮膚から感じ取っているなら、ナイジの愚行が正当化されると信じたい。
「バアちゃんはこんなことも言ってた。この世の中は差し引きがゼロに成るようにできているから、何かが増えれば、何かが消えていき、何かが減れば、何かが生まれるだってよ。そうでなければこの世が傾いちまうってな。オレはさ、根性ないから、もし自分がひとより抜きんでたら、なんだかそれより悪いことが起こるんじゃないかって、だったら、平穏に暮らしてた方がいいやって。それは、できないことの言い訳だけどな」
 誰もがその生き方の背景にはそれなりの理由が詰まっている。リクオの人生の成型に祖母の言葉が影響を占めており、これまでオモテに出すことのなかった想いがこのタイミングで吐き出されている。ジュンイチはそんなリクオの気持ちが身に染みてよく理解できた。自分もそんな弱さが無いわけではない。
「だからさ、ナイジはさ、オレの希望なんだ。アイツならこんな常識をひっくり返してくれるって。ずっと思ってた。どんな手段を選んだっていい。このサーキットの止まった時間を動かしてくれるのはアイツだって、そう信じてたんだ」
 誰しもがヒーローになれるわけではない。どこかでなれる側と、応援する側になる踏ん切りをつけなければならない。リクオは何度か手合わせをしているうちに、ナイジを応援する側になることを決意していた。
 自分が決意しても本人が動かなければ応援することもできない。そのナイジがいま腹をくくって人生を左右する闘いに臨もうとしている。リクオにはそれだけで感極まるものがあった。
 それを聞くジュンイチは、それが自分ではないと宣言されたも同じであり、厳しい現実を突きつけられたことになる。そうであっても自分にできる方法で闘い続けていかなければならない。
「しかしなあ、さっきから聞いてりゃ、それ全部、助手席に人が乗ることから考えついたんだろ。オマエどんだけ思いつくんだ。なんかさ、オレ、自分が嫌になってきた。同じドライバーと思えない。オマエにしてもナイジにしてもどこまで深いんだッつーの」
 自分の言いたいことを言い終えて、気持ちが落ち着いたリクオは、急にサバサバした表情になり自分の無能ぶりをさらけ出した。
「ハハッ。そうですかね?」
 そんなリクオをおもんばかり、どれも走っていればわかることだとは、とても言えないジュンイチであった。ここまでリクオに気を使ってきたそんなジュンイチに、まさかの言葉を投げかけ舌を出す。
「おい、ジュンイチ。スタートするぞ。なにやってんだ急げ!」


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